定例会
地域との交流
記念行事
いたかを取上げたMedia
お世話になった皆さん

定例会

 「いたか」の原点ともいえる定例会は、毎月第2土曜日、川崎市宮前区菅生にある、菅生こども文化センターで開かれています。
 一品料理持ち寄りで、会員の近況報告やら、提案ありの楽しい会合です。
 年の初めに大雑把な年間スケジュールを決めていますが、その時々の話の流れで大きく変わることもあります。
 しかし、「いたか」26年間の定例会をあらためて振り返ってみるとひとつの流れがあることに気がつきます。
 時代の流れ、家族のありよう等いろいろなファクターが絡み合ってのことでしょう。
その流れを簡単に下記にまとめて見ました。

テーマ
第1期 「会社人」から家庭・地域人へ、親父の居場所と仲間作り 83年〜86年
第2期 川崎市教育懇談会の報告書「川崎の生き生きとした教育をめざして」をもとにして、家庭・地域・学校における連携の重要性や父親のあり方を学ぶ。 87年〜91年
第3期 夫婦が向き合って地域を生きる、女と男のまちづくり。 92年〜99年
第4期 地域で磨く、地域でつなぐ世界を見つける。 00年〜

  ごく大雑把に分けるとそれぞれの時期に上記のようなテーマで話し合ってきました、これを座標軸に置き換えると、その時々のテーマが横軸、縦軸は一貫して「地域」だったような気がします。
 定例会は、四方山話で始まり四方山話で終わることもあるが、会員自ら講師になっての報告会、あるいは有識者をお呼びしての勉強会もあります。
 
また、「いたか」が市民自主企画事業として、5回の講座企画を多摩市民館に提案し「いたか」と川崎市教育委員会の共催事業として5回シリーズの公開講座を開催したこともありました。

定例会ログ
公開講座ログ

「いたか」発足当時の例会風景
初めての海外での例会風景
2003年タイ・バンコックにて

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地域との交流

 たまたま縁があって住み着いたに過ぎなかったこの地は、単なる寝に帰るベットタウンで、なじみの薄い地域でしかなかった。しかし「いたか」に参加したことで、多彩な魅力ある地域に変化しました。
 ここは子供たちはもとより親父たちにとってもかけがえのない故郷なんだと最近思うようになってきました。
 故郷とは、なんといってもかけがえのない友人、ネットワーク、そして愛すべく地域があればこそではないだろうか。
 そんな「いたか」会員たちがで生き生きと遊ぶ姿を見てください。

地域交流 etc
   
  •   南生田小学校「ふれあい教育」
  •   歴史散歩(案内:菊地恒雄さん)
  •   ガレージセール
  •   餅つき、注連縄作り(指導:坂大一二さん・民具製作技術保存会会長)
  •   バードウオッチング(指導:奈良原照市さん)
  •   区民祭
  •   菅生こども文化センター(わかば祭)
  •   いたか農場
  •   花見
  •   いたか出前講座(いたか十八番の竹笛、指導:中島 豊)

写真をクリックしていただければ大きい写真になります。
歴史散歩
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記念行事

「いたか」も5年、10年、と歩んで今年で26年目を迎えることが出来ました。
 もう、そんなになるのか・・・というのが偽らざる実感です、何しろ前身の父親学級のころは妻に背中を押されてしぶしぶ参加していた人が多かったし、またことさら会を続ける努力をしてきたわけでもないからです。
 ただ、会員どうしで話し合い、私たち自身が「面白い」と思うこと、「楽しい」と感じることをしてきたことが26年目の今日があるように思います。
 しかし「いたか」の存続にとって忘れてならないもっと大事なことがあります、集会に利用させていただいている川崎市の公共施設、、菅生こども文化センターと川崎市職員の様々な配慮そして「いたか」を取り巻く地域社会です。
1年、2年と年を重なるうちにそのようなサポートしていただいている方たちに、成長振り?を報告し、感謝もしたいとの気持ちから、区切りの記念の年に地域に開かれた記念行事を思い立ちました。
 
 5周年記念

開催日   昭和63年4月16日
会  場   菅生こども文化センター
テーマ
   5周年記念座談会
参加者  いたか会員(14人)特別参加 ロン・ビッカースさん


 10周年記念

開催日   平成5年11月23日(勤労感謝の日)
会  場   菅生こども文化センター
テーマ   まだいたか10周年の会・スピークアウト

              〜私からのひと言メッセージ〜

 “家族、夫婦、男と女、親父、妻、子供、地域、ボランティア、 ライフスタイル”
上記のテーマの中から最近思うこと、感じることなどを 2分間の中で話 していただきました。
参加者  「いたか」の生みの親、育ての親とも言うべき市の職員の方々、地域の皆さん24人と いたか会員21人が出席。、                 


 15周年記念

開催日   平成10年10月17日
会  場   宮前市民館菅生分館
記念講演
 「何のために生きるのか、目的を掲げて生きよう」
講  師  国際的なボランティアネットワーク団体「アカベ・インターナショナル」
                      代表 ケン・ジョセフさん
参加者  おやこん(神奈川県おやじサミット連絡懇談会)と同時開催で神奈川県下の おや じの会の皆さんが雨の中を参加してくれました。
                                                                                     
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「いたか」を取上げて頂いたMedia一覧表

「いたか」創立当初は、親父たちの家庭の中の「居場所」作りから始まりました。
 しかし、ことの始まりがどうあれ、構成する会員のそれぞれの思いや、家庭の事情、時代の流れなどによって、意識するしないにかかわらず変化していくものです。
 「いたか」も家庭内の居場所作りから、26年後の今は、自分の存在そのものを見つめる方向に向かっているように思えます。「いたか」が今後どのような“風”を受けるか、あるいはどんな“風”を起こすかまったくわかりません。
 そんな幻惑自在な「いたか」を面白がって取り上げてくれたMediaを紹介いたします。

年月 媒体 テーマ
1985年6月号 月刊誌「ミセス」 特集「父親は子どもに何ができるか」の《新しい父親像を求めて》で、川崎市・いたかの会の試みとして紹介される。
1988年5月
NHK教育TV
「妻と夫の実年時代30分」

『たまたま父親学級に引っ張り出された夫たちが、それをきっかけにおやじたちだけの会をつくって集まり始めた。近所付き合いを重ねるうちに夫たちは変身した。家族に対して関心をもつようになり、上辺だけだった夫婦の会話は中身の濃い豊かなものになった。“男たちの近所付き合い”を通して実年時代の充実とは何かを考える(NHK教育=後9・45)』(新聞のラテ版から)

1990年8月 日本経済新聞

地縁に目覚めた親父たち
〜会社・自宅じゃ、つまらない〜
1990年12月 全労災だより ミドルエイジをどう生きる
「いま、おやじたちの地域参加が始まった、いたか訪問記」
1991年
NHK総合 「イブニングニュース」(8分)
1991年 東急ケーブルテレビ 「男たちの自分探し」“地域に目覚めた企業戦士たち”
1992年1月1日 朝日新聞 おやじ「いたか」にさらば別の生き方を見つけた
1992年 NHK総合 「暮らしのジャーナル」(15分)
1992年 神奈川テレビ「神奈川リポート」 “めざせ地域人”
1992年 フジテレビ 「世紀末ニッポン」“家族漂流”
1992年11月 東京新聞 おやじの会「いたか」満10年
〜子供成長して夫婦の会に〜
1993年 神奈川県ともしび財団の啓発パンフ 「生きがい活動事例」として紹介される。*会員雨宮 健、おやじの主張コンクールで「青春おやじ賞」を受賞。
1994年10月 日本経済新聞 連載「地方分権着地への道」で「地域を自分の問題として考えていこうという市民の意識変化の芽」の事例として
1995年5月 朝日新聞神奈川版 「われら地域を耕す」(1)
1995年3月 神奈川県の「県のたより」川崎版 川崎おやじ連紹介
1995年7月 日本経済新聞夕刊生活家庭欄 おやじサミットin横浜の記事
1996年9月 月刊「わいふ」 グラビアページで
1997年8月 こども未来財団(こども未来) おやじの会「いたか」は、わが家の親父から地域のおやじへ
1998年8月 「時の動き」 父親同士のつながりが地域社会の教育力を高める
1998年11月 朝日新聞 教育98 学校介さず子ら結ぶ
2000年 東京都女性財団企画、
滑笏g映画製作所制作
ビデオ「スタートライン」(2000年日本映像祭、社会教育部門で文部大臣賞)
1999年2月 東京新聞 家庭に地域に父親の存在〜17年目を迎えた川崎市の「いたか」の活動から〜
1999年4月 日本経済新聞 連載「21世紀勝者の条件」の「会社のみに生きず」欄で、「ボランティア活動などを通じて家族の絆を取り戻そうとする父親たちの集まり」の事例として
2001年冬号 (財)かわさき市民活動センター機関誌「Season」 地域に目を向ける男性〜おやじの会「いたか」の活動から
2002年11月 NHK奈良放送局 勤労者感謝の日に「いたか」恒例“しし鍋の会”の取材を受ける。厚木郊外玉川館にて
2002年12月 朝日新聞「AERA」 達人「ライフスタイル」のコラム欄に「いい仕事をするには会社と別の世界をもつべきだ」と「いたか」世話人大下勝巳が語る。
2003年9月 Herald Tribune
The AahiShinbun
商社員として世界を飛び回っていた会員中井雅典氏が「いたか」活動の今を語る
2003年12月 日本経済新聞
(生活コミュニティー欄)
「いたか」世話人大下勝巳がおやじの会活動20年を振り返る
2005年2月23日 朝日新聞(田園都市版)
読売新聞(全国版)
神奈川新聞(全国版)
川崎市は4月1日から、川崎市宮前区区長に「おやじの会『いたか』」世話人を務める、大下勝巳氏を起用する。
市によると民間人の区長就任は全国初めてとのこと。
民間の視点での行政が期待される。任期は2年。
2005年5月9日 朝日新聞「ひと」欄 民間から初めて川崎市宮前区長に就任した、「おやじの会・いたか」世話人大下勝巳が紹介される。
住民と行政をつなぐ「市民区長」でありたいと抱負を語る。
2005年6月 平成17年度  「高齢社会白書」  内閣府発行 学習・社会参加の項で「いたか」が紹介された。
                                                                                   
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お世話になった皆さん

 定例会等で、さまざまなフィールドでご活躍されている方をお招きして、お話をお聞きいたしました。
 勉強会というにはちょっと堅苦しい感じがありますが、自宅と会社の往復だけでは見聞できない産地直送、鮮度抜群の話をざっくばらんに聞くことが出来ました。
 川崎の片隅での小さな異業種・異文化・異世代交流会といった様子でもありますが、夫婦で一緒に聞いて、考えることに、大きな意味があるように思います。
  Guest の皆さん交通不便なところを、お越しいただき大変ありがとうございました、この場をお借りしてお礼申し上げます。

お名前
(敬称略)
当時の肩書き お話いただいたテーマ 年 月
稲垣吉彦 NHK放送文化研究所主任研究員 テレビの普及と話し言葉の移り変り 1986年
7月
岩佐寿夫 警視庁少年課・少年問題ケースワーカー 少年問題と家庭教育 1986年
10月
藤岡貞彦 一橋大学教授 子どもに農業体験を 1986年
12月
岩淵英之 前川崎市教育長、地方自治研理事長 いきいきとした川崎の教育をめざして 1987年
7月
雨宮 健
雨宮 喜代子
伊藤忠・シカゴ滞在7年半 シカゴに学ぶ我れわれ自身の村づくり 1988年
3月
ロン・ビッカーズ 雨宮さんの友人 特別ゲストとして5周年記念座談会に出席 1988年
4月
山本 稔 東京新聞編集委員 新住民の地域づくり〜町田市図師町2236番地のケース 1988年
7月
武田拡明 宮前市民館・菅生分館 コミュニティ・・・アメリカで学んだこと 1988年
12月
上田恒三 郷土史家 著書・高津村風土記を語る〜溝ノ口、二子が栄えたころ 1989年
5月
G・パーセル ニュージーランド毛織技術の権威者 紡ぐ技術がメディアとなって母国を知ってもらう 1989年
9月
長沢成次
多田暁美
千葉大学助教授
千葉大学教育学部4年
成人学習の展望〜いたかの実践例を通して〜
1990年
2月
村野政巳村野誠治小泉富生吉岡 川崎市中央農協向丘青年部 後継者が語る“これからの都市近郊農業” 1990年
3月
綾野 勝 ノンフィクション作家 インタビューした人2000人の出会いと感動 1990年
7月
鷹取黎子 神奈川県インドシナ難民定住援助協会ボランティア インドシナ難民をお世話して 1990年
12月
池田 真 イスラエル在住歴11年。ヘブライ語翻訳者 イスラエル民族と国の成り立ち 1991年
2月
酒井一博 労働科学研究所主任研究員 過労死とライフスタイル 1991年
7月
島田秀雄 川崎市中原市民館 識字教育〜在日外国人の日本語教育 1991年
11月
徳江和雄
鷲が峰特別養護老人ホーム施設長 ボランティアとして何ができるか 1992年
2月
磯部祐三 富士ゼロックス滑C老名事業所総務部長 休職6か月間・初めてのボランティア体験 1992年
3月
荻野昭二 全国脊髄損傷者連合会会長 普通の生活、一人の市民として 1993年
5月
李 容雨 韓国・三星生命勤務。日本に1年間留学 韓国と日本〜似ているところ違うところ〜 1993年
10月
ジャスミン 日本商社勤務のトルコ人 トルコ〜東と西の懸け橋 1994年
4月
トンちゃんとヨルマズ 新潟国際大学に留学中のトルコ人
トルコの歴史と現在 1994年
9月
伊藤千尋 朝日新聞川崎支局長 私の海外駐在支局長体験から見た日本 1995年
2月
村上信夫 NHKニュースキャスター ニュース報道の裏表 1995年
3月
友寄英哲 円周率4万ケタ暗唱。前ギネス世界記録保持者 人間の能力の限界を求めて 1995年
7月
桂川雅信 鞄水コン環境事業部副部長 環境を見る目〜感性の目と科学の目は通じている 1995年
9月
浦沢 栄 川崎市高齢者協同組合準備会代表 地域社会の仕事起こし 1995年
12月
矢作元亮 千葉大学教育学部学生 男性問題。男性学と父親 1996年
2月
山本栄実 バリトン歌手 音楽よもやま話&ミニコンサート 1996年
3月
中野佐世子 NHK手話ニュースキャスター 手話コミュニケーション入門 1996年
5月
伊藤義昭 川崎ボランティアセンター事業担当主査 川崎ボランティアセンターのビジョンと活動 1996年
7月
佐藤一子 学生4名 東京大学教育学部教授と東京大学学生 いたか恒例の“忘・望年会”に参加。「いたか」を材料に異世代対話 1996年
12月
針山直幸 川崎市健康福祉局地域福祉課副主幹 川崎市の機構改革について 1997年
2月
堀 展史 カヌーイスト 私のカヌーライフ 1997年
5月
鈴木 賢 宮前区まちづくり推進委員 宮前区区づくりプラン策定 1997年
6月
戸井昌造 作家 私の戦争体験 1997年
7月
野村幸雄 神奈川県西湘地区行政センター青少年部長 自販機アダルトビデオの実態 1997年
11月
工藤文比古 菅生中学校区地域教育会議委員 PTA会長として思うこと 1998年
5月
市川緋佐麿 稲毛神社宮司、「サロン稲毛」主宰 「稲毛神社、三王祭、サロン稲毛」(押し掛け学習) 1998年
7月
ケン・ジョセフ アガペ・インターナショナル代表 日本への直言《日本人とボランティア精神》 1998年
10月
本山直樹 千葉大学教授 農薬の作用・副作用〜環境ホルモン問題も含めて〜 1999年
2月
別所秀樹 バードウオッチャー バードウオッチングの奥深さ 1999年
3月
徐 宇兵   日本に留学後、就職 中国と日本〜留学・就職体験 1999年
4月
李 仁夏 川崎市外国人市民代表者会議議長 グローバリゼーション時代の共生社会をめざして 1999年
6月
中嶋研二 東洋医学研究者・ph.doctor栄養化学 病気でない病気“未病”とは何か 1999年
6月
井出洋子 映像監督 文部大臣賞「スタートライン」を制作して 2000年
4月
太田  直 麻生区役所区政推進課長 地方分権一括法施行1年何がどう変わったか 2001年
2月
奥山玲子 川崎・ごみを考える市民連絡会 増え続けるゴミをどうする?  2001年
3月
加藤さん 川崎市行財政改革推進室 川崎市行財政改革プランについて 2002
11年
錦織 葆 ホスピス・ボランティア
死を前向きに生きる         
2003年
3月
尾崎 雄 ジャーナリスト、元日経記者 9.11テロが私を変えた  2003年
5月
松元千枝 朝日ヘラルド記者
朝日新聞国際編集部
英字新聞での記者生活について 2003年
12月
久野弘二 サラリーマン&津軽三味線 津軽三味線の夕べ 2004年
3月
嶋田親一 日本演劇協会理事 メディアリテラシーについて 2004年
11月
杉本利男 作家 文学の持つ力について 2005年
1月
十文字美恵 老人保健施設生活支援相談員・介護支援専門員 著書「笑って死んだと伝えてくれ・白血病に散った夫の記録」について。 2005年
4月
御手洗康美 石井工業社長 進化論・比較行動学からみた男女関係について 2005年
7月
磯部裕三 *NPO法人「e−nakama」理事長
*神奈川県社会福祉協議会理事
*(財)藤沢市ふれあい事業団理事
*社会福祉法人ひまわり会監事
人生の後半を面白く過ごすために! 2005年
9月
伊与田敦夫 かわさき市民アカデミー かわさき市民アカデミーの改革について 2005年
10月
竹間さん 川崎市民 登戸研究所を検証する 2005年
11月
加藤 誠 元商社員 日替わりサラリーマン(新しいサラリーマンの形態) 2006年
7月
小川誠治 「渋谷星の会」会長 星とオーロラの魅力を語る 2006年
8月
黒澤克實
元商社員 17年間の海外生活から得たこと 2007年
1月
黒澤裕子
黒澤克實さんの奥さん カントリーダンスの楽しみ方 2007年
4月
鈴木惠子 すずの会代表 ご近所サークルで地域が変わる 2007年
7月
加藤吉夫 元間組 青函トンネルはどうやってできたか 2007年
8月
柿沼矩子 川崎市認知症ネットワークキャラバンメイト 認知症になっても安心して暮らせる町づくりをめざして 2007年
9月
水落時子 元いたか会員 高齢者の住まい選択 2007年
11月
山内康一 衆議院議員(元JICA職員) 途上国援助(国際協力)について 2007年
12月
山際大志郎 衆議院議員 鯨について
2008年
3月
小原芳郎 財団法人 日本自然保護協会 生物多様性と人間 2008年
7月
和田義盛 川崎市商店街連合会会長 私の戦争体験 2008年
8月
竹村英明
海老原清
特定非営利活動法人「環境エネルギー政策研究会」
川崎地球温暖化対策推進協議会市民部会ソーラーチーム(おやじの会しらはた21)
地球温暖化問題と自然エネルギーについて 2008年
9月
加勢 豊
総合商社「双日」代表取締役 社員教育について 2008年
10月
                                                                                   
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