帰郷






 そっと伸ばされた手に、ゆっくりと首を横に振った。
 一緒にくるか、と聞かれて、行かない、と答えた。
 きっと自分が生きるべき場所は共に行く先にはないと思ったから。
 何よりも、必ず帰るから、と告げてこの場所に来たのだから。
 両親と共に新しい場所で生きるのではなく、今までいた世界で今まで一緒にいた人達と共に生きる為に。
 帰ります、と。
 そう告げた事に、躊躇いなどなかった。
 そうしてもう1度手が伸ばされて光が溢れた。
 気付けば瓦礫の上に立っていた。
 皆が驚いたような顔をして、でもすぐに泣き出しそうな、それでも嬉しそうな顔をして、駆け寄ってきた。
 走ってきたコルセリアを抱きとめて。
 涙を流して無事を喜んでくれたアンダルクとセネカの様子に、心配をかけたんだと申し訳なく思って。
 それから後ろに立つルクスへと目を向けた。
 ルクスはただ酷く安堵した、とても優しい笑みを浮かべて、ゆっくりと一言を大切そうにキリルへと向けた。
「おかえりなさい。」
 何もかもを受け入れてくれているような声だった。
 ただ無事を心から喜んでくれている声だった。
 それが他のどんな言葉より、周りにいる誰の言葉より、ただ嬉しくて。
「………、ただいま。」
 キリルもとても大切にその人事をルクスへと向ければ、ルクスは笑って小さく頷いた。
 ああ帰ってきたんだ、と。
 ここに帰って来てよかったんだ、と。
 ただ強く実感して、何だか嬉しさで泣き出したい気分だった。
 コルセリアがそっと手を放したのが分かり、小さな少女を見れば、涙で顔を濡らしながらもキリルを見上げてにこりと笑った。
 それに笑い返し、そうしてルクスの方へと歩み寄る。
 傍まで来ればほぼ同時にお互いへと手を伸ばしてお互いを抱きしめた。
「頑張ったね…、お疲れ様。」
 何もかもを分かってくれているかのようなルクスの声がとても心地よくて。
「うん…、ありがとう…。」
 頷いて、もっと近くに行きたいと抱きしめる手に力を込めようとした。



 キリルが覚えているのは、ここまでだった。



 気付けば瓦礫の上ではなく、触れていた温かさもなく、くすんだ白い布で覆われた場所で横たわっていた。
「起きた?」
 ルクスの声が聞こえ、傍にいたルクスへと目を向けて数度瞬きを繰り返す。
 キリルの様子にルクスは小さく苦笑すると、そっと髪を梳く。
 心地よさそうにキリルが目を細めたが、それでもまだぼんやりとしている様子だ。
「覚えてる?」
「………、えっと…?」
「戻ってきて、倒れたんだよ。」
 髪に触れていた手がそのまま頬を撫でてきて、ほんの少し体温の低い指先が気持ちいいなと思いながら、倒れた、と頭の中で繰り返す。
 ルクスを抱きしめて、抱きしめられて。
 その後の記憶がぱたりと途切れている。
 倒れた実感はないが、何も思い出せないというのはそういう事なのだろう。
「気分はどう?」
「………、うん…、大丈夫。少しだけ、ぼんやりするけど…、動けそう。」
「いいよ、起きなくて。どうせ今は夜だから。」
「夜?」
 最後の記憶はまだ空が明るかったので不思議な感じだと思い辺りを見回すが、キャラバンのテントの中のようで、窓があるわけもない。
 でもちょうどその時に入り口の布を押し退けて誰かが入ってきた。
 その後ろに見えた空は確かに闇色だった。
「失礼します。」
「よう、ルクス………、って、キリル!」
「目が覚めたのですか!?」
 入ってきたハーヴェイとシグルドがキリルを見た途端にそう叫んだので、多分驚いたのだろう、キリルが思わず起き上がりそうになったのでルクスが押さえた。
 目が覚めたし本人は大丈夫そうと言っていたけれど、まだ寝ていた方がいい。
 光の向こう側、何が起きたかなんて知っているのはキリルだけだ。
 ただ、気を失って倒れるほどの何かは起きたのだろうと、それだけは分かる。
「煩い。」
 キリルはまだ休ませておきたいので、ルクスが睨むように2人へと言えば、申し訳なさそうな謝罪が返ってきた。
 例え本気で怒っていなくても、ルクスに睨まれるのはそれだけで怖い。
 面白いほどはっきりと大人しくなった2人に、それで、とほんの少し苦笑を混ぜてルクスは聞いた。
「ああ、そうだ、夕飯持ってきた。」
「ありがとう。」
「キリル様は、何か食べられますか?」
「あ…、今はいいです。ところで、ボクが倒れてから何時間くらい経ちましたか?」
「そうですね…、1日と半日…、まではいってませんかね。」
「え、そんなに!?」
 ルクスが止める間もなくキリルは勢いよく起き上がった。
 途端に感じた眩暈にふらついてルクスに寄りかかったが眩暈はすぐに治まった。
 いきなり起き上がったのが悪かっただけのようで、体を起こしている事自体に辛さはない。
「そんなに体にきている感じはしなかったのに…。」
「倒れたのは本当だから、本調子になるまでは休んでもらうよ。」
「でも、皆帰らないと…。そういえばここは?」
「王都までは行けなかったから、あの施設から少し離れた場所。」
「後処理の為にリノ王と、その護衛に数人が先に帰りましたが、後残っているのは全員キリル様が目を覚ますまでと自分で残った人達です、気にしないでください。」
「それに、結果も知りたいしな。」
 ハーヴェイの言葉に少しだけキリルが表情を陰らせた。
 終わったよ、と戻ってきたキリルは言った。
 だからきっと今回の旅の何もかもは決着がついたのだろうと思う。
 けれど帰ってきたのはキリル1人だけで、キリルより先に光に飛び込んだヨーンの姿はどこにもなかった。
 キリルの表情の変化はその為だろうかと思い、ルクスは宥めるようにキリルの頭を撫でた。
「キミの従者達、呼んでくるよ。彼らに言うべき事があるだろうし。」
「あ………、うん、確かに、ある…。でも、今はいい。」
「どうして?」
「その前に、ルクスに、聞いてほしい。」
 アンダルクもセネカも、今までずっと一緒に紋章砲を追って旅をしてきてくれたのだから、2人に1番に話すのが当たり前だと思う。
 それでも2人には申し訳ないが、誰よりも1番にルクスに聞いてほしいという気持ちの方が強くて。
 じっとルクスを見れば、ほんの少し何かを考えた様子は見せたが、小さくキリルに頷いた。
 それが嬉しくてついルクスを掴んでいる手に力を込めて。
 そこで初めて自分がしっかりとルクスの手を握っているという事に気付き、キリルは首を傾げる。
 今まで気付かなかったのかよ、とハーヴェイが苦笑した。
「お前、倒れた後もルクスを放そうとしなかったんだよ。だからお前の従者じゃなくてルクスが看病役。」
「え!?」
「最初は2人も一緒にいたのですが、どうもアンダルクの方が随分と取り乱していまして…。」
「申し訳ないけど、出て行くようお願いした。」
「ルクスが苛立ちを込めて、邪魔、って言ったら、そりゃいくらなんでも出て行くしかないよな。オレだって逃げるさ。」
「煩かったから。ごめん。」
「いや…、こちらこそ、色々と迷惑かけちゃって、ごめん。」
 とりあえず手を放そうとしたが、今度は逆にルクスの方がキリルの手を握った。
 ずっと握っていたからだろうか、こちらの手はいつもより温かく感じた。
 しっかりと手を握られて、その手から顔を上げてルクスを見れば、綺麗な青色の瞳が真っ直ぐに向けられていた。
 綺麗で柔らかい色をしていた。
 こちらの世界に帰ってきた時と同じ。
 何もかもを受け入れてもらえるんじゃないかと、そう思える色だった。
「………、オレ達外にいるな。」
「………、いえ、いてください。」
「いいのですか?」
「はい…、迷惑じゃなかったら、聞いてください。」
 気を使って2人きりにしようとしてくれた2人を呼び止めて。
 キリルは1度大きく息を吸ってから、話し始めた。
「光の向こう側は邪眼があった世界…、いや、そことこちらの狭間、かな。そんな場所で…、邪眼は、倒したよ。」
 言葉にした途端にキリルも実感した。
 ずっと追い続けていた紋章砲の、その元となった物を倒した。
 手ごたえは確かにあったし消滅も見た。
 ずっと続けていた旅は、確かに終わった。
「その結果、まだこの世界にある紋章砲がどうなるかはわからないけど、でも少なくとも、これで新しい紋章砲が作られる事は、もうないはず。」
 そう言えばルクスが頷いた。
 ほんの少し笑ってくれている様子は、キリルが目的を達した事をただ喜んでくれていた。
 ハーヴェイとシグルドも笑って頷いてくれた。
 少なくとも2年前まではこの海で当たり前に使われていた、とても強い力を持った兵器。
 それの消滅はこの海に大きな変化を与えるだろうが、それでも笑って頷いて、喜んでくれている。
 それが嬉しくて、キリルも笑った。
「終わったんだね。」
「うん。」
「本当に、お疲れ様。」
「ありがとう…。」
 労わるように頬に触れてきた手に、キリルは自分の手を重ねる。
 そうしてそっとルクスの手を握った。
 邪眼は壊した、紋章砲の砲弾となる物は以前ルクスが壊した、少なくとも新しい紋章砲が作られて犠牲者が出る事はもうない。
 この旅の結果は、今話した事が全て。
 でも聞いてほしい事はまだ残っていて、それをどう話そうか、それ以前にもしかしたら話さない方がいいんじゃないか、と一瞬迷ったけれど。
 ほんの少し躊躇った後に、キリルは話を続けた。
「それで、向こうで父さんに…、父さんの魂に会った。ヨーンがあの場所に呼んでくれたんだって。」
「無事だったの?見つからなかったから…。」
「うん、それでいいんだ。ヨーンは自分の世界に父さんと帰った。一緒に行かないかって言われたけど、ボクだけが帰ってきた。」
「一緒に?」
「うん…。ヨーンがボクの、母さんだった。だから、一緒に行こうって。」
 キリルの言葉にハーヴェイとシグルドが驚いた顔をした。
 ルクスの表情もほんの少し変わったように見え、何よりキリルの手に触れていた指先が小さく揺れたので、きっと驚いたのだろう。
 キリルだって聞かされた時にはとても驚いた。
 まさか父親と共にいた異界の存在が母親だなんて思ってもいなかった。
 聞かされた後にヨーンの今までの事を思えば、あの優しさは息子である自分を想ってだったんだと納得できる事が多くあったけれど。
 何も知らないで気付くには、あまりにも向けられる優しさが当たり前すぎた。
「………、そう、2人が言ったの?」
 疑っているわけではなく確認するようなルクスの問いにキリルは頷く。
「あの光の中に入って姿が変わらずに無事でいられたのは、ヨーンの血が半分流れているからだって、そう言われた。ボクの半分はこの世界にあるべき存在じゃないんだって。」
 ほんの少しルクスの手を強く握る。
 あの時はヨーンが母親という事ばかりに驚いていたが、改めて自分の半分はこの世界の者ではないと言葉にすれば、少し怖く思った。
 いきなり強く拒絶される事は、少なくともこの3人ではありえないと思える。
 でもだからといって普通に受け入れてもらえる自信は正直あまりない。
 結果を見るのが怖いけれど、でもここで中途半端に話を終わらせて逃げるわけにはいかない。
「今になって、ボクはどっちに行っても異端者なんだなって思う。でもあの時はそんな事考えられなくて、ただ皆とあのまま別れるのが嫌だった。アンダルクとかセネカとかコルセリアとかに心配かけたままだし、ハーヴェイさんとシグルドさんにはお礼言ってないし…、それに…。」
 1度息を吸ってから、キリルはルクスを見た。
 少なくとも拒絶されている雰囲気はない。
 頬に触れてキリルが握っている手も、キリルの手に重ねられているルクスの手も、振り払われる雰囲気もない。
 それがとても嬉しくて。
「それに、ルクスに会いたかった。あのまま別れたくなんかなかった。だから…、こっちに来ちゃった。」
 真っ直ぐにルクスを見たままキリルは告げた。
 反応が何もなかったのは、ほんの少しの短い時間だけ。
 ただじっとキリルを見ていたルクスは、キリルの言葉に笑った。
 そうして1度キリルに触れていた手を離すと、すぐに手を伸ばしてキリルを抱きしめる。
 いっそ痛いくらいに力に、話を聞いていたルクスよりもキリルの方が驚いた。
「ル、ルクス?」
「来たじゃないよ。キミは帰ってきた。ただ、それだけ。」
「………、ルクス。」
「確かに今の話は驚きましたが…、でもそれだけです。貴方は変わらずにオレ達を想ってくれているのですから、何も変わりませんよ。」
「シグルドさん…。」
「そんな顔するなって。むしろ帰ってこなかったら引き摺り戻してでも殴ってたくらいだ。お前みたいに手のかかる奴を簡単に放り出せねぇよ。」
「ハーヴェイさん…。」
 ぐしゃりと乱暴にハーヴェイに頭を撫でられる、以前と変わらない仕草すら嬉しく思えた。
 嬉しくていっそ泣きたくなって、顔を隠すように額をルクスの肩に押し付ける。
「キリル君。」
「………、なに?」
「ありがとう、帰ろうと。ボクに会いたいと思ってくれて。キミは両親と別れるという決断をしたのに…、勝手だけれど、それが本当に嬉しい。」
「ボクの方こそ…、話しいてたら少し怖かった。でも、受け入れてもらえた。泣きたいくらいに嬉しいよ。」
「少なくともボクがキミを拒絶する事だけはないよ、絶対に。」
「………、うん。」
「本当だよ。」
「うん…、嘘じゃないのは分かってる。ありがとう…、本当に。」
 強く抱きしめているルクスと同じくらいにキリルもルクスを抱きしめる。
 痛いとさえ思った強さに、ルクスは何も言わずに宥めるようにキリルの背中を撫でる。
 キリルが今ここにいてくれる事だけが嬉しくて、ルクスにとってそんな事はどうでもよかった。
 無事に帰ってきてくれた事が、この場所を選んでくれた事が、ただ嬉しくて。
「もう1度言うね。」
 耳元に口を寄せて告げたルクスの声は、キリルがもう1つの世界から戻ってきた時に迎えてくれたものと一緒だった。
 でもその時よりもずっと優しいように聞こえた。
 全部を話して、それでも変わらずに受け入れてくれている、とても大切に想われている事が分かる、そんな声。
「おかえりなさい、キリル君。」
 もう1度自分を迎えてくれる言葉に、キリルは異界で分かれた父親の魂とその時母親と知ったヨーンの事を想って。
 それから顔を上げて、変わらず傍にいてくれるハーヴェイとシグルドを見て。
 ゆっくりとお互いを真正面から見られるように少しだけ体を離して、笑ってくれているルクスを見て。
「うん…、ただいま、ルクス。」
 ルクスに笑い返して、それからほんの少しだけキリルは泣いた。
 きっとこの先何があっても、今のこの言葉がある限り、この世界を選び戻ってきた事を後悔する事はないだろうと、そう思いながら。










END





 


2007.10.01

直後ってどの程度直後なんだろうと悩み、出来る限りは直後にしてみましたが…、どうでしょうか?
おかえりなさい話から気付けばキリル君の事情暴露話になっていました、直後にやる事ってこのくらいしか思いつきませんでした
2人か4人と言われたので遠慮なく4人にしてしまいました、彼らがまとまってるのが好きなんです

そんなものですが、気に入ってくださると嬉しいです
リクエスト、ありがとうございました!





NOVEL