トップページへ 図書新聞インタビュー (05年4月23日号 聞き手・福江泰太) ■「レッサーパンダ帽の男」との出会いは運命的だった ──佐藤さんが、このレッサーパンダ帽の男(以下、Yと表記)の女子短大生殺害事件(以下、浅草事件と表記)を追いかけようとされたきっかけは何だったのでしょうか。 佐藤 私が二十一年間勤めた養護学校の教員を辞めたのが二〇〇一年四月。その一ヵ月後にこの事件が起きています。辞めた理由は色々ありますが、その一つに、卒業した生徒たちのその後について何かフォローできないかという思いがありました。卒業後、連絡先が分からなくなってしまう生徒が出ます。そのうち、ある者は某駅の近くでホームレスをしているとか、ある者はサラ金に手を出して家にいられなくなり、行方をくらましているとか、噂はいくつか耳に入るのですが、養護学校にはそうした卒業生をフォローするシステムがないのです。 彼らにしても「福祉の枠」にとどまり、理解者や支援者がそばにいれば、それなりに働き、生活を維持してゆくことができるのでしょうが、小さなトラブルを重ねた末に家族と離れ、「福祉の枠」からはみ出し、どんどん孤立してゆく。そしてどうしようもないところまで追い込まれてしまう。浅草での事件を知った時、Yもその一人に違いないと思ったのです。教員を辞めた直後で、そうした卒業生たちの問題を考えようとした矢先だっただけに、言葉は大げさですが、運命的な出会いを感じたのです。 ──容疑者として報道された第一報から、障害をもった人物だと確信されたわけですか。最初は「養護学校卒」ということは意図的に伏せられていたようですが。 佐藤 新聞報道では伏せられていましたから、事件当初から養護学校の卒業生であるとつかんでいたわけではありません。ただ、人目も気にせずにレッサーパンダの帽子を被り、季節外れの白黒の縞模様のコートを着て、包丁を腰に差して歩いていたのですから、ピンとくるものはありました。養護学校卒ということを知ったのは、しばらくたってからの週刊誌報道だったのですが、やはりそうだったかと思いました。女性教員からそのコートかっこいいね、なんて声をかけられた男子生徒のなかには、ぽかぽか陽気になってもそればかり着てくる子がいました。夏服から冬服に切り替えられなかったり、シャツの前後の間違いを指摘されても頑として直さなかったり、一度こだわりを持つと、なかなかそのパターンを変えることができない子がいるのです。発達障害に固有の「こだわりのパターン」を、Yも踏んでいるのではないか。そんなことを感じました。 ──書名にも「自閉症裁判」とありますが、自閉症という障害を全面に出して争われた裁判というのはこれまでにはなかったのですか。 佐藤 二〇〇〇年五月に起こった愛知県豊川市の一七歳の高校生による殺人事件、「人を殺してみたかった」と供述したことでセンセーショナルに報道された事件でしたが、その時「アスペルガー障害」(知的な遅れを伴わない自閉症)という鑑定が出され注目されましたが、少年事犯なので非公開です。それから二〇〇四年の二月から三月にかけて、埼玉県の所沢市で、小学生の頭を「コッツン」した青年が「連続暴行魔」と大きく報じられた事件がありますが、ここで起訴された青年もやはり自閉症です。この青年は知的な遅れもあり、「訴訟能力に問題あり」ということで、現在、裁判所が裁判停止にしているというケースです。他にもあるかもしれません。けれども「自閉症」を正面にすえ、そのことの意味を深く問いかけた裁判は、この浅草事件がはじめてだと言ってもよいと思います。 そもそもアスペルガー障害が社会的に注目されてきたのが最近のことです。これまでは軽度の精神遅滞、あるいは反社会性人格障害として扱われてきたのだと思います。司法精神医学においては刑事責任能力の有無を問うことが中心ですから、児童精神医学の最新の動向にいまだ対応し切れていない面があります。しかし障害特性をきちんと見極めて事件を考えていかなければ、今後の教訓につなげることはできません。ですから、執筆の最初の意図は、自閉症について何も知らない人に、どういう発達障害なのかを知ってほしいということでした。たいへんなことをしてしまった犯人ではあるけれども、どんな障害を持っていて、その生い立ちはどうであったのか、どんな「裁かれ方」をするのか。そのことをまずは伝えたいと考えたのです。 ■被害者遺族への取材と三つのしばり ──この本の最大の特徴は被害者O・Mさんの両親をはじめとした被害者サイドの取材を、加害者サイドの取材と同じ力量でやられているということです。それによって事件の全体がひとつの視野のなかに入ってきて、これまでにない作品に仕上がっています。被害者遺族への取材は、当初から考えられていたのですか。 佐藤 ご遺族のお話を聞かなければ、と考えてはいたのですが、色々と迷いや逡巡がありました。私は障害をもつ人に関わってきた人間です。取調べや裁判が被告の障害をきちんと認めたものとなっているのか、そのことを書こうとしている人間です。被害者のご遺族から見れば、弁護側の人間じゃないかと映るに相違ありません。かといって、素性を隠して取材をするわけにもいきません。また、見ず知らずの他人が遺族の苦しみに土足で踏み込むようなことをしてよいのか、と躊躇し続けてもいました。その心情に触れたら、書かなくてはならないことが書けなくなるのではないか、という危惧もありました。さんざん迷った挙句、裁判が始まって二年ほどたってようやく自分の本に名刺を添え、こうし立場の人間ではあるがよろしければお話を伺えないか、とO・Mさんのお母さんにお願いしました。 ──被害者の遺族に会われたことで、やはり何か変わりましたか。 佐藤 スタンスがまったく変わりました。O・Mさんのお父さんはしっかりした方で、冷静に事件のことを語ってくださり、お母さんも取材に大変協力的で、よくここまで私に付き合ってくださったものだと本当に感謝しています。遺族の声を直接聞くというのはたいへんに辛いことでした。被害者ご遺族への取材は、結果的には、被告となったYに対してはできるだけ突き放して書く、裁判に関しては私の考えをなるべく控え、できるだけ中立公正に書く、そして、遺族の言葉は、どんなに厳しいものであっても丹念に拾う、この三つを自分に課しながら書こう、そういうスタンスになりました。 ■被告Yを突き放して見る ──Yを突き放して書くということは、感情移入を避け、客観的に書くということですか。 佐藤 それが私なりにつかんだ支援のあり方だったということです。ハンディを持つ人への支援や関わりということを考えた時、最初は彼らの現状に関心を持ち、できるだけ正確に知ろうとするところから始まります。次は共感的にかかわって、理解や関わりを深めていきます。ここまではいわゆる一般的な支援です。しかしもう一つ、社会との「折り合い」をどうつけるかという問題があります。彼らも社会の中で生きて行くわけですから、自分のしたことに対し、時には無条件で頭を下げなくてはならない事態も生じます。例えば私の生徒が近所の子どもに怪我をさせたとする。彼の特性をつかんでいますから、原因があり、そうせざるを得なかった心情を理解したとする。せめて担任くらいは「味方」にならなくてはとも思う。それでも首根っこをつかまえて相手のところに出向き、「謝りなさい」と言わなければならないことがあるわけです。このどこが支援なのかと思われるかもしれませんが、どこかで社会と折り合わなければならないということを彼自身にも、世間の人にも知ってもらう。それは重要な支援だと私は考えます。今回も、私なりにそういう支援をしようとしたのだと思っています。それが「突き放して書いた」ということの意味です。 けれどもこれは、思いの他きつい作業でした。被害者遺族がどれだけ苦しみの中にあるかと絶えず突きつけながら、一見すると「冷たく」描かなくてはならないわけです。障害を持つ人との関わりが中途半端であったり、腰が引けていたらできることではない、障害を持って生きるとはどういうことなのか、自分なりにつかまえていればこそ可能なのだ、そう自分を励ましながら、Yを描こうとしたのです。 またYの証言の信用性がどこまであるのか、その判断も大事でした。Yは暴力的な人間ではない、殴られたことはあっても人を殴ったことは一度もないというが、それは本当なのか。このことが自分のなかで心底腑に落ちて、初めてできたことでもあるのです。裁判ですから、弁護戦略でそう言っているだけで、実は、裏をとってみたら違っていたというのでは話にならないわけです(これは弁護人の主張を疑ったということではなく、できるだけ慎重な判断をしたかったということですよ)。取材を続け、Yの養護学校時代の担任の山元先生やYの弟さんの言葉から、Yが暴力とはほど遠い人間であるという確信を得ましたし、取調べ検事すら、非常におとなしく、行儀よく、凶悪犯人というイメージから相当かけ離れていると証言しています。Y自身も、自分にとって有利か不利かを考えた証言はしていない。そうしたいくつかの納得があって、はじめてこうしたスタンスを取ることができたのです。 ■自閉症という障害 ──検察側は自閉傾向を持つ精神遅滞、弁護側は受動型の広汎性発達障害と、自閉症か否かが争点となり、判決では検察側の鑑定を支持していますが、公判で実際にYを見てどう思われましたか。 佐藤 障害についての診断はデリケートなものです。私は精神科医ではないので断定的なことは言えません。Yはある程度の会話は成り立ちますし、社会的なスキルもあります。どうしたら東京に安く行くことができるかという工夫もでき、作業をこなす操作性も高い。しかし一方で、人が自分をどう見ているか考えたことがないとか、悲しいという感情が分からないとか、抽象的な言葉のやり取りができないとか、いったん思い込んだら切り替えができない頑なさだとか、バランスの悪さは傍聴していても理解できました。これは自閉症の人の特徴です。本を読んでくれた元の教師仲間も、やはり自閉症という感触が強いねと言います。 けれども、自閉症の人たちの独特の応答というのは、なかなか活字では再現が難しいのですね。それがどれだけ伝わっているのか、最も気になるところです。三日くらい彼らと一緒に過ごせば、その独特の応答は納得できるはずですが、自閉症の人とまったく接したことのない人に伝えるのはたいへん難しい作業でした。会話ができるから分かっているんだ、ではなく、彼らの独特の応答の意図を伝えること。それを「翻訳」と呼んだのです。 聴覚障害をもつ人の刑事裁判において、手話を行う立会人を認めるのに、とても長い時間がかかっています。それ以前はまさに差別以外ではない「暗黒の時代」だった。支援する弁護士たちの三十年におよぶ闘いがあって実現されたのです。こうした聴覚障害者や外国人の関わる裁判においては、「通訳」が必要なことは自明ですが、知的障害や発達障害を持つ人にとって、この点がなかなか理解されにくいところです。彼らの話すこと背景を探り、彼らなりの文脈にそって理解をし、それを障害について知らない人に伝える。Yの証言をできるだけ多く拾い、証言や行動の意図がどこにあるのか、その「翻訳」作業を通して、自閉症という障害への理解を試みたのです。 ■加害者支援は被害者支援と対立するか ──この本を読んで、弁護側の裁判の進め方に共感を持ちました。刑事責任能力を問うのではなく、自らがなした結果の重大さにYが気づき、自己反省の場となるようにしたいという方向や、本当に起きたことに愚直に迫ることが被害者の遺族に対してやらなければならないことだという姿勢は、発達障害や知的障害を持つ人の弁護としては、新しい試みではないでしょうか。 佐藤 おっしゃる通りです。被害者のご遺族に出会えたことは私にとって大きな意味を持ったことはすでにお話ししましたが、それと同様に、副島洋明弁護士との出会いもたいへんに重要なものでした。通常のような刑事責任能力のみを問う裁判であれば、ここまで深入りしなかったと思います。副島弁護士は、三十年間、知的障害者の刑事弁護をされてきた方で、聴覚障害者の弁護方法や、アメリカの障害者裁判を研究したりして、暗中模索を繰り返してきました。こういう人がいるんだということで勇気づけられましたし、本当に勉強になりました。資料提供など多くの点で協力をいただいたのですが、副島さんは私に、「思うところを自由に書いてほしい、裁判批判も遠慮なくしてほしい」と言って下さり、これまた私にはたいへんありがたかったのです。もう一人の大石剛一郎弁護士も「弁護人のプロパガンダになる必要は全くないから」と言ってくれました。彼らの活動にシンパシーを寄せる弁護士が少しずつ増えていて、心強い限りです。 現在、毎年二千人近い知的障害を持つ人たちが受刑者となっています。彼らは事実関係をうまく伝えられないままに自白調書を取られ、二、三回程度の公判でおぼつかない証言をして有罪判決を受け、刑務所に送られているわけです。出所しても、触法障害者となってしまえばその福祉支援はないに等しく、引き取り手もなく、働き口もないまま、ホームレスのような生活の末、また同じような罪を犯すという繰り返しです。おそらく自閉症などの発達障害を持つ人も大差ないでしょう。Yの背後には何万という「小さなY」がいるわけです。取調べや裁判のあり方、出所後の支援、このどこかに楔を打たないことには、この循環は止まることはありません。 ──供述調書の話が出てきましたが、Yの場合もかなり問題があったわけですね。 佐藤 まず事実関係の大枠はある程度はっきりしていますから、やった、やらない、を争う裁判ではありません。そして曲がりなりにも「会話」は成立していますから、調書もできている。ところが取調べに際して、警察側には彼の障害に対する配慮がほとんどない。そしてYの一言一言が取調べる側の筋書きにはめ込まれながら調書が作られた可能性が非常に高い。「自分のものにする」という言葉が動機を示す語として警察の員面調書に録取されているのですが、その言葉ひとつにしても、彼自身の真意とかけはなれた文脈で殺意を説明する言葉とされてしまう。自白調書は、日本の裁判では証拠能力が高く、長年供述分析をしてこられた浜田寿美男さんが、警察は自白調書の任意性(自分の意思で話したということ)では絶対に落とさない、と言われていますが、警察と裁判所が絶対死守するその任意性の面にこそ、障害の問題が深くかかわっているわけです。彼らにとって何が「任意」の供述であるか、ということです。 浜田さんはまた、取調べというものがいかに過酷であるか、とも繰り返し言っています。村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』に警察の取調べの場面が出てきますが、警察のいやらしさ、取調べの酷さがリアルに描かれています。通常の大人でさえズタズタにされてしまう場で、まして障害を持つ人が自分を守ることなんて、まずできるはずがない。取調べをビデオに収録して可視化する、障害に精通した関係者の立会いを認めるなどの措置は、是非とも必要ではないかと強く感じます。 ──弁護側はYに法廷でちゃんとしゃべり、被害者に向き合うことを何度となく訴えますが、こうした弁護側の姿勢は被害者の遺族に理解されるものでしょうか。 佐藤 難しいでしょうね。裁判それ自体が苦痛以外の何ものでもありませんし。しかしたとえそうだとしても、加害者の人となりや事件の背景をきっちりと残しておかなくてはならない、と私は考えてきました。副島さんは弁護人として徹底して障害を持つ加害者の側に立つわけですが、「被害者を辱める弁護は一つもしていない」と言います。その通りの弁護だったと私も感じますし、私の書くものもそうありたいということですね。ご遺族に今すぐ理解していただくのは無理かもしれませんが、五年十年経ったときに、何ごとかを伝えることができればと願っています。 ──検察側の主張を全面的に入れる形で、判決は無期懲役となったわけですが、弁護側は発達障害のリーディングケースとなるべき判決を放棄したと批判していますが。 佐藤 最近は、重大事犯の判決が検察の求刑通りになる傾向が顕著ですが、この流れのなかで、結局、刑事責任能力の有無という「問題構成」を司法は超えることができなかった。つまり、責任能力があるから相当量刑で無期懲役という従来のあり方を踏襲したわけです。それは自閉症という障害に対する理解を放棄したものだという弁護側の怒りはもっともなことだと思います。 ──裁判の過程を通して、佐藤さんがいちばん強く感じられたことは何ですか。 佐藤 いくつかありますが、一つだけ言えば、不幸にして障害をもつ人が加害の立場に立たされた時、第三者はどういう支援をすべきなのかということです。被害者の苦しみに全く触れることのない支援は、支援としては弱いのではないか。加害者への支援は、被害者の支援と対立するものなのだろうか、対立しない支援はないのか。そのことを長く考えてきました。加害者自身が、まずは自分のしたことの重大さを理解し、償うということの意味が少しでも分かること。そのためには被害者遺族がどれほど苦しんでいるかを知ってほしいし、知らなくてはならない。私にとっても被害者にきっちりと向き合うことが被告となったYへの支援の出発点であり、必要不可欠なことでした。加害者にとっても(障害の有無にかかわらず)、被害者に向き合うことなくして「罪」も「罰」もないのではないか。それが私のたどり着いたところです。 事情がどうあろうと、なしたことにおいて罰せられるべきだと考える立場の人からは、何だかんだ言っても、結局お前は弁護人の代弁者じゃないのかと言われるかもしれない。逆に障害をもつ人の家族や支援者からは、なぜもっと共感的に書かないのか、彼らがどういう人生を歩むか知っているのだから、ほかに書きようがあったのではないかと言われるかもしれない。私の真意を理解してもらうには時間がかかるかもしれず、両サイドから、こうした批判が出されるだろうことは覚悟しました。 ──責任と贖罪ということでは、Yのつたない反省の言葉をどう取るかということになりますが、これも弁護側と検察側ではまったく対立してしまいましたが。 佐藤 最もデリケートで難しい問題です。本のなかで被告人の法廷証言や資料を提示し、どこまで謝罪しているかの判断を読者に委ねてはいます。ていねいに読んでいただければ私の述べたかったことは届くのではないかと考えていたのですが、受け取り方はやはり人それぞれでした。今回は読者に委ねるという形を取りましたが、言葉は拙いけれども彼らなりに反省してゆく、そのことをどう説得的に伝えることができるか。この問題が、これからの私の大きなテーマだと感じています。 ■ドラマとしての迫力を持つ『自閉症裁判』 ──今回の『自閉症裁判』は、これまでの佐藤さんの仕事に見られるような批評的な言葉を極力排して、取材の積み重ねで、事実を以って事件の全体像に迫ろうとする力が感じられ、ノンフィクションの読み物としても成功しています。加害者、被害者双方の視点を導入した作品は、これまでの事件物のノンフィクションや犯罪批評にもなかったように思いますね。 佐藤 裁判、被害者、加害者と章ごとに視点を変えていくという構成は早い時期から決めていましたが、今おっしゃってくださったように、事件の「全体像」に迫るためにはどんな手法を取るべきか、と考えていたことが、こうした方法につながったのだろうと思います。また私はこれまで批評活動をする一方で、インタビュー集を作ったり、本や雑誌の編集を仕事としてきました。恥ずかしいのですが、三〇代までそうとう熱を入れて小説を書いたりもしてきました。こうしたことが下地になって、今回の形になったのかもしれません。ある人の話に耳を傾けて、その談話や裁判での証言を編集的に配列・構成をする、別のところでは取材したことを積み重ねて小説的な叙述で進めていく、そうした作りになっていますが、これまでの仕事がトータルになって、この形になったのかもしれません。 ──これまでの事件物のノンフィクションや犯罪評論は、どうしてこんな犯罪者が生まれたのか、文学的感性を発動してその生い立ちに迫るものや、犯罪の生まれた風土性、地域性、あるいは時代性との相克のなかで、象徴として犯罪を読み解くものがほとんどだと思います。そういう意味では一方向的です。それと対比すると『自閉症裁判』の特異性が際立ちます。それと同時にドラマとしての迫力がありますね。不謹慎な言い方ですが、こんなに「役者」の揃った事件はそうそうないように思いましたが。 佐藤 私もそう感じます。誠実に私に付き合ってくださったO・Mさんのご両親を初めとして遺族の方、全力を注いで弁護にあたった副島・大石両弁護士、教え子の事件に対し、なぜ自分は何もできなかったのかと問い続けた山元寿子さん、行政主導の福祉のあり方を問う、生活支援グループ「共生舎」の岩渕進さん。それぞれにこの事件のなかで煩悶した方たちばかりです。それから弁護人の理論的精神的バックボーンとなった、精神科医の高岡健さんの存在も大きかったと思います。今回の仕事は、こうした色々な方たちとの出会いに恵まれた結果だと痛感しています。 ──Yの妹さんの短かった人生は、壮絶なものがありますね。 佐藤 貧困のなかで家族を支えるために、病魔を押して勤めに立ち続ける。「生きていて楽しかったことなんて一度もない」と言う。最初に知ったときには言葉を失いました。ただ、この事件の本筋からは離れますから、土壇場まで妹さんの話をどうするか悩みましたが、最終的には入れようと決断しました。ラストの部分は、ノンフィクションの方法から逸脱しているとか、甘いと指摘されるかもしれません。何と言われようと引き受けようと腹を決め、妹さんの人生を書き留めました。兄が事件を起こしたことで共生舎と出会い、死を間際にした最後の数ヶ月に初めて安らかに過ごすことができた。人生の皮肉というにはあまりに凄すぎます。この本は、二十歳になる前に生涯を終えてしまったO・Mさんへの鎮魂をこめたものであることは当然ですが、被告の家族を支えることに翻弄され尽して亡くなった妹さんに対しても、やはり本書を心から捧げたい、そうした願いがエピローグとなったのです。 教育や福祉関係者、精神科医などの医療関係者、司法関係者。こうした事件を二度と繰り返さないために、それぞれの立場にいる人びとが何をしなければならないか、何ができるのか。こうしたことを少しでも問い返してくださるきっかけになれば、と思っています。 |