樹が陣営全執筆者一覧
その2(9号から15号まで) トップページに戻る
■ | 第9号1992・5 | ■ | ||||
[特集]瀬尾育生という話法 | インタビュー | 現代詩の新たな転換を求めて | 瀬尾育生(聞き手・横木徳久) | |||
詩 | 欧州 | 瀬尾育生 | ||||
批評 | 試論のエチカ−瀬尾育生の論をめぐる31の断章 | 野沢啓 | ||||
批評 | 瀬尾育生・レッスン−文字借金生活者の手記 | 成田昭男 | ||||
批評 | 瀬尾育生、そのこぼれ落ちた部分 | 阿賀猥 | ||||
批評 | 言葉の一義性について−瀬尾育生さんへの手紙 | 宗近真一郎 | ||||
批評 | 灯台守の孤独−瀬尾育生の批評地点 | 添田馨 | ||||
連載論考 | 時評 | 気遣いという場所から | 神山睦美 | |||
批評 | 可能性としての夫婦(4)−エロス・クロノス・タナトス(中) | 岡田啓 | ||||
批評 | 法的幻想の本質と構造(2−8)−平等の理念と擬制 | 丹羽一彦 | ||||
批評 | 変容する男女関係(5)−エイジレス時代のロマン | 谷かずえ | ||||
批評 | 樹陣倶楽部(5)−JFKについて | 北明哲 | ||||
対話 | 竹田青嗣連続対談(1)−恋愛と結婚の現象学 | 竹田青嗣・小浜逸郎 | ||||
対話 | 長谷川宏連続対話(2)−知の起源 | 長谷川宏・高野幸雄 | ||||
座談会 | 超常現象について | JO5同人 | ||||
樹陣ブック・レビュー | 書評 | 少女、民族の懐郷心−大塚英志『少女民俗学』から | 津島知明 | |||
書評 | 『曼荼羅』と「MADARA」の間−大塚英志『子供流離譚』を読む | 浦上真二 | ||||
書評 | 風土・関係・自己−三つの島尾敏雄論から | 十文字幹夫 | ||||
表紙・カット | ・ | ・ | 野村敏幸 | |||
カット(写真) | ・ | ・ | 佐藤幹夫 | |||
■ | 第10号1993・3 | |||||
[SCENE1]詩の内景 詩という内景 | 詩 | Legend | 加藤温子 | |||
詩 | 黄泉比良坂 | 寺田操 | ||||
詩 | まるで無からのように | 倉田比羽子 | ||||
詩 | 木更津港 | 吉田ゆき子 | ||||
詩 | 双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら・f | 川口晴美 | ||||
詩 | scene−現場報告 | 苅田日出美 | ||||
詩 | あなたの頬は別の夜の桃 | 河津聖恵 | ||||
著者から読者へ | 自著エッセイ | <八王子>という風景・その他 | 瀬沼孝彰 | |||
同 | 断片の強度とよろめく記号 | 小林弘明 | ||||
同 | 詩の快楽/著者よりの手紙 | 寺田操 | ||||
座談 | 詩の内景・詩という内景 | JO5同人 | ||||
[SCENE2]ひとはなぜ歌うのか | 対談 | 竹田青嗣連続対談(2)−ひとはなぜ歌うのか | 竹田青嗣・丸山圭三郎 | |||
鼎談 | マンガの構造、批評の方法 | 高野幸雄・添田馨・北明哲 | ||||
批評 | 大衆像の終焉 | 高野幸雄 | ||||
批評 | 『ドラゴンボール』論 | 北明哲 | ||||
連載論考・エッセイ | 時評 | 偽文化基層論(3)基層をめぐる考察 | 添田馨 | |||
批評 | 不定性の廃墟−’92年ロサンゼルス暴動への一視点 | 宗近真一郎 | ||||
批評 | 樹陣倶楽部6−死について | 佐藤幹夫 | ||||
写真&エッセイ | ネパール点景 | 山田桂 | ||||
表紙写真 | ・ | ・ | 山田桂 | |||
カット | ・ | ・ | 佐藤真理 | |||
■ | 第11号1993・11 | |||||
[特集]教育/子ども 暴力/差別 | ・ | ・ | ・ | |||
SCENE1・差別について | 対談 | 竹田青嗣連続対談(3)差別をめぐって | 竹田青嗣・加藤典洋 | |||
SCENE2芹沢俊介の仕事に触れながら | エッセイ | 芹沢さんのこと | 神山睦美 | |||
批評 | 超自我のジャングル | 宗近真一郎 | ||||
批評 | 子ども・イノセンス・家族−芹沢俊介『現代<子ども>暴力論』を中心に | 北明哲 | ||||
批評 | 現代<子ども>絶望論 | 高野幸雄 | ||||
批評 | 遠くなる学校、還流する子ども−芹沢俊介の「イノセンス」(論)の文脈を介して | 岡田啓 | ||||
批評 | 教師から芹沢俊介氏へ(上) | 由紀草一 | ||||
SCENE3教育論の現在 | 講演 | 反管理教育論を超えて | 小浜逸郎 | |||
連載 | 時評 | 偽文化基層論(3)−偽文化をめぐる考察 | 添田馨 | |||
対話 | 長谷川宏連続対話(3)人はなぜ宗教を求めるのか−宗教ブームに寄せて | 長谷川宏・高野幸雄 | ||||
写真&エッセイ | 『北の記憶』より | 山田桂 | ||||
批評 | まれびと・ウルトラマン(5)−『帰ってきたウルトラマン』の時代(下) | 津島知明 | ||||
小説 | 酒に呑まれた話 | 十文字幹夫 | ||||
自著書評 | わたしのなかの異種、亀、トカゲ・・・ | 阿賀猥 | ||||
同 | 極上のワインを作るように | 谷かずえ | ||||
表紙写真 | ・ | ・ | 黒岩久雄 | |||
カット | ・ | ・ | 佐藤真理 | |||
■ | 第12号1994・9 | |||||
[特集]教育と子どもをめぐる論戦 | インタビュー | 芹沢俊介氏に聞く・・教育/イノセンス/権力 | 芹沢俊介(聞き手・添田馨・佐藤幹夫) | |||
シンポジウム | 『学校の現象学のために』を読む | 小浜逸郎・(司会)由紀草一ほか | ||||
講演 | 教師の哀しみはどこから来るのか | 諏訪哲二 | ||||
批評 | 子ども論をめぐる論戦についての一所見 | 高橋秀明 | ||||
批評 | 教師から芹沢俊介氏へ(下) | 由紀草一 | ||||
批評 | 現代<教師>絶望論 | 高野幸雄 | ||||
連載 | 対談 | 竹田青嗣連続対談(4)−批評ということ | 竹田青嗣・川村湊 | |||
時評 | 偽文化基層論(3)−偽文化をめぐる考察(2) | 添田馨 | ||||
写真&エッセイ | 道 そして人 | 山田桂 | ||||
自著書評 | 決意の人、自らを語る | 野沢啓 | ||||
樹陣エッセイ倶楽部 | 詩的エクリチュールの快楽(1)−詩的言語のゆくえ | 寺田操 | ||||
湯気のなかの活字たち | 川口晴美 | |||||
お尻から見た台湾−映画『戯夢人生』を見て | 阿賀猥 | |||||
大島弓子式感情教育(1) | 河津聖恵 | |||||
・ | 小説 | マジシャン | 十文字幹夫 | |||
・ | 批評 | 『ねじまき鳥クロニカル』または生活のゆくえ | 今村秀雄 | |||
表紙写真 | ・ | ・ | 黒岩久雄 | |||
■ | 第13号1995・5 | |||||
[特集]ビートたけしのいる風景 | 対話 | ビートたけしのいる風景−テレビと語りと震災と | 小浜逸郎・佐藤幹夫 | |||
エッセイ | 双生児−「たけし」と「軍団」について | 村瀬学 | ||||
批評 | ビートたけしの生還 | 米沢慧 | ||||
批評 | テレビ擁護論序説−ビートたけしを巡る記号論 | 横木徳久 | ||||
批評 | 社会時評もどき−いじめ、たけしなど | 由紀草一 | ||||
批評 | 「世界」が終わるとき | 高野幸雄 | ||||
批評 | いちばんの静けさ、という舞台−北野武「あの夏、いちばん静かな海。」について | 北明哲 | ||||
転載 | 世間の感触−非当事者の誠実とは | 加藤典洋 | ||||
連載 | 対談 | 竹田青嗣連続対談(5)−21世紀のニーチェ | 竹田青嗣・小坂修平 | |||
時評 | 偽文化基層論(5)−遺漏する権力1 | 添田馨 | ||||
批評 | まれびと・ウルトラマン(6)−『ウルトラマンA』、自殺者の道 | 津島知明 | ||||
自著書評 | ぎこちなさに向かって−『iritis』 | 河津聖恵 | ||||
詩 | 詩二篇「作品N・W」「作品M」 | 秋山基夫 | ||||
写真&エッセイ | モノの行方 | 山田桂 | ||||
樹陣エッセイ倶楽部 | 「陛下の匂い、平価の汚れ」−たけし映画雑感 | 阿賀猥 | ||||
大島弓子式感情教育(2)−ノスタルジー | 河津聖恵 | |||||
混沌を巡る視点−幻視力ノート(1) | 土川三郎 | |||||
詩的エクリチュールの快楽(2)−普通の奇跡がおこる場所 | 寺田操 | |||||
批評 | オウム真理教に関するノート | 北明哲 | ||||
日記 | ボロ酔い日記(’94・9〜’95・3) | |||||
表紙写真 | ・ | ・ | 黒岩久雄 | |||
■ | 第14号1996・3 | |||||
[特集]オウムという問い | 対話 | (第一部)宗教・身体・「超」能力、(第二部)吉本・小浜論争を中心に | 小浜逸郎・佐藤幹夫 | |||
批評 | 堕落変成論−実体形成した<偽文化>としてのオウム真理教 | 添田馨 | ||||
批評 | なぜいまそこに、レインボーマン | 津島知明 | ||||
批評 | ツトムとオウムと我らの時代 | ザイゴン | ||||
批評 | 確信という病−オウム真理教事件雑感 | 横木徳久 | ||||
批評 | 思想の原則とは何か−吉本隆明批判の陥穽 | 勢古浩爾 | ||||
批評 | 架空座談会 オウム・対立の構図 | 由紀草一 | ||||
批評 | マスコミと大衆表現の論理−小浜逸郎の吉本隆明批判をめぐって | 高橋秀明 | ||||
転載 | 連合赤軍の現代的主題 | 笠井潔 | ||||
転載 | 世間の感触−貧しい未来へ | 加藤典洋 | ||||
連載 | 対話 | 竹田青嗣連続対話(6)「終焉」の彼方に | 竹田青嗣・笠井潔 | |||
樹陣エッセイ倶楽部 | 詩的エクリチュールの快楽(3)−移動と転生 | 寺田操 | ||||
大島弓子式感情教育(3)−空白について | 河津聖恵 | |||||
迷い風 | 柚木葉子 | |||||
「バンダイスーパーミュージカル大草原の大小さな家」は反動的である | 高橋秀明 | |||||
詩 | この詩、ポアしてください | 東野正 | ||||
写真&エッセイ | 古代・妄想 | 山田桂 | ||||
日記 | ボロ酔い日記(’95・3〜’95・11) | |||||
表紙写真 | ・ | ・ | 黒岩久雄 | |||
カット | ・ | ・ | 加岳井広 | |||
■ | 第15号1996・9 | |||||
[特集]岐路に立つ現代思想 | インタビュー | 新しい思想の根拠と方法 | 竹田青嗣(聞き手・佐藤幹夫) | |||
インタビュー | オウムの土壌、オウム後の課題 | 宮崎哲弥(聞き手・佐藤幹夫) | ||||
批評 | オウム問題についての感想 | 瀬尾育生 | ||||
批評 | オウム言論遺恨集T・芹沢俊介 | 小浜逸郎 | ||||
批評 | 断章(1995〜1996) | 神山睦美 | ||||
批評 | 黄昏、迫る−<記憶>としての吉本隆明論 | 添田馨 | ||||
批評 | オウム評価の方法−松下昇氏のオウム評価からはじめて | 高橋秀明 | ||||
資料 | 陰謀史観の実際−パソコン上のオウム真理教 | 文責・佐藤幹夫 | ||||
資料 | オウム真理教関連文献(月刊雑誌’95・5〜’95・12) | 作成・佐藤幹夫 | ||||
連載・作品 | 詩 | ヴォイス・オフ | 寺田操 | |||
写真&エッセイ | 未来へ | 山田桂 | ||||
樹陣エッセイ倶楽部 | 大いなる未完 | 根石吉久 | ||||
闇のなかの女たち | 柚木葉子 | |||||
詩的エクリチュールの快楽(4)−二〇世紀を飾った言葉 | 寺田操 | |||||
自著書評 | 『二重予約の旅』の文体 | 秋山基夫 | ||||
『凍えた耳』−コンクリートの日々(遺稿) | 瀬沼孝彰 | |||||
・ | 日記 | ボロ酔い日記(’96・3〜’96・8) | ||||
新聞原稿転載 | オウムの深層に言葉は届くか | 北川透 | ||||
詩時評・書評 | 瀬尾育生 | |||||
書評 | 月村敏行 | |||||
文芸時評 | 川村湊 | |||||
書評・<在日コリアン>の戦後50年 | 竹田青嗣 | |||||
「成人」を留保された若者・書評 | 小浜逸郎 | |||||
書評 | 寺田操 | |||||
書評 | 神山睦美 | |||||
表紙写真 | ・ | ・ | 黒岩久雄 | |||
カット | ・ | ・ | 加岳井広 | ■ |
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