記憶






*一応注意書きらしきもの*
 これは過去にオフ本で書いた「今も、昔も、これからずっと」のその後的な話です
 色々知らない方には不親切だとは思いますが
 ・キリルがうっかり過去へ行ってしまった
  →そして過去のルクスと仲良くなった
  →そんな時に戦争でキリルは船から落下、探したけど見つらかない
  →キリルは自分の時間に戻ったけど、過去のルクスにとってはキリルは死んだ事になった
 きっとこれだけ分かっていれば、なんとかなると思います





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 手を伸ばしたが何も掴めなかった。
 指先が触れる事さえなかった。
 碌に声にならなかった悲鳴も爆発音にかき消されて。

 落ちていく彼を、助けられないと理解して、悲鳴のように名前を叫んだ。

 その悲鳴にキリルはただ穏やかに笑っていた。



 はっと意識が浮上してルクスは顔を上げる。
 ぱりちと焚火の中から薪が弾ける音がした。
 少しの間ぼんやりとルクスは焚火を眺める。
 どうやら焚火の前に座ってぼんやりしている間にうたた寝をしてしまったらしい。
 それを理解してからルクスは息を吐いた。
 こんな場所でうたた寝などしてしまうなんて珍しい、と自分で思う。
 自分が感じている以上に疲れているのだろうか。
 少し考えて、もう1度息を吐いた。
 体調は何も問題がない。
 でも精神的には少し疲れているという自覚があった。
 見ていた夢を思い出す。
 あれは夢でなく記憶で、ルクスにとってはあまり思い出したくはないけれど決して忘れたくもない記憶だ。
 2年前に群島諸国で起きた戦争。
 その最中でルクスはキリルという青年に会った。
 今思い出してみても不思議な人だったと思う。
 まだ人との付き合い方が酷く不器用で最低限に終わらせようと思っていた頃のルクスに、キリルは遠慮なく踏み込んできた。
 無言の拒絶には笑うだけ。
 言葉にしての拒絶は、何故か出来なかった。
 そんなに長い時間を一緒に過ごしたわけじゃない。
 でも気付けば一緒にいる事が心地よくなり、誰が傍にいるよりも落ち着いた。
 躊躇いなく傍に来る事が、いつも温かくなるような言葉をくれる事が、他愛のない事で笑ってくれる事が。
 その何もかもがルクスには嬉しかった。
 ルクスにとってキリルは、誰よりも大好きだと思えた相手だった。
 そんな穏やかな頃の夢も時々見る。
 けれどキリルの夢の殆どは、彼との別れの瞬間だ。
 一緒に戦ってくれた海上戦。
 紋章の攻撃と紋章砲の影響で船は崩れ、それにキリルは巻き込まれた。
 駆け寄って助けようとした。
 けれど、止まって、と叫んだキリルの声に、思わず一瞬足を止めてしまい。
 慌てて駆け寄った時には、もう手遅れだった。
 伸ばした手は何も掴まず。
 キリルは荒れた海に落ちていき。
 悲鳴のように名前を叫んだルクスに、キリルはゆっくりと穏やかに笑って。
 そのまま海に飲み込まれた。
 思い出してルクスは両手を強く握る。
 いくら探してもキリルは見つからなかった。
 誰も直接それを言葉にする事はなかったけれど。
 キリルは死んだ。
 それは間違いないだろうという結論になった。
 手を掴めなかった、あの時の目の前が真っ暗になるような絶望を覚えている。
 1人でその事実にただ泣いた。
 大好きなんだと自覚したのもその時だった。
 今思い出しても、ただ辛くて、胸が酷く痛い。
 でもキリルの事を忘れるつもりはない。
 彼は大切な人で、これは大切な記憶。
 どんなに痛くて辛くても、一生大切にしていくと決めた。
 もう二度と会えないけれど、それでもただただずっと想っていようと、散々泣いた後にそう決めたのだけれど。
 あれから2年経った今、ルクスにとって思いもしなかった出来事が起きた。
「ルクス様。」
 ふと名前を呼ばれて振り返る。
 何処か硬い表情をしたシグルドが小さく頭を下げた。
「今、少しよろしいですか?」
 こくりとルクスが頷く。
 許可を貰ってシグルドはルクスの隣に座った。
 少しの間、2人は黙ったまま焚火を眺めた。
 やがて炎を眺めたままにシグルドがゆっくりと口を開いた。
「………、少し、話をしてきました。」
「………。」
「………、キリル様、と。」
 ルクスは何も言わずに目を伏せた。
 思いもしなかった出来事。
 それはキリルとの再会だ。
 無人島でルクスが蟹と戦っている時に、リノから紹介されて来た、と言ってキリルが会いにきた。
 夢か何かかと思ったけれど、キリルは確かに目の前にいて、一緒に戦った。
 そうして終わった後にルクスへと少し照れたように笑う、その笑顔は確かに見覚えのある表情。
 咄嗟に言葉は出なかった。
 生きていてくれた、本当に良かった。
 込み上げてきた気持ちでいっぱいになった。
 後ろにいた2年前の仲間達の、酷く困惑した表情には気付かないまま。
 キリルの名をルクスが呼ぶより先に。
 キリルが握手を求める為に手を伸ばして。

 初めまして、キリルです。

 そう、言った。

「ルクス様にお会いすれば、もしかして、と思ったのですが…。」
「………。」
「やはり…、何も覚えていらっしゃらないようです。」
「………、そう。」
 再会したキリルは、けれど何も覚えていなかった。
 ルクスの事も、2年前の戦争で一緒だった事も、何もかも。
 それどころか戦争中は群島諸国にいなかったという話だ。
 それならルクスの知っているキリルと、こうして出会ったキリルは別人なのか、と思えればよかったのだけれど。
 姿も武器も戦い方も、ルクスを呼ぶ声も笑った表情も何もかも、記憶にあるキリルと殆ど同じ。
 とても別人だなんて思えなかった。
 だからそこ、ルクスはキリルに対してどうすればいいのか、分からない。
 向けてくれる笑顔は、ぎこちないけれど、確かにキリルで。
 声も2年前の短い時間に聞き慣れたもの。
 戦い方は少し荒く感じたけれど、癖は全く同じだった。
 でもキリルはルクスに初めましてと言い、他の人も知らないと言って、キリルだけでなく彼の従者も戦争なんて参加していないと言う。
 記憶喪失なのか、別人なのか。
 これはキリルとの再会なのか、それとも別の人との出会いなのか。
 色々と考えて混乱している頭の中で。
 でも分かる事が1つだけある。

 自分を大切に想ってくれた彼に、大好きなんだと告げる事は、もう出来ないという事だ。

 キリルと出会って彼が教えてくれた事は、今ではルクスの中で大きな意味を持っている。
 今こうしてシグルドが隣にいるのもその1つだ。
 頼んだわけでもないのに、ルクスを心配して、ずっとルクスが怖くて聞けなかった事を確かめに行ってくれた、
 過去のままの自分だったら、こんな事はなかっただろう。
「ありがとう。」
「いえ…。」
「気にしなくていい。生きているとすら、思っていなかったんだ。」
 誰もがキリルは死んだと思っていたし、ルクスもそれは同じだった。
 以前のように明るい声で名前を呼んでくれなかったのは残念で、初めましてという言葉は本当にショックだったけれど。
「無事だったんだという可能性と出会えただけでも、もう十分だ。」
 静かに言ってルクスはそっと小さな笑みを浮かべる。
 その笑顔が痛々しくてシグルドは俯いた。
 分かりづらい表情だけれど、シグルドにはそう見えた。
 ルクスのほんの少しの表情が分かるくらいの付き合いになり、そのきっかけとなったのはキリルだ。
 どれだけルクスの中でキリルの存在が大きくて大切なのか知っている。
 キリルが死んだと思われた戦いの後のルクスがどれだけ酷かったかというのも知っている。
 だから出来れば、穏やかな再会になればいいと思ったのに。
 結局それは叶わなかった。
 暫くの間2人は無言で過ごし、どれだけ時間が経ったのか。
 ふと背後に足音が聞こえてルクスとシグルドは同時に振り返った。
 突然向けられた視線に、びくりとキリルが足を止める。
「………、キリル君。」
「ご、ごめん…。邪魔したかな?」
「いや。」
「そう。」
 短いルクスの返事にキリルは苦笑する。
 それを見てシグルドが立ち上がった。
「何かルクス様に用事なのでしょう?オレは外しますから。」
「あ、いえ。ボクの方こそ何か邪魔をしたみたいで…。」
「いいえ。こちらは終わっていましたので、ご心配なく。」
「は、はい。」
「それでは、ルクス様。失礼します。」
「………、うん。」
 シグルドが立ち去れば、また辺りは静かになった。
 暫く困ったように立っているキリルをルクスが見上げる。
 少し迷った後に、隣に座っていいかな、と尋ねられたので、ルクスは頷いた。
 シグルドと同じ場所に座り、やっぱり同じように2人で無言のまま焚火を眺める。
 先に口を開いたのもキリルだった。
「その…、ごめんね。」
「?」
「シグルドさんとかハーヴェイさんとか、他の人にも色々と聞かれたんだけ、ボクが何だか色々忘れているみたいで。」
「………、いや。」
 忘れていると決まったわけではないし。
 もし本当に忘れてしまっているとしても、死んだとすら思われていたのだ、記憶を失っても無事だった事を喜ぶべきで。
 どちらにしろキリルが謝る事は何もない。
 そう言えればよかったのだけれど、ルクスにはたった一言しか言えなかった。
 これがよくないのは理解している。
 またやってしまった、と思ったが。
 キリルは嫌な顔1つしないで、そう、と言って少し安心したように笑った。
 まるで言葉にしなかった部分までも伝わったように見えた。
「ルクスはいつもボクを辛そうに見るから、凄く傷付けて、嫌われているんじゃないかって、ちょっと思っていたんだ。」
「まさか。」
 ショックだったことは否定しないが、キリルのせいにするつもりはない。
 ゆるりとルクスが首を横に振る。
 それを見たキリルはやっぱり安心したように笑い、それから1つ頷いてルクスの方へと向いた。
「ルクス。」
 真っ直ぐな目が向けられる。
 しっかりと自分を呼ぶその声に、ルクスもキリルの方を向く。
 真正面から向き合えば、キリルは途端に視線を彷徨わせて口を開いたり閉じたりを繰り返したが。
 やがて意を決したように、睨むようにルクスを見る。
「キミを傷付けているって分かっているけど、でもボクは、キミに言いたい事がある。」
「ボクに?」
 こくりとキリルは頷く。
 そうして勢いよくルクスの片手を掴んだ。
 突然の事にルクスは目を丸くしたが、キリルは酷く真剣だ。
「ボクはキミと友達になりたい。」
 真っ直ぐに金色の目でルクスを見つめながら、同じくらい真っ直ぐに好意を伝えてきた。
 一瞬ルクスは息を呑む。
 キリルはそれを否定的な反応と見たのか、少し辛そうに顔を顰めながら、でもルクスの手をしっかりと握った。
「突然こんな事を言われても困るだろうし、ルクスはボクに色々と思う事があると思うんだけど。」
「………。」
「でも、ボクはキミと友達になりたい。ルクスと色々と話をして、一緒に過ごして、もっとたくさんキミを知りたいって、そう思った。」
「………、何で?」
「ごめん、理由なんてない。ただ初めて会った時からずっとそう思っている。」
 同い年の人と一緒に過ごす機会が少なかったからな、とキリルは苦笑した。
 思わずじっとルクスはキリルを見る。
 気付いたキリルが真っ直ぐにその視線を受け止めた。

 本当は分かっている。

 彼は2年前に出会って自分を想って支えてくれたキリルではない。
 でも確かに彼は自分が大切で仕方がないと思ったキリルだ。

 正直言葉では説明できない、勘としか言いようのない何かで、ルクスはそれを理解していた。
 矛盾している筈のこの事実を、本当は受け入れていた。
 ただ理由がなければ訳も分からないので、誰にも説明できず、自分でもどう片付ければいいのか分からなかった。
 でもこうしてじっと真っ直ぐに目を向けるキリルを見れば、やっぱりその金色は見慣れた色で。
 彼もこうしてただ真っ直ぐに好意を向けてくれていた事を思い出す。
 大切に想われている事は何の疑いもなく伝わってきた。
 今も同じだ。
 理由なんてなく、ただ真っ直ぐに好意を向けてくれている。
 掴まれた手は、触れた温かさは、心地よいと思ったあの体温と同じ。
 罪滅ぼしの為に彼とキリルを重ねているわけじゃない、と言い切れない部分があるけれど。
 キリルを大切に想う気持ちは間違いなく本当の事というのは言い切れる。
 不思議な気持ちだ。
 ふと2年前のキリルが残した言葉を思い出す。

 でも…、それでもいつか…。

 戦いが始まって途中で終わってしまった言葉。
 彼と出会うのはもう2度と無理だと言っていた。
 でももしかしたら、あの言葉の続きはこういう事だったのかもしれない。
 2度と一緒に戦ったキリルには会えないけれど、それでもルクスが想ったキリルには出会えると。
 酷く自分にとって都合のいい解釈だけれど、キリルはいつだってとても優しかったから。
 もう1度、彼を想うチャンスを、与えてくれたのかもしれない。
「………、ルクス?」
 黙ってしまったルクスに、キリルがそっと声をかける。
 真っ直ぐに向けられていた金色が、今は何処か弱々しい。
 返事が遅くて悪い方に考えが向かってしまったのだろう。
 そんなキリルにルクスは小さく笑った。
 今のキリルに昔の記憶はないし、遠慮のなかった以前とは違って遠慮がちだし、こちらの反応を怖々と窺う事もする。
 でも記憶がないならもう1度新しい記憶を作ればいい。
 遠慮などしなくて済む様にまたお互いを知っていけばいい。
「ボクでよければ。」
「………、え?」
「ボクもキミを知りたい。もっとたくさん、色々な事を。」
 きょとりとしていたキリルは、やがてとても嬉しそうに笑った。
 綺麗な笑みに、ルクスもつられるように笑いながら、キリルの手に自分の手を重ねた。
 今度こそこの手を離さないように、大好きだと思った人を大切に出来るように。
 そうしっかりと心に誓いながら。










END





 


2009.10.01

本編知らない人には物凄く不親切な話だとは思いますが、なんかもう、雰囲気だけで読んでください
元々がオフ本用の話みたいなものなので、うっかり長くなりそうだった
説明まで入れたらとんでもない事になりそうだった
慌てて色々と切った結果、何かこんな感じになっちゃいました、てへ
この場合のルクスとキリルだと、ルクスはもう怖い程キリルにべったりしてそうです、姿見えないと情緒不安定になりそうだ(笑)

こんな感じですが、3周年&リクエスト、ありがとうございます!





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