一緒に食事(カニ)でも






何日目かの海の上。
長い長い移動をしていた。


今身を置く場所は「船」という限られた空間。
時間があればあるほど、其れを持て余す時間も増えていく。
朝食を済ませた後は、
特にやる事も思いつかなかったので船内の掃除でもしようかと動けば
「自分がやるから」とアンダルクに止められた。
ならば洗濯でもと思っても「其れは既に終わらせた」とセネカが言う。
周りを見回して見ても何処も手は足りているようで。
さて、何をしよう。
困ったキリルはヨーンとふたり、とりあえずぼーっと海を眺めていた。


「何を見てるの?」


どのくらいそうしていただろうか。
突然後ろから聞こえてきた声に、ハッとなって振り返る。
まず初めに視界に飛び込んできたのは風に靡く赤く細長い物。


「あ、ルクスだ」


たったそれだけの情報でパッと其の名前が出てくるのはきっと凄い事なのだろう。
名前を呼ばれたルクスは小さく笑いながらキリルの隣まで足を進め、
其れまで視線の向けられていた方へと注意を向ける。
しかし在るのは穏やかな波に踊る海面だけ。
魚が飛び跳ねている訳でも、特別何かが浮かんでいる訳でもない。
それも其のはず。
キリルはする事がなく、
もっと言ってしまえば本当に暇でただぼーっと海を眺めていただけなのだから。
照れ隠しに苦笑いを浮かべながら事情を説明すると、
ルクスは感心したように頷いた後「それじゃ僕も付き合おうかな」と海へ視線を戻す。
キリルも其れに倣って温厚に波打つ海面を再び眺め出した。


心地よい風と小波と。
先ほどと同じ風景だというのに、ヨーンといた時とはまた違った安心と充実感。
何も話さなくてもいいと思えるもうひとりの人物。
キリルの心は流れる時間同様完全に緩みきっていた。


だから本当に驚いた。
急に腹部から低く盛大な音が響いた時には。


「……ッ!?」


慌てて自らの腹部に視線を落として両手で押さえつけるが、自分の意思でどうにかなるものでもない。
少しの間キリルの気持ちに反して鳴り続けていた。


「あ、あの、これは…ッ」


最悪だ。
朝食を食べた後はほとんど何もせずに海を眺めていただけだというのに。
ルクスにも当然其れは知られている。
しかし腹部から低い音は紛れもなく空腹を示すもの。
こんな盛大に響いてしまっては隠しようがなく、キリルはルクスの視線から逃れるように顔を俯かせる事しか出来なかった。
なかった事に出来ないのならどうやって話を逸らそうか、いっそこの場を適当な理由をつけて立ち去ってしまおうか。
恥ずかしく、情けなく、纏まらない思考だけが頭を回る。
相変わらずの心地よい風と小波が今では苦痛でしかなかった。


「……思い出した」


そんなキリルにとっては拷問のような時間の中。
それまで黙ってキリルを眺めていたルクスがふいに呟く。


「え?」
「君と初めて会った時の事」


恐る恐る顔を上げるとキリルを馬鹿にするでもなく、笑うでもなく、
ただ純粋に『思い出した』内容に関心を示している。

そうだ。
あの時は今日と逆だった。
ひとり巨大なカニ数匹を相手にしてしまうくらい空腹だったのはルクスで、キリルは其れに手を貸したのだ。


――――――――――其れが始まり。



「……行こうか」
「え、何処に?」
「勿論厨房。夕食にカニ料理をリクエストしに」


突然踵を返すルクスにキリルもつられるようにしながら続く。
先ほどまで後ろに在ったヨーンは、いつの間にか姿を消していた。
 

「もう少しゆっくり出来るようになったら、そしたら今度はふたりでカニを取る所から始めようか」








END





 

2007.01.21 NOVEL