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ボロ酔い雑記4

6/14(月)・・・6月前半の備忘録
5/31(月)・・・(1)5月の備忘録。(2)東京新聞「BOOKナビ」(4月18日掲載)より
4/24(土)・・・東京新聞「BOOKナビ」(4月18日掲載)より
4/1(木)・・・ 次のプロジェクトに向けて


6月14日(月)
●6月前半の備忘録
(6/5)
東京・台東区浅草病院に本田徹医師を訪ね、お話を伺う。本田医師は現在、NPO法人SHARE=国際保健協力市民の会の代表を務めており、タイ、カンボジア、東ティモール、南アフリカなどの地域に医師として赴き、保健活動をしている(その他にも看護師、助産師などの人々が参加している)。本田医師とは、ふるさとの会で御一緒する機会を得ていたが、目下執筆中のケア論の最終章に御登場いただけないものかと考え、足を運んだ次第。「ケア、医療、看取り」がテーマのこの本を、最後にまったく異なる視点から相対化したいというのが、こちらの目論見だった。/本田医師は海外での活動ばかりではなく、浅草の無料診療所でのボランティアなど、多彩でユニークな活動歴をお持ちだった。長野の佐久中央病院で若月医師に招かれ、地域医療に専心した時期もあったということを今回はじめてうかがった。/浅草の日本堤、竜泉界隈、ちょうどこの日が祭りの宵宮。インタビュー終了後、神輿の練りに出会い、少しだけだったが追いかけてみた。/(右側の著書は、シェアが監訳した「家庭の医学」の国際版ともいうべき手引書で、サブタイトル「村のヘルスケア手引書」通り。)



(6/9)岩波現代文庫版『17歳の自閉症裁判』、「あとがき」のゲラ校を仕上げて送付する。もう少し粘りたかったが、時間切れとなる。/書き進めてきたケア論、最終章と4章のラスト部分を少し残すのみ。全体の構成がやっと最終決定し、この本で登場していただく先生方に掲載の許可を得る。いよいよ最終段階に入ったという感を強くする。/西研さんより、『超解読! はじめてのヘーゲル「精現象学」』(講談社現代新書・竹田青嗣さんとの共著)をいただく。ちょうどマルクスの『経済学・哲学草稿』所収の「ヘーゲル弁証法と哲学一般との批判」を読んでいたところだった。/『世界』7月号、落手。「ドキュメント千葉・東金事件」の3回目を掲載させてもらう。タイトルは「知的ハンディキャップと『虚偽自白』の問題」。


(6/10・11)小樽市の高齢者懇談会へ取材に。内容は後見人活動について。詳しい内容は原稿を書き上げるまで控えさせていただくが、新たな発見があった。責任者の方と、理論的バックボーンとなっている元家裁調査官の方のお話を伺いながら、なるほど、という感じだった。ちなみに成年後見人制度とは、意思疎通のできなくなった人に代わり、財産の管理、身体の安全を第三者が申し立てをし、保護する制度。/帰宅すると講演依頼が二つ入っている。8月は原稿執筆が4本入っていることもあり、一つはお断りをさせてもらう。/「飢餓陣営」の常連執筆者である宗近真一郎氏より、久々の単行本『ポ/エコノミカエティカ』(白地社)が届いている。


5月31日(月)
●5月の備忘録
(5/1)この春に退職されたT先生を囲み、柏にて慰労会。我孫子時代の昔なつかしいメンバー11名がそろう。
(5/7)ふるさとの会「支援つき住宅」事業の研究報告会。制度的対応ではカバーできない生活支援への対応を課題とした報告が印象に残る。終了後、T先生、Mさんらと懇親会。
(5/8)人間と発達を考える会。話題は飢餓陣営35号掲載、「発達障害と感覚・知覚の世界」の御3方の講演原稿について。なかなか面白い話し合いになった(飢餓陣営次号掲載の方向で進めている)。次は「かりいほ」の研究事業報告書を話題として7月に開催予定。
(5/11)「特別支援教育研究」誌より、10日に送った原稿のゲラ校が送付される。内容は発達障害と刑事裁判についての2回目。
(5/15)14時よりふるさとの会のMさんへ、対人援助論についてヒアリング。終了後、16時より、更生保護法人「同歩会」の理事会と評議委員会の同時開催。
(5/17)東京新聞と「健康保険」の締切り日。締切日がぶつかり、かなり綱渡り状態だったが、何とか送付す。
(5/18)7月に岩波現代文庫に入る『17歳の自閉症裁判―寝屋川事件の遺したもの』,ゲラ校正を終え、この日送付する。


(5/19)立石駅にてNさんと13時半に集合し、居酒屋界では名店の誉れ高い「うちだ」へ(写真下右が看板)。30分ほど並んだが、結局入ることができなかった(写真上右)。それならと、教えてもらっていた「さくらんぼ」へ(写真上左)。山形・鶴岡出身のおばちゃんがやっている店だった。飲んでいると、常連さんがやってくる。立石のノンベさんたちは、いいたたずまいをしているなあと感じた。もう一度「うちだ」へもどろると、今度は空席ができていて、入ることができた。なるほど。さすがにもつ焼きはうまい。この店は焼酎の杯数に制限があり、おしまいになったので仕方なく退場し、三ツ木へ移動。次なる名店へ(名前を失念)。夜の11時過ぎまで、結局、10時間ほども飲み続けたことになる。
(5/20)さすがに昼過ぎまで起き上がれなかったが、必死の思いで『健康保険』のゲラの校正を仕上げて送る。


(5/23)15時から17時まで、ふるさとの会にて緩和ケアチームの発足会。わたくしもいつの間にかチームのオブザーバーに。帰宅すると病気療養中だったMさんよりメールがあり、次のショートピースの会へ出かけるが一緒にどうかというお誘い。それなら御一緒させてください、と二つ返事でお返しをする(テキストは小浜逸郎さんの『子供問題』と『大人問題』いずれもポット出版)。

(5/24)『文蔵』最終回原稿、送付する。タイトルは「発達障害について、再説」。ちょっと面白いアイデアをつかんだ。乞う御期待(というほどでもないか)。勢古浩爾さんより御高著『ビジネス書大バカ辞典』(三五館)いただき、大忙しのなかだったがあっという間に読了してしまう。よくぞここまで過激なことを、と思ったり、著者の身を案じたり。

(5/25)岩波現代文庫の「あとがき」を描き始める。
(5/26)『健康保険』の原稿ゲラ2稿目、届く。
(5/27)朝日新聞長崎総局の記者より、「知的障害があり、責任能力が争点になっている裁判」についての取材あり。検察、弁護人双方の冒頭陳述書が、驚くほど分かりやすい文章になっていた。午後、ふるさとの会にてケア会議。この日もきわめて深刻なケースが話題に。

(5/28)『文蔵』ゲラ稿届く。
(5/30)現代文庫の「あとがき」を仕上げてしまおうと思ったが、かなわず。15時30分、小岩駅にてYさんと待ち合わせ、四谷の読書会へ。Yさん、思ったよりもぜんぜん元気で、本当によかったよかった。この日のぴーすの会は久しぶりにオールキャストになった。
(5/31)「あとがき」、何とか仕上げて国立精神・神経センターのT先生へ確認のファックスを入れ、その後原稿を送付す。10日ほど後、ゲラが上がるとのこと(初刷りの部数と定価、教えてもらったのだろうが、失念してしまった)。夜、朝日新聞長崎総局のH記者より電話あり。判決と裁判員の感想に対するコメントを求められる。終了後、『文蔵』のゲラ稿をファックスにて送る。

明日よりケア論の2稿目、マキを入れて進めなければならない。


●東京新聞『BOOKナビ」(5月23日掲載)より

BOOKナビ(12)
 なぜこの時期に、こんな見事なタイミングでこの本に出会うのか、と思うときがある。昔、「特殊教育」の場に職を得てほどなく、自分にはここで仕事をする資格も資質もないのではないかと思い始めた。偶然に村瀬学氏の『初期心的現象の世界』を手にし、「知恵遅れ」の子どもたちの世界が、思想という普遍の場でダイナミックに記述されていて、まずはこの本を読み込んでからだと思ううちに、仕事にも本にも深入りしていた。

 村瀬学『「あなた」の哲学』(講談社現代新書・七七七円)。氏はこれまで、西洋哲学が主題化せずに(できずに)きたテーマを、豊かな着想で取り上げてきた思想家である。前述した本の主題は、西洋知性が考察の対象とはしなかった「知の遅れ」であり、本書は「他者」論ではなく「あなた」論である。

 なぜ「あなた」なのか。著者は「あなた」を特定の二人称ではなく、「いのちの流れ」や、「個」をつなぎ、「個」を生み出してきたものだと概念づける。ひとは「三世代存在」として生きている、そのことは世話をするとかケアという行為を自ずと含む。「自己―他者」ではなく、つながりとしての「あなた―わたし―あなた」。著者らしい卓抜な着想である。

 川口有美子『逝かない身体』(医学書院・二一〇〇円)。こちらはALS(筋萎縮性側策硬化症)の母親のケアを一二年間続け、看取るまでの日々を綴った著書である。私事になるが私もケアと看取りについての著書を執筆中で、脱稿間際に本書を手にした。なぜこのタイミングで、と思いつつ手元から離せなくなり、読み終えた時には世界が一変していた。

 それにしても、瞼も眼球も動かせなくなった母親との間で交わされる濃密な情動の交流。「死より過酷な生との折り合い」という言葉が出てくるが、病状の進行とともに、行間からは母親の思いが噎せかえるように立ち上がってくる。ケアを受けているのは「母」である以上に、まさに大いなる存在としての「あなた」である。ぜひとも多くの人に一読していただきたい著作であると感じた。


4月24日(土)
●東京新聞『BOOKナビ」(4月18日掲載)より

BOOKナビ(11)
 二月某日、ある新聞に「無人島落札 一億一万」という記事を見つけた。競売にかけられたのは瀬戸内海に浮かぶ三ツ子島、売り手は中国財務局、競り落としたのは「法人」とあったが、どんな活動をし、なんの目的で入手したかは記載されていなかった。その後、日本の法人が落札したことが判明したが、対馬に韓国資本が大量に流れ込んで危惧されていることは知っていたから、この落札も海外ファンド絡みなのではないかと思った。要衝、広島県呉港の眼と鼻の先である。

 いま、リゾート地、離島、山林、牧場などの日本の土地が、海外資本によって次々と買われているという。平野秀樹・安田喜憲共著『奪われる日本の森』(新潮社・一四七〇円)は、その事実に強い警鐘を鳴らす。木材だけではなく山ごとほしいと求めてくるケースもあり、狙いは地下の水資源ではないか、と著者は危惧する。

 土地を入手してしまえば、将来、環境汚染や地盤沈下などの深刻なトラブルが生じても、後の祭り。私有権者は日本の法によってしっかりと守られているから、簡単には回収できない。

 やみくもな排除ではなく、法整備などのルール作りを急ぐこと。私たち国民が山林の公益性を再確認すること。公平な経済的便益性を確保すること。こうした著者の主張に、緊急対策の必要性を痛感する。

 同様の警鐘を、茅野信行著『食糧格差社会』(ビジネス社・一六八〇円)も鳴らしている。農林省は自給率の低さを食糧危機に直結させ、生産者保護の名目で介入しているが、それが農業の体力を奪う最大の原因ではないか。要点は、輸入戦略(外交交渉力)あっての食糧安全保障であり、国内農業はグローバルな競争に勝つためにも、明確なビジネススキームを持つ必要がある。その具体的な方策が、本書の見所の一つ。

 地方自治体はいずれ海外のファンドを相手に、国際的な場で闘う事態になるのかもしれない。準備は大丈夫なのだろうか。


4月1日(木)
●次のプロジェクトに向けて
この間、少し更新が滞っていましたが、30日、ケア論第1稿を何とか書き上げ、編集者に送りました。全体の構成ができ、最後のまとめを書きはじめたころから(例えて言えば4コーナーを回ってから)、気分的にかなりキツくなり、「早く終えてしまいたい!」という気持ちと格闘しながらの執筆でした(ここで手抜きをすると、やはりよろしくないのです)。これからがまな板の上の鯉。編集のYさんより色々と意見をいただくことになりますが、でも、こちらとしても編集者の力を借りながら、ここからどう変化し発展していくのか、楽しみでもあります。

というわけで、年が明けて以降、ずっと進めてきた単行本の執筆、「人間と発達を考える会」での講演会(とその準備)、飢餓陣営の発行(編集作業と発送などもろもろ)、という仕事が無事に終了した次第です(単行本の方はさらに作業が本格化していきますが、ひとまず)。これからは次のプロジェクトへ向けて始動です。飢餓陣営次号のテーマとラインアップをとりあえず決定し、次の単行本の用意(すでにテーマは決まっていて、締め切りも5月いっぱいと定められています)、「発達を考える会」でも9月ごろに講演会をやろうか、とまたまた企画を練っていますので、その準備もぼちぼち、というところです。

忙中閑あり。19日(金)長谷川等伯展を鑑賞しに、東京国立博物館へ。なんと一時間待ち。博物館に入場するのに生まれて初めて、1時間もかけて行列を作るという体験をしました。でもその甲斐は十分にありました。「松林図屏風」だけの人ではなかった。真っ先にそう思いました(この作品は日本水墨画の最高傑作といわれるのですが。下右写真はその部分)。全作品を見ていると、永徳を中心とした狩野派のいる京へ乗り込んでいったあと、永徳何するものぞと自分を鍛え上げていこうとする気迫が、びしっと迫ってきました。永徳とは対照的な絵師で、今回はじめてそのことを知りました。


最初の七尾時代は仏画から始まります。そして僧や武士の肖像画を描き、永徳ばりの構図と色彩を持つ金碧画に手を染め、抽象画のような構図に行き着き、やがてオーソドックスな水墨画へといたります(本場の作品をそうとうに模写して勉強していたのではないか・・・と思っていたら『芸術新潮』3月号で、京都国博の山本英男さんと東京国博の松嶋雅人さんが、しっかりと解説してくれていました。ここではじめて知ったのですが、「松林図屏風」は何かの下絵として描かれたのではなかったか、という説があるとか。下絵でもあれだけすごいと、もはやいうことはないでしょう・・・)。どんどん画風を変え、ときに戻り、また一気に変え、さらに変え、ということを生涯繰り返した人だ、ということがよく分かりました。こぎれいに小さくまとまるということがない。能登七尾の生まれだといいますが、なんと富山にもゆかりの寺があるとのこと。

21日は清水眞砂子さんをお招きしての講演会。
昨年同様、今年も山手線が人身事故のために止まってしまいました。おそらくお客さんの入りにも影響があったはず。2年連続の電車ストップとは、まったくどういう巡り合わせなのでしょうか。しかし会の方は清水先生の渾身の直球で始まり、各先生方のまっすぐに受け止めたシンポジウム、白熱した議論となり、やがて会場の方たちも意見を交え、さまざまな話題が出されました。清水さん、ありがとうございました。そしてお来しくださった方がた、会のメンバーの皆さん、ありがとうございました。