子供






「好きだ!!」

 真っ赤な頬と、子供のような上目遣いに悔しそうに寄せられた眉。
 シグルドを正面からじっと見据えて半ばヤケクソ気味に吐き出されたそれに、周囲から沸き起こるのは囃し立てるようなバカ高い歓声のみ。
 その為ますます赤くなってしまった頬は、もう酒のせいという言い訳など出来ないほどにあからさまだ。
 そんな様子にシグルドがこれでもかというほどの呆れた溜息を一つつくと、目の前の相手、ハーヴェイは忌々しそうに大きな舌打ちをした。

 勝利の宴会にはつきものの、酔っ払いを楽しませ笑わせる無礼講でふざけた余興。
 今のハーヴェイの状態を説明するのはその一言で足りるだろう。
 勝利の勢いのままに始まる宴会は男達にガンガン酒を進ませ、陽気な空間を提供する。
 盛り上がる会話、どんどんとテーブルから消えていく酒とつまみ。
 酒の飲み方に慣れた男達は明日に悪影響を及ぼすような無茶な飲み方は決してしない。
 悪酔いして楽しい空間を壊すような事もしない。
 だから最高に楽しい瞬間を過ごす事が出来る。

 そんな空間では、いい大人が普段は全くやらないようなちょっとした悪ふざけやくだらないゲームも楽しみの一つとなる。
 酒の強い者同士によるラッパ飲み対決や、下手な踊りや歌、唐突に始まる武勇伝や「実は俺あの時……」などの衝撃の告白大会など。
 ハーヴェイが巻き込まれたのはまさにそれだ。
 本日の勝利を飾った戦闘で、いつものようにどんどん前へ前へ出る戦闘スタイルで挑んでいたハーヴェイは、途中どこからともなく現れた複数の敵に囲まれ思わぬ苦戦を強いられた。
 そんなハーヴェイの窮地を救ったのが自他共に認める相方のシグルドだった。
 場は混戦状態だったが、見ている人間はしっかりと見ているというもの。
 それを酒の席で話題に出されたのだ。
 結果として大事に至らなかった為、「周囲を良く見ずイノシシのように突っ込んでいく無謀な男」としてただの笑い話になるはずだったのだが、そこで誰かがこう声をあげた。

「お前いっつもシグルドの世話になってんだから、ここらでいっちょ面と向かって礼の一つでもしとかねぇとそのうち見捨てられるぞ!」

 誰かの声はまた別の誰かの声を呼び、そしてまた別の誰かへとどんどん飛び火していく。
 更にはどこで間違ったのか、最終的には「礼」から「好意」へと求めるものが変化し、場の雰囲気は加速していった。
 この状況に、シグルドは騒動から少し離れたテーブルで気持ちよく寝こけてしまった男達をさっさと部屋に返すべく声をかけながら人知れずため息をつく。
 先ほどまでゲラゲラと仲間達と楽しく笑い合っていたハーヴェイがこの場を白けさせるような事をするはずがない。
 明日になればどうせ皆忘れてしまうか、又は全ては酒の席の事だとまるで気にしないでいる事は判っている。
 しかし求められているものがものだけに、ハーヴェイも二つ返事で首を縦には振れないようだ。
 ハーヴェイが渋る理由を仲間達は「今更気恥ずかしいから」という意味で取ってあおっているのだろうが、ハーヴェイとシグルドだけはそれとは別の意味である事をちゃんと理解している。
 どうするつもりなのかと傍観者を気取って横目で眺めていると、そのうちハーヴェイが「ああもう判ったよ!」と声を荒げた。
 口笛と拍手と歓声で沸く中、大股でズカズカとシグルドの前まで来ると、酒と、そしてそれとは別のもので赤くなった顔を惜しげもなく前へと突き出してくる。
 そしてヤケクソ気味の大声で「好きだ!」と、そう一言シグルドの目の前で叫んだのだった。


 盛り上がった宴会もいずれは終わりがやってくる。
 同室の人間が寝ていればそれを担いで笑顔で手を振ったり、笑い合って肩を組んだりと、皆思い思いにこの場を後にしていく。
「じゃあなー」
「ああ、たくさん飲んでいたみたいだが明日には残すなよ」
 そんな中で、一人シグルドだけは見送る側の人間だ。
 毎度の祭りの後は、いつの間にかシグルドがいつも片付けを担当するようになっていた。
 放っておいたら誰もやらないので仕方がない。
 といっても、するのは使用した食器を台所まで運んで水に浸し、テーブルを拭き、椅子等の位置を直す程度。
 あとは明日の食器洗い担当の仲間の仕事だ。

 一通りの片付けを終え改めて食堂を見直す。
 床に転がっている仲間はいない、テーブルに食器も残っていない。
 納得がいったところで、シグルドは本日最後の仕事へと取りかかった。
「おいハーヴェイ、起きろ。部屋に戻るぞ」
「うー」
「残っているのはもう俺達だけだ。早くしろ」
「あー……」
 カウンター席に座り、上体をべったり倒して寝ていたハーヴェイの身体を揺さぶる。
 この船に来てから酔っ払いの扱いにも慣れたものだ。
 面倒と感じる事もあるが、それもほとんど諦めた自分の性分だし、何より相手は同室の人間だし。
 そう思いながら根気強く声をかけ続けていると、やがてハーヴェイの重い瞼がゆっくりと持ち上がった。
 完全にテーブルと向き合っていた顔を気だるそうに横へと向け、シグルドの存在を確認するように数回の瞬きをする。
 しかしまだ完全に目覚めていないのか、それ以上の動きは見られない。
 ぼーっと虚ろな視線をどこか遠い一点へと向けながら、再度小さなうなり声をあげた。
「…………」
「おい、目が覚めたのなら早く……」
「シグルド」
「何だ」
「……さっきの」
「さっきの?」
 酔っ払いの戯言とあまり真剣に聞く事なく適当に返事をしていたシグルドは、急に自身の腕を強く引かれバランスを崩す。
 油断していた分だけハーヴェイとの距離が縮まれば、そこには先ほどヤケクソな好意を伝えてきた時と同じように目の前にあるハーヴェイの顔。

「さっきの、本気だからな」

 赤い頬もそのまま、じっと見据える視線もそのまま。
 ただ一つだけ違うのは、今度はシグルドだけに聞かせる低く小さな声という事だけ。
 シグルドの目が大きく見開かれる。
 いきなり何の話だ、とは言わない。
 先ほど仲間達に囃し立てられてヤケクソ気味に口にした言葉の事だ。
 雰囲気のままにただ口にしたのではない、場を盛り上げる為だけにただ口にしたのではない。
 冗談で口にしたのではない。
 ただそれだけを伝える為に酒の席での単なる余興を蒸し返してきたのだ。
 頬をテーブルにつけ、まるで子供のようにシグルドの腕に力強く縋りながら、唇を尖らせじっと見つめながら。

 勿論シグルドはハーヴェイが心配するような誤解も何もしてはいなかった。
 酒の席での事、気にするだけ無駄というもの。
 酒との付き合いが長ければ長いほどよく理解出来る。
 しかしハーヴェイは口にせずにはいられなかったのだ。
 ただの一瞬でも、ただの一ミリでも疑ってほしくはなかったから。

 自己主張の強さはお墨付き。
 本当に子供のような奴だと、シグルドは小さく笑った。










END





 


2010.10.01

四周年、どうも有難う御座います!





NOVEL