日々、非文学なり。 まずは宣伝から。本年七月に『「自閉症」の子どもたちと考えてきたこと』という書き下ろしの著作を上梓した。タイトルからお分かりいただけるように、「自閉症」について、自分なりの見解をまとめたものである。本書で、発達障害関係の仕事はひと休みのつもりでおり、現在(六月下旬)、八月末の脱稿を目指して新しいテーマに取り組んでいる。挑戦中の新領域は「高齢者医療」問題。新書版でのルポルタージュとなる予定である。 この仕事はあるところに四年ほど連載してきた原稿が元になっているのだが、一著としてまとめようとすると、調べなければならない課題が次々に出てきた。深入りせず、適当なところで収めた方がいいことは分かっている(新書は“重い本”にすると売れ行きががくんと落ちてしまう)。ところが、これが案外面白いのである。 高齢者医療について語るのだから、当然ながらフォーマットは「高齢社会」である。厚生労働省は、増大しつづける高齢者という前提で、医療と介護の制度設計をしてきたが、先の「後期高齢者医療制度」にしても、何かおかしい。なぜだろう。よせばいいのに、高齢者が増える社会がなぜ問題なのだろうか、などと考え始めた。 地 方の農山村では、二〇年、三〇年も前から高齢社会となっていた。なのに、どうして大問題とはならなかったのかといえば、日本全体がまだ高齢化していなかったからだ(おかしな話だが)。いま、日本全体が高齢化し始め、いくつかの特徴が現われてきた。 一つ。東京、大阪など、大都市圏の高齢化が著しくなっている現在、農山村はもはや超・高齢化であり、間もなく消滅していく地域が激増すると言われている(限界集落)。さらには五万から十万前後の地方都市の空洞化が急速に進み、それは未来の大都市圏の姿だという。したがって、二つ目。大都市圏域と地方圏域を、同じ「高齢社会」という言葉で語るには実相が違いすぎる。どう対応するか、その処方箋は異なっていなければならない。ところが、内閣府刊行の『高齢社会白書』など、どこをどう見てもこうした視点が見られない。いつまでたっても「都市問題」なのだ。 さらに三つ目。高齢社会の到来がなぜ問題なのかといえば、単に高齢者数が増加するからではない。労働人口と幼年人口が減少するからだ。つまりは高齢社会問題とは少子化問題であり、労働問題、経済問題である。ということは、ワーキング・プアや非正規雇用社員問題など、いわゆる若者問題も含まれてくることになる。つまり、高齢社会問題と少子化問題と若者問題は三点セットになっており、三つ巴の様相となってくるのである。 それぞれの問題、それぞれが専門のセンセイが研究している。しかし横の連携がない。大事なことはどう連動しているかではないか。しかも都市圏と地方圏とで三つ巴の様相が大きく異なっている。この点については誰も指摘してこなかったし、まったく手付かずである。 四つ目。ある新聞のコラムから「定住自立圏構想」なるものを知った。地方の再生はもはや予断のならない段階に達した、現在のままでは十万から二十万の人口を抱える中核都市でさえいずれ衰退をたどる、平成の大合併も道路や新幹線の整備も、決定的な活路とはならない、中核都市を中心に新たな「ひと、モノ、カネ」の流れを作り出し、自立した定住圏域を確立するにはどうするか――これが定住自立圏構想の目的である。ここには、上記三つ巴状況を打開する鍵がある。 以上、高齢者医療から端を発し、地域再生や社会起業など、実学の領域に足を踏み込んで悪戦苦闘している。しかし、非文学的・非芸術的日常が思いがけずも新鮮である。 『路上』111号(08・8)クリック 私が『中井久夫』を特集した理由 筆者が個人で編集・発行している『飢餓陣営』という雑誌の最新号で、大胆にも「精神科医 中井久夫の仕事」という特集を組んだ。執筆者は、滝川一廣、熊木徹夫の各氏ほか6名。筆者以外、精神医学や心理の専門職にある人々である。自由に紹介を、というお申し出をいただいたので、自己紹介も兼ね、気の向くままに書かせていただくこととしたい。 筆者は養護学校の教員を勤めた後、文筆を生業とするようになった。取り組んできたテーマは発達障害を中心に、福祉、精神医療、司法、少年問題というように、かつての職業に関連する領域が多い。「公立学校教員」という枠内での社会的な発言は制約が大きく、その窮屈さに耐えかねて「フリーの文筆家」を決断(妄断?)させた面がなくもないから、これは当然の結果というべきか。 『飢餓陣営』は、教員時代より、年に一〜二回ほどの間隔で発行してきた。誌名は、(いささか気恥ずかしいけれども)宮沢賢治の戯曲より拝借した(賢治作品の方は「饑餓陣営」と旧字を用いている)。八七年の創刊で、当初は筆者自身の発言場所の確保が目的だった。しかしすぐに「雑誌編集」の面白さにとり憑かれた。 特集の企画とラインアップをあれこれと考え、執筆者に原稿やインタビューの依頼をする。テーマは、そのときどきに関心の引き寄せられるもの(結果、思想・哲学、文学、精神医学、社会現象など、多岐にわたることになる)。不躾にもノーギャラでの依頼なのになぜか承諾していただき、一冊の雑誌として形になる。応援してくれる読者も少しずつ増えていく。……こんなに面白くて贅沢な“道楽”はない、と感じながら号を重ねてきた。言ってみれば、好きなことを好きにやってきた雑誌だった。 このように、商業誌でもなければ精神医学の専門誌でもない、小さな個人の雑誌で、「精神科医 中井久夫の仕事」という特集を組んだのである。なんとまあ大胆なことか。自画自賛もこめ、改めてそう思っている。 さて、中井氏の特集を、などと考えたのは、何がきっかけだったか。 * ずいぶん前、本誌『精神看護』が、やはり中井氏の特集を組んだことがあった。(第4巻5号(2001年9月)特集名:「中井久夫を読む――私が“とらわれてしまった”この言葉」)。このとき、「やられた!」と思ったのである。『看護のための精神医学』の復刊にあわせた特集内容で、テーマ設定といい、執筆者のセレクションといい、ツボに入っていた。 雑誌編集の真似事をしているシロウトが、プロの仕事に対して「やられた」もないものだが、意気込みだけは『飢餓陣営』にしかできない誌面を、とたえず考えていた当方である。『精神看護』誌の特集を目にし、いつか飢餓陣営風にアレンジして取り組んでみたい、とこころひそかに思った。これが最初だったと思う。 とはいえ実現のためには準備がいる。中井氏の著作に目を通すだけではたりない。企画者自身のなかで「中井久夫」というテーマが発酵し、熟成してこないことには、企画の立てようがない。そうこうしているうちに時間だけが過ぎていく。このままではいつまでたっても実現は覚束ない。本格的な特集は後日に譲ってよいではないか。今の自身の背丈のままの取り組みでもよいから、とにかく一歩踏み出すべきではないか。 こうして少しずつ腹を決めていった次第である。 ところで、筆者が「中井久夫」というお名前にはじめて触れたのは『精神科治療の覚書』であった。以来手元におき、折にふれてはページをめくってきたのだが、中井氏の文章は、治療を語りながら、“治療行為そのもの”を強く“体感”させる。治療が“現前化”するのである。どうしてなのか。このことはずっと不思議だった。真似ができるとも、してみたいとも思ったことはないが、なぜこのような文体が可能となるのか、その秘密を探り当てたいとは考えてきた。 今回、拙誌の特集に寄せられた論文のいくつかは(いや、すべての原稿が)なんらかのかたちで、この問題に触れている。知と実践、認識者であることと実践者であること、洞察することと治療行為、それらのたぐい稀な調和がどこからくるか。その秘密を探ろうとしているように受取られたのである。ちなみに執筆者とタイトルを記してみる。 ●滝川一廣:患者を守り抜く姿勢/●熊木徹夫:中井久夫随想−論文「薬物使用の原則と体験としての服薬」をめぐって/●伊藤研一:私が出会った中井久夫先生/●内海新祐:翻訳と臨床の出会うところ/●栗田篤志:統合失調症という生き方−中井久夫のまなざしから/●佐藤幹夫:一教師から見た中井久夫の「言葉」 滝川氏のインタビューでは、患者を前にしたところで「治療者」へとモードが移り変わる中井氏が報告される(「憑依する」とは滝川氏は言っていないが、そのような趣がある)。熊木論文のキーワードは薬物治療における「官能的評価」である。精神科治療は「心身二元論」の枠には収まりきらず、その「収まりきらない」ことの復権を、薬物治療とは何かという主題とともに、熊木論文は問いかけている。伊藤氏のエッセイでは、患者の身体の変化に明敏に感応する中井氏が報告され、それは滝川氏の述べる中井像と交錯する、等々、それぞれの着眼のなかで、二元論を乗り越えるべく解読が試みられている。また栗田、内海両氏は、発行者が大いに期待を寄せる若手であり、二論文ともに力作である。 もう一つ、宿題も記しておこう。ここ四、五年のあいだで、医療をめぐる社会情勢は一変した。「医療崩壊」とか「医療難民」などという言葉がメディアを賑わし、もう誰も怪しまなくなった。事実、医師不足、病院の倒産、産科や救急の機能不全など、「崩壊」を示す(とされる)材料には事欠かない。その要因は複合的ではあるが、もっとも最大のものは、財政削減の至上命題のもと、市場競争の原理をこの国の隅々にまで貫こうとした「小泉改革」の負の結果だろうと思う。 中井氏の近著『こんなとき私はどうしてきたか』が、社会事情,医療事情の激変のさなかで世に送り出されたことは記憶されておいていい。筆者の受け取りでは、現代社会に対して強い批評性をもって存在しているのだが、批評性とは、つまりこのような時代にあってどんな医療であってほしいと願うのか、読むものへの問いを強く喚起する力を有するということである。 中井氏自身は、いまがどんな時代かとは問うていない。あくまでも一医療者としてどうありたいと考えてきたかを語っていく。しかしその底の方には、時代や、現代の医療に対する問いかけが、倍音のように響いている(この辺については滝川氏も少し触れている)。 今回の拙誌の特集においては、「時代と中井久夫」という観点からの論及がほとんどできなかった。この点は心残りである。そのためにはかなりの準備と思想的膂力を要するだろう。他日を期したいと思う。 (もう一つの心残り。なぜか気後れし、中井氏ご自身にインタビュー依頼ができなかった。まだまだ根性が足りない編者・発行者であったと猛省している次第)。 『精神看護』08年7月4号クリック |