「あの頃は映画が次々と当たってとにかく忙しかった。主題歌の「君といつまでも」で「NHK紅白歌合戦」(’66年)に出場したり。「加山雄三アワー」(’66年・フジテレビ系)って歌謡番組にも出てた。今どきの若い俳優は芝居も歌もバラエティーもやるけど、その走りだったんじゃないかな(笑)?でも船を買いたくて俳優になったもんだから、資金が貯まれば俳優を辞める気でいたんだ」。
「「椿三十郎」(’62年)に「赤ひげ」、「姿三四郎」(ともに’65年)と呼んでもらったことで映画のリアリズム、演じる
喜びを学んだよね。「お前は白紙でいいんだ」と言われたことで視界が開けたし、俳優でいく覚悟もできた。’72年には「包丁」(NHK)でドラマに初出演したわけだけど、板前から手ほどきを受けて実際に料理を作るとか。当時のドラマにしては珍しくリアリズムにこだわったことを覚えてるね。その後はコントに挑戦した「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」(’76〜’78年・テレビ朝日系)だとか、あらゆるジャンルを経験したな」。
中でも「江戸の旋風」(’75年・フジテレビ系)は「思い出に残る」一作。
「ここで地井武男君と出会って。彼との友情が縁で「若大将のゆうゆう散歩」(テレビ朝日ほか)が始まったんだ。街をゆっくり歩く機会なんてないまま75歳まできたから、好奇心にまかせつつ、地井君のぶんも楽しんでるよ」。
|