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リアルタイムの「オウム真理教事件」
宗教・戦争・超能力(1995/6/10〜20・ノート)その1   佐藤幹夫

                 *樹が陣営13号掲載の原稿に訂正を加えている。


 去る3月20日の地下鉄サリン事件以来、ほぼこの三ヶ月に渡ってテレビ、新聞、雑誌はオウム報道を流し続けた。オウム真理教について一つの論としてまとめあげるほどの時間はない。とりあえず、新聞紙上で目に留まった論評、雑誌論文などをできる限り取り上げながら、私自身の見解をノートという形で差し出してみる。

1 サリン

 阪神大震災の後、緊急の災害に対して日頃からの備えの重要さが各種の報道によって報じられ、少なくとも3日間は自力でしのげる用意をしておくことが、日本という地震大国に住むものにとっての最低の務めであることが強調された。

 そこに今度はラッシュ時の地下鉄に神経性の猛毒ガス、サリンを撒くとい未曾有の事件が勃発した。直後、どう対処すれば被害を最小限に食い止められるか、専門家とおぼしきコメンテーターによって述べられていた。私はそれを聞きながら、家にあっては地震に備え、外に出たらサリンに備える、それが私たちの不断の心構えというわけだ、などとヤケ糞のようなことを考えていた。いや、その程度の感想しか思い浮かばなかった。

 ところで、「サリン」という聞き慣れぬ言葉が私たちのところに届いたのは、昨年の6月に松本で起こった事件以降である。しかし私には、その事件とオウム真理教を結びつけることは考えもよらなかったし、ましてや「サリン」がどれほどの衝撃を持つものかなど思いも及ばなかった。

 3月21日付「産経新聞」朝刊で、米英など海外における報道の概略を伝えていた。テロリズムに対して、日本などとは比較にならない対応策の蓄積のある国が、当事者である日本とはまた違った意味で、あるいはそれ以上に衝撃を受けているらしいことがその短い記事からも受け取ることができた。 

 一般市民を標的とした無差別テロで神経性の猛毒のガスを使用したことは、これまでのタブーを破ったことであり、それが世界中のテロリストたちに与える影響が大きいことなどが報じられた。一気に世界中からその動向を注目されるという事態になり、そのことが私を驚かせた。言ってみればこの時点からオウム真理教は、世界においてもっとも過激で危険な戦闘的カルト集団として、私たちの目の前に現われたのである。

 こうした衝撃を踏まえ、「サリン」ついての位置付けを示してくれたのは石川好である。以下、引用する。

■「原爆とサリン事件から見た世界」
《原子爆弾が人類の頭上で爆発して今年は五十年に当たる。その年にナチスドイツが開発実用に踏み切った毒ガス・サリンと同じものが、地下鉄で噴出し、日本社会を恐怖に突き落としている。/(略)

 (略)この事件において考えるべきことは、日本の中で、原爆以上に思想的な意味を持つガス兵器が白昼公然と使用されたこと、そして、その下手人がほかならぬわれわれ日本人らしいこと、この二点をどれくらい深刻に受けとめられるか、にあると思うのだ。/(略) 原爆は、たとえ人類の最終兵器であり得ても、その開発動機において、あるいは広島長崎への投下動機において、対戦国の降伏を求めるためか、国家解体のためになされたことは疑い得ない。しかしナチスドイツが開発した毒ガス・サリンは、ある民族を地上から根絶するための武器である。/(略)

 (略)ナチズムは、明らかに思想として、ユダヤ人の全滅を図っていた。ナチスドイツの罪が重いのは、戦争の罪ではなく、(略)、戦争の名を借りて戦争外の罪―特定人種の根絶―を犯していたからだった。その戦争外の罪を犯すための武器の一つが、毒ガス・サリンであった。(略)/

 日本は人類最終兵器、核に対し、使わない、作らない、持ち込まない、という非核三原則を、世界のどこよりも早く打ち出した国である。(略)松本や地下鉄で発生したサリンは、われわれの日本に、戦争外の罪としての「ナチスの罪」の無知が、いまもって社会にあることを教えている。

(略)ナチスの毒ガスは、ユダヤ人という特定集団に向けられたものであったが、今回のそれは、無差別である。(略)そこに、今回日本で発生しているサリンは、ナチスを越える恐ろしさをそなえたものであると、私たちは見なければならない。》(「産経新聞」 4月16日朝刊)■

 地下鉄サリン事件とオウム教団施設の強制捜査以後、事態は一気に内戦状態のような感を呈した。いや、まさしく内戦であった。その意味でも「サリン」は象徴的である。サリン被害の甚大ささは、オウム教団が抱え込んだ社会への悪意に逆算できるものだ。

 サリンとオウム真理教の関係がほぼ明らかになったと考えられる今、上祐、村井など、教団の幹部たちが並べていた「嘘」の数々を、寒々しい思いで思い起す。彼らは「サリン」がもつ衝撃を、彼らがしでかしたことの大きさを、本当に分かっていたのかという思いを禁じ得ない。彼らの言葉の背後には果てしなく索漠とした無知、あるいは虚無といったものが感じられてならない。

 サリンを無差別テロに使用した「ことの重大さ」をひとまず確認し、今回の事件から浮かび上がってきた様々な問題をスケッチしてみたいのだが、たぶん私の最大の関心事は、オウム真理教がどれほど凶悪なテロリスト集団であるかではなく、宗教を巡っての課題であり、そのことに多く言及されるはずである。

2 カルト教団、あるいは修行教団のカルト化について

(1)初期のオウム真理教

 オウム真理教に対する初期の印象は、原始仏教をベースとし、古代ヨーガによる本格的な修行集団、というものであった。九一年九月に放映された「朝まで生テレビ」では、北伝系の原始仏典をあたうる限り蒐集し、復元し、残すこと、その解釈に則って修行を進めること、その修行によって身に付けた力が「科学」によって実証できるものならば、それをすること。そうした教団であることが強調されていた。

 当時ブームのように信者を集めていた「幸福の科学」の幹部たちがもう一方の席に座っていたのだが、どちらの側が宗教として本格的か、私の目には明らかであった。このテレビがきっかけで入信した信者が多い、と島田裕巳は言い訳がましく言っているが、島田自身の弁解は別にしても、それは事実だろうと思う。精神世界やある種の超人的なパワーに惹かれる若者にとって、一定の教義に則って行なえば、その獲得は決して不可能ではないのだと説かれれば、魅力的でないはずはない。少なくとも麻原の発言には、そのことを喚起するだけの説得力があったというのが、あの「朝生」での悪罵合戦を楽しんだ後の私の偽らざる実感なのである。

 しかしまた一方では、この少し前、信者向けの「特別教学システム」という小冊子で次のような発言をしていたという。

■《●ヒトラーは政治的独裁者、毛沢東は思想的独裁者であった。そして私は君たちを最終解脱に導くために信仰的独裁者になろうと考えています(89・10) ●オウムが偉大な洗脳システムを持っているとするならば、それは最高であると私は考えます。入ってきた人に対してマインドコントロール、洗脳をどんどんしなさい(同) ●宗教そのものは反社会性であると。反社会性は、社会が悪だとすればよい言葉であると(90・1)》―日刊スポーツ4月11日― ■

「独裁者」「洗脳、マインドコントロール」「反社会性」、現在のオウムを照射する文脈に即して意図的に羅列した記事であることは明かなのだが、そしてこうした側面を「朝まで生テレビ」では隠していたわけなのだが、これらの言葉は信者以外の人間にとってはやはり異様なものと映る。教祖への全身的な委譲、信仰があってこそ、初めてリアリティをもつ言葉であることはいうまでもない。

 修行教団から戦闘的カルト教団への変貌は、ある時期ある事柄をきっかけにしてなされた、というよりも、その要因をすでに初期の頃から孕んでいたと見るべきだろうと思う。教祖麻原の個人的資質(幼児性、独占欲、支配欲、誇大妄想)、教団内の幹部における政治的主導権争いと武闘派といわれるグループの台頭、教団資金をめぐる暗躍、社会や地域との軋轢等々様々なファクターが絡み合いつつ、武闘的カルト集団としての性格を強めていった、という説に私もまた従いたい。

 しかしもう一つだけ正直に付け加えておこう。今となっては詮方ない物言いになるのを承知で言えば、教団初期の中心的活動であったはずの修行、つまり原始仏典を正確に復元し、そこに書かれてあることを解釈しつつ、修行としてのヨーガを深めていくこと。そうした試みにはある可能性があったのではないか。つまり「釈迦牟尼とその教義」に対する全体的原理主義的な志向、そしてその科学的な検証という試みは既成の仏教教団にはおよそない着眼であり、志向性だったはずである。

 密教系の教団が、今もなお千日回峰をはじめとする苛烈な修行を行なっていることは知っているし、山岳宗教の伝統がまだ死んでいないことも私は知っている。しかしこうした伝統的な仏教にはない新しい可能性が感じられたことは、やはり指摘しておいていいのではないか。

 超能力を「ウリ」にした新宗教の先駆は阿含教団だといえるだろうが、オウム真理教のポストモダン形態が、より若者を惹き付けた理由だろう。その若者たちに向け、中沢新一が次のように書いているのが目に留まった。

「オウム真理教信者への手紙」
《私はいままでに、何人もの現代の宗教家と話をしたことがありますが、「聖なる狂気」という言葉を出したとたんに、あれほどすばやい反応と正確な理解を示したのは麻原さんがはじめてでした。/この言葉は、宗教の本質に触れているものです。人間のなかには、社会の常識によって囲い込まれた、狭い枠を破っていこうとする衝動がひそんでいます。(略)その衝動を、現実の世界の中で実現しようとすれば、まずは社会の常識と衝突することになります。/たいがいの人は、そこで妥協する方向を選びます。ところが、宗教者というのは、そういう妥協を拒否してまでも、自分の魂の衝動に忠実に生きていたいと願う、変り者のことを言うのです。/麻原さんは、日本人の宗教に欠けているものは、そういう反逆のスピリットなのだと強調しました。(略)私はそのとき、(略)この人は何か新しいことをしでかす可能性を持った人かも知れないな、と思ったのです。》(『週刊プレイボーイ』 5月30日号)■

 しかし中沢はまた、5月21日付け朝日新聞で、「結局、彼(麻原)は宗教を利用した革命家だったのではないかと思われる」という談話を発表している。これは中沢の転向宣言ではないか。あるいは大新聞のなかで、自らの言う「妥協」を選んだのではないか。これでは、「私はオウムに騙されていた」というぶざまな弁解を書いて顰蹙を買った某「宗教学者」と同じ思考回路にはまってしまう。ここはぜひ踏張って、「正義」を御旗にするジャーナリストたちとは一味も二味も違うところを見せてほしい、とひそかに願っているが、中沢にその気骨があるかどうか。

 いずれにしても、この可能性の先には何が予感されるか。超能力の獲得、などと言わなくともよい。ヨーガ、あるいは瞑想は、私たちの身体概念を拡張する。またそれにしたがって精神という領域も、これまでのパラダイムから大きく組み替えられる可能性、そうしたものを秘めている。そのことによる心身二元論からの脱却。そうした予感が、時代の閉塞感のなかにあった若者に強く訴えかけることとなったのではないかと思われるのだ。しかしその可能性そのものが、反社会性を必然としてしまう大きな要因でもあった。