日曜特番
  作詞家岩谷時子の生涯と
    珠玉の名曲たち
(BS-TBS 3月2日)       

BS-TBSで放送された番組に出演された部分をリポートしました。
お楽しみください。

岩谷時子の世界を語る上でなくてはならない人物がいる。

俳優・歌手の加山雄三。加山との出会いにより数々の名曲が世に送り出された。あの名曲たちはどのようにして生まれたのか?

加山は振り返る。

恋は紅いバラ
一番最初は「デディケイテッド」という学生時代に作詞作曲した英語の曲を翻訳してくださった方が岩谷時子さんで、「恋は紅いバラ」という曲になったんですけど。これが最初の出会いなんですけど。
優し〜い、ほんとに静かな方でね。あの〜謙虚な方で。なんだか聖女のような、すごい方ですよ。それこそ教会から出てくると似合うような感じがする、心がね。そういう人だったというのが第一印象ですね。最初の2行の英語がそのまま残されているっていうのが非常に良いなあと思いましたね。ほんとにそこに書いてる内容が上手に翻訳されてて大したもんだなって最初思いました。
君といつまでも
「恋は紅いバラ」っていうのが、まさかヒットするなんて全然思ってもいなかったんでね。そのヒットがあったすぐあとに「君といつまでも」がくるわけですよね。

Q)「君といつまでも」の歌詞の中に「この僕のしとねにしておくれ」っていうのが。

最初俺わかんなかった。なんだろうねって。すごいですよね。詩人だなあと思いますし。わかんなかったけど悔しいから聞かなかったんですよ。どういう意味だって聞いたところでしょうがないなって。わかったみたいな気持ちでそのまんま歌ってて、(曲を)聴いた人に聞かれるんですよ。しとねってどういう意味ですか?って。俺、実はわかんないんだよって言った覚えもあるんですよ。それから慌てて。しとねっていうのは添い寝するみたいに傍に居てほしい、へ〜え、と。それがほんとうの気持ちですよ。
旅人よ

「旅人よ」では驚きのエピソードがあった。

東京行くまでの間、ギターを弾きながら鼻歌交じりで、着くまでに出来ちゃったんですよ。そのまんま鼻歌で良いですかって?音とってメロディを。岩谷さんのレコーディングをする「夜空を仰いで」だと思うんですよ。そのレコーディングの時にお渡ししたんですよ。
そしたら1日か二日くらいしか経たないうちに、もうあの詩が出来てきて、「へ〜え」って、「すごい良い曲だ」ってプロデューサーも言い出したし、ディレクターも、「こりゃあ良い曲だなあ」って、で、
「別のシングルにしましょう」って。
「なんでよ?」
「いや、B面はね、駄作で良い
んですよ」とか、そういうことを言ってね、ものすごい頭に来てね。
「そりゃあないだろう」って。
「あのね、A(面)とかB(面)とか、
こりゃあ駄作とかそういうのなしで、A、A面で行きたいんだよね」と、僕は言いました。
「もったいないですよ」
「もったいないとかそういう
問題じゃないだろ。音楽は良いもんを聴いてもらったほうが良いからなあ」。結局カップリングしたんですよね。出したらすぐに「夜空を仰いで」がベストテンのトップに出て、途中で「旅人よ」にひっくり返ったんですよ。もうねえ、岩谷さんと二人でニヤニヤ笑いながら、「変よねえ、それってね」岩谷さんも仰ってましたよ。
僕の妹に
僕は詩を書く能力が無い人間だと思ってるんで、男性用の詩であろうが女性用の詩であろうがその曲に合ってれば良いと思う方なんですよね。
「僕の妹に」というのはそれが顕著に現れていると思うんですけれども。
実際には、僕は妹いるんですが。それよりも「ファンの人たちは、こういうお兄さんを持てたら良いなあというような気持ちがあると思うのね。だから、そういうのを代弁してもらえる歌というか、それを私は考えたの」って岩谷さんが仰ったんですよね。だから、妹というのは女性でもあるんですけど、それが自分が妹に対してこういうような気持ちでいるんだよ、そのメッセージがファンの人たちにしてみると、男から女性に向かって言っているというメッセージになるわなと思うんですよ。
それってすごく自然で良いんじゃないかなっと。
フェアウエル
岩谷さんと出会ってなかったら今の僕はない。それくらい重要な存在です。だって「君といつまでも」が無ければ「恋は紅いバラ」も無いわけじゃないですか。「旅人よ」も無いんですよ。「海 その愛」も無いんですよ。そしたら僕はどうやって歌ってますかね。
(歌って)ないと思いますね。だから、岩谷さんとの出会いが僕の人生を大きく決めてくれたっていうか、ここまでしてくれた。もう感謝の気持ちと寂しい気持ちとそれが山ほど頭の中にせまってきちゃったね。だからこれから「フェアウエル」っていうのを歌うのは辛くなりますよね。
「今は別れの時」なんだけど、またいつか会えるだろうと、いうような詩なんですけど。確かにそういうふうに思いたい
ですよ。
まあ、今生で相当なご縁をいただいて、これだけの力をいただいて、僕の立場をこういう皆さんに喜んでいただけるようなところまで
押し上げていただいた力というのは偉大なもんだと思いますね。その方との別れは寂しいし、だけど僕だってあと残り少ない人生だと思えばいつかそちらへ逝きますよという気持ちもあるし、この次また人生があるとしたら、「また会ってまた一緒に作ってまた大ヒットさせましょうよ」って、そう言いたいですよね。

2014年03月13日新設