いま、子どもの権利条約の批准が話題になっていますが、いまの日本の学校、とくに小学校、中学校、高等学校、のありかたを見ると、とても子どもの権利条約を批准して実行できる状態ではない、それどころか、いまの学校のありかたを180°変えなければならないのです。
子供のまわりの大人も同じです、どのように変えなければならないのかと、いうと子供の人格を尊重するということなんです。難しいですね、しかし、日本には、1951年に制定された、児童憲章があります。そんな古いものをというかたが多いと思いますが、子どもの権利条約は児童憲章をもっと大きくしたものなんです。子どもの権利条約は全部で54条まであります。日本には41年も前からこんなすばらしいものが、あったのに、なぜと思ってしまうのは、私だけでしょうか、私は一人の子供を育てさせていただいています、日本国民として、児童憲章を教育のはしらとして、育ててきました。
失敗、挫折、迷い、批判、いろいろありました。子供の人格を尊重すると、一つのことを教えるのに時間がたくさん必要でした、子供がわがままになるのでは、と言われたこともありました。毎朝おはようといいつづけ、朝のあいさつを教えたこと、大きな声をだしたり、たたかなくても、朝のあいさつを覚えました。このように子供の人格を尊重するということは、家庭のなかでも、親子、夫婦でも同じだということです。私は名前で呼ばれるのが大好きです、だから私は、夫婦であっても、用事をたのむときにも、名前で呼び、ありがとう、というのです人間はものではありません。私には少し心がしょっぱくなる言葉があります、それは、お父さん、おじさん、ご主人、だんな、これは、悲しいたまに子供が「ハーイいさ」と言います、私は心が桜でいっぱいになって、おもわず「ハーイゆう」と言ってしまうのです。
いまの日本には、個の尊重はあまり歓迎されません。すこしづつ、変わってきてはいますが。しかし42年間、児童憲章を考えずに来た結果いま、子供達は、どうですか?
イギリスにサマーヒル学園という学校があります。60年以上も自由教育をやっている学校です、始めた人は、ニイルという人です。その学校では、授業に出る出ないは子供に任されていて、1年間遊んでいた子供もいたそうです。しかし、そのような子供もは勉強をする気になると、短期間で覚えてしまうそうです。これは、自ら学と書いて自学と言います。子供は一人一人違います、勉強のしかたも興味も、ですから、それらを認め勉強に興味がおきたときに、その子にあった指導をするのが、児童憲章に書いてある、個性と能力に応じた、指導だと思うのです。
明治のころすでに、学問→学校→立身出世というルートがつくられ、ともかく文字を習い、知識をつめこみ、学校の成績をあげることが出世の早道という風潮が生まれた。福沢諭吉は明治22年に「教育の文字、はなはだ穏当ならず、よろしくこれを発育と称すべきなり」とその教えすぎに警告を発した。福沢によれば、人の能力は記憶力にとどまらず、推理力も想像力もある。こうした諸能力を発育させるのが学校の目的であって、「学校は人に物を教うる所にあらず、ただその天質の発達を妨げずして、よくこれを発育するための具なり」といましめたのである。(教育の名言すばらしい子どもたちー黎明書房 刊)
明治のころと現代、にていますね、いま福沢諭吉が現れれば「変わらないなあ」と言うでしょうね。
自由教育この言葉を聞くと、わがままになるとか、あまやかす、とかいろいろ言う人がいますが、ちがいます!自由これほど厳しい環境はないでしょう、わがままにどうしてなるのですか?例えば、山に登ったとき石を下へ落として遊んでいるときにいきなりどなって、あるいは、叩いて叱るのと、下に人がいたら危ない怪我をしたらどうしますか、とわかるように話します。すると子どもは、川へ行ったときに、「人もいないし、危なくないから石なげていい」と聞いてきます、そうしたら、一番よい顔で「いいよ」と言ってやります。これを続けると子どもは自分で判断するようになります。おこられるから、怖いから、やめるのではなく、まわりの人に危険や迷惑をかけないかを自ら判断してやめる。これが、自由なのです。
私たち大人は、児童憲章に述べているように、子どもを社会の一員として、とらえ又、子どもの自主を伸ばすように、自ら善悪を判断出来るように、それらが出来るようにするのが大人の責任ではないでしょうか、虐待されている子どもや、いつも大人の目を気にしている子が無くなり、生まれて来て良かったと思える子どもで、あふれる社会にしたいですね。
児童憲章のなかに、すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と・技術・をもって育てられとあります、このなかで、技術をもってと書いてあるところが、すごいのです、今あかちゃんのいる、お母さん、お父さん、私は技術をもっている、子どものことは任せておけといえる、お母さん、お父さん、は何人いますか?なかには、そんなこと、保育園や幼稚園でやればいいだろう、という人もいますね、もう一度良く読んでください、すべての児童は、家庭で、と書いてあります。保育園や幼稚園で、とは書いてありません、この技術とは難しいことは要求してないと思うのです、でも簡単だとも言えません、子どもについて、書かれている本を読んでみるとか、そして感情にまかせて叱るのではなく、子どもの感情をあるいは行動を冷静に見れるように努力することが、やがて技術になっていくのだと思うのです。
怒鳴り声、泣き叫ぶ子どもの声、私は心が海の水でいっぱいになって目からあふれてくるのです、そして思うのですそんなに怒鳴らなくてもいいのに、そんなに叩かなくてもいいのに、でもなかにはこれが愛情だと言う方がいます、人間は動物ではありません、どんなに小さい子どもでも、話し合いによって、わかります。
いろいろ意見があるかとおもいますが、私の家では怒鳴らないように努力しました叩いて怒鳴って、すぐ済むことが、話し合いによって二ヵ月三ヶ月あるいは一年二年かかりました、頭を洗うのに二、三カ月かかりました、「おはよう、おやすみなさい、いただきます、ごちそうさま、ありがとう、○○してください、」これは何年か、かかりました。
大人が見本を見せて、繰り返し繰り返しやってみせました、これは今も続いています
まだまだありますが、それは又の機会に書いてみたいと思います。
私の大好きな先生。故高島巌先生はこのように、言いました。
い そ い で は い け な い
か ま え て は い け な い
た え る こ と だ
ま つ こ と だ
い の る こ と だ
これは私達に力強い言葉でした。この言葉のおかげで、話し合いが出来たのだと思うのです、高島巌先生は双葉園(養護施設)の園長ですが、職員会議のつど先生方に、言ったことは、「どうか子どもを叩かないでください、犬や猫ではないのですから、」「おねしょをした子を叱らないでください、なぜならそれはあなた方の責任だから」先生の頭の中にはだめな子はいませんでした、先生の言葉に、
子 ど も は 本 来 す ば ら し い の だ ・
という言葉があります、本来良いものをもっている、子どもを悪くしているのは、大人だと言っているのです。素晴らしいですね、先生は児童憲章草案準備会の一人でした、児童憲章の中に先生が生きているのです。
一人でも多くの大人が子どもの人権と個性を考える、きっかけになればと思います