広報ちがさき 平成22年6月15日号

  茅ヶ崎市民栄誉賞 加山雄三さんに贈呈 

加山さんに贈呈される、茅ヶ崎市民栄誉賞についての、茅ヶ崎市の広報をご紹介いたします。この広報は、滋賀のAさんのお友達で、茅ヶ崎に住んでおられるが方からご提供いただきました。ありがとうございました。

市民栄誉賞贈呈を聞いて

 1歳半から32年間茅ヶ崎に住み、戦前、戦中、戦後と茅ヶ崎の変遷というか歴史を肌に感じながら生きてきた、僕の「原点」とも言えるところからデビュー50周年の節目の年に、栄誉ある賞をいただけることを大変感謝し、うれしく思っています。
 この思い出深い茅ヶ崎で、市民栄誉賞に選んでいただいたことは、本当に「感動」の一言です。このことは僕にとって誇りに思うし、これほどうれしいプレゼントはないと思います。

Profile

加山雄三(本名 池端直亮)

昭和12年4月11日生まれ。1歳半から33歳まで東海岸南に在住。茅ヶ崎第一小学校(現茅ヶ崎小学校)、第一中学校を卒業。大学を卒業後、昭和35年に東宝に入社し、俳優や歌手として活動。

●茅ヶ崎市民栄誉賞とは

 市民または市に縁が深く、文化、芸術、スポーツ、そのほかの分野で輝かしい業績を上げ、市民に希望と活力を与えてくれた人に贈る賞です。
 加山さんの受賞は、野口聡一宇宙飛行士、土井隆雄宇宙飛行士、仁科真澄女子ソフトボール選手、山本昌弘プロ野球選手、杉山愛元テニスプレーヤーに続き6人目です。

茅ヶ崎の思いで
 僕は、茅ヶ崎海岸と駅のちょうど間くらいのところに住んでいたのですが、小さいころは、現在の「雄三通り」もまだ舗装されていませんでしたね。

 昭和18年に茅ヶ崎第一小学校になる前の茅ヶ崎国民小学校に入学しましたが、戦争中だったという実感があって、茅ヶ崎に焼夷弾が落ちたことなども鮮明に覚えています。戦後、どんどん茅ヶ崎が復興し、発展してきた中で青春時代を過ごしました。

■烏帽子岩への憧れ
 少年時代から「烏帽子岩」というものにすごく憧れていて、あそこにどうしても行ってみたいと思っていましたね。それで、14歳くらいの時に自力で烏帽子岩に渡ろうと思い、駅に行く途中にある雄三通りの材木屋で杉の板とか材料を買ってきてカヌーを作りました。試行錯誤して、自分で作ったカヌーで烏帽子岩に行けた時はすごくうれしかったなぁ。それからは毎年夏になると友達を呼んで、何人かでしょっちゅう烏帽子岩に行きました。

 そういう中で、茅ヶ崎が自分の「体力」とか「自然を愛する心」とかを育んでくれたと思っています。

■国道134号線と茅ヶ崎海岸
 今でも時々車で国道134号を通りますが、松林があんなに大きくなったのはびっくりしますね。戦争で伐採され、植林し直された松が大きくなっていくのとともに、僕も育ったという印象があります。

 茅ヶ崎市が発行した写真集の中(「茅ヶ崎きのう きょう」204ページ)に、僕が高校生の時に坊主頭で、スクーターに乗って134号を突っ走っている写真があるけれど、あれが一番いい証拠かもしれないですね(笑)。

 あと、僕が一番びっくりしているのは、茅ヶ崎の浜辺が変わったこと。砂浜があんなに急な斜面になっているのはとても残念です。昔遊んでいたころのような、長くてよい遠浅の浜辺がよみがえったらいいなぁという気持ちはありますね。

■茅ヶ崎から生まれる文化
 茅ヶ崎という土地柄なのかも知れないけど、不思議なことに作曲家がたくさん出ていますね。
中村八大
さんや平尾昌晃さんがそうですし、サザンオールスターズの桑田くんも。私も作曲をするようになりましたしね。

 カリフォルニアで「カリフォルニアサウンド」が生まれてきたように、海がそばにあるというのと関連があるのかも知れませんね。

 僕の「音楽」というライフワークが茅ヶ崎から始まったというのは、非常に僕の人生に大きな影響を与えていると思いますね。
今後への意気込み
 これからも、より一層奮励努力して、よい音楽を残したいですね。僕は音楽がこよなく好きな人間として生まれてきたので、よい音楽を作って歌い、演奏しながらいろいろなものを残していきたいと思っています。

 それから絵画もライフワークに入りました。すでに1500点以上残っていますが、もっと自分の実力を上げていきたいと思っています。

 これから茅ヶ崎がますます発展して、とてもよい街になっていってほしいと思っています。

10年06月25日新設
10年12月23日更新