2005 シアトル観戦記
  番外編 
 I Love New York 
   (2005年10月)

昨年10月に9回目の訪問をしたシアトルから少し?足を伸ばしニューヨークへ行ってきました。大都会ニューヨークを肌で感じて楽しんできました。番外編としてレポートしてみました。

”グランド・ゼロ”を見た後、フェリー乗り場近くから超望遠で撮った”自由の女神”です。(対岸に霧に霞んでかすかに見えていたのを撮りました。バッグが前日届いていたら友人と一緒にフェリーで島に行けたのですが・・・)

番外編(10月3日〜10月8日)
10月3日

約3週間に及ぶ今回の旅の2/3が終了し、あとは加山さんを追っかけてニューヨークとロスのコンサートへ行く予定だけだった私に嬉しい誤算が起きました。プレーオフに出場する松井選手のヤンキースの試合が、丁度ニューヨークにいる間に行われることが判明したのです。ロスへの移動日の前日ということでニューヨーク観光のために空けておいたのが幸運でした。早速私はチケットを扱っている会社(ガイドブックにあった日本人スタッフがいる会社)へ電話を入れ、金額は少々?高くつきましたが入手することができました。
荷物をまとめ心は早ニューヨークへ!最後のシアトルの夜を楽しむこともなくベッドに入りました。

10月4日

6時にホテルをチェックアウト、6時36分のエアポーター(リムジンバス)でSEA−TACへ向かいました。NWのカウンターでは今回もカードが読み込まなかったですが、パスポートを読み込ませて無事チェックインを完了しました。
9月まではシアトルからニューヨークへの直行便があったらしいのですが10月からはなくなってデトロイトで乗り継ぎとなります。
9時発の飛行機は満席でした。デトロイトへは午後4時過ぎに到着(時差がありますので実際の飛行時間は5時間ちょっとだったかな?)ここでは乗り継ぎ便の出発ゲートの変更があり、えらく長い距離を歩くことになってしまいました。空港内にモノレールが走っているくらい大きな空港でしたのでそれを利用すればよかったのですが、多分モノレールの乗り場を2つ以上歩いたように思います。
デトロイトを5時ちょっと過ぎに出発、ニューヨークのラ・ガーディア空港へは7時前に到着しました。アメリカ国内でも時差がありますのでシアトルから9時間近くかかっての移動となりました。
ところが私のバッグが見当たりません。空港の職員にカウンターで手続きをするように言われ並んで待つことになりました。前の女性がバッグの種類や住所を聞かれていましたので私も同じようにバッグの特徴とホテルの名前を告げました。
どうやらデトロイトで積み残しされたようで2時間後の便でくるとの事でした。私は空港で待ってもいいと言ったのですが、ホテルで待つようにそして午後11時までに来なかったらカウンターに電話するように言われたのでホテルで待つことにしました。
本当にバッグが来るのか、不安をかかえながらTAXでマンハッタンのホテルへ向かいました。すっかり暗くなっていたので景色を確認することも出来ません。到着したホテルではラテン系の女性の英語に戸惑いながらもなんとかチェックインを完了、バッグのくるのを待ちました。

結局11時まで待ちましたがバッグは来ませんでした。電話を掛けましたが受付は終わったというテープが廻っているだけでした。どうやら11時までに掛けなくてはいけなかったのを間違えていたようです。ここでも英語力のなさが災いとなりました。明日の朝電話するしかありません。
ニューヨークで一緒に観光をしようと約束していた友人(別便で日本から来ていました)に電話を入れて事情を説明し行けなくなったことの了解をもらい、寝ることにしました。

10月5日

朝一番でNW航空の日本語サービスに電話をしようとしましたが事務所がシカゴでしたので中部時間の9時(ニューヨークでは10時半)まで待つことになりました。
やっと電話が繋がり事情を説明し始めたところで部屋の電話が鳴りました。”バッグが着いたんだ!”と直感した私はサービスカウンターの相手に「多分バッグが着いたという電話だと思います。違ってたらまた電話します」と断って、部屋の電話に出ました。果たして電話はバッグが着いたという連絡でした。喜び勇んで取りに行きました。自分のバッグを確認できてホッとしましたが、持った瞬間違和感がありました。良く見てみるとキャスターが1個無くなっています。そのためバッグを立てて置くことはできないのですが、引っ張って歩くことは大丈夫でしたのでさほど苦労することなく部屋に持って行けました。バッグを壊された苦情をNW航空に言おうと思ったのですが英語でもんくを言うことも出来なかったので諦めることにしました。(情けない)

着替えもできて余裕が出てきましたので、早速ニューヨーク観光へ!どうしても最初に訪れたかった”グランド・ゼロ”を目指して地下鉄に乗り込みました。ニューヨークの地下鉄は怖いというイメージがあって、緊張しながらメトロカードを買いました。(何とか前の人の様子を真似ながらですが)
ここの地下鉄は一度乗る(2ドル)と2時間以内に乗り換えれば何回乗り換えてもタダという便利なものでした。

写真上2枚は”グランド・ゼロ”で撮ったものです。今でも多くの観光客が訪れています。とても厳粛な気持ちになりました。
下左は”エンパイアー・ステイトビルディング”のエントランス、右は入り口から見上げた様子です。

地下鉄の中にはちらほら日本人観光客の姿も見えました。地下鉄を降りて地上にでて細い道路を歩いていくと急にそれは姿を見せてくれました。
”グランド・ゼロ”・・・ニューヨークへ行ったらまず最初に来てみたかった場所でした。余りにも大きくてここが本当にTVでみた場所なのか、信じられないほどでした。平日のお昼頃でしたが多くの人たちが訪れていました。
平和でおれることの幸せへの感謝とここで犠牲になられた方々のご冥福をお祈りしてこの場を後にしました。(長くいると悲しみに押しつぶされそうでした)

夕方にはやっと友人達と合流、エンパイアー・ステート・ビルディングからの夜景を観に行きました。天気が良くなくて物凄く素晴らしいという景色ではなかったですが、ニューヨークの街を見下ろす醍醐味は充分味わえました。ただセキュリティの多さには閉口しました。

この日泊まっていたホテルはペンシルベニア駅のすぐ近くそしてエンパイアー・ステート・ビルディングにも近いという、とても便利の良い場所にありました。

10月6日

朝早く友人の泊まっているホテルへ行くためTAXで移動しましたがそこで思わぬことに、降りようと金額を尋ねると20ドル要求されました。メーターは12ドルを表示していましたが、若くて強そうな運転手だったので渋々払ってしまいました。

移ったホテルで友人と落ち合い有名な5番街へお買い物に、地下鉄の駅が遠かったので歩いて行きましたが、さすがに10thAvから5thAvへは歩いて行くには遠すぎました。でもヘトヘトになりながらも最後に訪れたグランド・セントラル駅の中央コンコースの優雅さには充分癒されました。

夜は今回ニューヨーク訪問の主目的であったカーネギーホールでの加山さんの公演を充分楽しんできました。

すっかり気分良くホテルに戻ってきた私の部屋に封筒が置いてありました。それはニューヨーク市内でテロの恐れが出てきたので、地下鉄の警備が強化されるので乗るのを控えるようにという旅行会社からのFAXによる警告文でした。一瞬にして気分は急降下でしたが、”ケ・セラ・セラ”明日はどうにかなるさ!の前向きな気持ちでベッド・インしてしまいました。

写真左は有名なベーブ・ルースのモニュメント、右は試合開始前グランドを覆っていたシートを外す係員達

写真左は試合前、売店でボストンとシカゴの試合に見入る人たち、右はシカゴが勝った瞬間大喜びする観客。

写真左は松井選手の打席(この試合ではHRを打ちました)、右は試合終了の時刻。

10月7日

夕方まで自由時間だったので一人で過ごしました。バス停がすぐ近くにあるのに気づき、バスで5番街まで移動してお土産等を買いに行きました。このバスもメトロカードで乗れますし地下鉄への乗り継ぎも無料で出来る良いシステムになってます。

17時過ぎに地下鉄でヤンキースタジアムへ向かいました。昨夜のテロ警告文がありましたので慎重に周りを警戒しながら駅にむかいましたが、駅の中はこれまでと変わりなく警備員の姿もなく、利用客もいつもと変わらない雰囲気でした。ほとんどの人がヤンキースタジアムへ行くように見えたので一緒について行くことにしました。

雨がシトシト降っていたので、地下鉄の出口を出てすぐにあった球場のレフト席入り口から入ることにして、近くの売店で松井選手のTシャツとNYYの帽子を買って入場しました。
入ってすぐにレフト外野席にある
ベーブ・ルースのモニュメントを見てきました。歴史を肌で感じることが出来きました。時折雨が強く降っていましたが私の座席は屋根の下だったので濡れずに待つことが出来ました。
ここの座席は同じ列に同じ番号が二つあって不思議でした。左から1,2,3,4,3,2,1という7人掛けになっています。でもちょっと考えると合理的になっているような?問題は起こっていないようでしたのでそれでいいのでしょう。
開始前にはボストンとシカゴのプレー・オフの試合をスコア・ボードの画面で放送していましたが、当然のように球場全体でシカゴを応援しています。結果ボストンが負けて会場は大喝采でした。こういう楽しみ方もあるんですね。シアトルに比べると態度の良くない(熱狂的な)お客さんが多いように見えました。

試合開始直前投球練習を終えブルペンからベンチへ戻るRジョンソンに大歓声が起こりますが、そのジョンソンが早い回でKOされると同じくらいの大きなブーイングが起こりました。ニューヨークのファンは厳しいと聞いていましたがそれを目の当たりにしました。

松井をはじめとして4本のHR(Gアンダーソン、Bモリーナ、Dジーター)が出た乱打戦は、5点を先制されたNYYが中盤松井のHRを皮切りにVウィリアムスのヒットで逆転して球場は大盛り上がりでしたが、すぐに中継ぎ陣が打たれ負けてしまいました。松井のHRは私へ向かって飛んできたのですが10m手前に落ちてしまいました。

負けて聴く「ニューヨーク・ニューヨーク」は悲しい気分でした。松井の人気はジーター、Aロッド、ジアンビそしてシェフィールドと同等だったように思えました。でも今日一番人気だったのは引退が囁かれていたVウィリアムスでした。

試合が終わったのは12時ちょっと前、地下鉄が動いているのか不安だったので急いで駅に向かいましたが無事に動いていました。乗客はほとんど野球帰りの人ばっかりでここでも安心して乗ることができました。

地下鉄で5番街まで行きましたが、開いている出口を探すのに時間がかかりましたが何とか地上に出られて、TAXがすぐつかまって午前1時30分にはホテルに戻ることができました。

10月8日

前日の疲れからかゆっくり起床、荷物をまとめラ・ガーディア空港へ向かいました。

バッグの遅れや損傷、テロ警告文等いろんなことがあった4日間でした。天候もずっと曇りばっかりだったように思います。シアトル以上にどんより湿ったイメージがありました。でもこれがニューヨークだったんですね。案外好きになれそうな街でした。いろんな人種の人たちが一生懸命生きている、そんな感じの街でした。

加山さんのカーネギーホール公演がなかったら多分一生、足を踏み入れることがなかった街”ニューヨーク”でいい経験が出来ました。

加山さん、本当にありがとうございました。

 終わり

06年04月27日新規作成