由紀草一『団塊の世代とは何だったのか』 (帯) なぜ団塊の世代は嫌われるのか? 後続世代からの批判は正当なのか? 何か創出した世代か、尻馬に乗っただけの世代か、それが問題だ。 (表2) 嫌われ続ける団塊の世代、その根拠の正否を問う! 過剰意味づけ、うるさい、自分の主張を押しつける、せっかち、 リーダーシップなし、責任をとらない、被害者意識ばかり、… いまや団塊世代をバッシングする言葉は何らの緊張感なしに垂れ流されている。 しかし、誰にそう言い切る資格があるのか? 純粋戦後世代第一号たるこの世代を論じることは、とりもなおさず この国の戦後が無意識に追及してきたものを論じることに他ならない。 好悪の感情ではなく、自分を論じるようにこの世代を論じ切ることは、 じつに戦後を、身勝手に正当化するだけのろくでもない代物にするか 生きる根拠とするか、の分かれ目である。 <目次> 序章 団塊世代の真後ろで―私の立場 どこまでが団塊か 「世代論」のくだらなさ あなたにとっての団塊の世代とは 後の世代に生まれて 生き延びるために逃げる「私」 戦後的「私」の誕生 第一章 幼くして民主主義教育を受ける わかりやすい二極分化 父アメリカと子どもたち 永遠の息子の父になるのは難しい 男らしさは彷徨う 民主主義教育が模索される 学級反省会の始まり 内面が革命される 教師たちは戦った 学校は黄金時代を迎える 金八先生、ワシントンを恨む 裏のメッセージも伝わる 子どもたちは市場となる 後の連続射殺魔、テレビを使った意地悪をされる 第二章 学生として乱を起こす 全共闘登場 多すぎる大学生と社会の矛盾 「何もしないことは戦争を許すことだ」 ベトナム反戦運動の「後先」 日大全共闘の闘い 学校神話をめぐる争い 敵方の「憎むべき」死 「自己否定」の論理と心理 全共闘の終わり、赤軍派の登場 革命的自己は正当化される 共産主義化、しからずんば死 革命的自己は現実を喪失する 「全共闘記」の厳しさ 『全共闘白書』の能天気 第三章 若者として歌う 祭りのあとの風景 情報は深夜に発信される 笑いが深夜に発信される こだわるべきことなど何もないことにこだわるな フォークの中心が交代した 拓郎は明るく主張し、陽水は軽く沈む 七三年譜 表層は挑発する モノも軽くなる リーダーは去る ヒーローも去る 男同士のエロスはマンガを美しくする 「あしたのジョー」に対する全共闘的誤解 リーダーの造形にも失敗する 同棲して女に甘える 第四章 サラリーマンとして惑う 島耕作、地雷女を踏む 自分最優先の人生 派閥に属するにしてはあまりに傲慢 元全共闘、敗れる 豊かさの後にくるもの 「島耕作」の致命的なご都合主義 普通のサラリーマン柏木誠治 家を去り親を去る 老後の同居問題 男の子は何も言わない 女の子はおしゃれをする 会社人間の誕生 アトム化の後で 団塊の世代は何も始めなかった 終章 日暮れて道はなく、課題はある もうすぐ本当に一人になる 「戦後」に本当に向き合おう <あとがき> 一九八一年のある夜、私はたまたまテレビで「11PM」を見ていた。井筒和幸監督が「ガキ帝国」を撮った年で、彼と主演の島田紳助がゲストだった。他に、前年「なんとなく、クリスタル」で『文藝』新人賞を受賞して華々しくデビューしていた田中康夫がフィルム出演して、「僕たちは上の世代の人とも仲良くやっていきたいのね」云々と言っていた。スタジオの井筒はまず横を向き、それから「もうアカン」と後を向いてしまった。島田は真面目に、「こんな奴例外ですわ。普通の若者はもっと一所懸命生きてますよ」と言った。 こういうのが現在の「世代間対立」の発祥だったかと思う。もっとも、年齢が明確な分水嶺だったわけではない。井筒は一九五二年生まれで団塊の世代というにしては少し遅いし、田中と島田は同じ一九五六年生まれである。七〇年代が終わって間もないこの頃、若者像は若者の間でこそ混乱していた。なんであれ、「現状肯定」は恥だとする者と、そんなこだわりはおよそ馬鹿げているという者とが、同じ年代で入り交じっていたのである。 これに大きな意味があったかと聞かれるなら、普通に言えば、ない。それは、この三人が現在どうなっているか考えればわかる。反体制でも非体制でも、若者の属性、もっと言えばファッションに過ぎない。それだけは明らかになった。 しかし、こういう対立は、食い物の恨み程度にはオソロシイ場合がある。闘いは、攻守を替えて、今も継続している。田中は、井筒たちにというより、もっと年上の連中からこの頃さんざん「だらしない」と罵られたからだろう、「団塊の世代は地上から消えてもらってけっこう」などとよく口にする。彼ばかりではない。序章の最初に少しふれたように、この十年ばかりの間に時々出た、「団塊の世代」の名を冠した雑誌の特集やら単行本は、たいてい悪口のオンパレードである。 田中以外にもいじめられた人はたくさんいたのかとも思うが、そういうことより、目玉は団塊の世代が持つ自意識なのだろう。軽薄と言えば、戦後生まれの世代はずっと軽薄である。ただ、この第一世代、及びもっと若くても彼らに近い心性の者たちには、この期に及んでも、軽薄であることに対して「これでいいのか」と自問するような妙なところが往々にしてみられる。これがとても鬱陶しく感じられる。それに第一、自意識の強い者は自分がどう言われているかとても気にするのが常だから、悪口ではあってもこういう雑誌や本を読むだろう。つまり、鬱憤を晴らせるうえに、そこそこ商売になりそうである。それ以上の意味がこの「対立」にあるのかと聞かれるなら、これまた、特にないだろう。 本書は洋泉社の小川哲生氏の慫慂によって着手したものである。団塊の世代の一人である同氏は、最近この世代が何かと悪口を言われるのを気にしていたらしい。主な批判者は新人類世代(だいたい四〇代前半)であるとのこと。前述したようなわけで、年齢によってきっちり分けられるものではないが、代表的なのはそうなのだろう。私はこの二つの世代の中間にいるので、両方の気持ちがわかるだろう、というお話だった(偶然にも、井筒と田中・島田とのちょうど中間ではある)。 さてしかしそう言われても、私にはどちらの世代に関しても、特に思い入れはない。人と接するときも、社会や時代を考えるときも、世代という要素はこれまであまり意識してこなかった。申し訳ない話だが、小川氏のご期待に正面から応えられるはずはなかった。ただ、現代史・戦後史にはいささか興味がある。団塊の世代とは戦後生まれ第一世代である。彼らの歩みを辿ることで、この時代の一断面を描くことはできるかも知れない。そう考えて、安請け合いしてしまったのが、もう二年前になる。 書き始める前にいろいろ考えたが、他人事ならつまらなくて書く気がしない。自分の直接の見聞だけでは、狭すぎて、書けない。というようなところでさんざん迷い、「民主主義教育」やら「全共闘」やら、キーワードについて少し調べて、記憶に残っていることや、現在の意識にひっかかるものを中心にして記述していくことにしたのが昨年末ぐらい。 それから半年ちょっとかけて完成した本書は、読み返すと改めてびっくりするくらい私自身を語ったものになっている。いわば他人の顔をモデルにして自画像を描いたようなものだ。なんだか気恥ずかしい、なんて言っているのも図々しい話で、勝手にモデルにされて私のタッチで描かれることになった団塊の世代の人々こそ、迷惑に思うだろう。 ただ言い訳をするつもりはないが、というか言い訳にもならないが、先にあげた二つの世代のうちでは、私はどちらかというと先行世代のほうに親近感を持つようになった。変な自意識は鬱陶しいというのはほぼ同感だし、それを持ってない奴はダメだ、などと説教したりするなら、はっきり有害である。しかし、これがすっぽり消えてしまったようなのは、やっぱり淋しいし、何か足りないような気がする。 あともう少し自分勝手な感想を述べる。本書を書いてよかったことは、学生運動をうらやましく思う気持ちが消えたことである。ごく若いうちには、もう少し早く生まれて、熱気渦巻くキャンパスに身を置きたかった、と思ったこともあった。今は、そんなところへ行かないで本当によかったと思う。空騒ぎに感染して、我が人生の恥の上塗りをしないですんだのだから。 残念なことは、当初は女性問題についても書くつもりだったのに、結局勉強不足で、手つかずになってしまったこと。フェミニズムはこの年代から始まるが、私は彼女たちと一致するところは少ない。一九七〇年代からこっち、女性は「自由」という名で何を手に入れ、何を失ったのか、それを語るにはもっとしなやかな言葉が必要であろうと思う。将来私にそんな言葉が吐けるものかどうか、心もとないが、一応気にかけてはいきたい。 これでもう私のほうから申し上げることはない。あとは読んで下さった皆様にこの拙い作品を委ねます。鬱憤晴らしの商品以上の何かをこの本の中に見つけてもらえたら、著者としてこの上ない喜びです。 尚、巻末の文献目録からは雑誌記事と政府刊行文書は除いてある。また、ここに挙げた書物以外にも、各種の記録や年表、人名録やインターネットのホームページを参考にした。学生運動については、当事者だった何人かから直接お話をうかがうことができた(ほとんど例外なく名前を出すことはやめてくれとおっしゃったのは印象的だった)。この場を借りてお礼申し上げます。その上で、誤りがあれば、きっとあるだろうが、それは当然すべて私の責任である。諸賢のご叱正をお願いしたい。 二〇〇三(平成十五)年九月一日 由紀草一 トップページに戻る |