「ヒューマンリポート」

 (マンスリー東武 6月号)

「マンスリー東武 6月号」に掲載された、加山さんのインタビュー記事を発見しました。旬な記事ではありませんが、楽しんでいただければ幸いです。
ヒューマン・リポート(人間大好き)
「俳優/シンガーソングライター」
加山雄三さん
デビュー50周年を迎えても、加山雄三さんは、”永遠の若大将”だ。スターを象徴する存在でありながら、常に自然体。面白いお話は、紙面に入りきらないほどで、豊かな才能や知性に裏打ちされている。今回はその一面をご紹介。
さあ。我々も頑張ってみませんか。青春に年齢は関係ないのだから。
僕は頑張る。
みんな、ついてこいよ。

司会)今年は「若大将50年」の年。大変な話題になってますが。

お陰様で。「若大将」シリーズの前に、映画「男対男」でデビューしたのが1960年だから、ちょうど50周年ってことになりますね。まぁ、長くもあるし、ついこの間のような気もする。ただ、半世紀というのは、やっぱり大きいと思いますよ。

僕は45周年の時もそうだったけど、5年ごとの人生の節目を大切にしてきたんですが。でも、50年となると、なんだか大台って感じがするな(笑)。

司会)それを記念して「加山雄三とザ・ヤンチャーズ」という、特別バンドも結成されました。メンバーが凄い。森山良子・谷村新司・南こうせつ・さだまさし・THE ALFEEと大物アーティストの皆さんばかりですね。

みんな親交のある人たちだけど、僕自身もびっくりしてますよ。

司会)その第一弾として、シングルでリリースされたのが「座・ロンリーハーツ親父バンド」。作曲が弾厚作こと加山さんで、作詞がさだまさしさん。

さだまさし君は、もう天才だね。僕は詞が書けない、シがない作曲家だから(笑)、彼に全部お願いしたんですよ。年はいっているけど、僕らも頑張ってるんだから、後輩の人たちに「後についてこいよ」って気持ち。
今の世の中、先行き不透明なところが多くて生きづらいけど、人間は絶対に頑張れる。だ
から、友だちは大切にした方がいいよ、音楽は心の支えになるよ・・・と。そうした勇気づけるような発信をすることが凄く大事なんじゃないか。そうしたコンセプトを見事に表現してくれましたね、彼は。いうなれば、中高年の皆さんへの応援歌のつもりで作ったんです。

司会)アップテンポな曲も楽しくて、ヒットしそうですが。

それはまだ分からないけど、残る曲だとは思いますね。

司会)あの歌詞のなかに「若造時代は気づかなかったけれど、今は人生の本当の優しさや愛が分かる」というようなリフレーンがあります。まさに加山さんのお気持ちではありませんか?

あのフレーズが、またいいんだよね(笑)。若さで突っ走ってたころは、振り向くこともしなかった。それはそれでいい面もあった。でも、年齢とともに失敗したり苦しさも味わって、初めて人や親のありがたさなどにも気づき、いろんな意味で感謝の気持ちが強くなってくる。若造時代には分からなかった優しさみたいなものが備わってきて、それが年輪を重ねるってことでしょう。たとえ本やなんかでどんなに感動しても、体験に勝るものはない。体験すれば、本当にそれが身についてきますからね。

司会)すると、たとえば伝説的な大ヒット「君といつまでも」も、今また新しい思いを込めて歌われるわけですか?

もちろん、そうです。

司会)そうやって、我々が聞きたい歌は生き続けていくのですね。

時空を超えて  響き合う音楽がある。

かつてヒットした曲を聞くとね、人はその当時の空気に戻るんです。
僕なんかも終戦直後に聴いた曲が、深夜放送から流れてくると、涙がポロポロ出てきたりする(笑)。決してノスタルジックとか古い感覚ではなく、当時の空気になる。時空を超えて共感できる。音楽にはタイムマシーンみたいなところがあるんだな。そうした音楽に、僕も映画などを通じて関わってこられたことを考えると、こんなに恵まれた人生はないなと思いますよね。音楽を発信できて、それをまた本当にいいと思ってくださっている人に支えられてきたということが。

司会)歌の力は凄いですね。

歌というのは、多分、人類最初の祈りなんでしょう。祈りが歌になった。そこには人間が出している波動があるんだと思いますね。脳波なんて波動もあるでしょう。もちろん、宇宙も波動を出しているし、音も光も波動だ。だから、人間同士が響き合うために、根底にある一番大事な要素といえば、言葉もそうですが、音ですよ。音楽を聴くことで、時間を共有できるし。
これは我々に与えられた大きな喜びだし、大きな糧になっているともいえるでしょう。だって、音楽が全くない人生なんて、おそらく考えられないでしょう。子供のころから身近にあり、聴いて育って、それぞれが好みに合った音楽をセレクトしてきた、これってやっぱり音楽の凄い力だな。

司会)そうした思いも込められて、5月には待望の50周年記念アルバム「若大将50年”」が発表されました。

ええ。僕は今までほとんど自分で作った曲しか歌っていませんが、今度はJポップスでなく、「Jスタンダード」だと思ってる名曲を5曲選びカバーしてます。まさにスタンダードになってる、大好きな石原裕次郎さんの「夜霧よ今夜もありがとう」、同様に美空ひばりさんの「愛燦燦」や坂本九さんの「上を向いて歩こう」、僕とは縁の深いザ・ワイルドワンズの「想い出の渚」も入れて、森繁久弥さん作詞作曲の「知床旅情」。森繁さんを俳優として一番尊敬していますからね。

司会)他にも、記念アルバムらしいナンバーが並んでいますね。もちろん、あのザ・ヤンチャーズとの共演で。

そう、後は僕のオリジナル。これをヤンチャーズのアーティストたちがコラボレーションしてくれた、珍しいことですよ。アルフィーにギターを弾いてもらって一緒に歌うとか、森山さんとデュエットしたり、さだ君は歌だけじゃなく「君といつまでも」で、ヴィオリンを弾いてくれています。谷村さんとは当然「サライ」を歌い、南こうせつ君とは「白い砂の少女」、彼もこの曲を凄く気に入ってくれて、いい感じで楽しいですよ。

司会)この同じメンバーで、6月4日には、アリーナコンサート(東京・日本武道館)が開かれるわけですが、これが、なんと発表と同時に即日完売。大変な人気でチケットが入手できません。

本当にありがたいことですが、それは僕の力じゃないな。なにしろヤンチャーズの仲間は、それぞれ独りで1万人2万人という会場をいっぱいにできるトップアーティストですからね。彼らが一緒になってやってくれるんだから。
ひとえに皆さんのお陰ですよ(笑)。

司会)ツアーもありますか?

続けて名古屋と大阪にも行きます。いずれも1万人規模のアリーナだけど、やっぱり先行予約でいっぱいになったらしい。しかし、70歳を超えてアリーナツアーをやるなんてアリエナイツアーだと言ってるんですよ。これは記録だ(笑)。
あのフランク・シナトラが武道館でやったのも52歳の時だったですからね。

勉強なんかそっちのけで列車の音を聞いていた。

司会)ところで、先日も堂ヶ島にある「加山雄三ミュージアム」にうかがうと、素晴らしい鉄道模型のジオラマが展示されてました。あれは全て、加山さんのコレクションですか?

そうです。今は全部ミュージアムに置いてある。もう現存していない電気機関車とかね、そのまんまHOゲージの模型になってありますよ。

司会)鉄道模型に興味を持たれたのは?

小学校5年ぐらいのとき、学校の前に模型屋さんができたんですよ。ボール紙で窓枠を切り抜いて手作りしたり、それを見てて、もう欲しくて欲しくてね。親に買って貰った32ミリの、今でいうOゲージは持ってたけど、真ん中に電源用のレールが入ってるのが気に入らなくてね。その点、HOゲージはレールが2本で、約16ミリの幅で電車だって本物に見える。でも子供には高価すぎた。結局はボギー(車両台車)だけ買ってきて板っぺらにつけ、上は全部、ボール紙を切り抜いて作ったわけですよ。

司会)それを動かして遊ばれた?

いや、モーターをつけてないから飾って置くだけ。それから大きくなるにしたがって小遣いも増えたから、今度は動くやつを作ろうと。その最初の電気機関車がEF58の旧型だったな。最初に手にしたときは、嬉しくて嬉しくて、動力車だけで後ろに引っぱるものは何もないんだけど、ぐるぐる走らせてました。

司会)そこまでお好きになったというのには、なにか特別な理由でも?

まずね、小学校が東海道線のすぐ脇にあったということ。すると、教室にいても音を聞くだけで、何が通っていくか聞き分けられるようになってしまった。前輪が2つで動輪が3個ずつだと、トト・ドドドってなるから、EF58。前輪の音が1個ずつなら、EF15って貨物列車を引っぱるやつだし、動力車の後にタタ・タタ・タタって3つ続くと暖房車があって、その後に普通車両がついている。タタタン・タタタンって三軸ボギーの音がしたら、これは展望車がついてるとか。それを勉強なんかそっちのけで聞いていて、お〜今。何が走ったぞって(笑)。もちろんSLだったらピストン音で分かるしね。駅の傍らだから、スピード落としてくるのは普通列車だ。急行なんかは物凄い勢いで走ってくるし、時間帯も頭に入っているから、「つばめ」だ「さくら」だなんて。その音やリズムを聞いているのが、実に面白かった。

本当にラッキーだし
 幸せなことだなと思う。

司会)それをまた、聞き分けられる感性も天才的だと思いますが。

なにしろ、鉄道には物凄い憧れがあったわけです。小学校1年のときから祖母に連れられて、東海道線に乗っては小田原に行き、箱根登山鉄道に乗るのが好きだった。湯本あたりから急な斜面になると、唸りをあげて登っていくでしょう。それで、小学校2年生のときには登山電車の絵ってのを描いた。今もミュージアムに展示してますが、これが凄いんだ(笑)。絶対にあり得ない角度から。記憶で描いてる。電車を真っ正面からとらえて、水タンクやパンタグラフまでちゃんとね。

司会)お話をうかがっていると、列車の音は音楽に欠かせないリズムに関係してきますし、一方、列車を描かれたことは、いまや個展や画集でお馴染みの絵画活動に関わってくる。加山さんのその後のご活躍は、いわば鉄道から始まったともいえませんか?

あはははは、鉄道から始まった、そうかも知れないな。当時、我々の身近にあった文明のなかで、いちばん力強く”勇壮”に感じられたのが鉄道だったんです。今のように車もなければ飛行機もない。タクシーなんかリンタクといって、自転車の脇に人を乗せていくのが、せいじですからね。やっぱり鉄道ってのは、どこに行くにも利用してた。スキーに行く時も、トンネルに入ると、鼻が真っ黒けになるような夜行列車に乗ったりとか。そうした体験のなかから生まれたものが尾を引いて、コレクションや絵を描くことに変わっていったんでしょう。
 話は変わるけど。小学校の通信簿で優秀だったのは、音楽と図工なんですよ。それが今、両方とも役に立っているのはおかしいな(笑)。子供のころ愛したもの、好きだったものが、いわばライフワークにもなっている。その意味でも本当にラッキーだし、幸せなことだなと思いますよ。
かやま ゆうぞう

1937年神奈川県生まれ。早くから音楽やスポーツに才能を発揮。60年に慶應義塾大学卒業と同時に東宝と専属契約。映画俳優としてデビュー。お馴染みの「若大将」シリーズや、黒澤明など名監督の作品に次々と主演。シンガー・ソングライターとしても多彩なヒット作を発表。以来、国民的スタートして活躍は多岐にわたる。今年は芸能生活50周年を迎え、コンサートや著作の出版など、華やかな活動が続いている。

10年12月29日新設