願望
ふと白い何かが目に入ってシグルドは思わず足を止めた。
白い何かに危機感を感じたわけでもなく、それ以前に一体何なのかも分かっていないので、自分が立ち止まった理由はよく分からなかった。
それでもシグルドは白い何かに意識を向ける。
何かと思ったそれは白い花で、にこりと笑った女性がシグルドに花を向けた。
「こんにちは。お花でもいかがですか？」
花売りが持っていた花だったのか。
ようやく白い何かの正体が分かって納得するが、けれど次に何故それが気になったのかと疑問が湧いた。
花に特別興味があるわけではなく、女性が持っている花は名前すら知らない。
特別面白い形をしているわけではなく、花びらが８枚広がっているだけ。
何だろう、と思わず首を傾げたシグルドを見て、女性も不思議そうに首を傾げた。
じっと黙って見ている男は確かに不審だろう。
慌ててシグルドは笑顔を取り繕った。
「すまない。何の花かと思っていたんだ。」
「ああ、これは願いの叶う花です。」
思っても見ない言葉にシグルドは目を丸くする。
女性はその反応に満足したように笑った。
「最近ここを少し行った先にお店を開いたの。その宣伝で花を配っているんです。お店が繁盛しますようにって。」
花売りではなかったのか、と指をさした方に目を向けたシグルドへ女性は白い花を押し付ける。
思わず受け取ってしまったシグルドは花と女性を交互に見た。
困惑していると分かる顔をしているシグルドに対し、女性は気にした様子もなく笑顔を返す。
「これが気になっていたようだし、何かの縁だと思って貰ってください。それから機会があったらうちで買い物をして行ってね。」
「あ、ああ…。」
「一緒に貴方の願いも叶いますように。それじゃあ。」
そう言って女性は花の入った籠を持って大通りを進んで行った。
何だか強引な人だったと渡された花を見て思わず笑う。
そんなシグルドの手元にある花を、誰かが背後から覗き込んだ。
「女から花を貰うなんて良い身分じゃんか。」
「っ!?」
聞こえたのは聞き慣れた声だ。
けれど気配がなかったので驚きに方がびくりとはねた。
ゆっくりと振り返ればハーヴェイがひらりと手を振った。
「ハーヴェイ…っ。気配を消すな、驚くじゃないか。」
「悪い悪い。楽しそうだから邪魔すんのもあれかなって思ってさ。」
「あのな…。」
「それで、何て言ってナンパされたんだ？」
明らかに面白がっているハーヴェイに、シグルドは深々とため息をつく。
面倒な奴に見られた、と思った。
説明してもしなくても酒の席で適当に面白がって話題にされそうだ。
長い船旅は、何もなければ本当に何もないので、些細な話題でも欲しくなる時がある。
本当に面倒だと思いながらも、とりあえずは一応説明する事にした。
「そうじゃない。この通りの先に店が出来たから、それの宣伝らしい。」
「宣伝するのに何で花？」
「願いが叶うそうだ。」
「は？」
怪訝そうにハーヴェイが花を見る。
花の名前はやっぱりハーヴェイも知らず、願いがかなうなど言われても訳が分からない。
おまじないやそういった類の話だろうかと思ったが、お互いそんなものに縁はないので知識は一切ない。
「船に乗ってる女に聞けば分かんのか？」
「さあな。」
「てか持って帰るのか？あの部屋に花ってかなり浮くぞ。」
船にある自分達の部屋を思い出せば、確かに花なんて飾る雰囲気ではない。
けれど何となく捨てるのも勿体なく感じた。
願いが叶うという部分を信じているわけではないが、このまま道端へ落とすのは気が引ける。
それに気づいたハーヴェイが意地の悪い笑みを浮かべた。
「何だよ、やっぱりさっきの女が気になんのか？」
「どう気になれって言うんだ。」
「通りすがりに運命感じる何かでもあったとか。」
「あったらお前はどうする気だ。」
「とりあえず宣戦布告でもしとくか。」
「馬鹿か。」
面白がるハーヴェイを一言で切り捨て、持っていた花をくるりと回した。
花束だったら食堂にでも持って行って飾ってもら事も出来ただろうが１輪ではどうしようもないし、その為に他の花を用意するのも馬鹿馬鹿しい。
とりあえずコップに水でも入れて花瓶の代わりにでもするか。
そう考えてシグルドは持っている花を眺める。
「ハーヴェイ。」
「何だ？」
「お前、何か願い事でもあるか？」
「は？」
ぽかんとした顔でハーヴェイはシグルドを見る。
一体何の経緯でこの花が願いを叶えるなんて言われるようになったかは知らないが、きっと知ったところでさして興味は湧かないだろう。
ハーヴェイはそう思っていたのでシグルドの言葉は意外だった。
シグルドとしても別におまじないや言い伝えなどにはあまり興味がない。
特殊な力が込められていると言うなら話は少し変わるかもしれないが、魔力みたいなものは感じないし、女性が籠いっぱいに花を持っていた事を考えると、これはごく普通の花なんだろう。
そう思ったのだが、せっかく貰った物で持ち帰る予定なのだから、願い事を考えるくらいしてもいいかもしれない。
だが、いざ考えてみると、なかなかぱっとは浮かばないものだ。
強いて願うのなら、この旅を無事に終えることだろうか。
何だか面白みのない願いだ。
自分ではこの程度しか浮かばなかったので、シグルドはハーヴェイに再度尋ねた。
「だから願い事だ。信じる気はないが必死になって否定する理由もないからな。」
「そりゃそうだが…、願い事ねぇ…。」
少し考えた後にハーヴェイは、あ、と声を上げた。
「酒が飲みたい。」
「帰って飲め。」
それでは願い事ではなくて欲求だろう、と呆れてシグルドはため息をつく。
「とりあえず旅の無事でも祈るか。」
「面白くねえな。」
「自覚はある。」
「お前はなんもないのかよ。」
そう言われると、別に必死に悩む事でもないのに、気になって考えてしまう。
けれど面白い事など何も浮かばない。
この旅を無事に終える事。
キカやハーヴェイ達と共にこの先もこの海で生き抜いて行ける事。
隣にいる相棒とこれからも共にいられる事。
いくつか浮かべて、それからハーヴェイを見た。
１番不安がなく、けれど１番不安定なのは、最後に浮かべた願いだろうか。
何だよ、と言って不思議そうにシグルドを見返すハーヴェイに、持っていた花を押し付ける。
怪訝そうにしながらも花を持ったハーヴェイに、簡潔に願いを言うなら何だろうかと考えて。
「好きだ。」
そんな一言が声に出ていた。
いきなりの事に驚いて目を丸くするハーヴェイに、シグルドは思いの外冷静でいられた。
妙な達成感があってシグルドは街に出ていた当初の予定を思い出す。
花をくれた女性の店は道具屋のようで、ちょうど消耗品を買いに来たのだからちょうどいいと買う予定だったものを思い浮かべる。
その頃になってようやくハーヴェイが何とか口を開いた。
「いや…、別にさっきの女の事、そんなマジに誤解なんてしてないぞ…？」
「当たり前だろう。そんな事は分かってる。」
あっさりと返してシグルドは道具屋に向かう。
とても落ち着いていてすっきりとした気分ですらあるが、それでも顔が熱くなるのだけはもうどうしようもなかった。
END
2010.10.01
放り込んだ想い届いていますか的な何かで４周年ありがとうございます
NOVEL