青の時代

俺はいじめられっ子でしたよ。中学のころは意味わからんことゆうて、やり返そうものなら本気でやり返そうとする。全く思春期でいろいろ考える日々でしたね。まー今考えたらかわいいもんなんだけど、人間不信に陥りますよ。全く、僕はほんまに考え込むタイプですね。なんでいじめられてるんやろうとか、俺は無実じゃないか、スポーツできないから?暗いから?いろいろ考えた。いじめについて問題になった時期があって、学校のアンケートに“今までにあなたはありますか?”という問いがあって正直、戸惑った。俺は今いじめにあってるんじゃないか?“はい。”だろ?でもその後に、“それはいつごろですか?”“どういった内容?”“誰かに相談しましたか?”なんかいっぱい答える項目があって、プライドを捨てきれず“いいえ。”を選んだ。腹が立つのは集団になっていじめるやつ。俺に喧嘩を売ってくるやつが一人の時はたいていやり返した。まあ、当然と言えば当然。ただひとりがいじめていると今度は別のやつが急に割り込んでくる。喧嘩を止めるんじゃなくて相手側の助っ人。誰もお前の参戦なんか許した覚えがないのに。後、ムカついたのが人の筆記用具を勝手に持ち出して隠したり。正直あきれます。正直いって毎日が地獄におもえますよ。でも、そのころの自分は決していじめられているとは思っていなかった。ただ遊んでいるだけ。プライドが高かったから。ただ遊んでいるだけ… いじめられっ子でプライドが高い。その時の友達といえば、俗に言うまじめ君が多かったと思う。昼休みも教室にいたりや図書館に行くタイプ。俺ももの静かな方だからそいつらと気が合った。俺は直接被害にあったことはないが知り合いのやつが俗に言う不良グループに取り囲まれているのを見たことがある。正直そうゆのは苦手で見て見ぬふりをしてました。小学校の時は話したりしてたのに、いじめっ子になってて。目を合わすのも恐い。端的に言えば、俺はいじられる素質はもっている。今でも、まわりからバカにされる。俺はバカである。8ビットの情報しか詰め込めない、昔のファミコンみたいに。

俺はサディスティックでもある。俺が同じ部活で変な奴がいて、しゃべり方がおもしろい。結構みんなからいじられていた。明らかにやらされてるのに、おもろいから止める気にならない。止めたら、今度は自分がそれをやる破目になる。バカにするのは、“気持ちいい”のである。そして自己防衛。情けない話だが、俗に言う“弱い人間”である。

俺は性格がどうであっても、能力とか、環境とかによっていじめる側といじめられる側の立場は逆転できると思う。資本主義が生み出す社会の実態でもある。でも弱いものいじめは人間的にNGである。集団リンチなんてもっての他です。それが金品を奪うためであれば、人間のクズでしょう。俺が言いたいのは、自分がされたくないことは相手もされたくないのだから、その逆の立場にたって相手の気持ち考えてやれるくらい余裕のもてる人間こそがすごいってこと。

話が横にそれたけど、こんなふうに俺はひとつの事からなかなか離れられないクセがある。俺らが中学のころっていじめがちょうど問題になってて、いじめを苦に自殺なんて、俺はショックだった。世の中にはオウムのような宗教団体が出現したり、バラバラ殺人とか物騒な話ばっかりが頭に入ってきて、自分でも思いこんだことは多々あった。こんな世の中で俺は満足しているのか。学校にいって部活して宿題、といった単調な生活。学校生活と家庭生活。部活はいじめる奴がいない時はまだ楽しかった。だけど将来が見えてなかった。一寸先は闇とはこのことである。じゃあ光は現れたのか?

俺にとっての光とは音楽にあたる。中学のころ小遣いはあったが音楽に興味がなく、専らゲームソフトが主体だった。

 

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