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犯罪論(1)
 
09・02・20更新(同21日、加筆・訂正)
幼女連続誘拐殺人事件
――「平成」のはじまりと「手触り」の変容

1.
 1989年(平成元年)8月10日午後、その第一報に接したのは、テレビの臨時ニュースでした。

 最初は「強制ワイセツ未遂で逮捕されていた26歳の男がN・Aちゃん(報道は実名。以下同じ)殺害事件の供述をはじめた」というような文面のスーパーが流れたのだと記憶しています。それから突然臨時のニュース映像に切り替わり、わたしはテレビの前から動けなくなりました。暑い、夏の一日でした。「列島に激震が走る」というあまりに月並みな言い方がありますが、まさにそうとしか表現のしようのない衝撃でした。

 その前年、88年の8月から12月までの半年近くもの間、埼玉県の入間川沿いで3人の幼女が行方不明になっていました。12月にはその一人の遺体が発見され、そして年明けの2月には遺骨の入った段ボール箱が、家族のもとに送りつけられました。

 そして同じく2月には「犯行声明文」が新聞社あてに送られ、差出人は「今田勇子」という一見女性風の名前でした。その名前に対し、子どもを亡くした女性の仕業ではないかとか、「いまだからゆうぞう」のもじりではないかとか、ありとあらゆる憶測がマスメディア(とくにテレビと週刊誌)のなかで飛びかっていました。メディアの「空騒ぎ」をあざ笑うかのように、さらに6月には新たな少女が被害に遭い、遺体が発見される、という痛ましい事件が続きました。

 これが、世にいう「幼女連続誘拐殺人事件」です。その容疑者の逮捕と自供が日本中を駆け巡ったのが、平成最初の夏、八月の暑い盛りだったのです。

 8月10日の朝日新聞の夕刊は「A子ちゃん殺害 容疑者を追及」と一段総抜きの大見出しの下に、 「26歳の男犯行供述 奥多摩 遺体の一部を発見」と書かれています。そして翌日の朝刊では 「頭の骨 A子ちゃんと断定 宮崎をきょう逮捕 Mちゃん事件など追及」と見出しが打たれ、この日から容疑者Mの一連の犯行が明るみに出されて行きます。

 わたしはテレビから流れつづける報道や新聞の記事を息を飲んで見守りながら、自分が手ひどいダメージを受けているのを感じていました。むろん当時は、それが何に由来するものなのか、はっきりとは分かっていませんでした。

 使い古された言葉ですが、「犯罪は時代を映す鏡である」と言われます。しかし、まさに「昭和」と「平成」の狭間で引き起こされたこの「幼女連続誘拐殺人事件」が「時代を映す鏡」であるならば、そこにはなにが映っているのでしょう。なにがどう変ったかをひと言でいうのは、とても難しい問題ですが、「時代を映す鏡」という言葉の内実を変容させたことは感じ取っていました。

 少なくともわたしにとってのこの事件の「手触り」は、これまでの凶悪事件や重大事件とはまったく異なっていると感じました(いまでは多くの評者がそのことを指摘しているようです。ただしなにがどう変ったのかについては、各人各様の見解を示しているようですが)。

 この事件が指し示した変容を、あえてひと言で言うならば「古き良き共同体」の解体の始まりです。それまでは比較的に世代を問わずに共有されていた(はずの)共同体物語の「壊れ」です。あの、60年代後半から始まる全共闘運動さえ最終的には壊すことができなかった「共同体の物語」が、もはや止めようもなく崩れていく。これは事後の指摘ですが、あの事件はそのようなことを示唆するものでした。

 ともあれ以後、「幼女連続誘拐殺人事件」の報道は、凄まじいの一語に尽きるものでした。当時のわたしはまだ堅気の勤め人でしたから、直接現場に出向いて取材をするなどということは思いもつかないことで、新たな情報を待ち望み、むさぼるように、報道や論評の一つ一つに接していたと思います。

 Mの住まいのあった五日市線の五日市駅に初めて降り立ったのはそれから20年を経て後。樹木が葉を落とした秋でした。タクシーで、ある取材先に向かっていたのですが、秋川渓谷、奥多摩、といわれる、事件となった舞台を間近に見ていました。

2.
 当時、同人誌のライターだったわたしは、この事件についていくつかの文章を書きとめています。今となっては、お目にかけるにはたいへんに恥ずかしい代物ばかりなのですが、1本だけ、直後に書いたエッセイを引用します。

 そのほうが当時そのままのライブ感を、いくらかなりとも再現できるのではないかと考えたこと。私の「事件・犯罪」に対する基本的スタンスが、少しずつ明らかになっているものであることなど、次第です(ただし、お見苦しくないよう、多少手を加えてあることをお断りしておきます)



「つとむ・みやざき」という物語 1989・10
●初出1989年10月15日発行「ざるう8」

▼ 増幅する「つとむ・みやざき」
「へいせい」最初の夏は、連続幼女誘拐殺人事件の容疑者「つとむ・みやざき」とともに始まり、終わった。テレビや新聞、週刊誌を通じて日々明らかにされてくる情報に耳を傾けながら、なんともやりきれない思いを抱くとともに、これが「へいせい」という時代なのだなと、あらぬことを呟きつづけていた夏でもあった。

 そして、おそらくこのようにして始まった「へいせい」という時代は、彼の存在を追いかけるようにして過ぎて行くのだろうとも考えていた。そんなことをつい思わせるほど、彼の出現は衝撃的だった。

 ところで、幼女連続誘拐殺人事件の容疑者、宮崎勤がわたしたちに与えたこの衝撃の計り知れなさは、いったいどこからくるのだろうか。幼女を四人も誘拐して殺害し、しかもバラバラに切断してしまうというその残虐性だろうか。あるいは、遺体と二晩も「添い寝」をしたり、遺棄した後も何度か出向いて腐敗していくさまを「観察」したり、またそれだけではもの足りず、カメラやビデオに「保存」し、後々まで「鑑賞」しようとした死体に対する異様な偏執の故だろうか。

 あるいはまたゲームを楽しむように、葬儀の日に遺骨を家族のもとに送りつけたり、「犯行声明」や「告白文」なるものを書き送ったりした自己演技性、自己顕示性によるのだろうか。あるいは数にして六千本になるというビデオテープやおびただしい数のロリコンマンガに囲まれ、そこには誰一人として踏み込ませなかったという彼の徹底したマニアックで自閉的な生活ぶりによるのだろうか。……こうしてあげていってもきりがないほど、その一つ一つが衝撃的だったとひとまずは言うことができる。

 しかしもう一つ忘れてはならないことがある。メディアを通して送られてくる彼についての情報は、そのどれもこれもが犯罪の構図に完璧に収まってしまうものであった、という事実だ。生まれつきの身体的な欠損(手の障害)、幼少から青年期までの対人関係や家族関係にまつわる負のエピソード。あるいは彼の社会的不能者としての生活ぶり。そのことと対をなすような自身の趣味への過度の惑溺ぶり。そして住んでいた地域の閉鎖性などなど。彼に関する情報のどれもが犯罪を構成する要素として組み込まれ、意味づけられた。そしてそこに、臆面もなく、と形容したくなるほど加わって行く「憶測」の数々。つまり一切が完璧に「ハマり」、そのようにして「つとむ・みやざき」という物語は作られていった。

 その物語に対し、そんなことは、本当にあり得ることなのかと、一度くらいは疑ってもいいのではないか。ここでは、日に日に増殖して行った「つとむ・みやざき」という物語に対し、いくつかの分析を試みてみたい。

▼ 「犯罪者」という物語
 ところで、人間の「心理」はどうしたところで他者の理解を超え、ときには当人さえ思いも及ばないような「不可解さ」を有しているものだなどということは改めて言うまでもないだろう。しかしその「不可解さ」が露出したとき、わたしたちはきわめて不安を覚えてしまう。「理解できないもの」が目の前にいることに、どうしても耐えられないらしいのである。だから「犯罪者」は、その犯罪が衝撃的で残虐であるほどに、彼の人となりや生活史が、仕出かした「犯罪」という一点に集中して理解され、流布されてしまうという宿命を持つ。

「彼はなぜ、このような犯罪を仕出かしたのか」と、わたしたちは素朴に問う。しかしその問いは挫折する。犯罪者とわたしたちのあいだにある溝を埋めることは、決してできないからだ。しかし、挫折したままその問いを抱え続けていることもまた不可能であるから、「彼はこのような生い立ちを持ち、その故このようなこころの「闇」をもつに至った。そのために、こうした犯罪を犯すべくして犯したのだ」という「物語」を引き寄せずにはおかない。これが、通常わたしたちがマスメディアを通して犯罪者を「理解」するし方である。

 あるいは一方で、犯罪者には、「法」による裁きが待ちうけている。「法」や法的な言語の前にあって、人間存在はその底まで相対化され、類型化される。そこでは個別性や例外は認められない。いや、例外事項でさえ、そこでは類型化されるのだ。情状酌量とは辛うじてその例外に付された法の名であるのだが、それもまた規範の許す範囲で類型化された情状の酌量にほかならない。そのようにして彼の行動や動機は「理解」され、裁かれることになる。そしていうまでもなく、これもまた犯罪者に対して社会が示す「理解」のもう一つのし方である。

▼ 「物語」を作るキーワードその(1)
 例えばわたしが目にした限りでの、新聞、テレビ、週刊誌より、生い立ちから犯罪に至るまでのキーワードを、できる限り時間にそって列記してみる。

「地方の小さな町の名家」「出生時の影響による右手の障害」「おとなしい、目立たない、無口な性格」「不気味」「ぼんぼん」「過保護な母親とほとんど接触のない父親」「長続きしない職業」「チャランポラン」「ビデオマニア・・その数六千本、所有ビデオデッキ五台」「ホラービデオとロリコンビデオ」「自分本位」「退行」 

 これらの言葉に説明の必要はないだろう。
 これらの言葉を眺めているだけで、マスコミが容疑者、宮崎勤の生活史に与えようとしているストーリーが、おのずと浮かび上がってくる。ここには強い意図に沿った選択が働き、彼についての「言葉」はもっと多様でしかるべきはずなのに、それらは徹底的に消去されている。

 けれども情報を選択しているのはマスメディアだけではない。一つ一つの情報を丹念にたどって行けば、ある記事と別の記事のあいだには微妙な差異があることに気づくはずなのだが、受け手であるわたしたちはそんなことにはお構いなしに、マスメディアが送り出してくる物語に同調し、あるいは補完する。一つだけ具体例をあげてみよう。

 彼の少年期までの性格は「おとなしい、目立たない、無口」という言葉に代表されるように、物心ついたときからおとなしくて存在感が薄く、陰湿な子どもだったというのが、わたしたちに与えられた彼のイメージである。

 この「おとなしい…」というのは、中学時代の学習指導要録の性格欄の記載事項であり、しかも書かれていたのはそれだけだった! という。また中学時代の同級生の「この事件の後、四、五人で集まったが、誰も仮のことを記憶していなかった」という証言もある。やや誇張している嫌いもあるだろうが、彼のこうした性格は、ほぼ事実に近いと考えてもいいだろう。

 しかし一方では、「少、中学校時代は、ぼくらと普通に学び、普通に遊ぶ、そう、まったく普通の子でしたね」という証言も存在する。どちらが本当の姿か、と問う必要はない。目立たなくて存在感がなくても、数少ない仲間がいれば、「普通の子」であると考えることは難しいことではない。程度の差こそあれ、誰でもそのような多面性を持つものなのだ。けれども注意を要したいのは、この言葉の置かれている文脈である。

 この言葉は「彼は精神的にどんどん退化している…」と題され、小学校時代から逮捕時に至るまでの六葉の顔写真を並べたグラビア記事に、配置されている。そこではタイトルが示すとおり、人相学に詳しい心理研究家が彼の顔の変貌を追いかけ、

「問題は高校時代の顔。顔がうまく作れない。このあたりで彼は精神的におかしくなっていった」

「成人した彼の顔は、左右対象で、幼児の顔。彼は精神的にどんどん退化していった」と「分析」されている。そしてその裏づけのように、先の中学時代の親友の「証言」と高校時代のクラスメートの証言が,配置されているのだ。

 つまり、「中学時代は普通の子だった」。しかし「高校時代の彼は、イジメにあいやすいタイプだったが、皆、気持ち悪くてイジメをやめた。“魔太郎”みたいでイヤだった」というように、後になって顕在化する彼の「退行化」を強調するために「普通の子」が引用されているのだ。

 あるいは「普通の子」を指摘しているのは「親友」であり、「魔太郎」を指摘するのは「クラスメート」である。しかし、この区別には何か意図があるのだろうか、という問いは、なかなかわたしたちには思いつかないものだ。あるカラクリが潜んでいるのだが、ここでは幼児期から存在感が薄かったこと、高校時代に変調をきたして行った(らしい)こと、それがわたしたちに送られるメッセージなのだと確認して次へすすもう。       (つづく)