ファインよ、永遠に…

2008年2月4日午前10時43分 虹への架け橋へ旅立ちました。
毎日沢山写真を撮る事が日課であり、楽しみでしたがファインが体調を崩してから
カメラを持つことが殆どなくなりました。
特に入院してからは、そんな心のゆとりも時間もなくなってしまって…日記の写真は一部、元気な頃のファインの写真を貼る事にしました。
 1月29日(火)  
  ファインの面会に病院へ。背中を向けて座っているファインが居ました。
表情が無く、呼び掛けに反応はしたものの、自分で体を動かすことも出来ない様子。。
朝ごはんも残っていました。
一時間ほどファインを抱っこしていましたが、ずっとそうしているわけには行きません。
後ろ髪を引かれる思いで帰宅しました。
 1月30日(水)  
  ファインの面会の為、病院へ。病院は休診日ですが、昨日に面会をお願いしてありました。
『お電話してからいらしてください』と言われていましたが
家を出る時間に未だスタッフの皆さんが来られる時間ではありません。
途中の乗り換えの渋谷駅から「30分程で伺います」と電話を入れました。
今日は昨日よりも表情もしっかりして、私の呼びかけにも振り返ろうとしました。
でも体を支える事が出来ませんから、慌てて後ろから支えて「抱っこする?」と聞くと体を浮かそうとしました。
フード(缶詰)は殆ど残っていましたが、家から持って行った何時ものフードも食べようとしません。
「食欲が無いんでしょうか?」との私の問いに「少し…でも気が向くと食べてくれますよ」
私が抱いている間に新たに缶詰を開けて、お水をちょっと加えて電子レンジで数秒…
手であげて下さって、ファインは美味しそうに完食です。
「ファインちゃん、とっても甘えん坊ですね」…(汗)

何しろJiottoパパの秘蔵っ子です。
パパには常に特別扱いされて、他のパピ達だってファインには逆らいませんから。。
譲って頂いた時にはショーに出す約束になっていましたから、小さい頃にマナー入れをして
本当に手の掛からない子なんだけど…何故か気がつくとファインの思いのまま。
周りのもの達が従わされている様な、何だか不思議な子なんです。

Jiottoパパが、帰って来ました。
明日は出社しないといけませんが金曜日には何とか休暇を取るそうです。
 
1月31日(木)   
  ファインの面会へ。「院長先生からお話がありますのでお待ちください」との事。
少し待っているとファインを連れて来てくださり、待合室でファインを抱っこして待つ事が出来ました。
腫瘍の種類としては大きく三種類だそうで
@神経に出来るもの。
A血管やリンパに出来るもの。
B筋肉や筋肉繊維   に出来るもの。
月曜日からの入院で試した抗癌剤は弱いもので主にBに効くものなのだそうで
Bに当てはまる腫瘍の場合は画期的な改善が見られるそうなのです。
ファインの場合残念ながらBの種類のものでは無く、思ったような効果が無かった。。

今後の治療の選択肢は二つ。
ひとつ目は…更に強い抗癌剤を使う…この場合、副作用も強くなり
ファインは苦しむ事になる事が予想されるのでこ の治療は考えられない。。
ふたつ目は…化学療法である放射線治療だけれど、治療は大学病院で受ける事になります。
院長先生が麻布大出身と言うこともあり、麻布大の治療法を明日までに調べておいて下さるとの事。
明日はJiottoパパとファインを迎えに行き、Jiottoパパはファインと対面です。
それに私からの説明は聞いては居たものの、先生からの詳しい説明を初めて受ける事になります。
麻布大…遠いですが何とか行けそうな距離ですので、どの位の割合で何度の治療をするかで
他の大学病院での治療も考えなくてはなりません。
完治はしない、というファインの治療ですから何処まで治療を続けるかも決めておかなくてはなりません…
辛くて悲し いです。
腰椎に出来た腫瘍が神経を圧迫して、やや左側によっていた為に左後ろ足から麻痺が始まりましたが
今や左右の区別が無くなったそうで、今後は上半身に麻痺が出るでしょう。。
前足もですが、やはり呼吸が困難になって行くのだそうです。
今後の治療で苦しみが長引くだけなら…本当に治療を決めるのは難しいと感じています。

でも、明日ファインが帰って来ます♪
介護用の食器や紙おむつも準備万端です。
 
 2月1日(金)  
  ファイン、四日振りに退院しました。
開院前に到着しました。院長先生からの説明を聞いてJiottoパパは如何思ったのでしょう。。
それよりも久し振りに会ったファインの変わりようにどんなに驚いたことでしょう。。

私の目から見ると、昨日の面会の時よりも体調が悪いです。
家に戻って紙おむつを交換した時に、お腹がパンパンになっていました。
肌も全体に赤くなっているし、抗癌剤の副作用もあるのかも知れません。
そして…今後は麻布大学付属の動物病院へ行ってみよう、という事になりました。
院長先生の同期生の先生が放射線科にいらっしゃるそうで、早目の予約が取れるかもしれない…

大学病院での治療と効果の期待としては…
腫瘍の位置が判っているので、脊椎を一部除去して、腫瘍が取れるか如何か診てみることが出来る。
この場合、神経を圧迫している圧の一時的な逃げ場を作る事も出来るかも知れない、というメリットもある。
骨髄を除去した所からピンポイントの腫瘍への放射線治療が可能になり、効果が期待出来る。

予約が取れたら電話で知らせてくれるそうです。

食欲殆ど無く、水も自分では飲もうとしないので注射器で。
(写真は退院してきた時のものです)
 
2月2日(土)  
  ファインの病状は更に悪化。昨日は多少は力の入った前足に力が入らない。
首も据わらず、全身の脱力。
食欲無く、きめの細かなレトルトパックのフードを上顎に塗って与えるが、下で出してしまう。
ラムを煮たスープを注射器で与えてみたが、少ししか飲んでくれない。。
目が虚ろになり、シュン幕も落ちてしまったまま…大学病院へ果たして行けるのだろうか。。

このままでは体力も落ちてしまうし、我が家で出来る事の限界を感じ
12時半過ぎに病院へ電話をして、院長先生に今の状態を話しました。
午後からの診察に行く事になり、電話を切って…こんな時に限って1時から火災探知機の点検があります。
土曜日の午後は珍しく道が空いていました。3時40分 の受付、4時からの診察ですが駐車場に3時少し前に到着。
時間になるまで駐車場に待機しようと思っていましたが、容態がみるみる悪化して呼吸も浅くなってきました。
病院の入り口に行くと、待合室の灯りは消えていましたが
スタッフの方の姿が見えたのでお願いして早々に診察して頂ける事になりました。
骨髄内の圧が腫瘍によって上がってしまい、脳圧まで上げてしまっている状態だそうで危険な状態でした。
骨髄内の圧を下げるために骨髄液を抜いてみる事にしましたが…
「今の状態では腰椎と頚椎から抜き取りたい所です。
本来は麻酔を掛けて行うところ、緊急を要している為麻酔の必要の無い腰椎からのみの抜き取りをしました。
しかし、思ったほどの骨髄液を抜く事が出来ませんでした。
腫瘍から下の部分では今では圧がそれほど上がっていないようです。」
「この状態では2、3日持つか如何か…。」 緊急手術を受ける事になりました。
腫瘍の位置にある骨髄を一部取る事で神経内の圧を下げ、もしも可能なら腫瘍も取り除くと言う内容です。
この手術に望みを掛けて、手術は今夜遅くなると言う事なので帰宅して、電話を待つ事にしました。

9時15分頃、これから始めますとの連絡が来ました。

11時頃、無事に終わったとの連絡がありました。
「骨髄の一部を取り除くと、神経組織の内部に膨らみが見えました。
幕を剥がして見るとヨーグルト状に神経の組織が解けている状態で、その中に腫瘍が確認できたので切除しました。
手術は成功しましたが、麻酔の影響と、今後の合併症などの恐れも有ります。
暫くは絶対安静で容態を見守る必要があります。今夜は私が付いていますから。」
何度もお礼を言って電話を切りました。感謝の気持ちで一杯です。
院長先生をはじめ、先生方とスタッフの皆さんに心より感謝いたします。有難うございました。
そしていつも支えて下さるお友達にも有難うございます。
そして何より頑張ったファインにもありがとう〜!無事に手術後を乗り切ってくれると良いのですが…。
ファインにはまだまだ辛い日々が続きます。みんな帰って来るのを待っているからね。。
 
 
 
 2月3日(日)  
 
関東にも昨夜から雪が降りました。朝起きると一面の雪景色…既に5cmほど積もっていました。
その為Jiottoパパと電車で病院に向かいました。
西武新宿線のもう直ぐ高田馬場に着く頃、病院から携帯に電話がありました。
電車の中でしたので、残して頂いたメッセージを聞いて、高田馬場から病院に電話を入れました。
「少し前に自発呼吸が止まってしまい、人工呼吸器を取り付けました。」
今、病院へ行く途中で、40分後位には到着出来ます、とお伝えして電話を切りました。

気持ちは焦りますが、仕方がありません。電車の中で走りたい気持ちでした。
本日、病院は休診日。診察室の奥の入院している子達のケージがあり、処置室にもなっています。
その奥に集中治療、手術等を行う部屋があり、ファインはそこに居ました。
何度か意識が戻り、その都度自発呼吸があり、人工呼吸器が外せるか如何かを試してくださっています。
段々と意識の戻る感覚が遠くなり、自発呼吸も弱くなって行きました。
午後4時過ぎにお留守番組の事もあるのでJiottoパパを病院に残して、一足先に帰宅しました。
二時間ほど後にJiottoパパは帰宅しましたが、変わりない様子。かなり厳しい…そんな気がします。
何かあったら何時でも携帯に電話を頂ける様になっています。今夜も眠れそうもありません。。
 
 
 2月4日(月)  
  9時半頃のバスに乗って病院へ向かおうと家を出ました。
路面が凍結している影響でしょうか、バスが大幅に遅れました。
三台も続けて向かい側の停留所に着きました。
高田馬場で西武新宿線から山手線に乗り換え、新宿駅に着いた頃、病院から電話が掛かって来ました。
昨日の事がありますから、電話に出ました。院長先生からでした。
小さな声で返事をしている上に、駅構内のアナウンス…「今、こちらに向かっている所ですか?」
「それではお話はこちらに着いてから…お待ちしております。」
また電車の中で気持ちだけ走っていて、息苦しくなってきます。
駅から飛ぶ様に病院へ。今日は体調を崩したカレンを連れて行きました。

病院では昨日と同じように人工呼吸器を着けて横になったファインと面会しました。
「おはよう、ファイン」今日も声をかけました。
先生も辛い話を…辛い決断をしなくてはなりません。
自発呼吸が昨日の夜から無い事、瞼や舌に反応が無くなってしまった事を話してくれました。
もうファインが目を覚ます事は無いと言う事実…人工呼吸器を外して頂きました。

ファインは眠るように静かに永遠の眠りに着きました。

ファインを見守って居てくださった方々にメールでお知らせしました。これも辛いものですね。。
私はきっと家を出る時から覚悟は出来ていたんだと思います。
こんな決断をしなくてはいけないとは思いもしませんでしたが、抱っこバッグを畳んで入れて来ていましたから。

カレンはまたお腹の調子が悪いです。最近、留守がちだった為にストレスも考えられますが
もしかしたら今のフードに対してもアレルギー反応が出始めた可能性もあるそうです。

一週間分の薬を頂いて、帰りは抱っこバッグにカレンは納まりました。

病院で院長先生から、昨日からの経過を聞いている時から泣き続けの私…
電車の中でも油断すると涙が溢れて止まらなくなってしまいます。
帰りの西武新宿線は座席は開いていましたが、扉の所に立って流れる景色をカレンと眺めながら
涙を飲み込みながら帰ってきました。帰りは特に遠く感じました。
病院にどのくらい居たのか…カレンの診察もしていただきましたがその他の事は記憶があやふやです。

午前10時43分、ファインは虹の橋に旅立ちました。

今回の病気も、一緒に頑張ってくれて有難う。本当に芯の強い子でした。
ショーに出すことを条件で我が家に譲っていただいてから11年と7ヶ月。来月の17日が12歳のお誕生日でした。
普段は我がまま放題、我が道を行くマイペースな子でしたが、ショーに出すことが決まっていた為
小さい頃にマナー入れしましたから、何かあれば絶対服従の出来る子でした。
そんな必要は日常生活では有りませんでしたけど。。
三回の出産で女の子5、男の子3人のお母さんになり、我が家だけでも4人の子供と孫が4人居ます。
子育ては上手でしたが、溺愛すると言った感じでは無く子離れが早いお母さんでした。

でも孫と遊ぶ事は楽しかったらしく、特にロックを可愛がっているのは傍から見ていて微笑ましく、楽しい事でした。

私達に沢山の喜びをもたらしてくれたファイン。今まで本当に有難う。ゆっくり休んでね。
家族をずっと見守ってあげてね。あと…言葉にならない思いが沢山…きっとファインには伝わっているよね。。
さよならは言わない。いつか会える日まで…待っていてね。
 
 
 
2月5日(火)   
  朝8時過ぎからファインのお見送りの準備をしました。
昨日病院からの帰りにいつもお誕生日のお花を買うお花屋さんでお花を買ってきました。

淡いピンクのスイトピー、かすみそう、ピンクの八重のトルコキキョウ…
そしてタクトとピアノのお誕生日のお花が何故かまだ元気です。淡いピンクのバラは花びらだけ。
白いオオニソガラムも綺麗なので花だけ摘んで…。
ファインは沢山のお花の中から顔だけをのぞかせて眠るように安らかなお顔をしています。
パピ達一人ずつお別れのご挨拶をして、ダンスとカレンを連れて府中にある慈恵院へ向かいました。
ここにはマルチーズ達も眠っています。

お昼過ぎに小さな骨壷に収まって、ファインは我が家に帰って来ました。
私…涙腺が壊れました。今は辛かった闘病中のことが繰り返し襲い掛かってきます。
頑張ったファインに叱られそうです。。
ファインの病気はとても稀なケースでした。
脊椎の腫瘍は、脳腫瘍の確立が果たしてどの位の確立かは判りませんが
脳腫瘍の1/10の確立だそうです。
脊椎腫瘍は大きく分けて三種類あり、もっとも珍しいタイプで、残念ながら今の医学では手の施しようの無いものでした。
信じられない速さで病状が進行し、一日単位、とかでは無く、数時間単位で変化して行きました。


ファインが小さな骨壷に収まり、寂しくなった我が家は 今
ファインの為にとお友達が送ってくださったお花であふれています。
お花に囲まれて写真を撮ってもらう事が大好きだったファイン。。
皆さまの心の片隅に、私たちの愛しいファインを留めておいて頂けたら幸せです。


撮影した時は、まさか最後の記念写真になるとは思いもよらず
ファインが疲れないようにとファインの写真がとても少ない事が今となっては心残りです。
でも…何故だかとっても美しいファインが居ました。
少しだけ、想い出に…
タクトと… タクトとピアノに挟まって…小さく見えますね。
ピアノと… 娘たちと…(左から ダンス、ピアノ、ファイン)
女の子達…ファインにとっては娘と孫娘になります。
全員集合〜!
いつまでもみんなの心の中心に…

ファイン、今までありがとう〜!
ずっと、ずっ〜と愛してるよ。。