目を見て話そう(家庭の日に)
三橋 功
児童憲章の2にはすべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭に恵まれない児童にはこれにかわる環境が与えられる。と書かれています。ここには学校でとか地域でとは書かれていないのです、家庭でと書かれているのです、しかし今の世の中は全てを、学校に任せているのが現状です、学校もそれに応えるよう家庭に入ってきています。家庭とは個性だと思うのです、私の家庭では児童憲章を基本として子どもの人格を尊重して一人の人間として接してきました。しかし学校に入学してから、家庭の方針と学校の方針の違いは学年が上がるにつれ大きくなっていったのです。
夏休みの生活チェック表が問題でした、どうして生活をチェックするのでしょうか?自分の為ならそれは意味があるのですが、それを提出させるという事がおかしいと思うのです、私は子どもと話し合い無視する事に決めました。私の家では朝起こしません何故ならそれは自分の責任だからです、夜も無理に寝かせません、自分で考え行動し責任を持つという事が家の方針だからです、子どもも朝寝坊しても「どうして起こしてくれなかったの?」と言わないのです、口うるさく言う事は言われる側は楽なのです少し我慢すれば、言われた通りに行動してれば、失敗した事は自分で無くまわりの人のせいに出来るのですしかし、自分で考え行動する事は口うるさく言われ無いので楽に見えるけど、まわりの人のせいに出来ないので、うんときびしいのです。
それと子どもの人格を尊重すると言う事は叩くとか、脅かすと言う事もやらないと言う事です、私は口ごたえをして自分を主張する子どもが大好きです、少ない人生経験の中から引き出して来る主張を真剣に聞きます、そして聞きおわってから、「君の考えはわかったでもね功くんはこういうふうに考えるけどどうかな」と子どもの目を見てわかるまで繰り返し説明しました。押しつけるのではなく、子どもの主張を尊重しながらキラキラした子どもの目を見て話します、これが私の家庭の教育です。
私は家庭というものをよく知らずに育ちました、だから家庭を作るという事に関しては経験が無く、自分が一番尊敬している故高島先生の本から、児童憲章を知りそしてA.Sニイルを知っていったのです、それらに共通しているのは、自由と言う事でした自分勝手では無く、相手を尊重出来る自由な心をもった子どもに育ち大人になってほしいという事ですその為には子ども自身が尊重され愛されなければ、他の人も尊重し愛する事は出来ないと思うのです、そして自由でなければ他の人の自由も守れないと思うのです。
家庭とは個性だと前に書きましたが、それぞれの家庭が個性を尊重して行けば、今ある学校のいじめはなくなると思うのです、いじめは家庭の中で思いやりとか、優しさが無く個性を認められない環境の中に有るのではないかと思うのです、家庭の日には家族全員でそれぞれの立場を越えて目と目を合わせて人間として話し合えるようにしてゆきたいと思います。家庭とは子どもが外で辛い事があったとき家に帰れば、ほっとする子どものオアシスでありたいと思うのです。最後に、子どもの権利が家庭の中でも尊重され子ども自身が生まれて来て良かったと思える家庭にしてゆきたいと思います。