トップページへ(クリック
ボロ酔い日記
  <9/1〜9/30>08年第4号

9/2(火)「福田首相退陣」だそうだ。
●昨日、緊急記者会見をテレビで見た。最後の「私は自分を客観的に見ることができるんです。あなたとはちがうんです」の捨て台詞が決まっていたな(失笑)。これからこの文句は、メディアの格好の餌食になっていくだろう。

9/4(木)「現代思想」に原稿送付。

●5日締め切りの「現代思想」の原稿、テーマは「裁判員制度と発達障害」。8月中、いくらなんでも関連資料のいくつかは目を通さなければならないだろう、「高齢者医療問題」の原稿、どこで上げることができるか、と自分に”まき”を入れてきたのだが、こちらの方がやっとでき上がり、この日送付する。直し始めるときりがないので、あとはゲラで勝負、と腹を決めた次第。書いてみて、どう決着を付けるか、大いに迷った。それは「裁判員制度」そのものに対して、どういう態度決定を取るかというもっとも肝心の点。おそらく多くの論者は反対の論陣を張るだろう。冤罪や誤審が増えかねないという不安は払拭できないし、国民には何の相談もなくいきなりやるぞ、と命じられたものだから。テレビは、後期高齢者医療制度のときのように、また直後になって大騒ぎするんだろうな。アホなことだ。●様々熟慮を重ねた結果、結局ワタクシは留保つきではあるが基本的に賛成の立場をとることを決断する。理由は、ぜひ『現代思想』誌を手にし、拙稿を読んでいただきたい(他にも浜田寿美男さんや浜井浩一さんの論文が掲載されているし、森達也さんの対談も読めるのだから)。何が決め手かといえば、以下。●これからの高齢社会を支えるのは誰か。「公助」のネットワークであり、そのネットワークの支え手は市民による「参加者」である。このことを、以後のワタクシのキーワードにしたいと考えており、つまりはもう「個人主義」の時代ではないのである。「公助を担う個人」。おそらく、このことがこれからのワタクシの重要なテーマの一つになっていく。裁判員裁判は、その一つの貴重な試みであり、またそうなってほしいと願うことである。単純ではあるが、それがまずは当面の解答である。●蛇足を加えるなら、いまのワタクシの仕事は”世直し”モードに入っている(全面的にではないが、かなりの部分で)。この裁判員制度もその中で考えているわけだが、したがって理念や理想から入るのではなく、まずは現実を認識し、その現実をどう変えていくか、少しでも動かしていくかという順番での、きわめて実践的思考となる。

9/5(金)忙中に酒あり。亀戸でホルモン焼きを食す。美味。
●現代思想の原稿が一日早く上がったので、チャンス到来。これはもう飲むしかない。いまだとばかり、かねてより念願だったホルモン青木に行ってきた。いやあ驚いた。
●亀戸がホルモン焼きのメッカだと知ったのは迂闊にもつい最近のこと。しかもそれを教えてくれたのがまだ学生のKだ。このコは、下北ではどこの居酒屋がどうしたかとか、新宿の西口のあの店はどうだとか、モツ煮込みは恵比寿のなんだだとか、ナンデこんなことばかり知っているのか。ちゃんとベンキョーしてるのか(おめえに言われかねえよってか)・・・と思ってしまうほどの御仁である。●JR亀戸駅を出て小路を入っていくと、ギョ−ザ屋にホルモン焼き屋が軒並み並んでいる。これは本格的じゃあねえか。亀戸なるところが一気に気に入ってしまった。見つけたのがホルモン青木。なかなかイケタ。一緒に行ったOさん、マッコリのボトルをひとりで2本もあけてしまい、結構いい気分になっていた。ワタクシはこの日は、食べる方に専念した次第。

9/7(日)西尾幹二先生の『GHQ焚書開封』(徳間書店)読了。
●敗戦直後、GHQの占領政策によって回収され、焚書の憂き目にあった膨大な資料図書。その収集にこれまで多大なエネルギーを注ぎつづけてきた著者の情熱に、まずは大きな敬意を払いたいと思う。ワタクシは西尾氏の政治発言のすべてに賛同するものではないけれども、しかし歴史認識の基本部分や文化認識のあらかたはうなずくことができるし、とくに文化や芸術、文学に対する見解に接すると、教えられることばかりである。氏は、右だとか左だといった単純な物差しで計って済ませられるような、チャチな表現者ではない。どうしてそのことを理解しないのかと、ワタクシはいつもこの国の知的風土の党派的セコサと怠慢に苛立ちを感じる。著者の孤独は、おそらくワタクシなどが想像する以上に深いことだろうと推測する。●本書は、ひと言で言えば、西尾氏の怒りの書である。自国民の貴重な歴史証言が、アメリカの政治的意図のもと、大量に始末されたのであり、それに対する氏の怒りはまったく正当である。また、本書の特徴はそれだけにはとどまらない。焚書の対象とされた資料に注がれる著者の眼ざしは、一方では冷静で客観的たらんとする歴史家の眼であり、もう一方では人間の旺盛な洞察者たらんとする文学者のそれである。このことを言い換えれば人間の社会性あるいは社会的存在としての人間に対する観点(歴史家の眼)と、実存を生きる個人に対する文学者の存在論的観点、という二つのまなざしが、一つの資料に拮抗するようにして注がれている。そのドラマの面白さが本書の白眉だろうと思う。
●二つ目。本書を読むと、敗戦国になるとは、まさにこのようなことをいうのだということが再認識される。歴史証言を大量に、意図的に奪われてしまうという屈辱。歴史事実そのものが隠蔽され、改竄されるという痛苦。その所業がいかに残酷で野蛮な行為であるかを痛感する。占領国の横暴ばかりではない。当時第一級の知識人と目されていたはずの、わが国の御用学者たちまでが、唯々諾々と命令を受け入れ、協力し、焚書を遂行していく姿が著者によって描きだされているが、それはたいへんに物悲しいものである。●現代でもかたちは異なれ、同じ物悲しさが再生産されている。江藤淳以降、どうして他の近・現代史の研究者・学者たちがこの問題に触れずにすませて来たのかと言えば、本書で西尾氏が批判している「大家」たちへ言及し、彼らの愚行を批判する危険を避けるためであろう。「大家」への批判は、批判するものを孤立させかねない。おそらくはメディアからも敬遠されるかもしれない。しかし近年の西尾氏の仕事は、「孤立」など何ほどのものか、という迫力がさらに漲っている。本書は3巻、4巻と継続されるという。著者の健康を祈念しつつ、続刊を待ちたいと思う。

9/8(月)PHPにて西尾幹二先生のインタビュー
●西尾先生の「三島由紀夫の死と私」の最終章のインタビューのために、PHPへ。序章は順調に進んだが、最終章は、直接西尾先生が筆をとられることに落ち着く。●終了後、市ヶ谷駅前の居酒屋にてご馳走になってしまう。歓談するなかで、西尾先生よりたいへん思いがけない申し出を受けた。来年以降、ひょっとしたら飢餓陣営を舞台として、驚くようなプロジェクト企画が進行するかもしれない。お話を伺ったとき、全身のアドレナリンが一気に噴き出したように感じられた。それがどんなものか、まだ公開できないが、皆さんもめちゃくちゃ驚かれる企画であるだろうことは間違いない。それこそ、飢餓陣営を、身銭を切ってまでここまで続けてきた甲斐があったというものである。●明日からテープ起こし作業の開始。

9/9(火)また一人、お訣れをした
●月曜、突然訃報メールが入る。NY君、突然の死。享年31歳。お顔を拝見させせてもらったが、N君、笑顔だった。「お疲れさん。ここまで、本当によくがんばったな」と心の底から思った。心臓に持病を抱え、1日が人の3日分くらいあったろう。ある場所で作業中、眠るように亡なくなっていたと言う。●相撲界はほんとにどうするんだ。北の湖理事長さん、引責辞任との新聞報道。この人とは同年生れ。まだ20歳前のときだったと思うが、すごい強い力士が出てきた、自分と同じ歳だと知ったときには、他人事ながら晴れがましかった。「湖」と書いて「うみ」と読ませる四股名も、とても斬新でいいと思った。相撲の天才が社会人、職業人として優秀であるとはかぎらない。「経営」(マネジメント、広報など専門分野)はその道のプロに協力してもらった方がいいと思うが。

9/12(金)岩波書店へ。その後松戸に回り、「ちえのわ」のメンバーたちと合流。
●『高齢者問題』の第1稿について、いくつか新書編集部のOさんより助言と批評を受ける。発行は09年1月に決定とのこと、10月末を最終入稿日とすることなど。国政選挙の絡みもあるが、秋から冬にかけて高齢者医療問題がメディアに浮上する。時機を逸してしまわないかと不安も覚えるが、決定とのことなので仕方がない。●「ちえのわ」のメンバーと松戸で飲む。彼らは滝川さんとワタクシを講師に招いて、足立区での講演会開催を企画している。その打ち合わせを兼ねた飲み会。ワタクシのテーマは新著の発売に合わせたもの。じつはこれまで「自閉症」だけのテーマで、2時間話した経験がない。うまくできるかどうか自信がないが、せっかくの機会なのでともかくやるしかないでしょうね。●酒が進むとともに、だんだんと福祉の職場の話に。やる気のある若い人が、なかなかうまくやる気を結果に結びつけることができないもどかしさを語っている。ワタクシも、むかしはそうだったな。職場の雰囲気をつくりあげるための戦略をどうたてるか。片腕、相棒、ブレーン、理解者、協力者、言葉はなんでもいいが、とにかく仲間を見つけること。一人で戦うことはとても難しい。少しずつ巻き込んでいくこと。・・・昔のことを思い起こしながら、そんなことを話していた。エラそうに、説教にならないように心して話したつもりだったが・・・。●6日に報じられた、食用と偽って売りさばいていた「カビ米」の問題の続報。「カビ米=事故米」を広範囲にわたって流通させている。しかもその流通の過程にはいくつかの業者が入っているから、バブル期の「土地転がし」ならぬ「米転がし」である。倉庫に溜まった米を安く買い入れ、転売しながら値段を上げて稼ぎをつくっていく「米転がし」じゃあねえか。学校給食、特養、病院などに出回っているとの報道され、確かに回るとすれば一般家庭より大量にまとめて購入する学校や施設のほうが、売りやすい。こうやって報道されて外に出てきているのはほんの氷山の一角だろう。しかしふざけた話だ。

9/14(日)しょ〜と・ぴ〜すの会
●拙著『「自閉症」の子どもたちと考えてきたこと』がテキスト。椅子が足りなくなるほどたくさんの方が集まってくれた(とくに仙台から新幹線でやってきてくれた東北文化学園大学の講師の方がいたのには驚いた。ありがとうございました)。福祉業界以外の読者がどう読んでくれるか、うまく伝わってくれるか、ということが一つの生命線だと感じてきた。その点では、Yさんのリポートはじめ、非常にありがたい読後感をいただいた。(当然、うまく伝えきれていないと感じられるところもあったが。そうした宿題が残ることは当たり前のこと)。●さて、しょ〜と・ぴ〜すの会のちょっとしたジンクス。それは何を隠そう「この会で評判のいい本は、いまイチ売れ行きで苦戦する」ということ。皆様、かようなジンクスがあることに気づいておられましたか?●つぎは二次会にての話。Uさんより、シャンソンの会があるから、来なさい、とお誘いを受けた(来ない? だったか、来てくれない?、だったか、忘れた)。これまで積んできたレッスンの発表の場である。師匠である方がたいへん素晴らしい歌手で、間違いなく一見(一聴)の価値ありと、盛んに強調する。期日を聞くと9月29日。うーん、おおいそがし真っ盛りのときかあ。・・・・どうしようかなあ。Yさんは、一人では嫌だが佐藤が行くのなら・・・、みたいなことを言ったような、言わないような。ワタクシ、Uさんには、『人間学アカデミー』の立ち上げのさい、たくさんお世話になった、いわば恩義アルミ(アルミではなく”ある身”)である。人生のししょう(支障or師匠)であり、元シャンソン歌手(??)であるNさんに相談して決めようと、とりあえずその場は、行くような行かないような返事にとどめさせていただいた。ちょっと不満そうなUさんであった。ここはこれで済んだが、この夜のこの話が、その後のワタクシの人生にどれだけ大きな影響を及ぼすこととなるか、このときには誰ひとりとして気づくはずもなかった(あたりまえですが)。

9/17(水)
●PHPより依頼されていた浜田寿美男さんのゲラ校正を終え、編集部のAさんへ送付す。

9/18(木)清水眞砂子さんの自伝について
●健保連に原稿を送る。●清水眞砂子さんの『青春の終った日』(洋泉社)読了。
●これまで自伝というジャンルを一生懸命に読んだ経験を持たないが、読後、自伝というものはなかなか面白いものだと感じた。”つんどく”状態だった入江隆則さんの『告白』にも自然と手が伸び、ページをめくっていた。(入江さんという方はよく存じ上げない。文芸評論家だということは知っていたが、これまで著作を手にしたことはなかった。それでも、やはりおもしろく読めた)。●清水さんの本は、まさにタイトル通り”青春”と呼ばれる時期との別れまでを題材としたセルフヒストリーである。大きな波乱万丈物語が描かれるわけではない。またそのことを目的としてもいない。戦後間もなくの時期の、とりあえずはどこにでもありそうな家族。この頃多くがそうであったように、たくさんの兄弟姉妹のなかで暮す少女。もしこの少女に個性らしきものを見ようとするならば、利発さと、多感さと、とてもしっかりとした子だなあという印象だろうか。しかし他の子どもと違う点――いわゆる個性とか彼女の特徴と言われているもの――に対する著者の筆は、とても抑制的に働いている。できるだけ普通の子のように、普通の子のように描こうとしている。ここに、この自伝の一つの特徴があるように思える。
●この少女の強さは、おそらく、並外れたものではないか。芯の強さとか、気の強さとか、性格の強さといったものとはまた違うものだ。しかしまた、この強さは、弱さでもある。どういったらいいだろうか。過剰だからだ。文学にたどり着かざるを得ない過剰さ、とでもいえばいいだろうか。(漱石も太宰も志賀直哉も、どこまで自分の中の過剰さを見据えることができるか、凄まじい記録を残した。彼らの過剰さも、弱さでもあり、強さでもあった)。著者が一生懸命抑制しようとしているのは、そのような過剰さである。文学を生きる場とせざるを得ない、ある強い力。それに対して得意げになれば、いつでも他人を踏みつけようとしたり、権力をもぎ取ろうとしかねない力でもある。●文学という場所があることによって、いつ壊れてもおかしくないものが壊れずに済んでいる。良いものも良くないものも、さまざまなものを見てしまい、背負い込むことになってしまう。当然激しい葛藤が生じることになる。しかしその葛藤とは、どこかで和解しなければならない。折り合いをつけないままでは、この人生は到底生きていくことは難しい。自伝というジャンルがこのようなものまで描いてしまうのだということ。面白くもおそろしいジャンルであると感じた次第。

9/20(土)久しぶりの『人間と発達を考える会」。
●欠席者が4名いて、少し淋しい会になるかな、と思ったが、議論はいつものように活発に行われた。滝川さんが、用事のために二次会を欠席という珍しい出来事もあった。●次回はワタクシの『「自閉症」の子どもたちと・・・』がテキストとのこと。

9/24(水)
●東京都のある研修事業に伴う講演会の打ち合わせのため、Aさん、Tさんと東京駅で待ち合わせる。いくつか面白い話しを聞くも、ちょっとオフレコだろうな。Aさん、Iさんには、今後も私のほうは全面協力していくつもり。●王監督、勇退の報道。プロ入りして50年とのこと。ワタクシが6歳のとき。ものごころついたときには、ONはプロの一流選手として野球をやっていたわけだ。

9/29(月)急遽、新企画の発進。

●麻生さんが自民党総裁になったらしいが、とくに感想はない(麻生さん、最初に選挙に立ったときの第一声が、「シモジモの皆さん」というものだったそうだ)。●本題。27日に、Y先生取材のためホテルオークラへ。一つは療養病床問題について。もう一つは「老い」をテーマとする次々作の取材のため。話しているうちに、「できれば12月のうちに、療養病床問題で1冊本ができないか」との依頼を受ける。12月刊行ということは、原稿を仕上げる期間が1ヶ月しかない。●Y先生の原稿の手伝いはワタクシもさせてもらうが、一人で書くのは厳しい。共著ならできるかもしれない。・・・。ワタクシの編集アタマがいろいろと回り始める。そこで、元財務官僚のMさん(すでに内情を書いた原稿を「中央公論に発表している)と共著にしたらどうか、共著ならば、まにあうかもしれにあ、と提案。「大丈夫だろう、Mさんの承諾は得られるはずだ」と言うので、そちらの手配をY先生にお願いし、ワタクシはPHP新書のHさんにその場で電話をする。テーマ、執筆者の略歴、セールスポイントはどこか、などの説明をすると、前向きな返事で、上(社長)と営業さえOKならば問題はない、とのこと。それが土曜。●そして月曜のこの日、Mさんより承諾の返事が入ったとの連絡が入ったので、すぐに企画書をまとめ、Hさんに送付する。(数日後、Hさんからも企画が通った旨の連絡が入る)。●ワタクシは、アドレナリンを全開状態にして、一週間以内にテープを起こし、原稿をつくらなければならない。テープは9時間ほど回している。しかし聞きなおしてみると録音状態が最悪(3倍速ではなくノーマルで録音すると、音質ががらりと悪くなる)。非常にやばい状況だが、グチっている暇はない。とにかく原稿を作らなければならない。10月の仕事は、まずはこれから。(12月にPHP新書として刊行が予定されているので、ぜひともお楽しみに)。