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勝新太郎フィルム観戦録(2007・6)


6. 1955.04.08 天下を狙う美少年  大映京都  ... 天一坊
(監督:荒井良平 脚本:衣笠貞之助 撮影・宮川一夫)
紀州はある寺の捨て子として育った天一坊(勝新太郎)。自身の素性を嘆き、乱暴ばかりしている。見かねた育ての婆が、あるとき、実はお前は将軍さまのご落胤だと、直筆の書状、短刀などを見せながら告げる。それを聞きつけて現われた浪人山内伊賀亮(大河内伝次郎)。これらはまさしく本物であると言い、早速京都大阪と尋ね、少しづつ名を広く知らせながら江戸へと向かうよう、事を運んでいく。ところが途中、大阪で呼び寄せた婆が、実はこの話は作り事だったと告げる。しかし、実は伊賀亮もそれを知っていながら謀事を企てたのが真相だった。ここから画面が一気に生彩を帯びてくる。勝の演技も、たたの二枚目ご落胤から、伊賀亮に魂を売りかねない「悪」のほうへと引き寄せられていく。そのことで陰翳が出てくるし、大河内先生も迫力をます。最後の立ち回りはさすがに魅せる。若いころの嵯峨美智子、恐ろしいほどの美貌。世界の巨匠、衣笠先生の本である。(07・6・17)。

11. 1955.08.31 かんかん虫は唄う  大映京都  ... 清水富彦
(監督:三隅研次 原作:吉川英治 55年)
“かんかん虫”というのは船体の錆を削り取る労役者のこと。大人に混じって、子どもたちも働いている。主人公は弱きを助ける兄貴分として振る舞い、地元のボスの悪行に、ひとり敢然と立ち向かう。じつは英国大使が、少年の実の父親だったという設定だが、親子の名乗りをする前に母親は死に、父は英国に戻ってしまう。座頭市を知っている勝新太郎ファンから見れば、こうした初期のいかにも“白塗り”の二枚目は、微笑ましくもあれば不思議な気もする。役者として“ところ”を得るといかに変わるものか、という好例が勝新。(何でもそうだろうが)。1960年の「不知火検校」が大きな転機となった作品とは、これまでいろいろは人によって指摘された(07・6・11)。

68. 1960.03.16 よさこい三度笠  大映京都
(監督:安田公義 脚本・犬塚稔 60年)
主人公、浮き巣の半次郎(勝)は、喧嘩出入りの助っ人として羽生の藤兵衛の一家のわらじを脱ぐ。その晩は、祝言まがいの宴会の日。ところが半次郎は、それが、酌婦(中田康子)を金で強引に囲い込もうとしていたのが実情だと知る。たまたま女と同郷(タイトル、よさこいの由来。よさこい節、つまりは高知)だったことで意気投合した半次郎、女の本音が逃げたい一心だと聞かされると、一肌脱ぐ気に。喧嘩の夜打ちを食らった藤兵衛が卑怯な手で苦境を脱するのを見るや、それが気に入らないと、半次郎は逃げる女の手助けをすることに。女芸人の先駆、楠トシエが怪演。(07・6・10)

70. 1960.05.11 人肌呪文  大映京都
(監督:加戸敏 脚本:伊藤大輔 撮影:竹村康和 60年)
天城の銀山で、金鉱脈が発見される。しかし金山奉行を巻き込んで、極秘のうちに、私利私欲のために謀略が。その貯めに父をなくした主人公(勝)が、旗本大久保彦左衛門と手を組んでこの真相を明るみに出そうと画策する。時代劇の“貫禄”がたっぷり、という印象を受ける(07・6・10)。

86. 1961.09.30 悪名  大映京都  ... 朝吉
(監督:田中徳三 原作:今東光 脚色:依田義賢 撮影:宮川一夫 61年)
さすが今東光和尚、と声をかけたくなるほど、本がしっかりしている。当時、人気ナンバーワンの新聞連載小説だった、ということがよく分かるし、以後シリーズ化されていく事情もよく理解できる。勝新フィルモグラフィの中の代表作であるばかりか、昭和60年代の名作の一つと言っていい。主人公朝吉は、女にもてる、ケンカが強い、博打が強い、と三拍子そろい、加えて「義を見てせざるは勇なきなり」そのもの。その朝吉が、床を一緒にした縁に、一人の芸者(水谷良衛)をやくざの組から逃がしてやろうとする。逃げおおせたかと思えたが、捕まって、ある島に、女郎として売り飛ばされてしまう。朝吉と定は乗り込んで、大親分(浪花千栄子)と掛け合いの末、いったん引き取る。女は朝吉と一緒になれると思えばこそ、命がけでついて来たのだが、朝吉には、実は約束を交わした女房(中村玉緒)がいた。このへんが、ただのメロドラマでは終わらせていないところ。(この映画で玉緒さんは、しっかりと終生の縁結びを勝新さんにさせている。頭がよくて気が強い、というここでのキャラが玉緒さんの実状に近いのではと察せられる)。もう一つ、この作品には群像を撮る映像に迫力があった。島の繁華街のシーンは(セットと思うが)、当時の(作品上の設定は昭和初期だが、むしろ60年代の)熱気、土着的雑然、エネルギー、混沌といったものをよく映していた。これが映し出されているからこそ、浪花千栄子扮する大親分の迫力が生きてくる。(07・6・15)


95. 1962.04.18 座頭市物語  大映京都
(監督:三隅研次、原作:子母澤寛、62年)座頭市シリーズ、第一作目の作品。すでに“完成”されている。天知茂扮する、労咳を病み、食い詰めて流れてきた浪人(平手造酒)のニヒルな魅力と、凄みを隠したコミカルな座頭市、という二人の対照が絶妙。市は拒んではみるが、結局はやくざの争いに巻き込まれ、敵方の用心棒である平手と戦うことになっていく。ラスト、市を慕い、村はずれの街道で待っている女を避けるように、山の斜面を迂回しようとする市。盲であって座頭であるという宿命、“哀しい”テーマ。すべてが出揃っている。(07・6・11)

97. 1962.06.03 新悪名  大映京都
時代は敗戦直後。朝吉は八尾の故郷に戻るも、戦死したことになっていて墓まである。そればかりか、終生の契りを交わした女房は他の男と再婚している。朝吉は、慙死した子分、定の故郷に行く。母親に自分の席を詫びることが目的だったが、その母親の貧しさに驚き、引き取ることを決意。しかしさすがに八尾にはいられず、大阪の闇市へ向かう。そこを仕切る三国人の一派、もと朝吉に世話になった土建屋の社長が企んで、闇市の乗っ取りを企てる。定の実弟(田宮二郎が二役)もその片棒をかついでいる。やくざ映画の原点が、戦後の闇市時代のどさくさにあることが分かる。(07・6・21)

107. 1963.04.28 悪名市場  大映京都

(監督:森一生 原作:今東光 脚本:依田義賢 撮影:今井ひろし)
詐欺の肩棒を担がされた清次。詐欺師は柿本といい、男を捜し、詐欺のけりをつけに四国へ渡ると、偽の朝吉と清次がいる。地元のやくざが、柿本を使い、偽朝吉をもたぶらかして、土地の素人衆を詐欺にかけようとしている。偽朝吉に芦屋雁の助、偽清次に芦屋小雁。ラストに藤田まことまでが、もう一人の偽清次として登場する。エンターテイナーの常套とは言え、さすがにうまい。(07・6・21)

112. 1963.11.30 座頭市喧嘩旅  大映京都
(監督:安田公義 撮影:本多省三 脚本:犬塚稔)
ある若殿様に手篭めにされそうになったところを刃向かい、相手の殿様にケガをさせた、と命を狙われる鳴海屋の娘、お美津(若かりし藤村志保が演じている)。そのお美津を江戸に送ろうとする市。途中、金になると踏んだやくざにかどわかされたり、喧嘩場に連れて行かれて、市を呼び出す口実されたりと、災難の連続。市が途中、どんな顔かとお美津の顔を触って確かめるシーンがある。そのとき、とても驚いたような、始めて何ごとかに気がついたような表情をして、手を引っ込める。おそらくお美津の美しさに驚いたということなのだろう。特にどうということのないシーンだといえばそうだが、印象に残るワンカットだった。こういうディティ−ルに演出の手間暇をかけていることが、やはりただならぬ所だと思う。(06・6・13)

113. 1963.12.28 悪名一番  大映京都
(監督:田中徳三 撮影:宮川一夫 原作:今東光 63年)
ある金融会社、社員に金を持ち逃げされたという。金が入らないと、生活がたちまち立ち行かなくなる人たちばかり。その金を取り戻そうと、清次と連れ立って東京に乗り込んでいく朝吉。(東京の人間はいかにも軽佻浮薄、といった演出のワンパターンが、懐かしくも面白い)。金を持ち逃げしたという相手を訪ねると、渡世を張る親分の息子だった。親分は、朝吉の話を信じない。じつは、金融会社とやくざが仕組んだ芝居に騙され、その肩棒を担ぐことになったのだった。(07・6・14)

115. 1964.03.14 座頭市千両首  大映京都
(監督:池広一夫 原作:子母澤寛 撮影:宮川一夫 64年)
座頭市シリーズの特徴(この時代の作品に共通していることかもしれないが)、ストーリーと人物造型がしっかりしていて、チャチではないこと。時代考証も手抜きをしていないこと。(百姓が代官に収める上納金の額が「千両」というのは、はたして事実かと思うはず。10両という額でさえ、当時の百姓にはお目にかかれない金額だったとはずだが、映画的リアリティ(映画的誇張)として「千両」ということなのだろうと思う。当然、こうした誇張は座頭市シリーズにはいくらでもある。例えば落ちてきた千両箱に、市が腰をかけていながら、それが千両箱とは気がつかなかったというのも、人を食った話である。しかしこれは「盲」ということの、映画的誇張)。百姓の一人が、市を酒の場に招こうとして「おめくらさんですか」という件があるが、へんなリアリティがあった。座頭市・勝新太郎の魅力を十分堪能できた。(07・6・15)

121. 1964.10.17 座頭市血笑旅  大映京都
(監督:三隅研次 64年)
「座頭の市」として、広く知られるようになると、見知らぬ親分から喧嘩の加勢を求められたり、逆に覚えもないのに命を狙われたりするようになる。有名税といったもので、その市が、ある悲劇を招く。(「有名」というのは、単に名前が広く知られているというだけでなく、ある作用を知らぬ間に周囲の人間に及ぼしてしまう、という物理力のようなものでもある)。道中、急病に苦しむ女を見つけ、駕籠を譲ったことが仇となり、身代わりに刺されてしまった女。その女は乳飲み子を抱えていて、市は、命を狙われながらもその子を父親の元に届けようとする。(勝さんが、おむつを取り替えたり、と我が子の子育てをしたとは思えないが、赤ん坊を扱う手つきやあやすしぐさは、堂に入っていた。恐れ入るほどだった)。連れになる女との絡みでもなかなかの人情話となっている。座頭市という映画の「懐」の深さと広さを示した作品。(07・6・14)

128. 1965.05.01 悪名幟  大映京都
(監督:田中徳三 原作:今東洸 撮影:宮川一夫 65年)
朝吉と清次が、久し振りに大阪に戻ってきた。鍋を食べに行ったところで、もう極道はやめて堅気になれ、くにへ帰れと説教をして有り金を渡す朝吉。そのため、店への支払いができなくなり、店の娘(水谷良重)に“働かせてくれ”と頼み込む。そこから懇ろの仲になるというやや無理のある設定が、苦労が偲ばれて面白い。さて、連れて行かれた先は、シロウト相手に花札を切る賭場。大儲けをする朝吉。このとき、朝吉とサシの勝負をした女社長(ミヤコ蝶々)が負けを重ねた挙句、掛け金代わりに切った小切手を巡り、胴元の親分をあいてに一騒動生じる、と展開していく。(07・6・15)

134. 1966.01.03 新・兵隊やくざ  大映東京

(監督:田中徳三 原作:有馬頼義 63年)
シリーズ三作目。脱走し、軍事物資の横流しで千金を手にした大宮(勝)と有田上等兵(田村高広)。女郎屋に入ったところで博打に手を出し、結局すっからかんに。売春する女たちを唆し、足抜けをさせ、自分たちで女郎宿を営んでしまう、という痛快な一作。田村高広の生真面目さ、勝の豪快と単純、藤岡琢也と玉川良一の人情味溢れるコミカルさ。いい役者の配置となっている。それにしても、嵯峨美智子の圧倒的な美貌。ある種の「美」というのは、存在そのものであること、圧倒的にそこにある(いる)ものだということを思い知らしめる。そんな女優はもういなくなった。(ひと頃の太地喜和子、多岐川裕美などがそうか)(06・6・13)