買出しに付き合ってください






 買出しの為のリストを1枚と、それに必要だと思われるだけの量のお金と。
 それを持ってキリルは船内をうろうろと歩き回っていた。
 廊下に視線を落してうろうろと歩き続けていたかと思えば、何か意を決したように顔を上げて一直線に何処かへ向かい。
 けれど1つの部屋の前にノックをしようと手を上げた所で止めて、そのまま暫く固まり、結局は肩を落としてまたうろうろと歩き始める。
 どのくらいそれを繰り返しただろうか。
 けれど現在キリルがいる近辺はとても静かで人の気配が少ない。
 まだ少し早い時間だからかもしれない。
 寝ている人は寝ているだろうし、起きている人は用事がなければそれぞれの部屋にいるだろう。
 だから誰もキリルの不思議な行動を目撃する人はいない。
 声をかけて何をしているのか聞く人もいない。
 キリルは1人で静かな船内を、ひたすら歩き回っていた。
「…………、よし…っ!」
 何度目の気合だろうか。
 うろうろと歩き回って、自分に言い聞かせるように呟き、振り返る。
 目指すは船内の中でも端の方にある部屋。
 最近仲間に加わってくれたルクスが使っている部屋だ。
 静かな場所がいいと言われて少し不便そうに思えるその場所へと真っ直ぐに歩き、手を上げる。
 ノックをしようとした寸前で、やっぱり手が止まる。
 色々と考えてしまうのだ。
 まだ寝ていたらどうしよう。
 けれどルクスは自分よりも早く起きている姿しか見たことがない。
 この時間なら起きているはずだ。
 でもそれでも朝早くから尋ねたら迷惑だろうか。
 そんな事をぐるぐると考えて、また手を下ろそうとしたけれど、ぎゅっと握った手は無意識のうちに部屋の扉にこつんとぶつかった。
 コンッ、と小さく響いた音にキリルは体を強張らせる。
 叩いてしまった、とそんな顔をしている。
 暫くはうろたえたように視線を彷徨わせたけれど、小さな音であれノックをしておきながら逃げるなんてあまりにも失礼だ、とそう自分に言い聞かせてしっかりと音を立てて扉を叩く。
 3回ほど叩いて、中からの反応を待つ。
 ルクスの声は聞こえない。
 部屋の中で誰かが動く気配もない。
 ただ静かで、キリルは少し首を傾げる。
「……まだ…、寝てるのかな…。」
 いつも朝が早い人だとはいえ、特に起床時間とかそういう細かい決まり事のない船だ、ゆっくり眠っていたい時もあるだろう。
 あまりノックを繰り返しその音で起こしてしまっても迷惑だと思い、手をおろす。
 力が抜けたように肩を下げ、そのままキリルはその場に蹲った。
 ありったけの勇気を振り絞っての結果がこれだ。
 緊張のためか気付けば脈は妙に速く、少し落ち着きたかった。
 ルクスの部屋の前で丸くなっている姿はとても不思議だろうが、今まで誰にも声はかけられなかったんだ、少しくらいは平気だろう。
 そう思っていたのに、タイミング悪く人の足音が聞こえた。
 周りの音に気付かないくらい力が抜けていたらしい。
 音は近くで聞こえ、キリルは驚いたように顔を上げる。
「………、大丈夫、のようですね。」
「あ、シグルドさん…、おはようございます。どうしました?」
「おはようございます。いえ、なにか蹲っている人影が見えたので、どうしたのかなと思いまして。」
「す、すみません…。」
 慌てて立ち上がる。
 慌てすぎてよろけそうになるキリルの体を支えながら、シグルドは部屋の扉に目を向ける。
「ルクス様に用でしたか?」
「はい、ちょっと…、でもまだ寝ているみたいで。」
「起きていますよ?」
「え!?」
「こちらです。」
 にこりと笑ったシグルドがそう言うから、反射的にその背中をキリルは追った。
 シグルドの隣にいつもの相方の姿は見られない。
 けれど朝はいつもそんな感じだ。
 早くに起きればシグルドとだけ挨拶をし、昼近くになってようやくハーヴェイを見かける。
 ハーヴェイは役目があれば文句を言いながらも起きるけれど、そうでなければ寝ていられるだけ寝ている人なので、今は特に気にならない。
 そのままシグルドの後をついていけば、甲板への出入り口で足を止めた。
 キリルも止まり、シグルドが指す方向に目を向ければ、ルクスの姿。
 こちらに気付いていない様子のルクスの後姿を見て、咄嗟にキリルは扉から離れて壁の方へ隠れるように逃げた。
 その反応にシグルドが目を丸くする。
「どうしました?」
「あ、いえ、その…。」
「ルクス様に用があったのでは?」
「はい、えーっと、あったんですが……、って、お願いです、呼ばないでください!」
 今にもルクスに声をかけそうなシグルドを自分の隣に引っ張る。
 シグルドが首を傾げるが、キリルとしてはそれどころではない。
 先程精一杯の勇気を持って扉を叩いた。
 その精一杯の勇気をもう1度持たなければならない。
 ルクスに告げる為にと用意した言葉は、部屋にいないと分かって力が抜けたと同時に綺麗に忘れてしまった。
 それをまた思い出して、扉越しに声をかけるのではなく、直接ルクスの前に立って声をかけなければいけない。
 なんだか混乱が度を越して泣きたい気分になってきた。
「本当に、どうしたんです?」
 かけられた声に、情けない顔をしていると自覚しながらもキリルは顔を上げて。
 シグルドに差し出したのは1枚の紙。
「……、特効薬に毒消しにのどあめ…、買出しリストですか。」
 他にも色々と書いてある紙を見ながら聞けばキリルが小さく頷いた。
 掌に収まるくらいの紙に書かれた、さほど多くない量のリスト。
 上から下まで一通り目を通してシグルドは苦笑した。
「ルクス様を買出しに誘いたい、ですか?」
 シグルドの言葉にキリルは驚いた顔をした後に顔を真っ赤にして慌てた後に、はい、と小さく呟いた。
「で、でも、そんなに量も多くなくて、誘う理由なんて全然なくて…。」
 確かにキリル1人でも問題がない量だろう。
 他の誰かに任せても文句は言われない立場なのに、何故かキリルは外せない用事がなければ自分で行こうとする。
 以前不思議に思って聞いてみれば、それは子供の頃からの自分の役目なんだと答えられた。
 何も出来ない子供がそれでも出来る事を探した結果だと。
 シグルドからしてみれば、キリルは幼い身で大人と共に十分な力を振るっていたと思う、なにせ過去に1度敵対した時にシグルドに膝をつかせたのはキリル本人だ。
 それでもアンダルクやキリルの父親にしてみればキリルは子供で。
 守られている事を実感しているキリルは、出来る事を探したのだろう。
 今でもそれは続いている。
 そうして、これだけ人数が増えたのだ、キリル1人では持ちきれない事が多くて、その時だけは誰かに一緒に来てくださいと声をかけた。
 本当に1人では無理な時だけだ。
 けれどリストの量はキリル1人でも十分に思えた。
 だから誰かを、ルクスを誘うのは申し訳なくて。
 けれどそれでも、ルクスと一緒に行きたいと思っているようで。
「………けど…、一緒にいけたらいいな、って…思っていて…。」
 小さく呟かれた言葉にシグルドはつい笑ってしまった。
 突然笑い出したシグルドにキリルは不思議そうな顔をする。
「シグルドさん?」
「す、すみません…、つい、微笑ましいと思いまして。」
「え?」
「そんなに考え込まなくても平気ですよ。ルクス様はああ見えて優しい方です。」
 何も知らなければ表情の変化が乏しく口数の少ない人なので、近寄りがたい人に見えるだろう。
 けれど決して人に対して無関心な人ではないし。
 2年ぶりに共に行動をしてみれば、ルクスはキリルを随分と気に入っているように見える。
 キリルが誘えば、表情にはあまり出ないだろうけれど、きっと喜ぶだろ。
「あ…、それは、大丈夫です。ボクもルクスは優しいなって、そう思っています。」
「そうですか。」
 あの不器用な少年の気持ちは伝わっている事になんだかほっとして。
 にこりと笑うとシグルドはキリルの腕を掴む。
 突然腕を掴まれてキリルは不思議そうに首を傾げ、どうしました、と聞くより前に。
「でしたら、安心して誘ってきてください。」
 掴まれた腕を引っ張られ、そのまま甲板へと押し出される。
 強い力で引っ張られてよろけながらも甲板へと出て顔を上げれば、モップを持ってこちらを見ているルクスと目が合った。
 じっとこちらを見ているルクスは、やがて不思議そうに小さく首を傾げた。
「なにかあった?」
「………え?」
「キリル君の声が聞こえたかと思ったら隠れているし、暫くしたらキリル君が突き出されるし、どうした?」
「い……いつから、気付いてた?」
「お願いです呼ばないでください、から。」
 最初から気付いていてずっとこちらを見ていたようだ。
 恥ずかしさのあまりにここから逃げ出したい気持ちにもなったけれど、ルクスの目の前でまさかそんな事ができるわけもなく。
 ぎゅっと両手を握り締める。
 右手に持っていた買出しのメモをくしゃりと握りつぶしてしまったけれど、その事まで頭が回らなくて。
 暫く視線を彷徨わせたけれど、決意したように顔を上げてルクスを見て。
「ル、ルクス!」
「うん。」
「そ、その、掃除しているところ悪いんだけど、というか甲板掃除は今日ルクスの担当じゃなかった気がするんだけど!」
「何処かの海賊の相方が起きてこないからね。たぶん忘れてる。」
「そっか…、じゃあ、邪魔をして申し訳ないんだけど、迷惑じゃなかったらでいいんだけど!」
「うん。」
 淡々とルクスは言葉を返す。
 けれどそれは決してルクスを拒んでいるわけではなく。
 無表情ながらもこちらを見ている瞳には優しさを感じて。
 甘えてしまえ、そんな言葉が頭を過ぎった。
 だから力一杯にキリルは叫んだ。
「よかったら、ボクと一緒に買いだしに行ってください!!」
 声はとても響いた。
 広い海の向こう側にとてもはっきりと響き、近くにいたルクスは声の大きさに少し驚いたような顔をしたけれど。
 真っ赤な顔をしてこちらを睨むように見ている、おそらくはそれだけ必死だったのだろう、そんなキリルを見て。
 キリルの様子とは裏腹に、告げられた言葉はとても他愛のないこと。
 叫ばれた言葉を自分の中で繰り返し、そうしてルクスは小さくキリルに笑いかけた。
「うん、いいよ。」
 あっさりとした答えに、あまりにも簡単に受け入れてくれたルクスに、キリルは力が抜けたようにへたり込んだ。
 何をそんなに一生懸命になっていたのか理解しきれないルクスはただ首を傾げ。
 そうしてキリルの後ろで楽しげに笑っているシグルドを見て、ルクスは更に不思議そうな顔をした。










END





 


2006.12.19

キリルは初めての友達にどうしていいのかびくびくしていると思います
シグルドはそんなキリルを微笑ましく見守ってます、いいから行ってらっしゃいと時折突き飛ばします
キリルとシグルドは何気なく仲良しだと思ってます、





NOVEL