取材雑記帖  トップページへ

●(9月20日記)
札幌取材行
(9・2)
上野発16:50発寝台特急札幌行き「北斗星」にて浅草事件取材のため札幌へ。この列車は事件の被告Yが「家出」のさい使用したことがあるとのこと。ならば同じ行路で、と。車中眠れず、青函線を通って函館あたりまで起きている。

(9・3)
札幌着9:18。山元さんに札幌まで迎えにきてもらい、そのまま昼までインタビュー。昼、Y被告の弟さんと会い、会食しながら取材。被害者の悲しみや苦しみが終わりのないものであるのと同様、加害者の家族もまた、尽きない苦しみのなかにいると知らされる。終了後、「共生舎」へ。共生舎は障害者の自立支援のサポートグループ。リーダーが「Iさん」というとてつもない「ツワモノ」。60歳を過ぎているとはとても思えない迫力。じつは浅草事件の公判廷でずっと同席していた。顔は存じ上げていたが、最後までとくにどちらからも名乗り出ることはなく(二人ともそういう愛想のいいキャラではない‐笑‐)、お互いに「誰だろう、この怪しいジイさんは・・・」(佐藤)、「なんだ、この目つきの悪いオヤジは・・」(Iさん)と思っていた次第。ときにこういう出会いがある。共生舎にて2時間以上、札幌の福祉事情、Y家の家族事情などのお話を伺う。このIさんと共生舎スタッフが浅草事件でもうひとつ大きな役割を果たしていたと知る。

(9・4)
山元さんに札幌市内、Yの住んでいた家、アパート、通っていた小学校中学校養護学校、そして務め先など案内してもらう。その後再び山元さんにインタビュー。現場には足を運ぶものだとあらためて痛感。

(9・5)
予定を変更し、朝Iさんへ電話を入れ、急遽小樽へ。共生舎はじめ札幌小樽を中心とした支援スタッフによる「音楽祭り」が小樽築港駅そばの公園で開催。そこへ行き取材。再びIさんと。そればかりか、Iさんが紹介の労をとってくれ、Y被告の父親。妹M子さんと最後の時間を過ごした共生舎のスタッフ、福祉活動の中心メンバーの一人に取材。おかげでこの事件が大変な奥行きを持ち、立体的になることができた取材となった。取材などというよりも、もっと深い、新たな人間関係を得ることができたという感謝が大きい。目の前の「石原裕次郎記念館」にも観光スポット小樽運河にも見向きもせず、16:00に札幌駅に戻り、札幌発17:19の「北斗星」へ。
(9・6)
山元さんのお話のテープ起こしの作業開始。


●「所沢事件」と呼ばれる児童連続暴行事件より
裁判傍聴記
2004年5月12日 さいたま地方裁判所川越支部にて

●公判の前に

「お父さんとお母さんとおなじ家に住めるといいね。○○ちゃんと○○ちゃんと、引越し済んだらお迎えくるといいね。お父さんとお母さんと・・・。」
 これが、裁判所事務官に伴われて法廷に現われたNAさんの第一声でした。
傍聴人は息をのんで、第二回目の公判が始まるのを待ち構えています。NAさんは入廷するやお母さんのそばに歩み寄り、顔を寄せ、そう言いました。そして着席ののちも、振り返っては同じセリフをくり返します。
 NAさんは35歳。所沢市のある施設作業所に勤める青年で、その顔は、年齢よりもあどけなさを残しています。彼は、知的な遅れをともなう典型的なカナー型の自閉症です。(うまく表記できませんが、先の「一言」も、自閉症の人たちに固有のイントネーションで読んでください。以下も同じです)。とてもやさしい声です。表情は穏やか。久しぶりにお母さんに会えたからなのか、むしろにこやかと言ってもいいくらいです。
そして弁護人と、つぎのようなやり取りがありました。(以下の「尋問」は、筆者のメモによるもので、完全な再現ではないことをお断りしておきます)。本来ならNAさんを「被告人」と表記すべきところでしょうが――「浅草事件」について書くときには筆者なりの意図があり、著書のなかでは「Y被告」と記してきました――しかしここではとてもそんな気にはなりません。

S弁護人「Aくん、元気ですか」
Aさん「元気」
S弁護人「きょうはしっかりやろうね」
Aさん「しっかりやろうね」
S弁護人「がんばるとごほうびがあるよ」。
(Aさんがまた振り返り、傍聴席をひとわたり眺めました。)
S弁護人「はい、Aくん、(指差しながら)じっとして前を向いていようね」
そして裁判長が入廷します。
裁判長「集中力が長く続かないようですので、途中で何度か休憩を入れてください」
(聞けば、前回の公判では我慢が限界を超え、中断してしまったとか。)

NAさんはいま、ある刑事事件の「被告人」の身となって被告人席に座っているのですが、彼に与えられた罪状名は「単純暴行」容疑。
間違いでもなんでもなく、ここは川越市にある、さいたま地方裁判所の法廷の一室です。右側には二人の弁護人が座り、左側には若い検察官が緊張した面持ちで書類を睨んでいるし、正面には裁判官が三人、真剣な目で彼を見やっています。
くり返しますが、ここはまがうかたなく、泣く子も黙る裁判所です。厳粛な上にも厳粛な司法の場、法廷です。その厳粛な「被告人席」に、私たちが養護学校や福祉作業所でよくお目にかかる自閉症の青年が座っています。そしてこれから第二回目の公判が始まろうとしている。・・・
いったい誰が裁かれようとしているのでしょうか。NAさん? それなら彼を裁こうとしているのは誰なのでしょうか。裁判官? 国家? 何のために裁かれなくてはならないのでしょうか。連続暴行容疑?・・・。おかしな話です。しかし、まちがいなく彼は逮捕され、身柄拘束とともに取調べを受け、調書を取られ、送検され、改めて取調べを受け、起訴され、そして単純暴行罪の「被告人」の身となって、その席に座っているのです。

●どんなふうに「報道」されたのか
NAさんの「逮捕」の報道を最初に目にしたのは、2004年2月23日の、夜7時のNHKニュースでした。夕食のさなか、「所沢市と入間市で起きている連続暴行事件の容疑者が逮捕された」と話す声が、たまたま飛び込んできたのです。
事件の概要についての情報は筆者にも入っていましたから、メモを取りながら、少し注意してニュースを見てみることにしました。するとそのあとも、確認できただけでも夜9時45分の首都圏ニュース。10時の「ニュース10」。翌24日も、朝7時からの全国ニュースと、つづく7時30分からの首都圏ニュースでも報じられました。
 「福祉施設作業員」であること、「作業が嫌でむしゃくしゃしてやった」こと、「8件中6件を自供した」ことなどが報じられた内容です。名前は伏されていましたが、作業所名と、その映像、事件の現場である公園の映像なども流されました。これがNHKニュースの報道でした(民法各社は確認しませんでした)。
こちらが注意を向けていたからかも知れませんが、夜、そして翌朝と立て続けに、という印象でした。こうしてくり返されることで、全国津々浦々に伝えられてゆくのかと思うと、報道のもつ威力の恐ろしさを感じざるを得ませんでした。

新聞はどうだったでしょうか。
まず朝日新聞の2月24日朝刊。ベタ記事ですが、社会面の左隅にしっかりと、「児童連続暴行容疑の男逮捕 埼玉・所沢」の見出しとともに23行の記事が掲載されています。
内容は(全文をあげる余裕はありませんが)、「埼玉県所沢市で、自転車の男に小学生が連続して殴られた事件で、県警は23日、同市内に住む施設作業員(35)を暴行容疑で逮捕した。」と始まります。
 以下「捜査1課と所沢署の調べでは」・・・「1月28日午後4時半ごろ・・・公園で小学4年男児(9)に自転車で近づき、右拳で頭を殴った疑い。その前後約5分の間に、半径200bの範囲内で、3人の児童が殴られており、作業員は関与を認めているという。所沢市と、隣接する入間市では1月19日以降、自転車の男に児童が殴られる事件が相次いでおり、県警は関連を調べている」。

小さな記事です。読み飛ばされ、すぐに忘れられるかもしれません。小さなことに何をそんなにこだわるのか、と思われるかもしれませんが、しかし朝日新聞の影響力の大きさは計り知れないものがあります。しかも障害者(弱者)には、普段たいへんな理解を示しているはずの朝日新聞です。しかしこの記事には首を傾げざるを得ません。

 「施設作業員」とは書かれていますが、これだけではただの「作業員」です。被疑者となった青年が知的障害をもつことはどこにも触れられていないのですが、もし知らなかったのであれば取材不足です。その情報をつかんでいながら記事にしなかったのであれば、それはなぜだったのでしょうか。個人のプライバシーや人権に配慮したということになるのでしょうか。

 しかしそうであったとすれば、その配慮がなおさらこの「事件」を、どこから見ても立派な「連続暴行魔」による立派な暴行事件として印象づけています。まして記事にあるように、県警までが動いていた。つまりは、そうとうの重大事件として関係者には認識されていた、ということを伝えます。

むろん知的障害をもつ人の事件であると書き立てろ、と言いたいのでも、記事にするな、と言いたいのでもありません。もしほんとうに障害をもつ人のプライバシーや人権に配慮するのであれば、「暴行容疑」の内容まできちんとつかんでから記事にすべきではないか。県警までが動かなくてはならないほどの重大な「暴行事件」だったのかどうか。その確認を怠っておきながら(あるいは知っていた?)、障害者の人権への配慮を示すような書き振りをすることで、かえって重大事件としての印象を強めてしまっている。そのことを指摘したいのです。

ここにはひじょうに厄介な問題があります。なぜ厄介かは触れませんが、一言だけ書くならば、権利擁護の名もとで「隠す」だけでは、事態は少しも好転しないということです。もし「障害をもつ人々との共生」とか「障害者への開かれた社会」などという言葉を、少しでも実のあるものにしたいと真底考えるならば、この厄介さは乗り越えていかなくてはならないものの一つです。いま、何よりも大事なことは、こうした問題を「隠す」ことではなく、できるだけ正確な情報を示すことで事態を一歩でも前に進めることではないか、と筆者には思われるのです。

「障害にも負けずがんばって働く障害者」や「努力する障害者」は、マスメディアの好んで報じるところです。しかしそれだけが彼らの現実ではありません。犯罪、トラブル、それもまた彼らがときに出遭ってしまう現実です。そしてそのときにこそ、私たちやこの社会が試されるのではないでしょうか。

つぎは産経新聞。同じく2月24日の朝刊。
 「児童暴行男を逮捕 『ほかにも何件かやった』 所沢」という2段抜きの見出しで、記事は40行。分量的には朝日新聞の二倍です。前半部分の概要はあらまし同じです。朝日新聞には書かれていない点のみを取り出すと、

「男児と一緒にいた児童3人の目撃証言と男の服装などが一致、男に現場を確認させ事情を聞いたところ、容疑を認めたため逮捕した。男には軽度の知的障害があり、県警は動機などについて慎重に捜査している。/男が勤務する福祉施設は同県西部にあり、就業時間は午前九時―午後四時。男は帰宅途中に犯行に及んだと見られる。・・・・」

朝日新聞よりも情報が多い分、ここからある事実を知ることができます。それは、現行犯逮捕ではないこと。被害に遭った子の目撃証言と、本人の「容疑を認めたこと」が逮捕の決め手となったこと、などです。この逮捕がどこまで妥当だったかは、今後の裁判で争われていくこととなるのでしょうか。いずれにしても、ここで描かれているのは「軽度の知的障害をもつ連続暴行事件の犯罪者像」です。

産経新聞は、障害者の犯罪といえども断固たる対応をとるべきであり、場合によっては厳罰も辞すべきではない、とはっきり主張する、おそらく唯一の新聞です。「軽度の知的障害」があると記していることや扱いの大きさなどからも、それを伺わせます。筆者とは一八〇度見解を異にしますが、これはこれで立場は明瞭です。

 そしてこうした考えをもつ人は、少なからぬ割合でいるはずです。産経新聞ほど強硬派ではなくても、「変な人」は自分のそばにはいてほしくないし、かかわりももちたくない。とにかくどこか他のところで社会の迷惑にならないよう暮らしてほしい。・・・。ひょっとしたら、多くの人がそう思っているのが現状かもしれません。まして、ちょっとしたことでも被害の側に立たされたならば、言語道断、法のもとで裁かれることに何の不思議があるか、多くの人がそう感じるはずです。

 今回の「暴行事件」は「こぶ」もできなかった程度のもので、それが不幸中の幸いでした。だって重大事件だと書く産経新聞でさえ、全治何日の軽症を負ったとか、ぜんぜん被害状況が記されていないではありませんか。重大な「暴行事件」だったら、被害程度は必ず報じられるはずです。怪我をしたとは、どこにも書いていない「重大事件」なのです。

なぜ「重大事件」になったのでしょうか。逮捕される以前、地元でどのような風聞があったか、不安がどの程度のものだったかまでは、筆者の取材が及んでいません。しかし被害程度の多寡にかかわらず、同様の事件が頻発することは、周辺住民に少なからぬ不安を起こさせるだろうことは推測されます。学校から、注意を呼びかけたり、警察は何をしているのかという苦情も、あるいは寄せられていたかもしれません。

知的障害をもつ人が、不幸にして犯罪の加害者になることがあり、そのときに必ず出されるのが、社会防衛と犯罪被害の問題です。重大事件の場合、起訴されず、被害者や家族は事件を知ることができない。・・・いま、このことが深刻な問題として浮上しています。まちがいなく、これもまた「ともに生きる社会」であろうとするかぎり、避けることのできない難問です。
しかし一方、知的障害をもつ人々の多くは、犯罪の加害者よりも被害者になるケースの方が圧倒的に多いはずです。それを示すデータは未確認ですが、連れ去り、悪徳商法、恐喝、暴行、虐待・・・、問題として浮かび上がってはきませんが、相当な数に上るはずです。こちらのほうも、忘れてはならないことです。

(この問題に取り組む全国的組織、「警察プロジェクト(pa-kpro)」もあり、ホームページアドレスを記しておきます)。
http://www.pa-kpro.com

 ●公判での「応答」の様子

 以下、「被告人尋問」(もしそう呼ぶことがほんとうに可能ならば、ですが)を問答形式のまま書き移します。くり返してお断りしますが、正確な再現ではありませんが、ここでの応答が、法廷という場にふさわしいものであるかどうか。「被告人尋問」と呼べるものかどうか、そのことをお伝えしたいゆえ、できる限りの再現を試みます。おおよその雰囲気だけはつかんでいただけるだろうと思います。誇張はありません。

T弁護人「Aくん、私を知っていますか」
Aさん「しってます」
T弁護人「私は弁護士と言いますが、弁護士ってどんな仕事をする人ですか」
Aさん「おはなしをするひと」
T弁護人「そうか。じゃあ、Aくんの前に三人座っていますね。あの三人はどういう人か知っていますか」
Aさん「おんなの人」
T弁護人「女の人もいるね。あの人たちは裁判官と言いますが、何をする人か知っていますか」
Aさん「きまりごと。かいけつとかけっていをする」
T弁護人「何の決定をするんだろう」
Aさん「はんけつ」
T弁護人「判決ってなんだろう。何を判決するのかな」
Aさん「きめること」
T弁護人「何を決めるの?」
Aさん「たとえばおうちにかえれるかどうか」
T弁護人「そうか。じゃあ被告人って知ってますか」
Aさん「しってる」
T弁護人「何をする人?」
Aさん「きそ」
T弁護人「ここにはたくさんの人がいるけど、このなかで被告人はどの人かな?」
Aさん「(自分を指差す)」
T弁護人「いまここで、何をしているか分かる?」
Aさん「わかる」
T弁護人「どんなことをしているの?」
Aさん「こんなこと」
T弁護人「じゃあ黙秘権って分かる?」
Aさん「わかる」
T弁護人「どんなことだろう?」
Aさん「こんなこと」

ここで少し註を。「分かる?」と聞かれると、「分かる」と答えるのはNAさんのパターンらしい。そして「それはなに?」とか「それはどんなこと?」とさらに問われ、答えられないときに「こんなこと」とか「こういうこと」答えるのも、やはりパターンのようです。
ご存知のように、自閉症の人たちは、基本的に、いつ、どこで、なぜ、なに、だれが、どのように、という問いを苦手とします。自閉症の人たちのみならず、知的な遅れのある人には見られる傾向なのですが、その理由と思われることを簡単に整理しておきます。

1 言葉の多くが具体物に張り付いていること。具体物から離れる(抽象度が上がる)ほど、理解が難しくなる。(人、物、事ともに)

2 時系列が整理されていない。「昨日−今日−明日」とか「去年−今年−来年」というようなかたちでなされる時系列の概念化がしっかりと育っていないこと。日、週、月、年なども同様。

3 このことは因果関係の理解の弱さとなる。「こういうことがあったのは―こういう理由による」。「こういうことをしたのは―こういうわけがある」。実際の作業手順としては理解できても、言葉での理解や説明となると、そうとう困難になるようです。

4 関係の概念化や相対化が弱い。「兄弟」というものは分かっていて、「君にはお兄ちゃんはいますか」には「いる(いない)」と答えられても、「お兄ちゃんには兄弟がいますか」とひっくりかえした問いには答えられなくなる、など。

5 「これは―これこれ―である」と確定する力が弱い。そのことは同様に「これは―これこれ―ではない」と否定する力の弱さでもある。結果、「昨日行きましたか」「はい」、「行きませんでしたか」「はい」と、反対のことにも答えてしまう。

 とりあえず、こうしたことを上げておきます。彼らの言葉の多くが、なぜオウム返しとなるか。これはまだ分からない点が多いのですが、相手の語尾、終わりの言葉だけがとくに記憶にインプットされてしまう結果なのでしょうが、なぜそうなるかは上記のこと全体にかかわるはずです。

 言葉の育ちとは、「自分(私)」(いわゆる自我)の育ちと密接に関連します。そして「自分(私)」の育ちとは、言葉が具体物から離れて概念化されていく過程(認識の育ち)と、自分を中心としていた関係が少しずつ相対化されていく過程(社会性、関係性の育ち)のふたつが、補い合いながら育ってゆく過程だということができます。

 ですから自閉症の人たちが見せるコミュニケーションの難しさや言葉の遅れは、社会性や関係性の遅れから始まる、この「自己(私)の育ちそびれ」だといってもいい、と考えられます。(この点については、精神科医の滝川一廣さんと、発達心理学者で供述分析のお仕事をされている浜田寿美男さんの著作を参照していただけると幸いです)
 以下、もう少し続けます。

T弁護人「警察官ってどんな人」
Aさん「むこう(と、廊下を指差す)いるひと」
T弁護人「逮捕って何?」
Aさん「わるいこと」
T弁護人「保釈って」
Aさん「保釈っていうのは・・・・」
T弁護人「起訴状って?(実物を見せながら)」
Aさん「・・・・」
T弁護人「名前はだれが書いたの?」
Aさん「じぶんで」
(Aさんは、途中で起訴状を読み上げ始めました。記載されてある漢字も読むことができるようです。ただし読み始めると途中でやめることができず、弁護人にもう終わりにしようと促されても、読み終えるまで離そうとはしませんでした。)

T弁護人「警察で1月28日のことを聞かれたと思うけれども、取調べって何?」
Aさん「どんぐりひろば」
T弁護人「どんぐり広場に行ったの?」
Aさん「いった」
T弁護人「頭部を殴打って書いてあるけど、頭部って?」
Aさん「(自分の頭をなでる)」
T弁護人「暴行って?」
Aさん「ひとをなぐること」
T弁護人「誰が教えてくれたの?」
Aさん「I(実名)さん」
T弁護人「Iさんって?」
Aさん「けいさつのひと」
T弁護人「Aくんは子どもは好きですか」
Aさん「すき」
T弁護人「嫌いですか」
Aさん「きらい」
T弁護人「どっち?」
Aさん「すき」
T弁護人「Aくんは子どもに何をしたの?」
Aさん「ぐーでたたいた」
T弁護人「Aくんはいまうれしいですか」
Aさん「うれしい」
T弁護人「楽しいですか」
Aさん「たのしい」
T弁護人「楽しいのはどんなときですか」
Aさん「マラソン」

 おおよそ、このようなやり取りが行なわれたのち、休憩に入ったのですが、ここまでほぼ30分弱だったでしょうか。

 ここでの弁護人の問いは、NAさんが、自分が何をし、なぜ自分が逮捕・起訴されたかを理解しているかどうか。公判という自身に起こっている内容がどこまで認識できているかという点をめぐっています。この弁識能力と訴訟能力が「責任能力」と言われるものの主たる内容をなしているのですが、訴訟能力とは、法廷にあって被告人がどこまで自分の身を守ることができるか、という能力のことです。NAさんのこの点について、何を言うべきなのでしょうか。何かを言わなくてはならないのでしょうか。NAさんはまったく無防備です。

このやり取りを聞き取りながら、複雑な思いがたくさん去来しました。弁護人に宥められながら答えるNAさんへのなんとも言えない憐憫、気の毒さ。このような裁判ともいえぬ裁判が続けられなくてはならないことへのやりきれなさ、怒り。自身の無力さや情けなさ。

裁判長は、なぜ即刻裁判停止を言い渡さないのか。なぜ検察官は、起訴を取り下げないのか。教え子たちの誰かがもしこうした事態になったら、と考えると、ANさんの姿に何人かの顔が重なりました。
とりあえずここまでが第一ラウンドでした。

●弁護人の苦慮

 しかしほんとうの「困難さ」が現われるのは、休憩の後にはじまった第二ラウンドでした。
 代わって質問に立ったS弁護人は、身ぶりを交えながら、「拳」をどう使って、どんなふうに殴ったかを問いただし始めます。NAさんが相手に傷害を負わせようという意図をどの程度もっていたかを確かめながら、そんな意図などなかったのだ、と検察のこしらえた起訴事実を崩していこうとしているわけです。

 ところがNAさんには、弁護人の「意図」を汲み取って答えようとする意志はありませんから(できない、といってもいいでしょう)、答えがどうしても噛みあいません。
 
S弁護人「(隣の弁護人の頭に拳を置きながら)何をしてるんだろう」
Aさん「コッツンしてる」
S弁護人「こっつんかな。登坂弁護士はニコニコしてるよ」
A「いい子いい子してる」
S弁護人「そうだね。じゃあ拳のこっちでこうして叩くのと、こっちでこうするのと、どっちが痛いと思う?」
A「こっちがいたい」(分かっていない)
S弁護人「こうするのと(叩き下ろす)、こうする(正拳の突き)のでは?」
A「こうするの」(よく見ていないまま答えている)

筆者の推測ですが、「どちらが痛いか」という比較が、NAさんには難しいようです。「痛い」とか「具合が悪い」ということを理解し伝えることは、思いのほか高度な理解力を必要とすることです。ましてや「痛い」という目に見えないものを思い浮かべ、比較するということは、自閉症の人たちのもっとも苦手とすることの一つです。「どっちが悲しいか」「どっちが苦しいか」「どっちがかわいそうか」。こうした感情の比較のみならず、「どっちが悪いことか」「どっちがきれいか」という真善美の比較も同様です。

快−不快、好き−嫌い、このへんまでは、NAさんにも明確な区別があるようです。「これとこれとどっちが好き?」の問いにも、具体的事実や物を示しながらであれば、あるいは答えられるかもしれません。ところが「うれしい−悲しい」については、これ自体の区別はできても、比較して「どっちがうれしいか」となると、NAさんのみならず、多くの子がつまずきます。ここには発達の「壁」があるようなのです。

S弁護人の問いは、こうした難しさにもうひとつの難しさを加えていきます。それは相手がどんな気持ちだったかを「推し測る」ことができるかどうかということと、そして、相手の側に立って自分のしたことを振りかえり、反省する(自己評価する)という、自閉症と呼ばれる人たちの、さらに苦手とするところの問いかけになってゆくからです。

つまり弁護人の意図は、NAさんは殴ろうとする意図をそれほどもっていなかった、そもそもどうすれば強く殴ることができるかということを理解していない、ということを引き出して、裁判官に示すことに向けられていたと推測されるのですが、どうしても応答が噛み合わないのです。

S弁護人「苦しい、辛いという気持ちがどういう気持ちかわかる?」
Aさん「わかる」
S弁護人「どういう気持ちだろう」
Aさん「こういうきもち」
S弁護人「こういう気持って、言葉で言ってよ」
Aさん「・・・・・・・・・」
S弁護人「やさしい人と意地悪な人がいるね。意地悪な人ってどんな人?」
Aさん「Nさん」
S弁護人「Nさんか。ほかには」
Aさん「お父さん」
S弁護人「じゃあやさしい人は誰?」
Aさん「Sさん。お父さんとお母さん」
S弁護人「やさしい人ってどういう人だろう」
Aさん「こういう人」

こうしたやり取りがつづきます。推測するに、相手に嫌なことをする人間は良くない、自分はその嫌がることをしてしまったが、それは意地悪だからではない、と弁護人は進みたかったのではないかと思われます。善悪や理非の区別を示し、非は自分にあるが、それを悔いているというように、何とかして次の展開に持ち込みたいが、それができずにいる、そうした弁護人の苦慮が伺われます。

以下、メモが不正確ですが、おおよそつぎのようなやり取りとなっていました。

S弁護人「もうしません、って書いてるね(供述調書に)」
Aさん「もうしません」
S弁護人「いいです、がまんできます、とつぎは書いてる(調書の内容に同意したということ)けど、何をもうしません、なんだろう」
Aさん「わるいことをしてはいけない」
S弁護人「悪いことって?」
Aさん「いけないこと」
S弁護人「いけないことってなんだろう。ちゃんと言ってくれるかな」
Aさん「なぐること」
S弁護人「男の子をどうやって殴りましたか。やってみてくれるかな」
Aさん「(自分の頭を軽く叩く)」

ここでNAさん、後ろのお母さんを振り返り、「マラソンは好きです。マラソンをしておうちにかえります」と話し始めました。独語のパターンが変わり、表情もやや硬くなっています。注意がそれ、少し苛立ち始めているようです。それを察した弁護人から、休憩したい旨が伝えられ、裁判長の認めるところとなったのですが、やはり20分ほどが限度のようでした。

●検察官の尋問
最後は検察官の尋問するところとなるのですが、再開の前、弁護人、検察官ともに控え室に呼ばれました。打ち合わせは15分ほどだったでしょうか。無論何を話したかは分かりません。

始まる前、S弁護人から「精神鑑定には児童精神学会の・・を」という要求が出され、もう少しつづくかと思われた弁護人質問が終わりました。そして「検察官は尋問をしますか」と裁判長に問われ、「少しします」と答え、検察官の尋問が始まりました。(ここは検察官が早口で、メモが難しかったのですが、だいたいこんな感じでした)。

検察官「いまどこに住んでいますか」
Aさん「○○のもり、○○のおうち」
検察官「・・・に行ったことはある?」
Aさん「ある」
検察官「いつ?」
Aさん「・・・年の・・・月・・・日」
検察官「Mさんって知ってる?」
Aさん「(後ろを振り向く)」
検察官「どんな人」
Aさん「やさしいひと」
検察官「・・・さんは知ってる?」
Aさん「おとこのこ、9さい」
検察官「・・・さんに何をしたの?」
Aさん「どんぐりひろばで、ぐーでたたいた」
検察官「力いっぱい叩いたことはありましたか」
Aさん「ありました」
(ここで傍聴席が少しざわつきました。)
検察官「・・・年・・・月・・・日、電車のなかで何をしましたか」
Aさん「でんしゃのなかでおんなのこをたたきました」
検察官「女の子を叩いたとき、どうなりましたか」
Aさん「すうとした」
(ここで、さらに大きく傍聴席がざわつきました。以下、何年何月にどんな仕事をしていたか、とその仕事は好きか、これとどっちが好きか、という質問が続きます。そしてひと通り聞いてから、)
検察官「平成16年1月18日、どうして叩いたのですか」
Aさん「レストランでいやなことがあったから」
(なるほどそういうことか、と思いました。「仕事が嫌でむしゃくしゃしていた」ことを動機として示そうとしていたのです。)

検察官「警察はどういうところですか」
Aさん「つかまえる」
検察官「どういう人を捕まえるのですか」
Aさん「わるいことをしたひと」
検察官「平成16年3月12日はどこにいましたか」
Aさん「ところざわけいさつしょ」
検察官「検察に行ったことはありますか」
Aさん「いった。おぼえてる」
検察官「検察で話しを聞いた人の名前を覚えていますか」
Aさん「Tさん」
検察官「そこではどんなことをしましたか」
Aさん「こんなこと」
検察官「謝ったりしましたか」
Aさん「しました」
検察官「いいたくないことを黙秘権と言いますが、意味が分かりますか」
Aさん「わかります」
検察官「以上です」

やや分かりにくいかもしれませんが、NAさんには事実認識があり、動機ももち、逮捕から始まる司法手続きや内容もそれなりに理解している、不当な取調べはなかった、などの立証に向けられていた尋問ではなかったかと思います。

そして「今日はこれくらいにします」という裁判長の言葉で、この日の公判は終わりました。
しかしそれにしても、こんな無意味な裁判がこれからいつまで続くのか、と思うと、気が重くてなりませんでした。無意味な裁判、などと書くのは裁判所への冒涜でしょうか。むろん、弁護人のご苦労にご苦労を重ねている弁護活動をつかまえて無意味だと言っているのではありません。しかし、もしこの裁判に意味があるとすれば、NAさんに大きな犠牲を強いながら、法治国家であるはずのこの国で、こうした途方もない裁判が現に行なわれている、それを明らかにしたというそのことです。

 刑事裁判の法廷は、最低卑劣の凶悪犯と言えども、自分の身を守るという最後の権利だけは侵されない場所です。検察の起訴事実に異議があるときにはそれを申し立てることができ、罪状を認否し、不当な質問は拒否でき、望むなら弁護人を立てることができる。判決に納得ができないときには控訴もできます。それは被告人に与えられた、自分の身を守る最後の権利です。しかしMAさんの場合にはどうか、とまだ問わなくてはならないでしょうか。

聞くところによれば、NAさんは拘置所ではなく、保釈となって施設で過ごしているとのことで、それが唯一の救いでした(ただし外出は禁止。なにかあったらすぐに保釈決定は取り消されるとのこと)。

●終わりに
最後にある統計を示します。新受刑者は入所後すぐに精神診断を受けることとなりますが、平成14年の新受刑者総数30277人中、知的障害と診断された数が284人です。(「法務省矯正統計年報」平成15年6月30日発行――山本譲司氏講演「刑務所のなかの知的障害者」資料より。)知的障害といっても軽度の人たちではないかと思われる方は、山本氏の『獄窓記』(ポプラ社)を是非読んでみてください。この284という数を多いと感じるか、少ないと感じるかは、人によってさまざまかもしれません。

しかし弁護士の副島洋明氏は、これに知能検査の結果を加え、IQ49以下が1158名、測定不能(「捜査魅了のものおよび知能が低く検査不能のものを含む」と但し書きがあります)1830名(数字は平成13年矯正年報)、これを半数とみても、年間2000名もの数がはじき出されるとし、いったいどんな裁判が行なわれてきたのか、と指摘しています。(第12回世界精神医学会横浜大会・「今、我が国の司法が精神障害者の視点から問われていること」より)。
2000名という数を、もはや少ないという人はいないでしょう。少なくとも、「知的障害者=心身喪失・耗弱=不起訴」という流布されたイメージは、「神話」だということは分かります。きょうもどこかで、所沢事件のNAさんのような人が被告人席に座っているかもしれないのです。しかも、もっと悪条件のなかで。

この問題は、知的障害者は不起訴処分とされ、事件自体がなかったことにされてしまう。被害者(とその家族)は事件について何も知らされることはない、という文脈でその多くが語られてきました。たしかに重大事件の場合、被害者やその家族に深刻な「傷」を残します。国からの補償も整備されていない状態です。前にも書いたように、ここにもきわめて重要な問題があることは間違いありません。

しかし、重い知的障害をもつ相当数の人が実刑判決を受けている、という事実がもう一方にあることも忘れてはならないことだと思われます。

いまこの国は、まちがいなく「厳罰化」の方向に向かっています。社会の安全が損なわれている、という危機感が広く浸透し、そうした市民感情に後押しされながら、「触法心身喪失者医療観察法」がつくられました。この法の目的は明らかに社会防衛です。さらには刑法改正への動きも具体化しはじめました。内容は罰則の強化が中心です。また刑法三九条(心身喪失・心神耗弱)の適用も、被害者感情や市民感情に配慮してか、適用数が減少し始める傾向にあります。こうしたことの是非はここでは問いません。

 社会全体がこうした流れにあるなか、一方では障害をもつ人びとも社会のなか暮らしたいという動きも大きくなっています。このこと自体には大いに賛成です。当然の要求です。しかしいったん何か社会的トラブルがあったときの処方箋やノウハウを、彼ら自身や彼らを支える人々が十分に身につけている、と胸を張って言えるかどうか。そのことがたいへんに危惧されるところです。

 イラク人質問題の際、「自己責任」の大合唱が起きました。福祉もまた、自己責任による契約へとシフトしました。社会に出て行く機会が増えれば増えるほど、周囲との軋轢の機会が確率的には増えることになりますが、そこでも、やがては自己責任で対処せよ、ということになるのでしょうか。

 自閉症の人たちがときおり見せる問題行動、こだわりゆえの周囲とのトラブルや誤解、こうした事態とどう向き合うのか。福祉や教育の現場にいる人間にとっては、いつも急務の課題です。押さえつけるだけでは何の解決にもなりませんし(その人がいなくなったら元の木阿弥です)、見て見ぬ振りをすることは、ますます彼の混乱を募らせるばかりです。支えと包み込みの兼ね合いをどうするか。原因も、その状態も一人ひとり異なっていますから、一人ひとりに応じた対応を必要とされるわけですが、これもまた言うは安し、です。

 書きたいことはたくさんあるのですが、この辺で筆を留めます。考えなくてはならないことは山積みしています。

[追記]
 このリポートの終盤に入ってから、支援する会の代表Hさんより、裁判長が裁判停止の方向で考え始めた、という情報をいただきました。ほっとしました。ぬか喜びにならないことを、NAさんが一日でも早く自由の身となることを、心から願っています。


●2002・10(卒業生の職場見学)
中学部時代に二年間受け持ったT君の職場見学へ。彼は高等部卒業後、家電リサイクルの解体作業を受け持つ会社へ就職し三年目に入っている。見学時、洗濯機の解体作業を行なっていた。蓋をはがし、洗濯槽をはがし、細かな部品を分類整理しながら剥がしていくという作業。説明担当者が、自分ならば20分ほどかかると話す作業を、10分で終えるほど熟練している。純然たる企業ではないが、小学部より上がっていった卒業生で、作業所以外の企業に就職できたのはT君が初めて。自給が550円から600円とのこと。

●2003・1・20(千葉県F市にて起きた幼児虐待事件の求刑公判)於千葉地裁
(検事側求刑)
平成14年8月20日、A子(20歳)は当時四歳の長男が、カップラーメンを食べずにひっくり返したことに立腹し、その顔を殴打。更に腹部を数回足蹴にして小腸破損を引き起こすも、水風呂に入れるなどして放置。失血死で死亡させた。長男は常時暴力の状態にあったが、どこにも逃げ場がなく、また逃げようともしていない。

被告は夫に対する怒りの八つ当たりやストレスの捌け口として、頭や腹部を蹴る、顔を殴るなどの折檻を繰り返し、平成11年より始まり、13年ごろから激しくなった。被害者は病院搬送時、全身に皮下出血があり、暴力が常態化していたことを伺わせるものである。

被告人は中学2年のときに夫となる男性と知り合い、17歳で同棲をはじめている。しかし夫の暴力に悩まされるようになり、夫の気を惹こうとして父親にいかに暴力を受けてきたかを訴える一方、別の男性に夫の暴力を訴えて気を惹こうとしている。また出血は五〇〇ccにも及ぶ大量のものでありながら、水風呂に入れて折檻に及んでいる。また冬はTシャツ一枚、夏は上半身裸で過ごさせている。犯行後も口裏を合わせており、逮捕後の供述も涙一つ見せずに行なっている。

次第に、我慢が足りなかったと反省的態度を見せはじめてはいるが、残忍さは「未熟さ」では説明できるものではない。被害者を一人家に置いて遊び歩くなど、小さな子に対して見られるべき愛情がまったく見られない。死んだことにすら関心がない。このような残酷さや社会的影響力などを鑑み、懲役6年を求刑する。

(弁護人最終弁護)
生育状況。両親は小学校三年のときに離婚。以後、父親に育てられる。何度か「おまえはママに捨てられた子だ」と聞かされている。学校でも母親がいないことによって虐められ、家に帰っても父親の暴力を受けていた。それは先ず背中を殴り、息がつけなくなったところで大腿部を強打するという凄惨なものであった。また被告人には喘息の発作もあり、それも父親にとっては苛立ちのもとであった。被告人は満足な医者がよいもさせてもらえず、「お小遣いなんかいらないから愛情をくれ」と何度か父親に訴えたが、適えられず、やがて夜遊びが始まった。
14歳で同棲し、その後施設入所となり、家庭に戻るも家出をくり返した。同棲相手は嫉妬深く、自分の子である被害者を被告人が可愛がると嫉妬し、家から出られなくなるようなこともあった。

平成10年11月、被害者が階段から落ちて頭を強打した際、「能力が遅れるかもしれない」と医者より言われ、実際成長が遅れるようになった。それから何もかもがうまくいかなくなり、被害者に暴力を振るうようになった。被害者は四歳になっても、うまく会話ができなかった。育児のことで悩み、別れた母親に連絡を入れ、育児のことで何度か相談をしていた。しかしその母親も平成12年には死去した。

また極度の貧困状態にあり、光熱費も払えず、電気を止められている状態だった。被告人は平成14年に運送会社で働いているが、事故のために免許停止となり、失職した。ガス料金も、健康保険も払えず、病院にも連れて行くことができなかった。そのころ「あたり屋」に損害賠償の請求を訴えられるようになり、会社にも連絡がいき、親会社があいだに入って決着をつけてもらった。ストレスが極度に大きくなり、この頃、手首を切って自殺を図っている。暴力を働かない努力もしており、決して容認していたわけではなかった。育児相談を何度も受け、子どもと二人きりにならない努力をしていた。

逮捕後書いた反省文では「自分は20年間、誰にも愛されなかった。自分を育てた環境と同じ環境に、K(子どもの名)も置いてしまった。子どもを生めば、夫の愛情を取り戻せると思った」と書いてあった。また取調べにあたった検察官や、留置警察官にも感謝の意をあらわしている。父親へ、刑期を終えたら身元引受人になってほしいと手紙を書いたが一度は断られた。しかし平成14年10月には拒否しないという返事をもらった。

被告人は十分に社会的制裁を受けていること。深く反省しており、年齢も若く、やり直せる時間があること。ぜひとも執行猶予付きの判決を求めるものである。

(被告人)
本当にKに申し訳ない。私は父親に、帰ってきて良いと言ってもらった。しかしKは戻ってこない。これからKはの供養をして過ごしたい。

2003・2・19(同判決公判)
(判決主文)
被告人を懲役4年以上に処する。ただし未決拘留期間100日は差し引く。
(判決理由)
もっとも愛情を注がれて然るべく母親から虐待を受けて命をなくしたKちゃんを思うと哀れと言うほかはない。長期的継続的な虐待であり、母親としての愛情や責任感の欠如した赦し難い犯行である。また犯行態様も残虐きわまりなく、死亡後も水遊びをして溺れたように口裏合わせをするなど言語道断。しかし被告が父親から受けて育った環境も否定できず、逮捕後はカウンセリングを受けるなどして反省の態度を見せている。
(被告人へ)
愛情は求めるものではなく自分から与えるものである。なぜ愛情が伝わらないのか考えることも大切。人の痛みがわかるようになってほしい。自分が愛情をもって接することで、相手も愛情を示すものだ。


【公判後の弁護士の会見】
何とか執行猶予付きの判決を、と考えていたが、大変重い判決である。被害者への虐待は前夫もしていたのだが、それを争うことは「やった、やらない」の水掛け論になってしまう。しかし情状証人として前夫を呼ぶことはとんでもないこと。執行猶予付きの判決を求めたのは、初犯であること、生育歴が大変同情するものであること、まだ若く、刑務所の中で生活することで「悪」に染まってしまうことが心配されることなどである。刑務所に行くことが「怖くてたまらない」と以前は言っていたが、だいぶ落ち着いてきたようだ。

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