距離
事の発端はハーヴェイの些細な一言だった。 『お前等の今の関係を友達を呼ぶのは、もうちょっとおかしい感じがするよな』 ハーヴェイにしてみたら何て事のない、いつも通りの冗談の域だったのかもしれない。 実際に酒の席でもあった。 丁度シグルドが席を外していた為、ハーヴェイの発言がそのままになってしまった事も大きかったのだろう。 ルクスを考えさせるには十分な一言となってしまった。 周りの意見というのは必ずしも的を得たものとは限らないが、では全く外れているのかと言われればそうでない事が多いもの。 特に自覚のない行動についての意見ならば己では判断のしようがない。 不思議なもので、少しでも考えてしまえばそうとしか思えなくなってくる。 キリルは『友達』という存在をとても大切にしていた。 それはひとつの所に長く留まる事のなかった今までの生活環境が大きく影響しているのだろう。 憧れともいうのかもしれない。 今の自分達の関係が『友達』とは呼べないものだとしたら、キリルが大切にしているものをひとつ壊すという事になる。 ルクスもまた、そういった感情とはあまり触れ合わずにここまできた。 だから余計に一方向からしか考えられなかったのかもしれない。 「キリル君。僕達少し距離を置こう」 キリルの姿を見つけたルクスは開口一番、凛とした声でそう言い放った。 これに驚いたのは他の誰でもないキリルである。 自分に近付いてくるルクスに気付いたキリルはいつものようにその名を呼び、いつものように駆け寄った。 そしていつものように他愛ない会話が始まるはずだった。 それなのに突然聞こえてきたそれはキリルの次の言葉を奪うのに十分過ぎるものだった。 数回瞬きを繰り返した後、キリルは右手の小指を耳の穴に入れて擦るような掘るような仕草を見せる。 聞き間違いか、もしくは自分の空耳ではないかという確認作業である。 しかしルクスの表情はキリルを真っ直ぐ見据えたまま揺るがない。 それは決して聞き間違いや空耳などではないという事実をキリルに叩き付けた。 「………………それって僕の事、嫌いになったって意味だったりする?」 何の前触れもなく突然距離を置こうなどと言われればキリルでなくともそこに辿り着く。 恐る恐る、上目使いにルクスの様子を窺いながらそう問うてくるキリルにルクスはすぐに首を横に振った。 嫌いになどなっていない。 だからこそキリルの大切にしているものを壊したくない。 おかしな所があるというのなら、おかしくない所まで戻すだけだ。 しかし、どうやら事を急ぎすぎたらしい。 理由さえ告げないのならばそれはただの横暴、相手が困惑するのも無理はない。 何を言ったらいいのか分からなくて、何が返ってくるか分からなくて、 キリルは言葉を発する事も身体を動かす事さえも恐れてしまっている。 脅えさせるつもりなど微塵もなかったルクスは、そんなキリルの様子を目の当たりにして少し慌てた。 ごめん、一方的なのはズルかった。 そう静かに口にした後、不安そうに揺れる目の前の両の瞳にしっかりと視線を合わせる。 「キリル君は、今の僕達の距離をどう思う?」 「…………距離…………」 キリルが確かめるように一度呟くと、ルクスはそれにゆっくり頷いて答える。 「友達と呼ぶには違和感があるくらい近すぎると言われた。 僕にはそれがよく分からなかったから、それが本当だとしたら『友達』でいられるよう距離を置いた方がいいと思ったんだ」 淡々と紡がれる言葉。 それはルクスのいつもの喋り方なのだが、今日はその喋りに自分自身違和感を覚えた。 饒舌且つ機械的。 自分の言葉だというのに何故か止める事が出来ず、何故か考える事が出来ない。 気がついたら自分の言葉が終わっている。 大切な話をしているというのに一体何をやっているんだ。 思わず顔を顰めそうになったが、今ここでそれをやると自分に向けられたと思ったキリルが更に脅えてしまう事は目に見えている。 何とか心中で自らに悪態をつくだけに留めた。 するとキリルは、まるでルクスのそれを覚ったかのようにふと視線を下に落とす。 弱々しく寄せられた眉が痛々しい。 何か声をかけなければと口を開くも、こんな時に限って今まで勝手に出てきていた言葉が嗄れてしまう。 ルクスは目的を果す事なく閉じられた唇を、ただ噛む事しか出来なかった。 「……僕も正直よく分からない。そういう事を深く考えた事はなかったから」 下を向いたままのキリルからポツポツ聞こえてくるその声にルクスの顔が上がる。 「でもルクスの言う通り距離を置いたら、きっと凄く寂しいと思う」 ひとつひとつ言葉を選びながらゆっくりと流れるそれはとても落ち着いたものだった。 「今、こうして距離を置こうと言われただけでも何て答えていいか分からないくらい混乱したから、 実際に離れたらもっと混乱するだろうし、寂しいと思う。 でもルクスが僕の事を思ってそう言ってくれているというのも分かる。 ルクスが本当に距離を置きたいというのなら、 僕はその気持ちを無視して自分に正直に拒んでいいものかどうか…………迷っている」 「そう」 「うん」 本当に。 本当に距離を置きたいと思っているのなら。 その言葉を聞いた時、ルクスは初めて己の喋り方が変化した理由を知る。 キッカケはハーヴェイの些細な一言だった。 キリルの大切を壊してはいけないと思った。 常に一歩引いてものを考えるルクスは自分より周りを優先しがちである。 いつの間にか一番と言ってもいいくらい近しい人となったキリルの事を優先するのはルクスにとっては当然の行為だ。 キリルの為になるならば距離を置こうと自然にそう思った。 しかしどうだろう。 自分では気付かぬ所でしっかりと身体はそれを拒絶していた。 それは例えキリルの大切を壊す事になったとしても、今まで通り傍に在りたいというルクスの我が儘。 自分の中にもこんな感情が存在していたのか。 自覚さえしてしまえば、する事はあとひとつだけ。 肩に入っていた余計な力が、余計の分だけスッと抜け落ちた。 「僕も、僕も今考えた。周りとか関係なく、自分はどうしたいのか考えたよ」 「うん」 可笑しい。 自覚した瞬間喋りの違和感はすっかり消え去っている。 顔を上げたキリルはきゅっと唇を引き結びルクスの言葉を待っていた。 「…………ごめん。距離置くの、やっぱりやめようか」 「うん」 決して多くはない我が儘。 ひとつくらい言葉にしても罰は当たらない。 ましてやそれが互いに望む事ならば。 随分長い間見ていないような気がするその笑顔が、どうしようもなく嬉しかった。 END2007.10.01 自分の中でこれまで友達以上恋人未満な彼らが御馴染みだった為、 何だか「お前ら恋人同士か」と突っ込みたくなるようなお話になりました。 キリル君に何も告げず距離を置く話も考えたのですが、やたら長くなってしまったので今回はこんな感じに。 4キリ4のリクエストにも関わらず早瀬が出張ってスミマセンでした。 リクエストどうもどうも有難う御座いました! NOVEL