トップページへ
BOOKナビ(3)

 教師だったある年、「無痛無汗症」の子と出会った。痛みも暑さ寒さも、熱い冷たいもまったく感じないという難病の子だった。無痛の世界がどういうものか、にわかには図りかねた。しかしこちらが注意を怠ると生死に直結しかねない、痛みが生きていく上でいかに重要か、とすぐに知れた。

 逆に、日々痛みに苛まれる苦しみの世界も、当事者以外には図り難いところがある。原因がつかめなければ、苦痛と孤独はさらに募るだろう。永田勝太郎『痛み治療の人間学』(朝日選書)。人が年齢を重ね、人生の疲労をためこみ、身体が徐々に歪んでくる。この歪みこそが痛みをつくる最大の原因だと著者はいう。

 頭痛、腹痛、腰痛といった身近な痛みにさえ、体や心、家庭、社会環境などの背景が複雑に潜んでいる。その治療には西洋医学のみならず、東洋医学や心身医学を合わせた統合医療・全人医療が必要であると提唱する。専門的な記述もあるが、医療従事者以外の読者にも面白く読める。

 戸塚洋二著・立花隆編『がんと闘った科学者の記録』(文芸春秋)。著者は物理学者で、治療経過を綴ったブログを立花氏が整理した日録。冷静な科学者の目で自身の病状やがん細胞の変化を見すえ、データ化して示す。「必要なのは検索が体系的にできる『患者さんの体験』」なのだからと。

 合間には草花に目を向け、物理学と原始仏教とを比較し、可能な限り人に会い、仕事をこなしてもいる。さぞや苦痛の日々だろうに、と感じるが、そんな気配は微塵も見せない。さすがに、死の恐怖からどう気をそらすかと記す。そう、本書は現代の『病床六尺』『仰臥漫録』(正岡子規)である。

 「病院に来たがそのまま入院、残念」と書かれるのが〇八年七月二日。家族によって一〇日に亡くなったと報告され、「壮絶な最期を記したいが本人は嫌がるだろうから」とブログは終る。子規は九月一八日絶筆、一九日永眠。子規も激痛の中で多くの人に会い、花を愛し、写生を残した。