魔導の書〜第二章〜

戻る


 下水道伝いに歩いてきたアイーシャとエアリーは、王宮の地下に到達していた。
「あれを見てアイーシャ」
 エアリーがランプを掲げると、下水道から上方向へ縦に伸びる穴があった。
 縦穴の所まで行って上を見ると、高さは5メートルくらいだろうか。
 一番上には四角い格子で蓋がされてあった。
 格子の向こうには空は見えない、おそらくはどこか建物の中なのだろう。
 縦穴の壁面には鉄筋で組まれた梯子が据え付けられてあった。
「あたいが行ってみる」
「頼むぞ」
 エアリーはランプをアイーシャに渡すと鉄筋の梯子に手を掛け、ひょいひょいと上っていった。
「気を付けろ」
 下からランプで照らしながらアイーシャ。
「うん。平気平気」
 それに対してエアリーは、これくらい何ともないとばかりに答えた。
 アイーシャらと出会う前は大道芸人として日々の糧を得ていたエアリーである、身が軽くバランス感覚も優れているのは言うまでもない。
 エアリーはあっという間に一番上まで到達すると、蓋になっている格子に手を掛ける。
「あっ、動くよこれ。開きそうだ」
 幸い格子に錠は掛けられていなかった。
 それでも鉄製の上に1メートル四方はあるのでかなりの重さである。
 エアリーは必死に格子を持ち上げ、少しずつずらして開けていく。
「エアリー気を付けろ。バランスを崩すと落とすぞ」
「うん、分かって・・・あっー!」
 何とか片手で蓋をずらしていたエアリーだったが、バランスを崩してしまい蓋を落としてしまった。
 幸い蓋はエアリーには当たらなかったのだが、そのままアイーシャのいる下水道へ落下していく。
「アイーシャー!」
 エアリーの悲鳴が上がった。
 しかしアイーシャはこの事態を予測していたのか、予め蓋の落下地点からは避難していたのだった。
 ガシャーンと大きな音を立てて、アイーシャの目の前に蓋が落ちた。
「ふう。危なかったな。エアリー、ケガはないか?」
「うん、あたいは大丈夫。アイーシャは」
「無事だ。まったく、こういうものは円形に造らないと落としてしまう恐れがあるのだ。戻ったら大僧正様に報告せねばな」
 格子の蓋を足蹴に、アイーシャが詰まらなそうに吐き捨てた。
「良かったよ。それじゃあ上に行っちゃうね」
 アイーシャの無事を確認すると、エアリーが一足先に縦穴から外へ出る。
 そこは、どこかの建物内の通路のような場所だった。
「待ってて、今ロープを垂らすから」
 背中のリュックサックからロープを取り出すとその端を梯子の一番上に括り付け、もう片方の先端をそろそろと垂らす。
「そのロープを身体に巻き付けて。こっちからも引き上げるから頑張ってアイーシャ」
「ああ、頼むぞエアリー」
 アイーシャは言われるまま、ロープを身体に巻き付けた。
 くいくいとロープを引っ張って強度を確認したら、梯子に手を掛け上り始める。
 アイーシャもそれ程運動神経が悪いほうではない。
 しかし、何と言ってもドレスのスカートがわずらわし過ぎる。
 足元を見て確認するのはまず無理だし、スカートの裾でも踏もうものなら足を持ち上げることすら難しくなる。
「アイーシャ、しっかり」
「くっ・・・」
 エアリーの激励が聞こえはするものの、まともに返事など出来ないでいた。
 何度かブーツの先端を梯子に引っ掛け、体勢を崩しそうになる。
 その度にエアリーの持つロープが身体に食い込んで、思わず顔をしかめそうになった。
 それでも半分程上ったところでようやく感覚をつかんできた。
 残り2メートル、1メートル・・・
 最後はエアリーに手を引いてもらって、ようやく下水道から這い出ることができたのだった。
「アイーシャ、よく頑張りました」
 エアリーがまだ四つん這いのアイーシャの頭を撫でる。
「よせエアリー。やれやれ、散々な目に遭ったな」
 それに対してアイーシャは、照れるのを隠すようにぶっきらぼうに吐き捨て、忌々しそうに今上がってきた縦穴を睨みつけるのだった。

「それにしても、ここどこだろう?」
 ようやく人心地ついたところで、エアリーがきょろきょろと周囲を見回した。
 アイーシャは下水道の地図を確認する。
「そうだな、王宮の敷地がこうで、今の縦穴がここだ。どうやら王宮の南側の一郭らしい」
「でもさ、王宮にしては変な場所だよね。じめじめしていて暗いし、そういえば窓が一つもないよ」
「おそらく地下通路だな。何も王宮のすべてが華やかな訳でもないだろしな」
「それもそうだよねえ」
 石造りの通路はあまり光も差さず、所々に置かれたロウソクの炎がぼんやりとした視界を確保してくれるだけだった。
「この近くにラウドがいてくれれば良いんだけど・・・」
「そうだな。地下牢というくらいだ、捕まえた人間を閉じ込めておく場所と言えば地下というのが定番だろう」
 手持ちの地図はあくまで下水道の設計図であって、王宮の構造までは記されていない。
 二人とも、ホムラとエアリーが騎士の称号を与えられた時に王宮を訪れてはいたが、さすがにこのような場所までは来たことがなかった。
「とにかく歩いてみないことには何も分からない、か」
「だね。でも、まずはどっちに・・・」
「適当で構わん。どうせ何も分からないんだからな」
「それじゃあこっちに」
「よし。それで良い。行こうエアリー」
「うん」
 エアリーの指したほうへ連れ立って歩き始める。
 王宮内の地図は一切ない。
 アイーシャは自分の頭の中に地図を描きながら、エアリーの後を付いて行く。
 通路の途中でいくつかの扉があった。
 牢という雰囲気ではなかったが、中にラウドがいないとも限らない。
 それらの扉も一つずつ開けて調べていく。
 しかし扉の向こうはほとんとが物置といった感じで、人の姿も見られなかった。
 かの大魔導師が眠る地下迷宮ならば、扉を開けると魔物と出くわすことが多かったのだが、ここではそのような事はなかった。
 しかし、王宮内には魔物以上に厄介なものが多数動いていたのである。
「マズイ、向こうから誰か来るよ」
 前を歩くエアリーが振り返って囁いた。
「見回りの兵士か? 戻ってさっきの部屋に隠れてやり過ごそう」
 アイーシャがエアリーの手を取り、通路を戻って近くの扉に飛び込んだ。
 扉を閉めると息を殺し、じっと通路の外の気配を伺う。
 冷酷非情のアイスドールと呼ばれたアイーシャだが、魔物ならいざ知らず人間を殺戮するのはさすがに抵抗があった。
 また兵士らは王宮側の人員であり、自分たちは寺院側の人間である。
 仮に兵士を殺したりすれば、それこそ王宮と寺院の間で全面抗争に発展しかねない。
 ラウドの件だけでもピリピリしている現状である、これ以上もめ事を起こすべきではないだろう。
 今はとにかく、見回りの兵士に見つからないように逃げ回るしかないのだ。
 コツコツと、兵士の足音が扉の向こうに響く。
 どうやら足音は一人分のようだ。
 それが部屋の前を通り過ぎるのをじっと待つ。
 しん、と静まった地下通路では、扉越しとはいえ兵士の足音がよく響く。
 次第に大きくなってきた足音がまさに目の前を通過し、そして遠ざかっていくのがはっきりと感じられた。
 それでもしばらくは部屋の中で時を過ごし、完全に兵士の気配がなくなるのを待った。
 だからアイーシャとエアリーは気付かなかったのだ。
 今自分たちが隠れている部屋の前を通り過ぎたのが、ホムラだったということを。

「もう大丈夫だろう」
「ふう、ドキドキしたねえ」
 兵士の気配が消え去ってから、アイーシャとエアリーは再び通路へと姿を現した。
 慎重に周囲の様子を見回すも、先程の兵士の姿は見られなかった。
 二人は、兵士が向かったのとは逆の方向へと歩き出した。
 いくつかの部屋や分かれ道などを確認しながら地下通路を進む。
 王宮の建物そのものの大きさは知っていたが、地下も地上部分に負けない程の広さがあった。
 見回りの兵士をやり過ごしながらの探索は、思った以上にはかどらない。
 それが二人に焦りを生じさせる。
 先を急ごうとするあまりに、周囲への配慮が疎かになるのだ。
 そしてついに。
「おいっ! お前たち、何をしている?」
 二人の後方から男の声がした。
「マズイな、見つかった」
「走ろう」
 アイーシャとエアリーは兵士から逃げようと走り出す。
 しかし、ここは敵地である。
 一度見つかってしまうと、圧倒的に不利になるのは言うまでもない。
「曲者だー! 侵入者だー!」
 兵士が大声を上げながら二人を追ってくる。
 その声に呼び寄せられ、他の兵士たちも次々と集まってきた。
 それは後方からだけでなく、前方からも兵士が詰め寄ってきたのだった。
 ついに二人は挟み撃ちに遭い、逃げ場を失ってしまった。
「どうする、アイーシャ?」
「やむを得まい、戦うか・・・」
 アイーシャが魔導の書を開いた、その時だった。
「うぎゃー!」
 二人を取り巻いていた兵士の一人から悲鳴が上がったのだった。
 それと同時に。
「何だコイツらは!」
「バケモノだ、逃げろー!」
 あちらこちらで怒号が上がり、瞬く間に兵士たちが混乱に陥った。
 混乱する兵士たちが一斉に動き出す。
 もう誰も女二人ごときになど構ってはいなかった。
 アイーシャとエアリーの脇をすり抜け、我先にとこの場から逃げようとするのだった。
「うわぁー!」
 しかし逃げ遅れた兵士の悲鳴が上がる。
 それを聞いた他の兵士たちは、更なる混乱に陥っていった。
 悲鳴、怒号、そして足音。
 やがて兵士たちがいなくなりその場に残ったのはアイーシャとエアリーだけでだった。
 二人の目の前には突然兵士たちを襲った魔物の群れ。
 魔物たちは新たな獲物を求めて、アイーシャとエアリーに迫り来るのだった。

続きを読む