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      ボロ酔い日記<3/25〜4/28>リニューアル12号

3/29(木)
洋泉社新書用、板橋事件原稿、送る。担当弁護人の高岡弁護士も力説するように、この判決はまったくひどいものだと思う。なぜひどいか。成人の裁判以上に応報感情の色濃いものとなっていることが一つ。裁判長個人の資質以上に構造的な問題がある、と考えるか、個人の資質が大きいと考えるか、評価は分かれるだろう。しかし応報感情の露骨な判決である。●二つ目。年少少年に対する感度が皆無であること。子どもに接するときの感性は、相手が刑事事件の被告人であろうと変わらない筈だと思う。それが分かっていない。校正の段階で、はっきりと批判色を出そうと思う。●西尾幹二先生の三島論、テープ起こしを再開。

3/30(金)
国立新美術館へ足をはこび、「異邦人たちのパリ 1920−2005」展を観る。ポンピドゥーセンターの所蔵品展で、規模は大きくはないが、それなりに楽しめた。第一展覧室からずっと観ていき、ピカソのところに来たとき、この人はやはり掛け値なしの天才だと思った。フジタもシャガールもモディリアニも、たしかに悪くない。菅井汲もいい。しかしやはりピカソはケタが違うと感じた。樹の中に仏像が埋まっている、それを取り出しているだけだ、という漱石の『夢十夜』の話がある。ピカソはそれと同じだ。「才能の枯渇」という不安は、この人には一度たりともなかったはずである。
●もう一つの感想。現代美術も、カンディンスキーなどの抽象画には、まだ「美」を感じることができる。フォルムの面白さ、色の配列の巧みさ。十分に感情移入する余地がある。ところが最終展覧室、テーブルを置いたり椅子を置いたり、といった現代芸術になると、感情移入する入り口は皆無になる。●当然、ねらいは「反=美術」である。「美」の盲信が、いかに反動的で非人間的行為であるか、揶揄し、おちょくっているのだということは分かる。しかしここでは、見ることが、ただの「知覚」作業になっている。刺激されるのは機能としての知覚作用だけなのである。
●その足でサントリー美術館へ。東京ミッドタウンだかなんだか、新手のビルに移転したサントリー美樹館。なぜか最後まで落ち着かなかった。●神田へ。ガード下の寿司屋でOさんと軽く一杯。隣りに昔風のスナックがあり、いかにも渋い寿司屋だった。ガード下だから、開発を免れたのだろう。それにしても、神田駅界隈は魔窟だね。癖になりそうな店があちこちに並んでいるじゃねえか。

4/2(月)

西尾幹二先生のインタビュー、テープ起こし終了し、原稿を送付。400字にして150枚ほどにもなる内容となった。150枚では50ページほどになってしまうため、残念ながら一挙掲載は無理。「三島由紀夫と吉本隆明」の特集を2回連続でやろうかとも思案している。●橋爪大三郎さんの取材インタビューのテープ起こしを始める。三島由紀夫の戯曲やエッセイなど、再読。

4/4(水)
●西尾先生『江戸のダイナミズム』出版記念会に出席。小堀桂一郎氏など、保守派の重鎮が勢ぞろいしていたが、ワタクシに懐かしかったのは入江隆則氏、桶谷秀昭氏のお顔を拝見したことだった。その他黒井千次、猪瀬直樹などの顔もあった。なぜか岸田秀先生もおられ、ご挨拶申し上げた。●Oさん、由紀草一さんと西船橋まで戻り、二次会。特に何が美味いということもないただの居酒屋だが、ワタクシとOさん、”オペラの流れる居酒屋”ということで面白がり、最近顔を出すようになった店へ。オペラ好きのOさん、例によって店のオヤジとオペラ談義に花を咲かせていた。ワタクシは由紀さんと二人で、花よりダンゴだった。

4/7(土)
●橋爪大三郎さんのテープ起こし終了し、原稿を送付す。こちらのインタビューも大変面白い。特に橋爪さんが三島由紀夫の憲法論に触れた部分は圧巻。文学畑の人間では、とてもではないがこうはいかないという内容になっている。●午後、菅野覚明氏のアカデミー講義へ参加。菅野氏の講義もなかなか面白かった。●「健康保険」用の連載原稿、仕上げに入る。

4/10(火)
「健康保険」に原稿を送る。今回の原稿より本格的な厚生労働省批判を始めている。療養病床の「再編」とは称しているが、なぜ医師たちが納得しないのか。机上のプランであると見抜いているからである。不都合が、だから次々と出てくる。それを指摘されると、場当たり的に「対応策」を方針として打ち出す。整合性が取れなくなる。この繰り返しである。納得しないのは、蓋し当然。-―といった内容である。●瀬尾育生さんのインタビューのテープ起こし作業を開始。併せて瀬尾さんの『戦争詩論』他、「現代詩手帖」などの発言、論考。吉本さんの『母型論』など、再読を始める。

4/11(水)
●渋谷、井の頭線ガード下の居酒屋「千両」へ。千両というのは、学生時代の溜まり場だった居酒屋である。日本酒が安く、一人1000円も出せば、大酔っ払いになれた。焼き鳥(と称しているが実は焼きトン)ともつの煮込みがうまかった。先輩のHさんと一緒に、久し振りに足を向けてみることになったが、焼きトンも煮込みも昔のままだった。進められるままに熱燗をクピクピ呑み、すっかり昔のような”酔っ払い”が出来上がっていた。●Hさんと二人で百軒店界隈に上ってゆき、昔出入りしていた店があるかどうか、ブラブラと探索してみた。さすがに一変していた。スナックに入って、歌をうたった記憶があるが怪しい。帰路、地下鉄半蔵門線で眠ってしまい、下りる駅を間違え、なぜか行ったり来たりしていた。●先輩は、いつまでたっても先輩であった。

4/14(土)
発達障害研究会。場所は市谷のルノアール。滝川さんの「自閉症の遊戯療法」をテキストとし、まずはそこから入った。私の教員時代は、自閉の子に遊戯療法などと、何を考えているのか、と言われかねない状況だった。そして間違いなく、自閉の子と”一緒に遊ぶこと”はとても難しい。滝川さんのテキストは、他に例がないほど詳しく解説しているものである。●メンバーが定着してきたので、そろそろ次の一手を考えなくては。

4/15(日)
●昨日、酒を呑みながらずいぶん煙草を吸ったせいか、朝、胸がきつかった。しばらく収まらず、うっすらと脂汗をかいていた。こんな苦しい思いをするのは嫌だと思い、煙草を止めることに決めた。ここしばらく、まったく煙草が美味くなくて、ひと口吸っては消すような状態が続いていた。決めたからには、と家にあった煙草をすべて捨てた。●本格的な禁煙は二回目である。最初のときは一年ほど続いた。家で酒を飲むと吸いたくてたまらなかった。一年たち、そろそろ肺もきれいになった頃だろうから再開するか、と勝手な理屈をつけ、再び吸い始めた。

4/17(火)
●大阪の
NPO法人EPO(エンパワメント・プラニング協会)より送付されていた講演の速記録、この間、手直ししていたが、一段落させ、事務局のNさんに送付。いずれ冊子になるという。希望者は購入できるのではないか。他に浜田寿美男、高岡健その他の各氏が登場するはずである。情報が入ったら再度記載したい。●新書y、やっと全員の原稿が揃う目途がたち、ひと安心。

4/21(土)
●新書y、ゲラ校送付さる。返却は水曜まで。この日はアカデミーの予定だったが、菅野氏には申し訳ないが、欠席させていただき、校正作業を。(瀬尾さんの原稿作成作業、ほぼ終えたが、最後のひと仕事を残し、中断)

4/23(月)

洋泉社へゲラを持参して参上し、山本譲司氏と合流。今回は山本さんと佐藤の共編著。山本さんが「まえがき」を書き、ワタクシが「あとがき」を。「あとがき」、帯のコピーともに、締め切りは27日とのこと。打ち合わせ中も、ぎりぎりまで、手直しをしていた。●終了後、山本さん、Oさんと、名古屋の「うみゃーもん」を食わせる店へ。ワタクシもよく呑んだが、山本さんもいいペースだった。

4/25(水)
●近所の、いつもの掛かりつけ医へ。診察室に入るや「相当肝臓に来てますね。中性脂肪も数値が高い。お酒は控えた方がいい」と先生が言う。ワタクシ、顔にこそ出さなかったが、笑い、笑い、また笑いだった。要するに、どこもなんともないということじゃないか。●一週間前の19日、薬がなくなったので足を向けた。血圧を測ったあと、「何か変わったことはありますか」と先生が聞くので、「日曜、胸が苦しかったので、煙草を止めています」と答えた。すると先生、「どんな様子か詳しく話して」と言う。そこでワタクシ、少し説明すると、先生、少しマジな顔つきになって、「それはいかん、検査」と、看護師に心電図と血液検査の用意を命じている。そして先生「煙草はもう止めなさい。自分にできないことを薦めるのもなんだが、それでも言います。煙草は止めなさい」。●たしかに教師を辞めて以来、血圧以外の検査をまったくしていない。だから、どこかガタが来ているかもしれない、しかし先生、ちょっとオーバー過ぎないですか、とも思ったが、まずは言われるままに検査を受けた。25日に結果が出るので、そのときまた来るようにとのこと。●そして25日。先の肝臓云々の話が出た次第。心電図の方は大丈夫とのこと。「肺気腫というのは、どんな症状になるのか」と聞くと、「坂道を少し登れば分かる。すぐに呼吸が苦しくなり、登れなくなる」とのこと。じゃあ肺気腫じゃない、煙草も大丈夫じゃねえかな、と思っていると、「お酒は控えた方がいいですよ」と再び先生。煙草をやめた上に、酒も控えろ? 冗談ではありません。肝臓が疲れているとか中性脂肪値が高いとか、これは酒飲みの宿命です。職業病です。これ以上健康になってどうするんですか? とは先生にはさすがに言わなかったが、まさにこれがホンネだった。●治療を終え、その足で前から気になっていた蕎麦屋へ行ってみた。名を「天庵」という。そのへんのグルメ気取りみたいで嫌だから小さな声で言うが、せっかく煙草を止めるのだから、美味い蕎麦屋の探索を道楽に加えようと考えた。蕎麦の繊細な味で、味覚を鍛えてみよう、50の手習いだと思ったのである。週に一度、必ず蕎麦屋に足を向け、美味い蕎麦を肴に、キーンと冷えた日本酒をいただく。どうだ、これなら中性脂肪サンも文句を言わないだろう、というわけである。

4/26(木)
●瀬尾育生さんへゲラ原稿送付。こちらも100枚ほどの原稿になった。次回更新のさい、その小見出しを紹介したいと思う。●樹が陣営の読者のためにちょっとだけ書くと、『言語にとって美とはなにか』に対して、つまらぬ揚げ足取りや頓珍漢な批判ではなく、ここまで超えていった本格的な批判は、ワタクシには初めてであった。これまた大変注目です。

4/27(金)
やることはいろいろと山のようにあったが、とりあえず一区切りできた。まだ7合目くらいではあるが、ともあれ中休み、と散歩に出かけ、途中、蕎麦屋に立ち寄った。こちらは「加賀屋」という名の店。酒の銘柄をそろえていないのが残念だが、せいろを二枚食べ、日本酒を一本だけ飲んで帰る。すっかりいい気持ちになっていた。●ところがどっこい、帰るとOさんより電話で、送付してあった帯のコピー、編集会議でダメだしされたので、全面的にやり直し、とのこと。どっと疲れた。気を取り直し、8時くらいまで、ああでもない、こうでもない、とやってみたが、決定稿ができない。29、30日と、Nさんのお供で勝浦へ「洗濯」に出かける予定なので、それまでには何とか仕上げなければならない。タイトル他、詳細が決まったらこちらも、次回の更新の際お知らせしたいと思う。


  ●五月の作業予定
  ・樹が陣営準備(編集と執筆)
  ・岩波書店より刊行予定の、寝屋川事件関係の原稿ゲラ校正
  ・終了後に上川病院取材と執筆の本格化。







      ボロ酔い日記<3/19〜3/24>リニューアル第11号>



     橋と居酒屋と団塊の話

3/19(月)
●勢古浩爾さんより新著、『目にあまる英語バカ』(三五館)いただく。少し読みはじめ、さすが、当代手練の文章家、面白い。これはいかん、原稿を書く時間を持っていかれてしまう、と途中で本を閉じる。●新書y用の原稿、やっと少しずつ軌道に乗り始める。

3/21(水)
「東京居酒屋めぐり」第3回。今回は江東区森下へ。座長Naさんを始め,哀愁のキャメラマンKuさん,女性陣はYaさんとKaさんが参加し総勢五名。5時、都営新宿線森下駅集合。ワタクシ、一足先に到着し、駅界隈を散歩。●駅からは相撲部屋が集まる一画も近いが、現在、大阪場所中。そこで一路芭蕉稲荷神社へ向かうも、途中、高橋より西深川橋を見る(左)。右は西深川橋。流れる川は小名木川。間もなく隅田川と合流する。
●ワタクシは橋フェチである(あしフェチではない)。橋に立って川面を眺めるのが好きである(別に朔太郎を気取っているわけではない)。行き交う人が、なんだこの暇げなオッサンは、という顔をして通り過ぎる。構わない。橋に立って橋が見えるなど、そうそうお目にかかれるものではない。しばしうっとりとなって橋の上で至福の時間を過ごす。●いよいよ芭蕉庵史蹟へ到着。
●写真は左から芭蕉稲荷神社、神社内の記念蹟、芭蕉庵史蹟庭園。この地で「奥の細道」などが生まれたという。芭蕉記念館も近くにあったが、すでに4時を回っており、次回へ。芭蕉稲荷では、俳聖にあやかるべく我が文運を祈願したが、緊張のあまり、お賽銭を入れるのを忘れてしまった。でも、どうして俳聖芭蕉を祀った神社がお稲荷さんなんだろう。お稲荷さんと言えば商売繁盛のはずだが。●深川神明宮に立ち寄ってから森下駅へ戻る。Naさん、Kuさん、すでに到着している。少しすると女性陣も合流。今回座長のお薦めは「みの家」という馬肉の老舗。ご覧の通り(写真左)、風格ある店構えである。
●店内に入ると、いかにも品のよい、ゆかしげなおばあさんが迎えてくれる。先代のオカミさんか。まるで店の守り神のようであった。通されたのは二階の大座敷。100人も座れるだろうか。全席が予約済み。桜鍋。刺身など注文し、さっそくいただく。たしかに美味い。刺身にしてもまったく臭みがない。鍋の手前に見えるのは八丁味噌だが、濃い目の味つけも嫌味がない。熱燗を頼む。同じく呑ん兵衛のKaさんとともに、ピッチが上がっていく。
●「せっかくだから、もう一軒行くか」と座長。駅界隈をうろついていたとき、居酒屋らしき店の前を通り過ぎた。魚の匂いがした。ここは、と胸騒ぎ(笑)。ところが方向音痴のワタクシ、たどり着けない。やっと位置関係が頭に入り、やって来たのが右の店。ごくごく普通の赤提灯である。むしろ(失礼ながら)雑然としているし、”小奇麗”とか”シャレた”という言葉とはまったく対極の店である。ところがどっこい。この店の魚はワタクシの直観どおりであった。とくにマグロは天下一品。しかも安い。生ものだけではない。焼き物もどこか違う。味が深い。
●と、分ったようなことを書いているが、”高級料理”というやつが、ワタクシは苦手である。呑んでいても落ち着かない。緊張する。だから味の方も、美味いんだろうけど、こんなもんか、という感じ。ワタクシの味覚は雑である。それでよいと思っていた。ところが、かの文豪、故吉行淳之介が「ものの味の分からないヤツに、ロクな文章が書けるはずがない」などと書いている。こんちくしょーと思った。しかし、みんな、本当に分かっているのか。浜ちゃんが司会する「芸能人格付け番組」を観ていると、グルメを気取って贅沢三昧を送っているはずの彼らが、ことごとく赤っ恥をかいているじゃあねえか。数万円するステーキとスーパーのステーキの区別がつかないとか、ザラである。そんなもんだろうとワタクシは思っていた。「なんでも美味いが一番」、と。ところが吉行先生、そんなやつにはロクな文章が書けるはずがない、という。こんちくしょー、である。

3/23(金)
●新書y用の原稿、脱稿。35枚ほどになる。●勢古さん、『目にあまる英語バカ』読了。読みながら、途中でふと気がついた。一見、英語コンプレックスと裏返しの優越意識を笑い飛ばす、という作られ方をしているが、しかし実は、本書は”正しい英語の学び方”を伝授しようとする魂胆があるのではないか、そう思い当たったのだが、いかに。

3/24(土)
●大手町のサンケイプラザにて開催された「老人の専門医療を考える会」の全国大会シンポジウムにて取材。天本病院の天本宏先生が出席しており、おそらく療養病床問題も出るだろうと考えた次第。●帰宅後、団地の掲示板に面白い貼りものを見つける。題して「団塊の世代 地域デビューパーティー」。皆様のご参加を心よりお待ちしております、とのこと。主催は市。ファッション講座、軽い運動、料理教室、その他活動団体を紹介している。人さまのことだから、どうでもいいんだけど、しかし、なんだかなあ、と思わないか。「団塊地域デビュー」という言葉はテレビが元祖だと思うが、こうした風潮にはウラがある、と読んだ方がいい。そこで少しばかり考えてみた。●一つは経済効果。家にばかりいないで、外に出て、お金をたくさん使いなさいという魂胆。何をするにしても金は出る。もう一つは健康の管理と予防。急にやることがなくなった団塊の親父さんたち、外に出ず、人と会わない生活は、鬱、ボケ、身体面の不調など、医者の世話になり勝ちになる。数の多い団塊親父さん、この医療費はバカにならない。医療費の削減はいまや至上命題だから、この出費を未然に防ぎたいという魂胆が二つ目。●要は病気にならず、お金をたくさん使うように、という話だ。団塊のオヤジさんたち、バカにされていると思わないか?




ボロ酔い日記<3/12〜3/17>リニューアル第10号


           取材終了、さあ体力勝負


3/12(月)
●朝より、確定申告の記入作業。領収書を分類しそれぞれのトータルをはじき出す。源泉徴収を整理し総収入を計算。記入用紙を順番に追いながら総所得を出し、必要事項を記入。夕方にはほぼ終わる。●終了後、苅谷剛彦さんの校正原稿の打ち込み。●湖東病院の猿原先生より、原稿帰る。テーマは療養病床問題。当然ながら厚生労働省批判となる。

3/13(火)
午前中、苅谷さんの原稿打ち込みの続きを終えてから市役所に行き、確定申告書を提出。●その足で、板橋事件(14歳少年が社員寮管理人の両親を殺害し、ガス爆発を起こさせた事件)の担当弁護士さんに取材。事件の概要、家族史や生活史など話してもらう。新書y用の原稿のためだが、これは判決批判の内容になる、と聞きながら感じる。地裁の判決は、15歳少年に対するものとしては初の実刑で、懲役一四年。少年のもつ背景事情への配慮がほとんどなされていない判決だと感じた。●インタビュー終了後、神保町の信山社へ。リクエスト復刊の岩波文庫を数冊購入して帰る。ゲーテ『色彩論』、マキアベルリ『ローマ史論』、円朝『塩原代助一代記』など。●この日で、当面必要としていた取材インタビューは、すべて終了。ここからは体力勝負となる。読書は体力だ、とは以前から感じていたが、原稿執筆もこれほど体力を要するとは思ってもみなかった。

3/14(水)
●前日の取材のテープ起こし。夕方までには終了する。次のテーマはこの事件ではないか、と少しずつ考え始める。控訴審の傍聴はもちろんだが、後見人への取材依頼など、クリアしなければならないことがいくつか。●購入したり、送ってもらったりした雑誌類を読む。『文藝春秋』(「昭和天皇、戦時下の肉声」という侍従の日記が収録されている)、『こころの科学』(特集が「精神医学と法」。まさにドンぴしゃりの企画。前田雅英氏他執筆)、『世界』(軍事論を特集している)、『SIGHT』(特集は鬱だが、吉本さんのインタビュー記事がある)、『歴史読本』(特集が古代出雲王国。)

3/15(木)
●寝屋川原稿、短縮作業。健保連よりゲラ、帰る。苅谷剛彦さんに2校目のゲラを送付。

3/16(金)
●朝一番にゲラに直しを入れて健保連のMさんにファックス。新書y用の原稿書き始める。三つの事件を並べて比較させる書き出しはどうか。・・・。

3/17(土)
●原稿執筆。思いがけず苦戦。何が苦戦の理由か。書きたいこと(と感じているらしいこと)は頭の中にある。しかし何回書き直しても、どうもどこかが違うと感じてしまう。まだ十分に整理されていないためだろうと思う。こういうときがイライラ感が募り、集中力がと切れてしまい、消耗が激しい。●夜、柏へ。元同僚たちと柏で飲む。柏は本当に久し振り。二軒目、三軒目と、繁華街を少しぶらつきたかったが、みんな真面目。さっさと帰ってしまった(それでも11時過ぎまで粘ったが)。自閉症関係で、いろいろと仕込みをしたはずなのだが、家に帰ったらみんな忘れている。飲みながらではだめだ。





ボロ酔い日記<3/5〜3/10>リニューアル第9号


            一つずつ、一つずつ
3/5(月)
●抜糸する。お医者の先生、手が震えて、うまく糸が切れない。3ヶ所縫っていたが、最後の1ヶ所、ハサミを入れようとしてちょっと糸を引っ張ってくれた。「イタイ!!」とつい、大きな声を出してしまった。人柄のとってもいい優しい先生だが、少々心細い。でも待ち時間が少ないから、病院を変えずに通っている。●治療が終わってすぐ、T書店のYさんより電話あり。寝屋川原稿、企画会議を通ったが、タイトル再考とのこと。再度打ち合わせをしたいとのことなので、木曜、会社へ行くことにする。●午後、健保連の原稿、3分の1ほど。●東京居酒屋巡りの師匠、Naさんより、火曜か水曜あたりどうかとメールが入る。残念ながら今週はキツイ。21日ではどうか、と返信し、どこか船橋あたりでと決まる。

3/6(火)
●午前中、健保連の原稿。●午後、神田にある洋泉社に行き、Mさんへの取材インタビュー。一時間ほど、「宇治方式」と呼ばれる取り組みについて話してもらう。大変に面白く、よく納得のできる内容だった。終了後、神田で一杯やって帰るつもりだったが、急ぎ帰り、テープ起こしの作業に取り掛かることにする。

3/7(水)
●テープ起こし作業、ほぼ、仕上がる。枚数が30枚を越え、最後の部分のどこを拾うか、決めかねたところで終了。

3/8(木)
●午中、東工大の橋爪大三郎さんの研究室へ。三島由紀夫についてのインタビュー。さすが橋爪さん、という内容であった。事前にお願いしてあったコンテは次の通り(特別公開デス)。

(1)70年当時のフィルターで。
○三島由紀夫という存在をどうとらえていたか。
○東大での対論の場におられ、どんな印象をもったか。
○自決事件について、どんな印象をもったか。

(2)現在のフィルターで
○文化防衛論などをはじめとして、三島由紀夫の政治と行動の論理をどう考えているか。
○自決事件について。
○吉本隆明さんと三島由紀夫は同じ世代だが、そのナショナリズム論は対照的に思える。戦争体験、敗戦の通過の仕方、その後の生き方の決定的相違などから生じているものかとも考えられるが、もし可能ならば、二人を比較してお話くださるとありがたい。

●関連資料を事前に送っていたが、これは相当関心を示すのではないか、と予想していた三島の憲法に関する論文に対し、はたして、橋爪さんの関心は並々ならぬものだった。そしてきっちりと読み解いてしまった。●終了後、神田神保町のT書店へ。タイトル案、3本ほど持っていく。一応案として中の一つに決まる。七月刊行とのこと。ほっとした。定価をなんとか2000円以内に抑えてもらえないか、とも伝えたが、これは厳しそう。●帰宅後、テープ起こし作業を終え、洋泉社に送る。Oさんと焼き鳥屋で一杯。原稿、いくつか追加事項あり。

3/9(金)
●朝、テープ起こし原稿に追加を加え、洋泉社に送付。●終了後、健保連の原稿の仕上げに入る。ちょうど、編集者のMさんより、関係資料がファックスで届く。また日本療養病床協会の機関紙LTCも届く。夜までにはほぼ仕上がる。●T書店のYさんよりメール。昨日のタイトル案を変更したいとのこと。こちらに異論はなかったので了承。●大阪、寝屋川事件の弁護士さんたちに電話し、いくつか確認。自分で自分を忙しくしているが、ともあれ山のような作業が、一つずつ、一つずつ、終わっていく。

3/10(土)
●午前中、健保連の原稿の最終仕上げをし、取材先に送付。終了後、苅谷剛彦さんの原稿の編集作業。●人間学アカデミー。小池清治先生講義。今回の話も大変に面白かった。古典を本格的に勉強するには、影印本を読む必要がある。そうでないと分からない、と力説されていたが、まったくその通り。もう一回勉強のし直しの必要があると痛感。漱石の『坊ちゃん』になぜ誤字が多いか。誤字を指摘して漱石の間違いだと得意になっている評家がいるが、愚かである。あれは漱石のメッセージであり、なぜ間違いをそうと知りつつ『坊ちゃん』を書いたか――そんな話も、小説作品を読み解くスリルに満ちたものだった。●懇親会での話も面白かった。三島について、太宰について。ワタクシはすっかり小池先生のファンになってしまった。(真剣に、弟子にしていただきたいと思ったほどである)。

3/11(日)
●完全休養。終日、布団の中でゴロゴロ。ところが情けないことに、横になっていると足がつる。明らかに運動不足と筋肉の老化。ああ、情けない。●明日以降の週も取材が1本(確定申告もある)。3月は寝屋川事件の原稿の最終仕上げと、新書yのための編集と執筆。以後、4月には樹が陣営用のインタビューのテープ起こしと雑誌の刊行。5月に入ったら、上川病院を舞台としたノンフィクションを三カ月ほどかけて仕上げる予定。この本では厚生労働省に徹底的に切り込ませていただくつもり。●夜、Naさんよりメール。21日は、都営新宿線森下あたりをぶらぶらしようとのこと。よいですね。楽しみに仕事を頑張りましょう。




ボロ酔い日記<07/2/12〜2/17>リニューアル第8号


       取材にインタビューに研究会


2/25(日)
●20日、ちょっとした事故。チーズが入った袋を切ろうと包丁を入れたとたん、勢いあまって左手人指し指の先を1センチほど削ってしまう。包丁は普段から砥ぎ、よく切れるようにしていたから、切った瞬間は痛みがまったくなかった。血がぼたぼた落ちてきて、流しの中があっという間に真っ赤。●困ったことにちょうど昼休時。いつも行く外科は医者が出かけてしまって、不在とのこと。「出血が激しいので止血だけでも」と頼むが「先生がいないので勝手に治療はできない」の一点張り。午後の診療は4時から。じゃあ4時まで待つかとタオルをぐるぐる巻きにし、インタビューの準備を再開。しかしすぐにタオルが真っ赤になってくる。さすがにこれはまずいと近所の外科医院を探し出し、頼み込むと、すぐに来いとのこと。●切った部分は壊死するだろうが、一応縫いつける、とのことで、指に麻酔注射を。これは痛かった。唸った。三か所縫い、包帯をぐるぐる巻きにし、一件落着。医者というのは本当にありがたいと改めて思った。鎮痛剤をもらって呑んだが、一晩中、ズキズキと痛んだ。・・・という次第で、以降の仕事の計画、インタビュー準備に少しばかり支障をきたすこととなった。21日、吉岡先生に電話し、ノンフィクションの舞台を上川病院とさせてもらうことについて了承を得る。さらには板橋事件のTa弁護士に電話し、取材の許可を得る(この取材は、新書yのためのもの)。●25日午後、新幹線で浜松へ。5時前に到着し、駅前の繁華街を少しぶらつく。餃子の暖簾でもかかっていたら入ってみるかと考えたが、まったく見あたらない。浜松はたしか餃子消費量日本一の街のはずだが、皆さん、どこで食べているのだろう。ホテルに入り、編集者のMさん、Nさんと合流し晩飯。焼酎がすすみ、ご機嫌になる。

浜松の路地裏


2/26(月)
●朝より取材。最初は浜松記念病院にて猿原孝行理事長にインタビュー。内容は、厚労省が打ち出してきた施策、特に療養病床廃止についての意見を聞く。吉岡先生もそうだったが、猿原先生も怒りが収まらないようす。これからどう対応していくか、苦慮がよく伺われる話だった。今回の原稿は厚労省批判が中心となる。●インタビュー終了後、記念病院のなかを案内してもらう。100床のベッドをもつが、利用者はすべて認知症の患者さん。その後、隣接する老健施設やグループホームを見学させてもらう。昼食の後は少し離れた浜松湖東病院へ。こちらはさらに大きな老人病院で、300床をもつ。増築を重ねてきた挙句の、政府の政策転換。●取材を終えたのが2時半ごろ。編集者Mさんらと土産に餃子を買おうということになる。タクシーの運転手に案内された、販売専門の餃子屋、平日なのに20人ほど客が並んでいる。つい欲が出て、100個ほど買ってしまう。(帰宅後、カミさんと二人でいただくも、さすがに美味かった)。●夜、西尾先生より電話。インタビューの内容についての確認。

  この店で買いました

2/27(火)
●2時より、四谷ルノアールにて西尾幹二先生へインタビュー。テーマは三島由紀夫について。西尾先生若きころの論考をめぐって、三島との出会い、自決事件から受けた衝撃、事件に対する当時の某評論家の見解への疑義などが中心。西尾先生、大変なエネルギーで、3時間ほど、休む間もなく語っていく。始まる前、何回かインタビューを重ね、本にしませんか、と依頼すると、受諾され、さらに本気モードになったのが分った。●終了後、小浜逸郎さん、洋泉社Oさんたちと合流し、『江戸のダイナミズム』出版の内祝い。西尾先生の圧倒的なエネルギーに押しまくられっぱなしの一日だった。

3/1(木)
●5時より、この日もルノアールにて瀬尾育生さんへインタビュー。「いまが一番嫌な時代だ」という瀬尾さんの発言を皮切りに、インタビューが始まる。『自閉症裁判』の感想に移り、さらに吉本隆明『母型論』へとつながって行く(どうつながるかは、乞うご期待)。さらには瀬尾さんの論考「超越的言語論の系譜」についての話になり、最後に『戦争詩論』に触れてもらう。いつの間にか話が最初の話題に戻っている。この筋道がきちんとつながっていることへの驚き。瀬尾さんの吉本理解の卓抜さへの再認識。改めて凄い人だと痛感した次第。●終わったあと居酒屋「太平山」へ。瀬尾さん、いま映画に凝っているということで、しばし映画の話になった。

3/3(土)
●2時より、四谷ルノアールにて滝川一廣さんを囲み、「発達障害と法と社会の研究会(仮称)」。サポート研のMaさんが欠席だったが、Muさん、Naさんが初参加。これでスタッフが揃う。滝川さんの『「こころ」の本質とは何か』を中心に感想を述べあい、滝川さんの自己紹介兼ねた簡単なコメント。そして参加者より質問、再度滝川さんによるスーパーバイズ。非常に充実した時間で、4時間があっという間にすぎた。●精神障害とはなにか。どんなふうに考えればよいのか。さらには自閉症の子どもたちをめぐるTEACHプログラムや行動分析への批判と遊戯療法について。服薬の問題など。このまま収めてしまうにはもったいない内容だった。終了後、みなで「大平山」へ。こちらも盛り上がった会となった。●うーん、ケガを引き摺りながら、勉強した一週間となった。来週も、Muさんの新書y原稿収録。橋爪大三郎さんへ取材インタビューと目白押し。これらをテープ起こしをする作業が控えている。これが終わらないと、樹が陣営を出せない(滝川さんの談話については、別途考えたいと思う)。購読者の皆さん、樹が陣営次号、もう少しお待ちください。●ところで、テープを起こして原稿化していく作業は、大変だろうと言われるが、じつはほとんど苦にならない。話が凄い内容だと感じたときは楽しみでさえある。新しい思想が生まれてくる瞬間に、その真っ只中で立ち会うことができる。これはこの上なく贅沢な時間だと昔から思っていた。この楽しみがあるから、何の儲けにもならない「樹が陣営」などを続けていられるのだと思う。●怪我の方は、傷がだいぶ固まってきており、来週早々には抜糸するという。



ボロ酔い日記<07/2/12〜2/17>リニューアル第7号


              忙中に旅あり


2/12(月)
しょーと・ぴーすの会。テキストは由紀草一さんの『軟弱者の戦争論』(PHP新書)。議論は、改憲か護憲かを軸に、国際情勢の読み方について、”軟弱者”と自己規定しているが、普通の人の普通の目線という著者の立ち位置の妥当性について。テーマが加藤典洋『敗戦後論』を継ぐものではないか、などなど。若い女性が参加していたせいか、みんな張り切っていて、本当に久し振りに緊迫感溢れる話し合いだった。●二次会も盛り上がって、17人もの参加者がいた。若い女性の力は偉大なり、だナ。帰るとやっと下からメールが届いている。「ima Praha ni imasu. genkidesu. 14 niti munhen kara kaeriamsu!」 当然だけれども、パソコンも日本語が使えないわけだ。2/1〜4、ロンドン、6、パリ、8ベルリン、11プラハ、13、ミュンヘン、そして帰国というスケジュール。無事で何より。しかしうらやましい限りだな。

2/13(火)
●負けじとオヤジは「東京居酒屋めぐり」へ。指南役のNaさんと待ち合わせ、一路池袋へ(と思ったら、いきなり松戸駅ではぐれてしまった。携帯を遣ってそれぞれの現在地を確認し、北千住で無事落ち合う。なんちゅうこっちゃ)。12:30、池袋駅着。平日の真昼、あわただしく行き交う人は勤め人ばかり。駅前の小路を入っていくと、「ふくろ」という看板が目に入る。一見、普通の店構えだが、中に足を踏み入れるや一転、いつの間に黄昏どきになったんだ? という雰囲気が充満している。●アヤシげな(というか)、どこから出没したのか(というか)、ついシゲシゲと見つめてしまいたくなる(というか)、そんなオッサン、オバサンたちが仲良さげにビールや酎ハイを飲んで盛り上がっている。仕事を終えた後らしきオッサン、すでに出来上がって酔いつぶれたたオッサン。写真はさすがに撮れなかったが、本当に”人生いろいろ”ダゼ。タバコを買いに外に出たら、やっぱり昼。みんなまじめに働いている。●Naさんはホッピーを頼み、順調に明けていく。ワタクシも真似てホッピーを頼んでみたが、なぜか気圧され、借りてきた猫のようにちびちびホッピーを舐めている。なかなか調子が出ない。(真昼間から飲むなんて後ろめたいんだよなア、慣れてねえんだよなア・・・などとブツブツ)。しかしだんだん調子が出てきて、・・・なるほどここは人生の「ふくろ小路」だったか、などと考えながらいつの間にか馴染んでいる。

「ふくろ」

●次は新宿駅西口の「思いで横丁」へ。仕込み中の店が多いが、ところどころ客が入っている居酒屋がある。指南役が向かったのは「朝起」という珍味を食べさせてくれる小さな店。3畳ほどの敷地(もう少しあるかも)にカウンターが陣取り、細い小さな椅子でもう店内一杯。背後に階段があって二階もあるらしい。●「朝起」と書いて「あさだち」と読むとお兄さん。名前の由来を聞くと、それこそ皆さんに元気になってほしいから、とのこと。うーん、直球だったか。店を切り盛りしているこのお兄さんは大将の甥っ子で、大将はそうとうの”人物”だとのこと。(いつかお目にかからせていただきましょう)。指南役推挙の店だけあって、さすがに肴は美味かった。鯨の油の味噌漬け、ミル貝の煮付け、そしてサンショウオを焼いてもらった。●ここではあっという間に馴染んでしまった。昼には店を開けているから、新宿に行ったら行きつけにしよう。


●4時前、「朝起」を出て歌舞伎町を抜け、ゴールデン街へ向かう。さすがにいわくありげな店が並んでいるが、まだどこも空いていない。盛り上がる時間帯が違うんだろうナ。帰り際にもう1軒、こぎれいな焼き鳥屋に寄る。気がつくと指南役が酔っ払っている。●店を出たのは6時頃か。新宿駅前を、行き交うお姉ちゃんたちを睨みつけるようにしては、おめえら何やってんだよ、馬鹿じゃあねえのか、などと絡みながら歩いている。おかしい。”温厚大人”と言われている指南役。そうか、こういう酔っ払いだったのか。●山手線で二人とも寝てしまい、上野駅を乗りこし、秋葉原で下りるも、総武線に乗ろうとしてまたしてもはぐれてしまう。ほんとにもう。これもまた旅なり。すこぶる楽しい一日だった。

2/14(水)
Oさんより『「こころ」はだれが壊すのか』の2刷りが決まったとの連絡。長い道程だったが、ともあれひと息。●滝川一廣さんとのインタビュー集、第三弾の構想を、少しずつまとめ始めている。どこで、誰が、と来たので、次は”回復”とか”生き直し”といったことがテーマになると思う。今年中には全体構想を作りたいが、どうなることやら。●夜、さすがに昨日の今日、缶ビール一本が許容量だった。

2/15(木)
●寝屋川の本の件で、会社に出向き、打ち合わせ。編集者のYさんより、章構成の変更、部分的に記述について、など、いくつか助言あり。やはり長さがネックとのこと。つい、最低でも50枚は削るよう努力しますとは答えてしまったが、がんばらないと。●夜、下、帰宅する。ほんと、無事で何よりだった。どうだったと聞くと、今回は駆け足だったので、今度は一つの国を一ヶ月くらいかけて回ってみたい、とのこと。うーん、心配は増す。しかし”旅はさせろ”だ。こんど、一緒に連れて行け、と言ったら、即座に、いやだ、とのこと。当然か。

2/16(金)
終日、インタビュー準備。●健保連よりゲラ校と、浜松取材の日程表が届く。●夜、何年ぶりだろうか、というくらい久し振りに高根の「はし本」へ。オヤジさん、相変わらず元気で、気合いの入った酒の肴をつくっていた。肴が美味かったので、これまた久し振りに日本酒の冷やなんぞを飲んだ。3合くらいで結構できあがってしまった。●この夜はまじめに帰ったようだった(笑)。上も正規職員になったと言うから、まじめに働いているらしい。心配は尽きないが、一番心配なのは、実はオヤジ自身だったりして。まあ、なるようになる。

2/18(日)
●三島全集の評論の巻、西尾先生の本いくつか、読む。三島論にはまったく異論がない。来週中にはインタビューの質問事項をまとめないといけない。橋爪さん、瀬尾さんも控えている。●滝川さんより書評原稿届く。●来週の日曜は浜松へ取材予定あり。いろいろ立て込んではいるが、早めにいってどこかを回ることにしよう。忙中に旅あり、だ。(そういうわけで土曜のアカデミーは失礼させていただこう。)



ボロ酔い日記<07/2/4〜2/10>リニューアル第6号


           怒涛のはじまり


2/4(日)
●夕方二階に上がると、下の娘から留守電が入っていたというので、聞こうとすると、メッセージがなぜか消去されている。消えているがどうした? と尋ねると、聞き終わったら消えてしまった、とのこと。”そんなことはあらへんやろ!”。まあいいけど。下、目下順調にイギリスを回っている。●夜、モルトウィスキーを舐めていると急に「カサブランカ」が観たくなり、昔撮っておいたビデオを取り出す。なるほど、こういう映画だったのか、と再確認。以前観たときは人妻と恋愛関係にあった男が、結局亭主に女を譲るという三角関係のストーリーが印象深かった。惚れた女を前に、それでもなお義のために”やせ我慢”をする男の心理が興味深かったわけだ、今回は、反戦映画、反ナチス映画という政治的側面が強く目に付いた。むろん、形骸化した、詰まらない反戦映画などではない。名画は、さまざまな引き出しをもっているのだと改めて感じた次第。●モルトも残り少なくなってきた。大事にいただこう。

2/5(月)
●小浜逸郎さんの『なぜ人は死ななければならないのか』(洋泉社・新書y)読了。
内情を少なからず知っているので、純粋な感想を書きにくいところがあるが、昨年暮の『死にたくないが、生きたくもない』に続いて、いい流れで来ていると思う。時事的なテーマをすべて捨てて、哲学の主題に絞ったことがどう読者に受け容れられるかが一つの勝負どころか。西尾幹二著『江戸のダイナミズム』(文藝春秋)読み始める。あっというまに引きこまれていく。●Oさん、依頼してあった新書y(ワンテーマオムニバス)の執筆者執筆者から、締め切りなのに返事がない、と弱気な声。まだまだこれから、とワタクシ。●昨夜のモルトが効いていて、缶ビールを半分飲んで切り上げる。(無理して飲まなくてもいいのに)。上の顔を久し振りに見る。

2/6(火)
●西尾幹二著『江戸のダイナミズム』(文藝春秋)読了。
ヨーロッパ、中国、そして日本と股にかけて、17世紀前後の思想家の文献学的考証を試みた超野心作。壮大な、良質の知的エンターテインメントで、非常にスリリングに読むことができた。西尾さんを保守とか”右”だとかいう枠に入れて理解したつもりになってしまうのは詰まらないことだと痛感。●Oさんから、滝川さんに電話して新書yの了承を取った、との電話。さらにOさん、佐藤が美味い日本酒を用意しているからぜひ、と誘うと、滝川さんは二つ返事だったという。何やら美酒で誘い込んだフシがあるゾ(笑)。さらに午後、龍谷大のH氏よりメールが入ったと、メールが転送される。前向きな内容で、Oさんとともに喜ぶ。ワタクシもFさんへプッシュのメール。夜、返信がきて、了承してくれるとのこと。やった! ●夜、蕎麦の残り湯で焼酎を飲む。芋焼酎の蕎麦湯割りはやはりミスマッチ。(と言いつつ4,5杯飲んでいた)

2/7(水)
●『健康保険』誌の原稿書き始める。現場の”声”を拾う内容に。●昼、Oさんより電話で、Mさんから電話が入り、依頼了承とのこと。電話インタビューし、ワタクシがまとめることに。Mさんの原稿はちょっとした事件である。さらにOさんが言うところでは、Mさんが、教育ライターのSさんにも是非書いてほしいと言っていた、とのこと。そこでワタクシ、Oさんに、それならそのことをすぐにSさんに伝え、再度プッシュした方がいい、と。Oさん、じゃあ明日でもメールを入れてみる、といっったん切る。再び電話があり、すぐにメールを入れたところ、折り返し返事があり、SさんもOKしてくれたとのこと。おおっ、やった! それなら、とワタクシも弁護士のI さんへ電話。Iさんいわく。連絡は忘れていたが、当然、書くつもりでいたとのこと。それならそうと(笑)。●これで依頼メンバーの主だった方から了承を得ることができた。嬉しい。タレント言論人は入っていないが、現場をよく知る実力者がそろった。見る人が見れば、よくここまで、これだけのメンバーを揃えることができた、と感じるはず――などと話しながら、Oさんと西船橋の焼き鳥屋にて飲む。いつのまにか2合とっくりを6,7本空けている。

2/8(木)
●二日酔もせず、すっきり。●寝屋川関係、編集者Yさんよりメール。是非出版したいとのこと。ただしこれから編集会議を通さないといけない、クリアしなければならないことがいくつかある、という。来週、15日、会社に行ってYさんと詳しい相談。原稿についてのチェックも入る。ワタクシの方も確認のため、被害者側の弁護士にメール。実名使用の件と被害者・遺族の意見陳述の掲載につき、再確認するため。ノンフィクションはこのへんが難しい。特に今回は少年事件でもあり、なおさら気を遣う。●「健康保険」誌のMさんより電話があり、次の取材先の確認。日程的に厳しいが、調整の結果、2月25日に出かけ、26日を一日取材に。27日に西尾先生へのインタビュー取材が入っているが大丈夫。

2/9(金)
●山本譲司さんより電話。新書yの件と、寝屋川原稿の山本さんの取材に関する校正。●「健康保険」誌の原稿、仕上げ、吉岡先生へ。最後の部分にチェックが入る。”闘う人”吉岡先生ならではの着眼と助言。高齢者問題、何を中心に章構成していくかプランニングをはじめる。やはり問題提起を前面に出したい。身体抑制の現状、まだまだ取材不足。

2/10(土)

●午前中、三島全集、評論を中心に読む。三島という作家は、評論ではほんとうに率直に自分を語っていると感じる。頭のよさと広汎な知識はもちろん、明るさと健康さの裏にある深いニヒリスム。いろいろな要素をもった複雑な作家である。●午後、人間学アカデミーに参加。宇都宮大学教授の小池清治さん(専攻は日本語史)の日本語についての講義。これがとても面白かった。「日本」の読みは「ニホン」か「ニッポン」かという問題を皮切りに、かつて日本語がどう発音されていたか。なぜ言葉は変化するのか。古事記と日本書紀のもつ意味合いなど。国語学の講義を久し振りに受け、懐かしいと言ったらよいか、ここが自分の本来の場所だったなと感じた。●終了後、小浜さん、Yさん、Tさんと中華料理屋で飲む。小浜さんとTさんはビール。ワタクシとYさんは最初から紹興酒を。二人で紹興酒のボトル2本を美味しくいただく。話題は、これから20年、シンドイがなんとか生きていかないのか、という中年オヤジのセツナイ話が中心。●帰宅は10時過ぎ。下からも上からも連絡なし。亭主は飲んだくれ。オクサンは2泊で温泉へ。揃いも揃ってというか(笑)●ともあれ、かくして樹が陣営特集(「三島由紀夫と吉本隆明」)の準備。高齢者医療関係の著作第一弾の構想。寝屋川事件の出版に向けて、推敲を含めた諸準備。企画が動き始めた新書y、と四つの仕事を同時時進行させることとなった。来週は、さらに怒涛の一週間となる予定。





ボロ酔い日記<07/1/29〜2/3>リニューアル第5号


         中年老い易く学成り難し


1/29(月)
●思いがけずも二日酔がひどいが、読みかけていた渡辺京二著『なぜいま人類史か』(洋泉社MC)読む。渡辺さんの力強い語りに、あっというまに引きこまれていく。●午後より苅谷剛彦さんのアカデミー講義の起こし原稿を最終整理し、送付。その足で二時間マッサージへ。一仕事終えた後には肩、首、背中がバンバンになっている。タバコの害なんかより、肩凝りの害の方がよほど万病の元だと当方は睨んでいる。(そう言えば、教師を辞して以来、一度も健康診断を受けていない)。●ちなみに当方の健康法。定期的にマッサージへ。野菜をたくさんとる。血圧管理(高い方の血圧が180から190もあったので、さすがにあるときから服薬している)。週に二回は二時間ウォーキング。医者にはできるだけかからない。それだけ。後は野となれ山となれである。

1/30(火)
●宗近真一郎さんより「ロシアレポート2」が、根本義明さんより「吉本論を読む」がそれぞれ届く。橋爪大三郎さんにインタビュー取材の資料を送る。●某書店より、31号、どっと返品。悲しくなるね。ほんと、溜め息が出るぞ。●『なぜいま人類史か』読了。一時期、奈良本辰也や橋川文三、色川大吉、松本健一、村上一郎といった著者の近世史、近代史を集中して読んだ時期があった。不明にも渡辺京二というとんでもない歴史家を知るのは、そのしばらく後だった。買い込んであった『日本近世の起源』(弓立社)ほかを早速引っ張り出して、遅まきながら近世・近代史の勉強のしなおし。●夜、わけあって家をおん出された(たいした”わけ”ではないが)。近くの寿司屋で一人で酒を飲んだ。2時間ほどの間にビール2本、日本酒4合。寿司ネタがどうか心配だったが、まあまあだったので、よく食べ、よく飲んだ。しっかりとボロ酔いにできあがり、11時には店を出たはずなのに、家に着いたら1時を回っていた。どうしてだろう。不思議なこともあるもんだ。

[この本が凄い!]
渡辺京二『なぜいま人類史か』(洋泉社新書MC)
 現代文明の最大の問題点は、それが自然の中、世界の中での人間の自己了解を破壊しつくす文明であるという点にあります。近代以前にあっては、人間は自分がその一員として存在する世界を、ひとつの意味ある体系として、ほかならぬ自分にとっての世界としてつかんでおりました。だから世界はコスモスであり、トポスでありました。(中略)今日の文明の最大の問題点は、このようなひとりの特定の人間にとって意味を含む空間から、そういう特定な個人性と意味を剥奪してしまうことにあります。

1/31(水)
●近藤洋太さんより原稿到着。上川病院より大会資料到着。●「犯罪被害者も論告・求刑」との見出しで、刑事裁判への参加が認められたという報道が目に付く。刑事裁判における「犯罪被害者の会」の訴えが、少しずつ認められていく。この動向はしばらく続くだろう。裁判員制度の導入と合わせ、刑事裁判自体が変容していく事態は十分に考えられる。いずれにしても、司法のみならず、教育も福祉も医療もすべてが過渡期。しかしいい世の中になるとはとても思えない。●瀬尾さんへのインタビュー準備ためいくつかの資料を読んでいたら、瀬尾さんも、いまが一番いやな時代だという。「何か具体的な事柄がそうだというよりも、世の中の全体的な風潮から、日常的な関係に至るまで、ぼくは自分が生きてきた時間のなかでいまが一番嫌だな」(現代詩手帖04年7月号座談会「詩・世界・倫理」より)。まったく同感である。どんどん嫌な世の中になっていく。

2/1(木)
●下、イギリスへ出発。15日まで2週間かけてイギリス、フランス、オランダ、ドイツを一人旅。切に無事を祈る。(でもうらやましい。若いときの旅は一生の財産)。●学生時代、海運会社でタッグボートの船長をやっていた従姉の旦那が当方の貧乏を見かね、貨物船でのバイトがあるが、やってみないかと誘われたことがある。世界半周のバイト、心が動いた。ただし荷の積み下ろしなので仕事は楽ではない、最低半年は帰って来れないという。結局日和ってしまった。情けないしもったいなかった、と悔いは大きい。出かけていたら違う人生になっていただろうな、とときどき思う。●渡辺京二著『日本近世の起源』読了。久し振りに歴史書の醍醐味を堪能す。学問的業績をきっちりと踏まえながら、歴史のダイナミズムを(言い換えるなら歴史読み物としての面白さを)備え、しかも人間と歴史についての洞察に凄みがある。渡辺さんの歴史家としての力量、文章家としての力量をいかんなく発揮している。

2/2(金)
●夜、一人でダラダラと酒を飲みながら、NHKスペシャル「飛鳥発掘が覆す大化の改新」を観る。これには少なからずショックを受けた。飛鳥の発掘が進んでいて、新発見が次々に出されていることは知っていた。大化の改新というクーデターの意義が、文字通り覆されているところまで最近の学説が進んでいたとは。なぜかちょうどよいタイミングで、この日の朝刊で、飛鳥甘樫の丘に住居の跡が見つかったと報じられていたところだった。●改新について触れた日本書紀の記述に、後から補正した痕跡があること、律令制度の証拠とされる税制を証す発掘資料が天智以降に限られていること。・・・おーっという感じで番組を見続けていた。歴史というのは本当に厄介だと感じた。厄介だからこそ面白くもあるのだが。渡辺さんの本では戦国期から江戸期についての新たな歴史像が出されていたし。●気がつくとワインが一本空いていた。



2/3(土)

●由紀草一さんより三島論、届く。力作文芸評論。シロウトの文芸感想文とは歴然と差がある。●文芸批評を読んで、この人はクロウトだな、アマチュアじゃないな、と判断するワタクシなりの基準。(1)文芸の歴史に対して自分なりの見取り図をもっているかどうか。(これは教科書的な文学史の謂いではない。あくまでも自分なりのテーマにもとづいた見取り図)(2)ある作家に対する研究や批評のおおよその流れ(研究史・批評史)を曲がりなりにも押さえているかどうか。(3)一人の作家について、一冊の評伝や作家論を書けるだけの力量があるかどうか。(4)原理的な小説論(あるいは戯曲論)といったものをどこまでもっているかどうか。●以上がワタクシの判断材料。それらは直接書かれていなくとも、どの程度かは読めば分かる。また大学教師であるかないかとか、文壇商業誌に書いているかどうかといった外在的条件とは一切関係がない。ところが、である。哲学や社会学などの領域では、専門家/非専門家という社会的感知が歴然とあるのに、こと文芸の批評になると一気にこの敷居が低くなる。小説を読めば誰でも感想はもつだろう。これは当然である。しかし感想をまとめれば、それなりの文芸批評になる、と考えられているフシがある。小説が他ジャンルに較べて大衆化していることの証左なのだが、しかしシロウトはやはりシロウトなのだと当方は思っている。●じゃあ、お前はどうなんだ? と言われるか。それはこれから。



ボロ酔い日記<07/1/22〜1/28>リニューアル第4号


            月は東に日は西に

1/22(月)
●寝屋川原稿、最終チェックを入れ、編集者に送る。500枚が厳守だろうナと思いつつも、どうしても削ることができなかった。このへんがワタクシの宿題。●洋泉社新書の企画書/執筆依頼文書、清書して編集に送る。執筆依頼者、総勢14名。●添田さんより吉本論が、水島さんより『戦争詩論』の書評が届く。●明日から、しばらく東京・千葉・横浜をウロウロ。映画・絵・酒を求め「月は東に日は西に」。

1/23(火)
●午前中、横浜そごうへ。横浜駅の西口、すっかり様変わりしている。そごう美術館にて開催中の有元利夫展を観る。有元利夫は1985年、物故。38歳の若さだった。ワタクシが有元の名を知ったのは30年近く前の安井賞作家展であり、いまでもよく覚えている。様式性の強さがひときわ目に付いた。絵具の厚みが(どういう技法を使っているのかは、当然シロウトには分からないが)、独特のタブローをつくっていた。この作家は大きくなる、と注目しているうちに訃報が届いた。いまや絵本作家となった元同僚のKa君と二人で、焼き鳥屋で追悼めいた飲み会をした記憶がある。●今回の展覧会は油絵が50点、他にデッサンや版画、立体作品など140点ほど。ほど。これほどまとめて見たのは初めてである。売店で評伝を探したが、置いていなかった。本格的な研究はこれからなのか。●代わりに、かねてより注目していた石田徹也の遺作画集があったので、迷わず購入してしまった(右)。石田はもっと若く、31歳で生涯を終えた作家。


●その足で目黒シネマへ。下がご推奨の映画、「キンキーブーツ」と「トランスアメリカ」を観る。これはちょっとした驚きだった。共にゲイ、ホモセクシャルをテーマにした作品だが、それぞれまったく趣が違う映画で、二作ともに面白かった。目黒シネマは小さな小屋だが、なかなかセンスの良いラインナップを見せている。●「キンキーブーツ」。老舗の靴屋を継いだ主人公、倒産の危機に立たされるが、起死回生を狙ったのがゲイのための、特別仕様、ドラッグクイーン専用ブーツを作ること。従業員や婚約者の偏見その他諸々を経て、パリコレに出品するまでのいきさつを描いたコミカルだが、ホロりとさせられる作品。実話を元にしているという(ちなみにキンキーとは変態の意)。監督ジュリアン・ジャロルド、05年イギリス。●「トランスアメリカ」。こちらはテイストががらりと変わる。性転換手術を控えた主人公・元男性と一人の少年との交流劇。少年は、実は彼(女)の子ども、という設定。少年も養父に性的な虐待を受けていたり、身体を売ったりする子、として描かれている。まだ見たことのない父親に幻影と憧れをもっている。それを壊したくないと隠し続けるが、最後に、自分が父だと名乗る、というシリアスなストーリー。ニューヨークからロスへの横断(トランスアメリカ)というロードムービーでもある。ダンカン・タッカーという監督、長編初作品。御見事。主人公のフェリシティ・ハフマンの演技が最大の見所。女性であるフェリシティ・ハフマンが、「女性になった(なりたい)男性」の気持ちを描くという、頭の痛くなりそうな役柄を演じている。 ●終了が6時少し前。せっかく目黒にいるのだから、と編集者Oさんに電話。神保町の四川料理の店で、炒め物他と紹興酒。紹興酒のボトル一本、軽く空けてしまった。

「トランスアメリカ」
「キンキーブーツ」

1/25(木)
●京成千葉駅側のシネマックス千葉へ。「ダーウィンの悪夢」と「ラッキーナンバー7」を観る。●「ダーウィンの悪夢」は宣伝にやられた。(村上龍まで絶賛していたゾ)。たしかにきわめて重要で、悲惨な現実が追われている。キャメラを回しながら繰り出される質問も悪くない。しかし、アフリカのある地域が搾取され、二極的貧困化状態になる。飢饉となりながら一方では戦争の武器を調達せざるを得ない、という社会構造に、主題としての斬新さはない。一方で人間のドラマにしようとする造り手の意図も伺えるが、予定調和、という感じがしてならなかった。●「ラッキーナンバーセブン」、こちらは、お見事! の一語。前半繰り出されるショットがどうつながるのか分からないまま、いくつかの殺人が描かれていく。主人公らしき青年が登場し、ストーリーが見えかけるが、何の話なのかやはり分からぬまま進行する。ネタバレを防ぐためにこれ以上は書かないが、布石のように置かれていたそれぞれのショットが、最後に一枚の絵になる。●脚本、ジェイソン・スマイロヴィック。監督ポール・マクガギン。この二人は記憶されていていい(最近とみに人名が覚えられなくなっているから)。ブルース・ウィルス、ベン・キングスレー、モーガン・フリーマンといった実力者が脇を固めていることからも、この映画のなんであるかを十分に語っているのではないかと思う。

1/27(土)
●水島英己さんより、瀬尾育生著『戦争詩論』の書評を、西脇慧さんより『豊饒の海』論をいただいていたが、編集業務、一通り終える。●寝屋川の仕事がひと息つくまでと手元に置き、半年ほど表紙だけを眺めていた瀬尾育生著『戦争詩論』(平凡社)、圧倒的な感銘の中で読み終えたどう評したらいいのだろうか。「詩の戦争・戦争の詩」戦争論であり、近代史であり、詩の原理論であり、近代詩史であり、という、まさに閉域に追いやられた「文学」を奪回するための闘いが、「文学」の内在で、文学そのものの戦いとして戦われている。次のパートの「モダニズムの戦争・プロレタリアの戦争」は、詩の”読み”に関して、そうとう踏み込んで手の内を明かしている。ここまで見せていいのか、と思うと同時に、瀬尾育生はこんなふうにして作品を解きほぐしていくのか、という新鮮な驚きがあった。●「大江満雄の機械」と「詩と戦争の底にあるもの」。この二つのパートは、吉本隆明の戦争責任論から50年、なぜ戦争詩論が書かれなくてはならなかったかが見えてくる。戦争加担詩であるという倫理的裁断をどう止揚できるか。瀬尾さんが懸命に模索してきたのは、その批評的足場をつくることだったと改めて思う。

1/28(日)
●午後より四谷ルノアールにて「発達障害研究会」(仮)。前回のメンバーにAさんが加わり、7名で。それぞれが、現在、関心をもつ問題、この会に期待したいこと、などを話す。なかなかの盛り上がりで、3時間ほどの会合になった。次回は滝川さんを交えたい。●終了後、メンバーのうち4人で赤提灯へ。


[この本が凄い!]
瀬尾育生『戦争詩論』(平凡社)
個人とは本来、国民と一体になった形成が不可能になったときにこそ、本来の意味で立ち上がるものなのではないだろうか。個人は、個人と国家をともに超えた《絶壁》に直面することで――世界の帰趨を決定する最終的な原理に直面することによって――自らを立たせる。国家が滅びに直面し、その向こうに国家よりも上位の、最終審級が立ち現われようとしている現在、その最終審級に向き合って、個人ははじめて立ち上がるのではないだろうか。
「大江満雄の機械」p256−257より)




ボロ酔い日記<07/1/15〜1/21>リニューアル第3号


          あとは一気呵成に


               松阪市樹敬寺、宣長先生のお墓にて

1/15(月)
●第十四章、構成のメドが立ち、一気に書き進める。●軌道に乗り、気分を良くしたところで、編集者O氏に「今日、飲みましょう。日本酒を飲んで、鮨が食べたい」とメール(こんな突然の誘いを入れて、嫌な顔をせずに付き合ってくれるのは、Oさんと、元同僚のSさんだけだな。Nさんも、こんど突然誘ってみようか)。OKが来たら、宿題になっていた企画書を一本、入れようと思った。●昼前に電話が入る。それなら、と午後には、企画書を仕上げ、早速送る。現金なワタクシであった。夜、顔を合わせたとたん、「あの企画、いいじゃないか」とO氏。企画主旨、人選、一切ダメ出しがなかった。西船の三崎丸、安いが、今日はとくに美味い。特にえんがわとサバが脂が乗っていて格別だった。二軒目はいつもの中華屋で、餃子と韮レバと紹興酒。ここも安いが、味はまあまあイケル。餃子なんか「入るかな」と思っていたが、お替りをしたいくらいだった。●帰宅。下はいるが、上はいない。連絡しろ、と上にメール。

1/16(火)
●思った以上に、二日酔い。ワープロに向かうとすぐに睡魔がやってくる。気がつくと目を閉じている。じゃあ寝ようかと横になると、変に目が冴えていて寝つけないというオカシナ状態。そんなことをくり返しながら、書き下ろし原稿を少しだけ書き進める。●夕方より、矢野武貞さんの「吃音論」の編集作業。●健保連より、ゲラ校送付さる。●板橋の少年事件の弁護士さんより電話が入る。昨日、何度か電話したところ、うまくタイミングが合わなかった。そのため、わざわざ向こうから電話を入れてくれたもの。取材の件で依頼をするも、立場と取材意図を尋ねられる。ちょうど企画書を仕上げたところだったので、その内容を話す。寝屋川事件について書いた『世界』を送付し、それを読んでから返事は、ということに。●上は帰ってきたが、こんどは下がいない。

1/17(水)
●のゲラ原稿、朝一番に朱を入れてファックス。新書Yの企画書も清書して、メール。●第十四章を終了し、十五章へ。問題が何だったのか、やっとうっすらと見えてくる。少年法55条(再移送の条文)を満たす要件は何かということ。どう認定されるのかということ。20条の但し書き(逆送に対する、ただし・・・その限りではない)と同じだったら、自家撞着になるじゃないか。・・・こんなふうにいきなり書いても、何のこっちゃ、だろうが。●夜、九時のNHKニュースのトップ。大阪の八尾で、41歳の男が歩道橋から子どもを投げた、と。ああ、またかよ、勘弁してくれ、と思っていると、案の定、福祉作業所に勤めていたと報じられる。顔写真がバンバン出る。数年前も子どもをるれ去っており、そのときに逮捕された映像も流される。アンカーの解説もおざなり。このNHKのニュースの扱いはひどい。気が滅入った。

1/18(木)
●フジのスーパーニュースの何とかと言う人より電話。八尾の事件でコメントがほしい、と。何を聞きたいのか、要領を得ない。「犯人は精神障害者だが、被害者の家族はどう思うか」、という最初の質問で、カチンと来る。こいつは分かっていない、ということが一気に判明。「前科があるが」というので、「その件は取材したのか」と聞くと「していない」。いま何も情報がない、コメントできない。・・・テレビはこんなもんだろうな。●寝屋川原稿、明日中には仕上げたいとエンジン全開。

1/19(金)
●午前中、第一校をとりあえず書き終える。やはり600枚近くなってしまった。●午後、大掃除。台所、トイレ、洗面所、磨きをかける。

1/20(土)
●午前中も掃除の続き。Nさん、11時頃、来宅。いろいろとおしゃべりをしたあと、つまみの調理に入る。サラダ、炒め物はワタクシ。Nさん、角煮持参。キムチ鍋、手軽に作っている。2時、大宴会の開始。Koさん、Sさん、Kaさん、Hさん、そして遅れて哀愁のキャメラマンKuさんが参加。総勢7名。●飲んだ、飲んだ。ビールからはじまり、スコッチ、ワイン、そして焼酎。さすがに日本酒までは手が回らなかった。皆さん、いろいろとつまみを持参してくれて、ノメヤ歌えや、食べろやの大宴会。写真を掲載できないのが残念。



ボロ酔い日記<07/1/8〜07/1/14>リニューアル第2号


            第四コーナーに

1/8(月)
●こんな夢を見た。

・・・という夢だった。
ご存知、東大寺大仏殿である。学生時代、少しまとまった金ができると、奈良に足を運んでいた。その奈良の夢を見た。奈良がいつの間にか、中国になっていた。おかしいなあ、東大寺にいたはずだけど、などと思いながら歩き回っている夢だった。(たぶん、学生時代の先輩Nさんに、中国、アジア、ヨーロッパ、どこでもお供しますぞ、という年賀メールをいただいたことに端を発した夢だったと思う)●奈良と言えば、もう一つ、こんな写真はどうか。



●大和大路、奈良公園の側にある日吉館。知る人ぞ知る奈良の名物旅館である。昔、ワタクシの定宿だった。一泊食事つきで5000円。ご飯は食べ放題ですき焼きなんかも出してくれた。お婆ちゃんが切り盛りしていて、朝、愚図愚図していると、さっさと勉強に行ってきなさい、と叱られた。奈良の寺好き、古美術好きの貧乏学生の溜まり場だった。その昔は和辻哲郎や亀井勝一郎も常宿にしていたという由緒ある旅館である。。通うにつれ、雑魚寝の大部屋から離れの部屋へと昇進?して行った。もう宿を閉めてしまったのか、ご覧の通りだった。●に原稿を送る。

1/9(火)
●書き下ろし原稿、難産だった少年院と少年刑務所の比較の章、やっと終える。次は被害者と遺族の意見陳述。●樹が陣営関係では、勢古浩爾さんの原稿(「石原吉郎」)の打ち込み終える。ゲラにして、勢古さんに送付す。

1/10(水)
●終日原稿執筆。●中山勉さんの吉本隆明論の最終回、ゲラ校にして送付。●三島に関するインタビューをお願いしてあったNi先生、吉本さんに関するインタビュイーをお願いしてあったSさん、承諾の返信届き、ひと安心(お名前はもう少したってからお知らせします。乞うご期待)。哀愁のキャメラマンKuさんからも原稿到着(江戸めぐり、デス)。

1/12(金)
●被害者の章を終え、論告と最終弁論の章へ。やっと第四コーナーへ。●夜、Naさんと待ち合わせ、焼き鳥屋へ。飲んだ、飲んだ、二人で焼酎四合瓶を二本飲んでしまった。焼き鳥も美味かったが、砂肝の刺し身がいけました。

1/12(土)
●最終弁論と論告の章、どんな構成にするかまとまり、だいぶ目途がついた。●ここで安心してはいけないが、今回はネタもないのでホームページの読者へ特別サービス。タイトルと章立てを公開します。(当然ながら、これからの変更はあり得ます)。現在、絞り込んで500枚ほど。
●タイトル「一七歳の学校襲撃事件 ―― もう一つの自閉症裁判」
プロローグ  取材まで
第一章    二〇〇五・二・一四 白昼の学校襲撃
第二章    弁護人たちの接見の日々
第三章    家裁はどんな審判をしたのか
第四章    初公判で明らかになったこと
第五章    いじめ、不登校、そして通院
第六章    「青春を謳歌したかった……」
第七章    主治医から見た少年の世界
第八章    “うつろな気分”と恋愛妄想
第九章    動機と殺意と謝罪について
第十章    精神鑑定 ―「殺意を中心動機としない傷害計画」とは何か
第十一章   司法と精神医学の新しい難問―広汎性発達障害と“責任能力”
第十二章   少年院と少年刑務所
第十三章   被害者と遺族の訴え ―意見陳述から
第十四章   論告求刑と最終弁論
(以降は予定)
第十五章   判決公判
エピローグ   刑罰か治療か、あるいは。



ボロ酔い日記」<06/12/25〜07/1/1>リニューアル第1号 

          謹賀新年

  松江市神魂(かもす)神社本殿
  (出雲大社に深くかかわっているといわれる古社であり、大社造りの建物としては最古。国宝)


12/25(月)写真展へ
●娘の写真部が学外展覧会を開催中。出かけてみる。会場は新宿南口から徒歩5分の「スペースゼロ」。なかなか粒ぞろいの作品が並んでいる。昨年も感心したが、一人有望株の子がいる。「この子は結構面白いかも」と娘に言っていたら、はたしてニコンがバックにつき、6月には新宿ニコンサロンで、8月には大阪ニコンサロンで個展を開催するとのこと。●写真は、焼付けの腕が上がると、作品がひときわレベルアップする。もう一つはカメラが手と同然の感触になるかどうか。お前に写真が分かるのか、といつも哀愁のキャメラマンkuさんに言われる。分かるか分からないかは分からないが、見るのは大好きだし、善し悪しの峻別は見た瞬間にしてしまう。理屈がつくときもあればどうしてもつかないこともある。●帰宅後、再び仕事。先週18日に、吉岡先生に取材したインタビューのまとめを。10月に千葉で実施した「全国抑制大会」の問題、療養病床問題のその後の展開などが主な話題。整理し直し、次回健保連の原稿のため(寝屋川の原稿は一休み)。

12/26(火)土砂降りの江戸めぐり
●「江戸めぐりツァー」の二回目。こんな天候の大荒れの日に、いったいどうなるんだろうと思うも、とにかく東武浅草駅に集合。メンバーは、団長Nさんと哀愁のキャメラマンKuさん、女性陣のYさん(Kaさんが後から合流)。そして不肖ワタクシ。●土砂降りの中、まずは浅草六区へ。なるほどここが六区かと思いつつ、びしょ濡れになりながら歩く(実はワタクシ、六区は初めてなのです)。生涯学習センター内にある池波正太郎記念館を目指していたが、流石にダウンし、目の前にあった蕎麦屋に入って休憩。●なんだかんだと、熱燗を10本ほど飲み、ざる蕎麦をいただく。身体も暖まったところで再び歩く。学習センターはすぐで、結構大きな図書館の一角に池波記念館はあった。書斎が復元されており、どんな資料を使っていたか、なるほどなるほど、と思いながら観察させていただく(Kさんは、昨夜は寝ていなかったとかで、検索用のパソコンを枕にダウン。前回はワタクシが飲みすぎてダウン)。●タクシーを拾い、樋口一葉記念館へ。立派な建物で、目の前に旧居跡がある。書簡の達筆さに痛く感心。さすが、気の強そうな才女といった感じが強い。一葉記念館を出たあと、Kさんと合流。(つくばエクスプレスの浅草駅がこんな所にあったのか)。合流後、桜肉のうまい老舗「中江」へ。開店まですこし時間があるので吉原街をぶらりと歩く。なるほど、これが吉原か、と。●さすがによい店で、刺し身が半端じゃないくらいおいしかった。一時はどうなることかと思ったが、「江戸めぐり」第二回目、無事終了。

<江戸めぐり第二回経路>

東武浅草駅 → 浅草六区 → 蕎麦屋(名前失念) → 池波正太郎記念館 → 樋口一葉記念館 → 桜肉「中江」 → JR南千住駅

12/27(水)年賀状を書いていたら、風邪にやられてしまった
●年賀状を仕上げなくてはと思ったがインクがない。家電量販店へインクリボンを買い求めに行くも、黒が品切れ中。おいおい、この時期にそんなことでどうするんだよ!、と店員さんにカラモウかとも思ったが、あきらめて赤・青・黄の三色のみ買って帰る。途中でインクがなくなるかと心配しつつ、プリントを何とか終える。●住所書きの途中からザワザワと底冷えしてくる。ヤバイなあと思いつつも、ここで止めるわけにはいかないと続行。すると、とうとう本格的に鼻水がダラダラし始め、風邪状態に。あっという間に頭もボーッとし始める。●歯を食いしばって、這って年賀状を出しに行く。戻るとすぐに布団にはいり、熟睡態勢へ。風邪は、とにかく寝て汗を出す、というのが昔からのワタクシの治療法。絶対に薬は飲まない。医者にもかからない。風邪は疲労と冷えが原因、休息を取れというサインだ、と決め込んでいるから。●玉子酒が飲みたい、と思うも、宮城は塩釜の銘酒「浦霞」を玉子酒にしちゃあもったいないから、と我慢しつつ就寝。

12/28(木)寝る、寝る、寝る・・・
●ひと晩寝れば直るかと思っていたが、だめでした。からだの節々が痛い。あきらめ、下着の着換えを3組ほど並べ、寝る、寝る、寝る、とにかく寝る、を決め込む。教員を辞めて6年目、初めて引いた風邪でした。

12/29(金)早速仕事へ
●まだ鼻水が治らないが、健保連の原稿を3分の2ほど書く。診療報酬の問題、医師がキツイ仕事からどんどん去っていく現状(これは制度と裁判と報酬の問題)。日本の国民医療は崩壊しつつある、という感が強い。貧乏人は病気になったらもうオシマイ、という医療になっている。●一段落したところでルポライターの藤井誠二がまとめた『少年犯罪被害者遺族』(中公新書ラクレ)読む。木村洋さんの次の言葉を引く。

『少年犯罪被害者遺族』
「少年期に罪を犯した人が、成人になって再犯をした。それを言ってはいけないという発想は、どこから来るのか分かりません。/少年期に罪を犯し、検挙され、矯正教育を受けてもなお再び罪を犯すというのは社会も不幸だけれども、その少年も不幸です。せっかく捕まって少年法というもので矯正教育を受けるチャンスがあったにもかかわらず、受けた教育がうまく生かせなかった。当然ながら加害者は反省しなくてはいけないのですが、それに関わった人間も反省材料として何かを得ていかないと、再犯は尽きない」
(p159〜160)

●木村洋さんの発言と動向はひそかに注目してきた。上からの物言いになってしまうが、引用は見事な発言だと思う。議論すべきは厳罰化云々よりも、矯正教育をどう充実させるか、こちらのほうではないかと改めて感じる。

12/30(土)年の暮れなのに、虎刈になってしまった・・・
●風邪もやっと治りかけだが、鼻が詰まって喉がキツイ。原稿を書き出すと、ついタバコに手が出る。健保連の原稿、なんとかひとまとめ。年が明けたら再度手を入れ、吉岡先生へ。●午後、正月だから、せめて頭くらいさっぱりしようと、ベランダに出てバリカンで散髪(自分で頭を刈るようになって3年ほどになる)。すると、間もなく終わろうかというとき、バリカンを落とし、刃がハズレ、ベランダの下へ。あわてて探すが見つからない。そんな馬鹿な! 所々に刈り残しがあるじゃねえか! これじゃあ、正月どこにも出られねえだろ! とベランダの下にもぐりこみ、暗くなるまで必死に探すも見つからない。●食事の前、娘に頭を見てもらうと、笑いながら、後ろが長い、とのこと。まあ、いいけど。

12/31(日)探せども、探せども見つからず、そっと鏡を見る
●起きてすぐ、ベランダの下にもぐりこむ。おかしいなあ、どこへ飛んでいたんだろうというくらい、隈なく探し回る。やっぱり出てこない。探しものを見つけるコツ・・・探さないこと。探しものは忘れた頃にやってくる。しかしこの場合の難点は、忘れたころにはきっと刃が錆ついて、もう使い物にならなくなっているだろうこと。トホホな暮だね。●HPの改修作業、ほぼ終了。


松坂市本居宣長記念館、鈴屋にて撮影

1/1(月)年頭所感−還暦に向けて(笑)
●フリージャーナリストという肩書きを張っての仕事は、当然ながらさらに充実させたい。それとともに、折口信夫はもちろん、本居宣長、菅江真澄、保田與重郎など、やはりちゃんと読んで死にたいと思う。


(秀歌ひとつと駄歌ひとつ)
 友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひきて 妻としたしむ (これは啄木)
 友がみなわれよりえらく見ゆる日は 空き瓶かかえ じっと手を見る (これは工房主人)