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ボロ酔い日記<6/13〜7/25>14号 6/13(水)「バベル」について ●『健康保険』に原稿を送る。山口県にあるデイサービスを取り上げているが、なぜ建物も、全体の雰囲気も内容も、様々な仕掛けを施して「祭り」仕様にしているか。考えているうちに意外な発見があった。(養護学校での取り組みを、基本的発想を残して内容をアレンジすれば、認知症治療に大きな効果を与えるのではないかという仮説にたどり着いた次第だが、詳細は次の本できっちりと述べてみたいと思う)。●寝屋川のゲラ2校目が届くまで、小休止。その合間をぬって、有楽町シャンテ・シネに「バベル」を観にいく。切符を求めてオバさんたちがずらりと並んでいる。一瞬たじろいだが、水曜は女性半額デーで、そのために出現した大量のオバサンタチのようだが、映画ファンの気配が濃厚だった。彼女たちのお目当ては「バベル」ではなく、封切りされたばかりの方だった。(まあ、当然ダナ。今頃になって「バベル」を観に来るのは時期遅れだから)。●さてその『バベル』、4つのストーリーが同時進行する(物語を重構造にすることは、この監督得意の手法だ)。一つ目はモロッコの山間で暮す一家の人間模様。とくに男の子たちの様子がエピソード風に描かれていくが、父親が深い意味もなく銃を購入したことから悲劇が始まる。ある日、兄弟で競うように銃の腕試しをし、弟が一台の観光バスを狙い撃ちする。不幸にも乗客の一人に命中してしまい、そこから父親と男の子たちが警察に追われることとなる。これが一つ目のストーリー。二つ目は、ブラッド・ピットとケイト・ブランシェット演じる、モロッコを旅行中のアメリカ人夫妻の物語。妻は観光バスに乗車中、先の子どものために首を撃たれ、瀕死の重傷を追う。場所は辺鄙な山間地域。病院はなく、医者もいない。撃ったのはテロリストか、ということで外交問題に発展し、救援にひどく手間取ってしまう。●三つ目は、役所広司(実は彼は銃の所有者であり、身元確認のため警察が動いている)と、聾であるその娘(菊池凛子)が演じる葛藤の物語。トウキョーを舞台としているが、高校生の生態をよく捕まえていた(ただし菊地凛子の肉体は、高校生としてはあまりにヘヴィー。アメリカ人には違和感はないかもしれないが、日本人から見ればあまりに大人のカラダ。これがどうにも気になった)。四つめは夫妻の留守宅で生じる悲劇。ベビーシッターは子どもたちを連れ、メキシコで行われる息子の結婚式に出向く。帰路、運転をしていた甥が酒気帯で逮捕されそうになる。検問から逃がれるため、子どもたちとベビーシッターを砂漠に置き去りにしていき、死の危険にさらされることになる。●この四つの物語に共通するのは、きわめて絶望的な状況にあること、あるいは招いてしまったこと。深刻化するコミュニケーションの不可能性、とまとめてしまえば、まさに「バベルの塔」的な主題となる。しかしそれでは、きわめて図式性ばかりが際立つことになり、この作品の豊かさが消えてしまうのではないかと思えた。
●この作品の特徴はなにか。ひとつは、モロッコ、メキシコ、トーキョーを、物語の舞台として選んでいること。なぜこの3つの地域が選ばれたか。ワタクシが目にした範囲では、どの評論家もこの問題には触れていない。推測になるが、この監督の、アメリカという国をめぐる政治的感度が、この三つの舞台を選ばせたのではないか。言い換えるなら、ここから政治的メッセージを読み取ることも可能ではないか。アメリカは現在、絶望的で悲劇的な状況にある。しかしそれはアメリカ一国だけで解決できることではない。アメリカと深い関係にあるモロッコ、ニッポン(トーキョ−)、メキシコというそれぞれの国も、それぞれが”厄介で悲劇的な状況”にある。これらが連動していることを四つの物語に託すことで、アメリカ自身の絶望を立体化しようとしたのではないか。(パンフには、山北宣久という牧師が「血を流すモロッコ、暴走するメキシコ、怒りのアメリカ、傷だらけの日本と語られるが、これは世界と現代社会のヒナ型なのだろう」と書いている。問題はこの先である)。●二つ目。受難、あるいは受苦ということと、映像のもつ象徴性。おそらくキリスト教的象徴を、どう映像的に示すことができるか。そのことが、この監督がもっとも力を注いだ点ではなかったかと推測される。寓意としての映像。「バベル」というのは物語的主題であるとともに、あるいはそれ以上に、映像的主題であることが重要なのではないかと思われた。●帰り、まだ明るかったが有楽町駅のガード下でホッピーを呑んだ。 6/16(土)つげ義春的酩酊へ ●居酒屋めぐりの指南役、Nさんと1時に船橋駅に集合し、まずは寿司屋で軽く腹ごしらえ。いつものこととは言え、1杯のつもりが、3杯になり、5杯になり・・・・。結局二人とも、いい気分。しかしこの日の目的は別のトコロ。面白い店だゾ、とNさんに案内されてたどり着いたのが、写真の店(ナントカという名前があったはずなのだが、どうしても思い出せない)。●京成船橋駅界隈は、開発のため、小さな飲み屋やスナックなどはすべて取り壊され、ビルの合間に虫食いのように荒地が残っている。いずれ一帯に大型ビルが建設されるのだろう。その間に、辛うじて1軒だけ、お婆さんが営むこの店が残っていた。不思議な爺さんが、店の主のように座っていた。毎日、昼からいるのだという。ご亭主ではない。赤の他人だのことだが、昼日中から、一人店に座り、ウーロンはいをちびりちびりと舐めている。話し掛けると、ちゃんと受け答えをする。ときどき、お婆さんに悪態をつく。「そんなにイジワルヲして、ほんとは、惚れてるんでしょう」というと「そうだ、分かるか」と微笑んでいる。不思議な爺さんと、にこやかな顔で客を和ませる婆さん。ビルの谷間に、奇跡的に残る小さな居酒屋。まさにつげ義春的居酒屋である。●ワタクシもお婆さんにからかわれながら呑み始めると、一気に”つげ義春的酩酊”に襲われていった。やがてもう一人のオバサンが現われ、客かと思ったらそうではなく、カウンターの中に入ってワタクシたちの相手をし始めた。やがて哀愁のキャメラマン、Kさんも合流。例によって「つまみがまずい」とかなんだとか、一言居士の面目躍如。そんなことはまったくノープロブレムじゃないか、とワタクシ。やがてすっかり出来上がっていたNさん、明日は山形にさくらんぼ狩りに行くからと、一足先帰っていった。それからまた飲む、飲む、飲む・・・。●はっと気がつくと、12時に近い。「終電の時間だ」とあわてて立ち上がると、「あらさとうさん、もう帰るの。まだいいでしょうよ」とおばあさん。どこからともなく「泊まって行ったら?、朝まで飲んで、始発で帰ったら?」と、悪魔のような”つげさんのささやき”が聞こえてくる。たいへんにまずい。やっとのことで”悪魔の囁き”を振り切り、Kさんをあわてて追いかける。まさか、あのつげ義春が、ワタクシに憑依してくるとは。・・・。世の中は奥が深い。改めてそんなことを感じた夜であった。 6/27(金)アンリ・カルティエ=ブレッソン展で胸ふるわせ、早稲田古本街で怒る ●アンリ・カルティエ=ブレッソン展を観に近代美術館へ。昔から写真集を眺めていたとは言え、参ったね、どうすればこんな写真が撮れるんだ? 彼には、こんなふうに世界が見えているのか? こんなふうに見てしまうのか? そんな思いがどんどん強くなって行った。特別、奇を衒っているわけではない。いわゆる”大向こう受け”を狙っているわけでもない。しかし、その構図は抜群であり、人物の表情は強く訴えかけてくる。光と影のコントラストは、一枚の写真のなかにドラマを造っている。溜め息をつきながら、2時関あまり、至福の時間を過ごした。●カルティエ=ブレッソン。1908年、パリの富俗な家庭に生まれる。30年代初頭より、本格的に写真を撮りはじめ、47年にロバート・キャパ、ヴァンダイバーらと、写真集団「マグナム」を設立する。52年には最初の写真集を出版し、そのアメリカ版のタイトル『決定的瞬間』が、ブレッソンのすべてを現わす代名詞となる(フランス版は『逃げ去るイメージ』)。以降、次世代の写真家たちに大きな影響を与える、当代一級の写真家となる。●もう20年近くも前だったか、手ごろな値段の写真集を買い求めていた時期があった。そのとき『THE EARY WORK』を手にしていたのだが、写真だけを見て選んでいて、当時はブレッソンという名前を知らなかった。すぐにその魅力にとり憑かれ、所有する写真集のなかでは一番ボロボロになっている。●下の写真、左側の壁の造る線を消すと、面白いが平凡な写真になる。右側の影を消すと、全体が間延びする。左に立つ人物は壁穴から覗き見し、右に立つ人物が、ちらりと何かに目をやる。おそらくブレッソンはこの瞬間を、右側の人物がこちらに顔を向ける瞬間を狙っていたのではないか。周辺の光景から独特の構図を発見してしまう眼。不思議なものだと思う。 ●家に帰るつもりで竹橋駅より地下鉄に乗ったが、あんまりボーっとしていたせいか、反対方向の電車に乗っていた。早稲田駅で気がつき、あわてて飛び降りた。それなら、と思い返し、早稲田の街に出た。ちょうど探しておきたいと思っていた本や資料があり、久し振りに古本街を回ってみる気になった。探していたのは、50年代から60年代を中心とした日本映画、中でも大映を中心とした監督や作品について書かれた資料である。アマゾンで検索してみると、この時期の日本映画についての批評や作家論は、小津、黒澤、溝口に集中しており、他の監督たちのものがほとんど見あたらないのである。それなら5年後のために、今から『キネマ旬報』や『スクリーン』など、雑誌のバックナンバーをコツコツと集めておこうと思った次第である。●20数軒ほど回り、結局購入したのは『映画芸術』の70年代のバックナンバーを20冊ほど。他に、進藤兼人『ある映画監督−、溝口健二と日本映画』(岩波新書)、内田吐夢『映画監督50年』(日本図書センター)、『RESPECT田中徳三』(シネ・ヌーヴォ)、勝新太郎『俺、勝新太郎』(廣済堂)、田中徳三『映画が幸福だった頃』(JDC)、稲垣浩『日本映画の若き日々』(毎日新聞社)など。くり返すが、小津、溝口、黒澤だけが日本映画ではない。しかし三隅研次も、森一生もない。安田公義もない。あまりの資料の少なさに、義憤すら感じながら古本屋を回っていた。●陽射しの強い日だったが、怒りがさらに喉を渇かせたらしく、どうしてもビールが呑みたかった。しかし、荷物が重い。早稲田で飲んで、重い荷物を背負って帰るのは、ちと辛いものがある。一度家に帰り、それから出直して、いつもの「松の家」で呑んだ。レバ刺しが焼酎によく合う。つい、二人前も食していた。 6/28(土)違和感を覚えたこと ●光市の、母子殺人事件の差戻し審のニュース。鑑定医の証言が流れた。「中学時代に自殺した母親のことを思い出し、被害女性を母親のように幻想し、触れたいと思ったもので、いわゆる性犯罪とは異なっている。母親を求める心情が濃厚である。もっと早期に私が鑑定していれば、凶悪性犯罪というくくりでマスコミに流されることはなかったはずである」云々。メモを取っていなかったので正確な再現ではないが、このようなことを述べていた。●激しい違和感を覚えた。いまだこうした精神分析がつくる「物語」を、精神鑑定と称して行っているのか。「母親を求めて」云々は、どう検証されるのか。その真偽は検証のしようがない。加えて、仮にそれを認めたとしても、犯行にいたる要因は、生育史的ファクターだけではない。様々な要因が複雑に絡み合っているはずである。このような鑑定がいまだ大手を振って行われることへの違和感。そして”専門家の鑑定”として、テレビで流されることは、精神鑑定に対する一般の人びとの不信感を募らせこそすれ、決して信頼を得るものとはならず、そのことへの強い疑義。●むろん直接取材をしたわけではないから、話半分の印象だと受け取っていただきたいが、被告本人の供述も、報道が伝えるかぎりでは不自然だと感じた。一貫性がないこと。ためにする方便としか感じられないこと。それははっきりしているではないか。弁護団にも違和感がある。被害者遺族である本村氏の心情は察してあまりある。一般の読者や視聴者にとっては、ワタクシの著作も、こうしたいわゆる”人権派”の人びとの主張と同様のものと見なされてしまうのか、と考えると、暗澹たる気分になる。●オクサンの温泉土産の地ビールを呑みながら、テレビに向かって、そりゃあねえだろうと、一人、いきり立っていた。直接フォローなしでの感想であると再度断りつつも、しかしこの違和感は書き留めておきたかった。 7/4(水)寝屋川・控訴審始まる ●寝屋川事件の控訴審が、やっと始まった、と弁護士のTさんよりメール。証人の人選も決まったようで、少年刑務所関係の人もいるという。日程は8/28,9/13と行い、9/27で結審するという。都合が許せば、ぜひとも傍聴してみたいと考えているが、どうせならと、岩波の担当編集者Yさんへ、裁判傍聴記の掲載について打診する。また、2校目の校正が済んでいるが、3校目で、末尾を差し替えることができるかどうか、問い合わせる。 7/7(土)宿題−年内に花火を打ち上げること ●発達障害研究会(仮称)。滝川一廣さんが加わって3回目となる。1回目は『「こころ」の本質は何か』をテキストとし、2回目が「自閉症児の遊戯療法入門」と「言葉の発達」を、そして今回の3回目が紀要論文の「発達からとらえた発達障害」と「発達障害再考」(『そだちの科学』8)と、ここまで滝川さんの論文を読む作業を続けている。さながら滝川研究会の観を呈して来ているが、会員の皆さん、大いに満足をしているようなので、結構なことと思う。●自閉症=脳障害論は相変らず世間を席巻しているが、滝川さんの「発達障害再考」は「診断と脳障害論」とサブタイトルされており、現状への徹底した批判となっている。これ以上の批判を、いまのワタクシには思いつくことができない。どうアレンジするか、機会があればワタクシなりに試してみたいと思う。●この発達研、現在、メンバーが13名となった。いずれも福祉やその関係者である。議論も、それぞれの現場でかかえていることが中心となるから、ときにシビアな話となる。この発達研を、以後、どう大きなアピールとしてプロデュースしてゆくか。ワタクシとメンバーの宿題である。年内には、一つ、花火を打ち上げてみたい。 |