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気ままにボロ酔い雑記

●飢餓陣営35号のラインナップ。
●「皇室の名宝」展,観る
●「発達障害」と安易に言うな! という研究会へ
●千葉・東金事件の取材について
●瀬尾・稲川対談集『詩的間伐』(思潮社)のこと
●「編集者アタマ」と「物書きアタマ」
英一蝶展を観る

12月27日(日)
更新がすっかり滞ってしまいました。
連日続いた出張取材。隔週ペースの講演会。その合間を縫って連載原稿の執筆。3月脱稿をめざし、書き下ろしの原稿にも取り組み始めました。飢餓陣営も、ゲラ原稿の訂正など準備を進めなければなりません。お酒の会もたくさん入ってきます。…そんなわけで11月と12月は怒涛のように過ぎていきました。
ともあれ、執筆陣をお知らせできるところまでたどりつきましたのでご報告申し上げます。

●飢餓陣営35号のラインナップ。
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・橋爪大三郎のマルクス講義 (第1回)
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[シリーズ・人間学アカデミー]
・佐伯啓思・・・人間と貨幣(3)
・池田清彦・・・人間という生物の自由と不自由(3)
・菅野覚明・・・日本人にとって宗教心とは何か(3)
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[人間と発達を考える会から]
・西研・・・感覚・知覚の問題 ― フッサールの知覚論から
・滝川一廣・・・発達障害の人たちの感覚・知覚世界
・小林隆児・・・原初的知覚世界と関係発達の基盤
・内海新祐・・・自閉症論を読む(2)
・愛甲修子・・・現象学的発達障害論の試み(1)
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[連載]
・勢古浩爾「石原吉郎 補遺」(最終回)
・木村和史・・・家を建てる(1)
・倉田良成・・・日本の絵師たち(3)
・浦上慎二・・・古書会読(17)
・柏木大安・・・温暖化論争を解体する(2)
・唐沢大輔・・・萃点の思想、その可能性についてー南方熊楠(2)
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・中村武光・・・裂き烏賊のにおい(15首)
・松田有子(文)・くろいわひさお(写真)・・・東京ふらふら文学散歩(第3回)田端文士村編
・ボロ酔い日記(2009・4〜12)
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11月16日(月)
●「皇室の名宝」展,観る
10月30日(金)、急に思い立ち、仕事を放り出して「皇室の名宝」展を見に出かけました。第1期終了の期日が迫っている事情もありましたが、ボンッ、という感じで思い立ちました。狙いは当然、江戸の怪物・若冲。「動植綵絵」全30幅の鑑賞です。それにしても、えらくたて混んでいました(客は熟年の御夫婦が5、6割、若いカップルが3割ほど、と見受けました)。


さすがに最前列に陣取ることは控えましたが(立ち止まってしばし動かなくなるので)、それでも前から3、4列目くらいのところにドカンと立ち、たっぷりと拝見しました。わお。題材の選択、構図、色使い。「わお」の一言につきます。水墨画や絵巻物、大和絵の技法をしっかりと我が物にしながら、自由自在。既成の水準を悠々と踏み越えています。下世話な物言いですが、この絵師は化け物です。あんなふうにものが「見える」「見えてしまう」というのは、とても苦しいのではないか。凡人はそんな余計な心配をすることくらいしかできませんでした。酒井抱一や俵屋宗達、狩野永徳の作品もありましたのが、印象がすっかり薄らいでしまいました。久々に絵を見て、「自分のものにしたい」という欲望を、思い切り掻き立てられました。

「発達障害」と安易に言うな! という研究会へ
11月14日、「人間と発達を考える会」でご一緒している、児童精神科医の小林隆児先生にお誘いを受け、先生が会長をする乳幼児医学・心理学会に足を運んでみました。小倉清先生と鯨岡峻先生の講演があるということで、一度は御尊顔を拝見したいと思っていたお二人、誘われるままにいそいそと出かけた次第です。テーマは「アタッチメント・甘え・関係性」。乳幼児期の臨床では定番のテーマです。小倉先生は自由自在。闊達の達人、という言葉がぴったりの方でした。自在に思いつくまま、最近の出来事から話し始め、後半になってソシュールの「共時性」と「通時性」という概念でまとめようとしましたが、途中で時間切れになっってしまったのも、達人の達人たるゆえんでしょう。鯨岡先生は論客というオーラをビンビン発している方で、論理をきっちりと立て、レジュメに沿って、お話を進めていきました。

講演の後は、お三方によるクロストーク。最後の最後になって、「発達障害なんていう言葉を安易に使う風潮には疑問だ。人間はみんな発達障害じゃないか。完璧な発達に到達した人間なんて存在しますか」と小倉先生。「自分はまったく感性の人間で、難しいことは分からない。今度初めて「ICD−10」というやつを見てみたが、何が書いてあるかさっぱり分からなかった」とも。根っからの臨床家は分類・整理が自己目的の思考とは対極の思考法や感性を持ち、またそれを磨き上げていくものなのだなあと、まったく共感とともにお聞きしていました。

また鯨岡先生は「間主観性」をキーワードにしながら、「子どもは育ち・育てられる存在で、そのことで発達する。発達という観点をまったく取らず、あるいは取ることができず、因果関係だけでなんで切り取って原因論だけで発達障害を論じようとするのか。まったくその感性や思考法が僕には理解できない」と一刀両断。こちらも痛快なトークの炸裂でした。臨床をしっかりやっている人間には、単純な因果論(脳損傷説)で発達障害の人々は理解できないし、現場ではものの役に立たない、ということが自明なのでしょう。

それにしても、やはりこれくらいサービス精神を持って聴衆の前に立たないとだめなのだなあと、お二方のトークを聞きしながら反省した次第ですが、やはりこれは年季の賜物。精進あるのみですね。学会員の皆さんはまじめそうな人ばかり。当然、心理。教育、医学業界の方でしょうし、カタギの人ばかりなんだろうと思いますが、こんな「毒」のある話を聞いて大丈夫だったんだろうか、と少し余計なことも心配になりました。


10月30日(金)
千葉・東金事件の取材について
すでに報道されているように、千葉・東金事件の弁護団は、起訴事実に対して全面「無罪」の主張という弁護方針を明らかにしました。私もすでに「世界」4月号などで、本この事件が本当に「女児『殺人』事件だったのか」と問いかけているように、千葉地検は、きわめて脆弱な証拠しか示せていない、と感じてきました。ですから、驚きがあった反面(というのは、これまで弁護団は慎重でしたが、全面無罪ということは、誤認逮捕・冤罪の可能性も出てきます。大変な裁判になることが予想されるわけです)、やはりそうか、とも思いました。

そうなるとルポを書く側にしても、捜査当局が提出している起訴事実の徹底した「洗い出し」が重要になりますが、まだ公判前。この段階で私が入手できるのは新聞報道と、これまでの取材から得た弁護側の独自な調査による情報だけ。しかもそこには、公開するには時期尚早の情報が多く含まれます。事実認定に対する分析・感想は、公判でもっと情報を得てからのほうがよいと判断しました。同じように、どなたに取材し、どんな内容だったかも、これからじっくりと時機を見て公表していきたいと考えています。肩透かし気味のもったいぶった報告になりましたが、千葉・東金事件について、取材は続けていることをお知らせしたかった次第です。

ちなみに、いま私の中で最大の関心事となりつつあることは、公判前整理手続きについてです。新聞情報によると、完全に検察が主導し、その意図どおりに公判前の論点整理がなされていることが推測されます。そのことの重要性は大きい。公判のレールが検察によって敷かれてしまい、弁護団はそれを追随するしかなくなってしまう危惧をもつのです。「取調べの可視化」はもはや避けられない流れになっているように感じられますが、その見返りに、公判前手続きにおける権限強化を図ることはありうることです。この問題は、これから十分に検証していかなければならないと感じています。

瀬尾・稲川対談集『詩的間伐』のこと
話題を変えましょう。瀬尾育生さんよりいただいた『詩的間伐』(思潮社)という、稲川方人さんとの10年に及ぶ対談集を読了しました。正直に言うと、ここで取り上げられている詩集のほとんどを読んでいません。北川透さん、添田馨さんや倉田比羽子さん、河津聖恵さんなどにとどまります。しかしこの対談集は読み始めると止まらなくなり、結局2日ほどでいっきに読了することになりました。


何がこれほど面白かったのでしょうか。まず、お二人の顔合わせの新鮮さ、意外さがあります。10年前から対談は継続されてきたわけですから、いまさら驚くことでははないことかもしれません。しかしこの二人は、(あくまでも詩の外野にいる当方から見て、という限定つきですが)、直接言葉を闘わせることはないが、強い緊張関係を持って対峙しているというように映っていました。くり返しますが、あくまでも野次馬的感想です。しかし、おふたりの緊張感が、互いへの共感・同調とうまいぐあいに調合されて対話が進んでいるという印象をもちました。

二つ目は、優れた批評は、論じられている対象作品を読者が知らなくとも、十分にスリリングで、面白く読ませることができるという、「批評に内在する力」の問題です。おふたりとも当代きっての詩の読み手ですから、詩の解読のしかた、受け取った詩の言葉を、濾過して自分の批評の言葉へと変換させるその話法が優れていることは、当然ながら圧倒的です(批評の端くれにいるものとして、それくらいはキャッチできます)。しかしそこにはとどまらないのです。

お二人は当然ながら、その時どきの詩集を取り上げながら、詩について論じて(批評して)います。しかしそこから届いてくる内容は、詩にとどまるものではないと感じられます。文学作品という領域にもとどまらない。もっともっとひろく、それこそ思想にかかわることを、詩を論じ合っている二人の言葉から受け止めることができるのです。これは当然のことなのかもしれませんが、しかし近年ではめったにお目にかかることができなくなった事態を、久しぶりに体験できた次第です。

以上、概論的感想です。内容を紹介しようとすると一気にぼろを出すでしょうから、控えておきましょう。現代詩の世界にはとどまらないパワーを持つ対談集でした。


10月17日(土)
●「編集者アタマ」と「物書きアタマ」

ここに来て一気に「編集者アタマ」に切り替わり、今週は飢餓陣営の編集作業をずいぶんと進めました。さすがにここ2、3年、「編集者アタマ」よりも「物書きアタマ」の期間が長くつづき、切り替えるのに一苦労するようになっています。やっぱり私の主職業は「物書き」ですし、生活費を稼がなければならないし、時間的にも精神的にも労力的にも奪われる量が桁違いですから。

二つの「アタマ」がどう異なっているか。「編集者アタマ」のときには3LDKの仕事場で企画をうろうろと考え、校正用の原稿を作り、テープ起こし原稿を整理し、誌面全体のコンセプトをあれこれと思案します。それに飢餓陣営は「手作り」ですので(コンピュータでの作業がここまで進んだ昨今、決して自慢できることではないかもしれませんが)、最終的にはのりとはさみとカッターの世界です。細かな事務作業に疲れると、たまには気分転換のため、ボールペンを宙に浮かせて遊んだりしています―写真参照(笑)。

また一方で、あの方にはこんな企画はどうか、この方にはもっと面白い企画はないか。書いていただきたい方、話していただきたい方、これまでお付き合いいただいた方、未知の方、それぞれお顔とテーマをいろいろと思い巡らし続けます。時間があるときは、ほとんど一日いっぱい、起きている間中、メモ帳とボールペンを放さず、浮かんでくるアイデアをメモし、これではだめだと書いては消し、なにかヒントはないかと本や雑誌、古新聞をひっくり返しています。(新聞は大体半年分残してありますが、私は古新聞の整理が嫌いではありません)。


ところが「物書きアタマ」にはいると、これがぴたりと止み、ただただ自分の書く作品のことばかり考え続けるようになるのです。人間が我儘になるのも自分でよく分かります。ひたすら、とんがっていきます。

アタマの切り替えといえばもうひとつ、「物書きアタマ」にも、「文学アタマ」と「ジャーナリストアタマ」の2種類があり、どこに目が向くか、関心ごとは何か、まったく異なります。これもすぐには切り替わらなくなりました。(ちなみに「編集者アタマ」のときには、どちらにも対応できます)。

あまり詳しいことを書いてしまうと差し障りもあるでしょうし、企業秘密の部分もありますので(笑)、この辺にしましょう。飢餓陣営次号全体のアウトラインはほぼでき、ずいぶん作業が進みました、という御報告でした。次回の更新ではラインアップをお知らせできると思います。

こんな御時世ですので、とても1000円などという値段はつけられないのではないか。赤字覚悟で値下げを考えたほうがよいのではないか。赤字を出さないためには、売り部数を増やさないといけない。売り部数を増やすためには、面白い内容のもの、売れる内容のものにしなければならない。かえってやる気が出る。紙面が活気付く(のではないか)。――そんなこともつらつらと考えています。少しでも多くの方に手に取っていただきたい。

PS.
(ボールペンの件は冗談ですので念のため。冗談のつもりだったのに通じていなくて、おいおいまじかよ、と面食らうときがときたまありますので)。


10月9日(金) 英一蝶展を観る
板橋区立美術館に、英一蝶を見に出かけました。地下鉄三田線の西高島平駅から徒歩13分ほど、という案内でしたが、初めての場所でもあり、時間も押していたので高島平の駅からタクシーを飛ばしました。


展覧会の存在は、『芸術新潮』10月号の記事で知りました。「伝説の画家英一蝶の快進撃」という文章を、板橋区立美術館長の安村敏信氏が執筆しています。期日が10月12日までと、まもなく終わり。危うく見逃すところでした(このところとみに出不精になっていて、アンテナの感度もすこぶる鈍くなっています。新型インフルのせいにしたりして、たいへんによろしくない)。ともあれ英一蝶ははじめて実物を目にする絵師で、さあどんなものか、お手並み拝見という感じでした。

当たりでした。見るものを楽しませてくれる絵です。絵師御本人はひと癖もふた癖もある人だったようで、幕府の怒りを買って三宅島に島流しにあったりしています。ところが将軍代替の大赦によって御赦免となり、江戸に舞い戻り、それまでの多賀朝湖という名を捨て、英一蝶と改名するのが1709(宝永6)年。絵師、58歳の年です。それから73歳の没年まで「快進撃」が始まるというわけです。

安村氏のエッセイのタイトルの頭にも、「祝御赦免300年」とありますが、この美術館長さんもなかなかユーモアのある方のようで、展覧の演出・解説がよかったのかもしれません。ユーモア、諧謔、風刺あふれる絵がさらに引き立ち、何度か吹き出しそうになったり、ニヤニヤしたりしながらの展観でした。「達磨図」では、達磨さんがにらみすぎ、目力で壁に穴を開けてしまった、などと解説してくれているのですから。

ただし御本人はどうか。弟子の手になる肖像画を見ると、不機嫌そうな面立ちです。解説図録には「容貌魁偉」とあります。吉原では幇間もやっていたといいますが、なかなかどうして。人を楽しませたり、愉快にさせてくれる人というのは難しそうです。隙を見せたとたんに、バサリと斬られそうです。