特別






 ルクスは自分が人に頼る事を苦手としている自覚はあるが。
 その事をルクスに指摘したキリルも、随分と人に頼る事が苦手なんだと、最近気がついた。

「…っ!」
 悲鳴を無理に飲み込むような声が微かに聞こえて、同時に一瞬その動きが不自然に止まった。
 キリルの様子に気付いたのは、1番近くにいたルクスだけだった。
 魔物からの攻撃を受けた様子はない。
 逆に魔物を切り伏せている時の出来事だ。
 振り下ろされた武器は少しの間だらりと下に落とされて持ち上げられる様子はなく、けれどすぐに1つ息をつくとキリルは武器を構えた。
 そうしてそのまま次の魔物へと向かう。
「………、キリル君?」
 思わずルクスが小さく名前を呟いたが、少し距離があるので声は届かない。
 目立って動きが悪いわけじゃない。
 ただそれでもキリルらしくはなかった。
 何かを気にしているような様子は、もしかしたら気付かないうちに何処かに怪我を負ったのかもしれない。
 それなら誰かに癒してもらえばいいのに、キリルが退く様子はない。
 そんな様子を見てルクスは小さく息をついた。
 何があったにせよ不自然さを感じるキリルを1人にしておかない方がいいだろうとルクスは思い, 自分を狙う魔物を見る。
 数はそれほど多くない、ルクスなら間違っても手間取る相手ではない。
 とりあえずはそれを片付けてからだ、とルクスはほんの少しキリルから意識を逸らす。
 だから、それとほぼ同時にキリルが走り出した事に、ルクスは一瞬気付かなかった。
 向かったのは戦場の後方、前線にいるキリル達を援護している仲間達がいる場所。
「コルセリア、下がって!」
「………、え?」
 叫んだのは少女の名前で、その後ろには魔物の姿。
 キリルの叫び声に傍にいた数人が振り返り、そこで魔物の存在に気がついた。
 けれどキリルが叫ばなくてもきっとすぐに後ろにいた誰かが気付き、そうしてそこにいる人達でその魔物は倒せた。
 ただコルセリアだけが詠唱中で意識の全てを紡ぐ言葉に向けていたから動けなかっただけ。
 キリルがわざわざ前から走る必要などなかったけれど、それでも走った。
 きっと何も考えていない中での行動だろう。
 駆け寄って小さな体を庇うように前に立って、魔物からの攻撃をキリルが受け止める。
 薙ぎ払うような動きを見せた大きな鈍器に似た武器が重い音を立てて止められた。
 キリルの技量ならそれを受け流して攻撃に移る事は出来る。
 だからその場にいた全員がコルセリアの無事にほっと息をついたのだけれど。
 キリルが辛そうに表情を顰めさたかと思えば、魔物からの攻撃を止めきれずに武器が弾かれた。
 勢いを殺しきれなかった攻撃が脇腹に入りキリルが半ば飛ばされるように倒れた。
 それを目の前で見ていたコルセリアも、周りで見ていた仲間達も、そうしてルクスも、全員が驚いた。
 キリルが負けるような相手じゃない。
 けれど実際にキリルは脇腹を押さえて倒れている。
「キ、キリル!」
 コルセリアの悲鳴に我に返ったように動いたのはルクスだった。
 自分へと向かってきていた魔物を薙ぎ払うと、小さく左手の紋章へと呼びかける。
 距離はある。
 それでも正確に狙える範囲内だ。
 左手を掲げて紋章を発動させれば、圧倒的な力に耐え切れる魔物などそういない。
 降り落ちる剣のような闇色の力の結果など見なくても分かるので、魔物には目もくれずにルクスはキリルに駆け寄った。
「キリル君。」
「っ…、いたた…、ごめんねルクス、手間かけさせて…。」
「そんな事はどうでもいい。起きれる?」
「うん、平気。」
「………、ごめん、聞く事じゃなかった。」
 キリルの性格から簡単に、駄目、なんて単語は出ない。
 平気といいながら起き上がろうとしつつも痛みに耐えているキリルを見て、ルクスは自分の発言を間違ったと思いながらキリルに手を貸す。
 何とか起き上がってルクスに支えられてその場に座り込むが、それ以上は無理そうな様子だ。
 最初に攻撃を止めはしたが、それでも勢いはまだ残ったままだったので仕方がないだろう。
 痛みに耐えながらも何とか心配そうにオロオロするコルセリアに笑って見せようとするキリルを見ながら、ルクスはキリルが手で押さえている脇腹を軽く叩いた。
 途端にキリルが悲鳴を上げて蹲る。
「ルクスさん!?」
「ごめん、我慢して。」
「いたっ…、ちょ、ルクス…っ!」
 触れられた痛みにキリルが逃げようとするが、動いても痛いので結局ろくにその場から動けない。
 少し咎めるような、けど殆どは悲鳴のような声を聞きながら、殴られただろう部分を確かめるように触れる。
「………、骨は、平気かな。水の紋章を。」
「え…、あ、はい!」
 ルクスの短い言葉に自分を呼ばれているんだと分からなかったコルセリアは、水の紋章、と自分の中で繰り返した後に呼ばれている事を理解して慌てて杖を握る。
 水の紋章を宿している紋章師は、今は彼女だけ。
 他にも数人が宿してはいるが紋章を専門にしているわけではないので応急処置的な意味合いが強い。
 それにキリルはどうも水の紋章と相性がよくないらしく、治りはするが時間と魔力が人よりいくらか多くかかる。
 他にもそんな傾向にある人はいるが、でも他の効き難い人達よりもキリルはそれが少し分かりやすい。
 効かないというわけではないので問題はないが。
 でも少しだけ面倒な事はある。
 それを感じ取ったルクスが少しだけ顔を顰めた。
 キリルだけがルクスの表情の変化に気付いたと同時に、コルセリアが小さく声を上げる。
 ああそういう事か、とキリルは納得して苦笑した。
 杖から光が消え、同時にキリルに触れていた水の気配が消える、魔力が尽きたのだ。
「あ、ご、ごめんなさい…、もう1回…!」
「いいよ、コルセリア。それ以上無理をしなくても、もう大丈夫。」
「でも…。」
「確かに全部治ってないけど、立てるから心配いらないよ。」
 無理をすればもう少しくらいは使えるかもしれないが、それ以上させる気はなくてキリルは立ち上がる。
 鈍い痛みは残るが、動けないわけじゃない。
 ほら大丈夫、と笑うキリルに、コルセリアが何度も謝る。
 そんな事をしていれば、まだこの場に残る魔物を一掃する為にセネカに引っ張られていったアンダルクと、引っ張っていったのにやっぱり心配だったらしいセネカ、それに他の仲間がキリルの周りに集まる。
 心配そうな面々に、大丈夫だから、とキリルは苦笑しながら何度もその言葉を繰り返す。
 何だか最近似たような光景を見た事があるな、とルクスはキリルを見ながら思った。
 そうして少し考えてみれば、わりと簡単に思い出す事が出来て、ルクスは小さくため息をつく。
「ルクス?」
 キリルに声をかけられて、口を開きかけて、結局すぐに閉じた。
 何でもない、と首を横に振る。
 不思議そうにするキリルにルクスはもう1度ため息をついた。
「もう少し行けば、確か開けた場所があった。今日はそこで休もう。」
 前に来た時の事を思い出しながらも言えば、そうだね、とキリルが頷いた。
 その様子を見た後にルクスはハーヴェイとシグルドの方へと視線を向ける。
 先に、と声に出さずに口の動きだけで告げれば、どうやら意味は通じたようだ。
「それじゃあ、オレ達は先に進んで準備してるから、お前はルクスと一緒にのんびり来い。治ったばっかで急ぐのはよくないだろうしな。」
「そうしてください。距離はそれほどなかったように思いますし、ルクス様が一緒なら何も問題はないでしょう。」
 尤もらしいような言い訳じみているような、そんな言葉を並べた2人は他の仲間達に先に進もうと促す。
 アンダルクとセネカと、それにコルセリアはキリルを置いていく事を躊躇った。
 でもシグルドが何かを言えばセネカとコルセリアは躊躇いながらも頷き、アンダルクは結局ハーヴェイに引き摺られるように連れて行かれた。
 その後姿が遠くなった事を確認してから、ルクスはキリルに向き直る。
「痛みは?」
「え?あ、うん。だから大丈夫…。」
「嘘も無理もいい。」
 キリルの言葉を遮った声は思いの外強くなってしまって、キリルは肩を揺らすと気まずそうに視線を落とした。
 強く遮るつもりも怒っているような声にするつもりもなかった。
 それなのにそんな雰囲気になってしまった辺り、どうやら少し苛立っているようだな、と他人事のようにルクスは自分の事をそう考えた。
 しゅんと肩を落としてしまったキリルに、ごめん、と素直に謝る。
「そこに座って。」
 近くにあった大きな岩に寄りかかるようにキリルを座らせる。
 立てるし動く事も出来るようだが、それでも痛みは完全に消えてはいないだろう。
 キリルの前にしゃがんだルクスがもう1度脇腹に触れれば、声を上げる事はなかったが、それでも少し顔を顰めた。
 軽く数度叩いてみるが、反応は同じ。
「………、すぐに紋章が必要な感じはしないけど…。」
「うん、本当に触られると痛いだけ…、って、だから痛いよ…。」
「なら治した方がいいね。暫くは陸路だから。」
 ずっと歩き続けるし海路よりも魔物との遭遇回数が多く、船内のように身を隠す場所もない。
 キリルもそれは理解しているので小さく頷いた。
 少し困ったような顔をしたのは、もう大丈夫、と告げたコルセリアがまた心配をしないかどうかを気にしているのだろう。
 らしいといえばそれまでだが、人の事よりも自分の事を気にした方がいい状態だ。
「じゃあ服脱いで。」
「………、え?」
「上のだけでいいから。」
「あ…、えっと…。」
 途端に落ち着きなくキリルが視線を彷徨わせる。
 何で服を脱げといわれたのかキリルは理解しているようだ。
 それでもなお言い出さない様子に、ルクスはキリルの右肩から胸にかけての辺りに目を向け、ぽんっと軽く叩いた。
 途端にキリルが小さく声を漏らし、触れられた部分を押さえる。
 押さえられた事で服のオレンジ色の部分にほんの少し赤色が染み込んだ。
 きっとその下の白は随分赤くなっているだろう。
「ばれてるよ。」
「………っ、や…、やっぱり?」
「気付くよ、あんな動きされれば。手を放して。触ると痛いだろうし。」
「じゃあ叩かないでよ…。」
「それはキミが悪い。」
 手を放したキリルの服を脱がせば、思ったとおりその下に着ていた白が赤く染まっていた。
 肩の部分に少し、特に胸の辺りが多い。
 この怪我の場所は見覚えがある。
 2日前に同じようにキリルが仲間を、その時は確かアンダルクを庇い、そうして受けた怪我だ。
 あの時はただ単に割り込み方が悪くて受け止められる前に切られた。
 少し深い怪我だった。
 治したのはシメオンで、先程のコルセリアのように魔力が尽きるような事はなかったが、他に怪我をしている人がいたのでキリルが傷が塞がった辺りでもう平気ですと言い、シメオンもこの程度塞がれば大丈夫だと思った様子だった。
 後で処置はしておくようにとシメオンがキリルに言って終わった治療。
「いや、もう平気だって本当に思ってたから、まさか今日になって傷が広がるとは思わなくて…。」
「そのわりにはずいぶん開いてるよ。何で言わなかった。」
「えっと…、平気だって思ったのと…、改めて治してもらうのは、その…、アンダルクが……。」
 言葉を濁すキリルにルクスが小さく息をつく。
 言いたい事は何となく分かった。
 キリルがアンダルクを庇って怪我を負った後、キリルは自分の怪我を構うよりも慌てふためくアンダルクの事ばかり構っていた。
 大丈夫だから、と何度も繰り返していた。
 それでもなお取り乱していたアンダルクにそれを見られれば、確かにまた大騒ぎにはなるだろう。
 あの騒ぎようを思い出せば、気にしてしまうのも仕方がない。
「分かるけど、でもそれでキミが倒れていたら元も子もない。」
「はい…、すみません。」
「じっとしていて。」
「え?」
 開いてしまった傷と先程の治療が中途半端になってしまった怪我の上に手を添えて、短くルクスが何かを呟く。
 同時に感じたのは水の気配。
「水の紋章、宿していたんだ…。」
「今はあまり使う機会がないけど、罰が攻撃ばかりだから。」
 水の上位にある流水の紋章を宿しているので、紋章師ほどの魔力がなくても効力はそれなりにある。
 やはり普通よりも効きにくいという実感はあるが、ルクスは今回の戦闘でそんなに魔力を使っていなかったので時間がかかるのは特に問題にはならない。
 傷が塞がり、その跡が消えたのを確認してから、ルクスは手を放す。
「終わり。」
「あ、ありがとう…、うん、違和感ないし、大丈夫。」
「そう。服の血は後で何とかするから、戻る時に気付かれないように気をつけて。」
「うん…。」
 開いた傷のある場所に触れても痛みはない。
 ただ服に滲んだ血が手についただけだ。
 それを見てキリルが落ち込んだように俯く。
「キリル君?」
「………、ごめんね、迷惑かけて。」
「別に迷惑じゃない。」
「でも…、さっきの戦いだってルクスに紋章使ってもらっちゃったし、今も治してもらって…、わざわざ皆を先に行かせてくれてさ…。」
「………、キリル君。」
「本当にごめん…。」
「キリル君、顔上げて。」
 俯いてしまったキリルにそっとルクスが声をかける。
 躊躇うように下を向いたままでいたが、じっとルクスが見ているのが分かったので、そろそろとキリルは顔を上げる。
 近くにあるルクスの顔は随分と真剣だった。
 とても真っ直ぐな目を向けられて、再度謝ろうとした言葉は声に出せなかった。
「キリル君のする事を迷惑と思った事は1度もない。謝る事など何もない。」
「ルクス…。」
「ボクの事を言えないくらい、キミも甘え下手だね。」
 苦笑交じりに言うと、ルクスは顔を近づけてそっとキリルの唇に触れる。
 少しだけ触れてから離れて、もう1度重ねる。
 触れたお互いの温かさは何時も心地よくて、離れる事を少し名残惜しいと思いながら、少し長く触れて離れる。
「キリル君、ボクはキミを特別と思ってる。」
「うん…。」
「そうしてキミもボクを特別としてくれていると、前に言ってくれた。」
「うん、ボクにとってルクスは誰より特別だよ。」
「それなら心配くらいさせてほしい。ボクを特別としてくれるなら、他の誰に気を使っても、ボクには言ってほしい。」
 一瞬困ったようにキリルは視線を彷徨わせた。
 でもじっと待っていればキリルはふと笑って、ルクスの方へと顔を寄せる。
 その笑みにルクスも笑い返し、キリルの方に顔を寄せてお互いに目を閉じて、もう1度重ねた唇は先程よりもはっきりと温かさを感じた。
 離れる事を勿体無いとお互いに思えて、離れては触れてを、つい声を立てて笑ってしまうほどに繰り返した。
 その合間に少しだけ唇を離してキリルがルクスの名を呼ぶ。
 殆ど触れているくらいの近さで喋れば、掠めるように触れる唇と吐息がくすぐったかった。
「ボクは多分たくさんルクスに心配かけるけど、本当に迷惑じゃない?」
「本当だよ。頼ってくれたほうが嬉しい。」
「そっか…、うん、ありがとう…。」
 最後にもう1度触れてから、顔を離して笑い合った。
 それじゃあ戻ろうか、とルクスが立ち上がりキリルへと手を伸ばしながら言った。
 のんびり後から帰るといっても限度がある。
 あまりに遅いとアンダルクとセネカが迎えにくるかもしれない。
 もしそうなって今のキリルの姿を見られれば、随分と服に染みてしまった血の色に大騒ぎになるだろう。
 キリルは心配をかける事を本当に申し訳なく、同時に少しだけ窮屈に感じているのだから、そんな状況になるのは避けた方がいい。
 でもいつまで経ってもキリルがルクスの手を掴む様子はない。
 不思議にルクスが思って首を傾げれば、キリルは困ったような顔で笑った。
「実は吹っ飛ばされた時に足も少し痛めちゃって…、治してもらってもいいかな?」
 思っても見なかった言葉にルクスは目を丸くした。
 大丈夫だよとコルセリアの前で自然に立って見せていたので足まで怪我をしているとは思わなかった。
 もしルクスが呼び止めて迷惑なんかじゃないと告げていなければ、このまま何事もなく隠し続けていたのかもしれないと思い、本当に深いため息が出た。
 我慢強いを通り越していっそ頑固だ。
 ルクスのように自分の限界を理解してやっているわけではなく、半ば無意識なのが本当に質が悪いと思う。
「ご…、ごめん…。」
「だから、謝らないでいい。」
「うん…。」
「本当にキミはボクの事を言えないよ。」
「え?」
 きょとんとするキリルに、本当に自覚はないままなんだと思い、ルクスはキリルの額を指で少し強く弾いた。
「なんでもない。」
 代わりに自分が気にしていればいいのだから、とルクスは自分の中でそう結論付けて。
 弾かれた額を押さえて不思議そうな顔のままでいるキリルに、もう面倒だと全身全てを包み癒すようにルクスは流水の紋章を発動させた。










END





 


2007.10.01

2人の武器がとても好きなので、隙を見ては持たせようとしてしまいます
武器を握らせましたが仲良しで甘めと思いつつ、4キリ派の方のリクだったのでそう思いながら書きました
いつもの事ながら心意気ばかりですがね!!(駄目っぽい)
ラブシーン必須のキスしてたら嬉しいとの事だったのでやってみました、この程度で許してあげてください、ごめんなさい

そんなものですが、気に入ってくださると嬉しいです
リクエスト、ありがとうございました!





NOVEL