口 腔 癌 克 服 1
                                    

1998年11月 何か変。
私は、ある会社の営業をしていました。
仕事はとっても面白く、仕事にのめり込んで働いていました。
耳が痛い・・舌がピリピリする、異変を感じながら自分で口の中を鏡で見ました。毎日・・・・見ましたけど
分かりませんでした。トン汁を食べたせいでピリピリするのと、解釈しました。 仕事が忙しく また
営業会社でしたから 誰にも負けたくない数字しか頭になかった。
また タバコも吸っていました。(12月17日でタバコはやめました)


1998年12月17日  癌(白い潰瘍)発見

夕食後ずーと気になっていたが、今日も鏡で見てみる。
何〜これ〜(ーー;)!!ヒヤー!!
鏡に写るは、白い潰瘍 どう見ても 潰瘍
思わず目の前が真っ白で、暗闇の世界に突き落とされてしまい 真っ白 真っ黒 真っ青 あー・・・・・・
これは 間違いない 口腔癌だ!! 主人に 口腔癌だと言って騒いだ。

12月18日 近所の静岡済生会総合病院に
            青ざめて行く。
最初 歯科の口腔外科に おそるおそる尋ねる。
「先生 私癌だと思って 来ましたー」・・・・・
潰瘍を一部切り取り 病理に出し一週間後に結果が分かると云われ、
次一週間後に伺うも,結果が出ないとCTを撮りました。
次一週間後・・・

12月28日 癌だと困るから 主人を連れて来ましたーと先生に話すと・・・・・

(いや まだ分からないから検査しますから即入院して下さい)との事。
とんでもない・・・・まだ仕事は残っているし、正月は来るし入院を拒否しました。
でも 先生は、(正月明け4日から病院はやってますから入院して検査を受けて下さい)との事。
正月は、自分に振りかかったショックより、家族が全員風邪を引き高熱を出し、 3人の看病でどっちが
病人か?と思った。不安で一杯なのに正月休み中看病で、今考えれば私が考えない様に家族
そろって打ち合わせたかの様に高熱を出して魘されていたのかしら・・・・なんてね。

1999年 1月4日 入院拒否の電話を掛ける。

折り返し病院から強制入院を迫られる・・・・・が、 明日は会社の正月明けの初出勤で いつ 病院に
行かれるか分かりません と 云うと 6日は、検査予約が入ってますから絶対に入院する様にとの事。
1月5日会社の初仕事
とは云っても 初詣や会社のご祈祷して頂いたり お食事したり 大好きなカラオケにいったり 
ものすごく楽しい一日を過ごし、心の中では(これが最後になるかもしれない)って思い、皆と楽しんだ。


1999年 1月6日 気分もスッキリ 一人で入院。
看護婦さんが(えー一人で来たのー ご主人はー?)と尋ねられました。
(はい!! 仕事に行ってもらいました。だって 検査入院ですから・・・でも 
                                    夕方仕事が終わったら来ますから)
この日より、本格的に毎日の様に検査 検査が続く。
アイソトープ 血液 心電図 レントゲン 胃カメラ エコー MRI 身体中のMRIを何回も撮った一ヶ月間
(癌と頭では 分かっていても 1パーセントでもいいから違う病名を言ってほしいと 願う毎日でした。)
看護婦さんに (ねー私の病名 癌でしょー)って言うと、看護婦さんは困って 
先生がそんなこと云ったの?    云ってなければ分からないでしょー ってごまかす。
先生も 検査中ですからと 一言も 私には 知らせず。
この 検査入院の一ヶ月間は とっても怖かった正直言って・・・・
まだ 死にたくない!!主人や 結婚前の娘を置いて死ねない 
私にはまだ やることがある !!って思った。  
会社の所長始め皆が ちょくちょく入れ替わりお見舞いに来て下さったので気が間切れ
ありがたかった。主人の目は 時折紅く結膜炎の様な日があり 後ろ姿が寂しそうでした。
あれは 結膜炎でなく 涙だったんですね。何も知らない私は ・・・・・・・
主人から 4年経ったある日 (ほんとはね、お前が入院した夕方 ナースステーションで先生に
呼び止められて、実は 奥さんは 癌です・・・・・・)って宣告受けていたんですって! 
主人は、仕事も手に付かず 私に悟られまいと 演技をし大変だったろうーと思い感謝している。
主人の同僚が本とに主人は、落ち込んでいたと退院後話して 下さいました。


1999年 1月16日  涙の宣告
この日 外泊をさせて頂いてました。主人の携帯になんやら 先生からの電話です。
本人も聞きたがっていますから、一緒に今から病院に行きます、 と主人が云っている。
主人の口から「やぱり 癌だって!! でも 転移がなかったから手術で命は助かるそうだー」・・・・
私は 思わず目から大きな粒が流れ出し ワーワー主人に支えられ喚き泣いた。泣くだけ泣いたら
スッキリして覚悟が出来ました。主人と病院に戻り 先生から宣告を受けました。
目の器から 涙がこぼれない様に 一生懸命でした。主人から 宣告報告を受け そして 先生からの
宣告を受け ワンクッションあったから 先生から受ける時の言葉には、覚悟が出来てて ショックが
内場でした。

1999年 1月18日 
担当医変更 耳鼻科医 森園徹志医長に変更

癌の手術は、数多く手がけてて患者さんの信頼の熱い先生。
森園医長から、私の癌の詳しい説明を受け 
(この先生だったら 私の命を助けて頂けると 
      確信致しました。)

森園医長に出会うまでとっても不安だらけで 何処の病院が癌に対し先端技術と
腕をお持ちの病院なのか心細く頭の中で自分なりに助けて頂ける病院は何処なのか?
患者は、先生との信頼関係が持てない内はりんりんの様に思う患者もいるのです。
ある癌友は声帯に癌が出来てしまい不安にかられ、他の病院の意見もお聞きして
来たいとカルテやお写真を御借りして 日赤と浜松医大へ行って来ましたが答えは
森園先生とまったく同じでした。その癌友は同じなら森園先生がいいとおっしゃって
手術を受けまして再発なしです、癌になった方なら 決断をする時迄の
私の不安な気持ちはお分かりと思いますが、・・・・・・・・・  




100%信頼が生まれました。
先生から 手術方法を 3つ紹介され 一つの選択を余儀なくされました。
@放射線療法(後遺症として 喉が渇き 味覚障害を起こし 果たして完全に
          治るとは 云い切れない。)
Aお口の中だけの手術と 放射線療法。
Bお口に中だけの手術とリンパ節の掃除
先生はBが一番ベストでしょうーとおっしゃった。・・・・私も完璧を望んだ。
Bの手術の障害 後遺症とは
 悪性腫瘍の部位は、口腔底である。腫瘍を奥深く切り取る訳ですから穴が開きます。
 腫瘍の周囲2cmは切り取らないと再発の可能性があるそうです。
 切り取った穴を埋める皮膚を利き腕でない前腕の皮膚を皮弁(植える)します。
 手の切られた皮膚には、股の皮膚を移植します。股は自然に再生され治癒します・・・・・・・・が
 股が 飛び上がるほどに治りが遅くジュク ジュクして痛かった。
 今でも 跡が 少し残っている。
 お口の中では 、今でも腕の皮膚が入ってて 活躍しています。細かい神経や静脈があって
 難しい手術の様で まれに 味覚障害やしびれを起こすことも有るそうです。
 リンパ節も掃除するため 首にメスが入ります。
 腫瘍の部位が 下顎骨の側のため再発防止のために骨も削ります・・・・
 よって下歯は、ほとんど抜きます。
 物を噛む事が出来ないので ミキサー食 軟菜食を胃に流し込む生活。
 歯で咀嚼がないので 脳への伝達が悪い
 ですから 術後も 歯を作る為の難しい 手術が待っている。
 首は 半年回りずらい。車の運転時 バック時首がねじれないで困った。
 首や手の移植部分は冷気に弱く痛く強張る。 マフラーやスカーフはかかせない。
 前腕は皮膚と静脈を採るので 血行障害と握力が無く平に手をつけないし
 今でも 前腕移植部分に強い衝撃が当たると 泣きたくなるほど 痛い。
 肉の盛り上がりがなく 衝撃をガードできないからだと思う。
 握力は 徐々に3年目から少しづつ回復します。
 5年半の今 80パーセント握力回復。
 お医者様には 分からない 本人しか分からない術後の葛藤があります。
 でも 乗り越えて 行かなければ!!
 


                         伊豆 堂ヶ島にて  手術前

1999年 2月3日
     森園医長に 命をあずけた日。

いよいよ 手術・・・ 12時間の長い手術でした。
耳鼻科 歯科 形成外科 麻酔科 他医療チーム7科でのチームを
組んで手術大成功で終わりました。
森園先生 命を助けて下さって ありがとうございました。

多くのチーム編成の先生方 スタッフの皆様の 長い時間で 大変だったと後でお聞きしました。
お疲れ様でした。 お礼申し上げます。

癌って 白くぷりぷりしている様に感じました。術後先生が見せて下さいました。
癌を病理で、ホルマリンにつけて保存。

術後口の痛みは あまりありませんで 先生ともお話ができました。術後こんなに話せるなんてと
先生が驚いていたそうな!術後3日目は 祭日でした・・・休日にもかかわらず 森園先生 私の為に
心配してくださって様態観察に来て下さった事覚えています。
口の痛みより 股の皮膚を採った所が チョー痛くて 痛くて 騒ぎまくった。
一週間近く 砂袋で上半身を固定され首から上を動かせません。お陰で 未だに床ずれの跡が
残っています。ご飯は2週間近くに管が取れ 自分でスプーンで喉の奥に重湯や 軟菜を口に
入れるのですが 口の中が腫れてて食事が通らず苦労しました。

こんな 一つ一つの事が 今までの人生と違う走り方をしなければならず
出来ず 葛藤が ここから 始まります。
 

病棟では、同じ様な癌患者さんと情報交換ができ
自分だけでなく こんなに多くの癌患者さんがいるって事にびっくりしました事と 皆それぞれの障害
また 後遺症があるが 命と引き換えである事に 手術跡に勲章を上げたい。
今 この勲章のお陰で 生きていると思うと ちっとも悲しくありません。
私の 命の証。・・・・・・私より もと不自由な人 又は 天国に行ってしまわれた方の事を思えば
この 勲章は 自分に 名誉賞を与えたい。

       名誉賞の皮膚たち
名誉賞 の前腕皮弁協力者達です。
りんりんは 右利きなので 左の腕から
皮膚を取りました。随分大きめなサイズ
であったと思います。足りないと困るから
と、お話してました。大なり 小なり 患者
は 先生の云うなりでそんなに採らないで
なんて云えないし、命と引き換えなら
仕方ないですもの。術後半年か1年頃か
形成の先生や森園先生に云った事が
ありました。
(先生この皮膚 もっと小さく縫い縮めて
ほしい)と・・・・でも 両先生方は やって
やれない事はないが境界が 今の様に
綺麗にいくとは 限らない とおっしゃいました。



このお写真は、 今現在の腕です。
とっても綺麗になってます。
皮膚の境界も他の人より綺麗だと思います。
ここに 移植してある皮膚は 股の皮膚で
すよ。移植の仕方にもいくつか方法がある
らしくりんりんの場合は 網網のシートを上から
乗せてがーぜ 包帯が巻いてありました。
だから ここの皮膚は 網網模様がまだ
残っています。網網の感じは上のお写真の
方が良く分かるでしょー。静脈も採ったのが
見えるでしょー。体の皮膚を あちこち移動
して人間の生命を救う先生達の医療技術は
素晴らしいと感謝です。この 救助任の皮膚
達が寒さに弱く風が冷たかったり冷えると
今でも傷ではなく 中が重く冷たく痛むのです。



首のリンパ節を お掃除する為に首にもメスが入りました。
癌ではないが 甲状腺を手術された方に出会いまして
その方の首の悩みは りんりんと同じでした。
寒さに弱く風が冷たく痛くこわばり紫外線に切った跡は
弱い。リンパ節のお掃除をしていただいたから 転移も
せずに6年目を迎える事が出来た事もあり傷跡も普通
に向いていれば分かりません・あまり!!



森園先生は 私に 
「世の中の人に, この様な癌もある事を 教えて上げて下さい!!」と おっしゃった。
先生のお言葉で 自分を公開する勇気と こんな癌があるから気をつけなさいよ!!
と、世間の人に教える勇気を頂き ずーと公表してきました。

1999年 3月15日  良好にて退院
静岡済生会総合病院を退院
受け持ち看護婦だった方が 退院時にメッセージ文を下さいました

名を上げたいが あえて名前は 伏せます。

そして 退院後初めてかかる耳鼻科の診察日と
看護婦さんの絵にiroenpituで塗ってあり
今でも この2枚のメッセージは 
保存してあります。精神的にボロボロになり
娘の様な看護婦さんの前で泣いた時 そーと
ハートで包み込み 心のケアーをして下さったこと
忘れはしない。
7階の775号室だったんですね。
病棟の看護婦さんには 心のケアーに
気ずかってくださり有りがたく嬉かった。

退院(入院費用)
今から5年10ヶ月前で 私は 社会保険で
本人ですから 1割負担で 78万円ほど病院に
支払いました。アメリカンファミリーに入って
いたので保険金で78万円を支払う事が出来ました。
とっても 助かりました。
現在は 本人も3割負担ですから単純計算しても
今なら 234万円必要な 計算になります。、 
次に待ってる 歯を作る為の手術は
保険が利かない。
ちょっとした高級車が買えてしまう。
70歳過ぎた年なら 私も歯が無くてもと、我慢も
するが まだ 先が長いので体優先で、失われた
歯を作ります。

森園先生 看護婦さん その節はお世話様に成りました。

退院して診察に行っても ドキドキの連続でした。
先生は半年後 歯が無くて可愛そうっとおっしゃって昭和大学歯科病院を紹介して下さいました。
でも 再発が怖くて(先生は99%大丈夫とおっしゃいました)中断しました。


今思えば 何故 癌が口の中にあるのを発見した時 

写真を撮っておかなかったのかと!!後悔しています。 

そんな余裕はあるはずないのに・・・・

でも 今このhpに一番載せたい一番のお写真なのに。

病院は 何年前の患者さんの記録までを 残してあるのでしょーか?森園先生ー・

りんりんの 病理に置いてあるホルマリン漬けの癌は 

あれから どーなってるのですか?ある物なら 見たいです。


森園先生 りんりんの癌の形やぷりぷり度合いを思い出して下さいましたか。

手術室での 森園先生のそしてチームを組んだ先生方の奮闘された12時間が

物凄く緊張し集中し精神誠意尽くしてくださりお疲れであったと想像します。

感謝しています。



 森園クリニック 耳鼻咽喉科
  
HPを クリックしてね。

森園先生のHPの中に 患者さんのホームページとして

「りんりんさんの闘病記」で一緒に公開して下さっています。


手術後 3年目近くに主人の転勤で群馬県に 先生に群馬大学医学付属病院を紹介して頂く。

園先生のご存知の古谷先生が 耳鼻科の教授をなさってて紹介状を持って群大へ

森園先生は私が群馬県に来てまもなく 静岡市内に開院されました。

森園クリニックの hpをご覧くださいね。 
先生のhpの中に 私の入院した病院もリンクされています。

群馬に来て 群馬大学病院で定期健診を そして 歯は群馬に来てすぐ昭和大学歯科病院で
受けるはずを またまた 怖くなりキャンセル。


静岡市で
私の職場復帰を待っていて しかも 休職期間を延ばしてまで待ってて下さった会社の方々。
私が帰って来る者と信じて待っていて下さったのに 復帰出来ず残念でした。
手術前日の 社長始め大勢の激励にはビックリでした。  まるで 会社の朝礼でもあるかの
ごときで ナースステーション前が凄い雰囲気になったのを 覚えています。
○ ○ ちゃんの愛称で可愛がって頂き 今でも交流のある会社・・・そして友。

それと 主人や娘達 姉 母には 心配や世話をかけ・・・・、大変感謝しています。
姉は仕事を10日年休とって看病に 娘達も休んで看病に 主人は 仕事帰りに
一日もかかさず病院へ  当時78歳の母は退院後一ヶ月間 家事を全部こなしてくれた。
母が帰った後は 体が辛くて 洗濯物干すのも辛く 買い物も一人では持てず 困る事
だらけでした。皆に感謝と ご近所の方も温かく周囲の人に支えられて毎日が楽しい
日々でした。

静岡市自宅玄関前にて
術後5ヶ月頃 歯が無いので 少し 口角の筋肉落ちている。
歯が無い月日が長引くと 筋肉が落ちる。
噛む動作は 多方面に影響が大。でも 頑張るよー\(~o~)/


2005年 6月3日 金曜日
森園徹志先生と再会
4年振りに 森園徹志先生と再会致しました。場所は当然開院された
森園クリニック 耳鼻咽喉科です。

とってもお優しい先生で 嬉しそうな表情で, りんりんを迎えて下さいました。
手術の時と少しも変わらずお若くていらっしゃいました。今回森園先生に
癌摘出して頂き あれから生存出来た事のお礼と 歯を作る為の手術をした事と 
入れ歯が出来たので 入れ歯を見て頂きたく 念願のご対面を果たす事が出来ました。
たまたま 二子山親方が同じ口腔底癌で,5月30日に死去の報道が有 りりんりんも
寂しくなってしまい森園先生に元気が頂きたくて 飛んで行ってしましました。
森園先生は お口の中やリンパ節も診察して下さり 
≪歯に関する手術も複雑に顎を切開してあるから 多分大変だったのでは・・・・・≫
とおっしゃってました。       
≪手術された先生は 大変ご苦労されたのではないか≫と・・・・・・・
入れ歯も感心されていらした。
今までHPではご覧になっていらっしゃいますが、実物は初めて とってもびっくりしてました。
あの手術後の顎を削ってある姿からすれば、想像も出来ない事ですよね。
≪色んな物が噛めて良く出来てる入れ歯で、入れ歯って分からないね。
お金も随分かかったでしょー。≫(はい)≪乗用車一台買えますね。≫
(そーなんです。だから 未だに静岡ナンバーの車です。)入れ歯も外して見せ 
はめて見せ≪全然分からない普通の人ですね。≫インプラントをしてる以上は
一生昭和大学歯科病院に通います。そもそも この森園先生が 口腔底癌の手術を行い
半年後 昭和大学歯科病院をご紹介下さった。森園先生のお知り合いの高橋浩二先生に
ご紹介があったのですが 高橋先生は インプラント担当でないので 代田先生が担当に
なったそうです。森園先生が、癌摘出手術後も歯の再建を考えて下さったから今のりんりんが 
あるのです。森園先生のご紹介が無かったら 歯が出来る事すら知らず また病院も分からず 
歯の無い不自由な生活を今もしていたでしょー。そして 今、再建が実ってやっと森園徹志先生に
報告出来ました。
完治の選択を 先生もりんりんも Bを選んで正解でした。
こうして生存して しかも 再建されて お会い出来ました。本当に 嬉しい限りです。
今日は 森園徹志先生にお会い出来 感激でした。
親身になって後々迄 考えてくださり 本当にありがとうございました。
最後に 森園先生と握手をしてオーラを頂いて来ました。
きっと HPをお読み下さってる皆様にも パワーが生まれる事と思います。
森園先生は 第1・第3木曜日の午前中は 東京は 日本医科大学付属病院 
耳鼻咽喉科 頭頚部外来で (一般外来 初診)の患者様を診察してらっしゃいます。


次のぺージの 口腔癌克服2(再建術) 口腔癌克服3(入れ歯)も お読みくださいね。

癌克服2へ     癌克服3へ    
下顎顎底再建術         下顎義歯再建