「こころの玉手箱」 音楽家 加瀬邦彦
かせ・くにひこ 1941年東京生まれ 慶大卒

66年ザ・ワイルドワンズ結成、「想い出の渚」でデビュー。71年の解散後は作曲家、沢田研二のプロデューサーとして「危険なふたり」「TOKIO」あどヒットを連発。81年ワイルドワンズ再結成。
現在は加山雄三と組んで全国公演中。

第1日 がんの病床で着たパジャマ  病室で見た虹 新たな人生誓う
 この丈の長いパジャマを見るたびに、食堂がんで入院した東京女子医大の病室を思い出す。手術後、僕の胸とおなかには8本の管が装着された。
パジャマのボタンは一番上と下だけ
を留め、その間からはヤマタノオロチのような管が突き出していた。
 あれは1994年9月。53歳で元気いっぱいだった僕は、検査してくれた開業医に「のどのポリープぐらい、すぐ切れますね」と気軽に言った。歌いすぎてのどにポリープを作る同業者は少なくない。
「いや、それが・・・。食道がんの権威を知っているから、電話してあげますよ」
「いま
何て言いました。がん?」
 食道がんは転移が早いという。女子医大に入院してすぐに手術の運びとなった。外科医が3人がかりで8時間、僕の体と格闘した。食道は全摘。胃を縦に半分に切って引き伸ばし、食道の代わりにした。
 ようやく集中治療室を出て病室に戻ると、妻や看護師さんたちの華やいだ声が聞こえてきた。
「虹よ。虹が出てるわ」
「きれいね」
「ここに20年以上勤めているけど、虹を見たのは初めてです」。やがて消えたが、
しばらくして再び現れた。結局、この日は3度も虹が見えた。
 「祝福されているんだ」。楽天家の僕はそう考えた。
「手術は終わった。おれはこれで生まれ
変わって、新しい人生を歩むんだ。もう病気なんかじゃない」
 昼間はパジャマを脱いでTシャツ、短パン姿になった。8本のオロチは、Tシャツの前身ごろを切り抜いて、ニョキニョキと出しておいた。そんな姿でギターを弾いたり、鉄アレイを持ち上げたり・・・。
「ハワイのリゾートにいるような気分で入院してる人なんて、初めて見ましたよ」。巡回してきた医師が笑いながら、真顔で言った。
「医者が治せるのは50%まで。あとの50%は患者さんの
気持ち次第なんです。加瀬さん、あなたはきっと良くなりますよ」1カ月半と言われていたのに、3週間で退院できた。
 がんになって考え方が変わった。自分のための音楽ではなく、人に元気を与える音楽をやらなくてはと思うようになった。食べられる量が減ったから太らないし、お酒も以前の半分でいい気持ちになる。15年たった今も健康で仕事を続けていられるのは、食道がんのおかげだと思っている。

09年10月30日新設
10年11月04日更新