幸福

 

昨日プノンペンに、「もし、今から自分の消したいもの消せるとしたら、何消す?」って訪ねたら、

プノペは、「ゴキブリ、蚊・・。」ってすぐに答えが返ってきたので、僕が、「3つまで。」って言ったら、

残り1つは、答えが返ってこなかった。

自分が思うに、最初無制限で考えているときは、あれが消えたらいいな、これが消えたらいいなと

いくつも考えることができるんやろね。

でも、3つに絞る、プノペンの場合、2つまで言っていたから、残り1個なんやけど、

そうなった場合、人間は、自分に一番最適な条件で消すことを考えるんかして、すごく悩む。

プノペに質問した後、自分でも考えてみた。やっぱり答えが出ない。

しかし、逆に、「3つ何でも貰えるとしたら何にする。」。

この質問に対しては、すぐに3つ返って来る。

僕が考えるに、普段与えられることに慣れてしまっている僕らにとって、

もらうことに対しては執着しているけど、消えること、消されることに対しては、無頓着と言える。

これらは、自分たちがいかに幸せなのかを表しているようにも考えられる。

しかし、今の若者はこれらを幸せと感じられる心を見失っているように感じる。

これから、社会に貢献していかなければならない、僕ら大人たちは、子供をもっと大切にしなければならない。

それは、もっと与えろということか、いや違う、もっと子供に情報を与え、

子供と大人が常にいろんなことに興味を持ち、学ぶことに集約されるように感じる。

たとえば、子供達が、野球やサッカーが好きなのは、それに対しての情報が身の回りにあふれているし、

大人たちもそれに対してよく知っており、教えることができるからだ。

しかし、携帯電話は、どんな仕組みで動いているとか知っている大人は何人いるだろうか。

そこで、子供に携帯を与えるのであれば、もうひとつ1円の携帯を与え、

分解するぐらいの勢いでお互い学べば、それに対して興味を持つし、そこに楽しさも加わるだろう。

要するに、生活している身の回りには驚くべきもの、感動がいたるところにあるのだ。

そこから、必ず幸福も見つかるのではないかと思う。

もっと、子供を大切にするべし!!

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