魔導の書〜第二章〜

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 ホムラは考え事をしながら王宮の地下通路を歩いていた。
 いや、正確には苦悩していたと言ったところだろうか。
 果たして自分の取った行動は正しかったのか・・・
 その自信がホムラにはなかったのだ。
 没落しかけたとは言え、ホムラの実家はそれなりに名の知れた貴族の家柄であった。
 そんな環境で育ったホムラである、何よりも名誉というものを重んじて生きてきた。
 アイーシャらと行動を共にするようになり、その働きが認められ王宮から騎士の称号まで与えられた。
 これ以上名誉なことはないと思っていたところに、更に王宮から近衛兵として仕える気はないかと打診があった。
 称号の授与式で一度だけ会ったパナソール王は、ホムラが人生を賭けて仕えるには十分過ぎる程魅力的な人物に感じられた。
 近衛兵として王の下で働きたい。
 しかしアイーシャやラウド、そしてエアリーといった仲間たちを裏切ることなどできない。
 しばらく悩んだホムラだったが、その仲間たちが背中を押してくれた。
「自分の夢を大切にしろ」
 あの自分勝手な女がそう言ってくれたのだ。
 それでホムラの心は決まった。
 数か月とはいえ世話になった寺院を後にし、王宮の門を叩いたのだった。
 当初はホムラも務めが休みの時には寺院に戻り、アイーシャらと過ごすつもりだった。
 だから大切にしていた自分の剣を、寺院に預けたままにしておいた。
 何より、近衛兵の装備品は王宮側から支給されるし、新入りのホムラが特別な剣を持ち歩くのは目立ち過ぎるので控えたほうが良い、と。
 これはラウドのアドバイスでもあった。
 しかし、いざ近衛兵としての務めが始まると、休みどころの話ではなかった。
 いや、新入りのホムラには近衛兵として王の傍に仕えるどころか、一般兵士としての訓練や雑務が待ち受けていたのだった。
 何かと忙しく、連日王宮に詰める日々が続いていた。
 それも立派な近衛兵になるためだと、必死に自分に言い聞かせるホムラだった。
 そんな折、パナソール王の急死の報が伝えられた。
 仕えようと思っていた主が死んでしまうとは・・・
 突然の事態に愕然とするホムラだった。
 そこへ、亡き王に代わって国政を担うことになったと、急遽ビクトル大臣が名乗りを上げたのだった。
 ビクトル大臣は亡き王の片腕として、長い間立派に国政に当たってきた人物だという。
 しかし王宮の中の侍女たちなどは、最近になって急に大臣の人柄が変わってしまったと噂する者も多数いたのだった。
 温厚で明るい人柄だったのが何処か冷たい態度を取るようになり、人を遠ざけ自室に引き籠りがちになったという。
 王が死んだとされる翌日、ホムラはビクトル大臣の部屋に呼ばれた。
 そして、命の書について話を聞かれたのだった。
 命の書は何処にあるのか?
 その書物には何が記されているのか?
 そして、その書物を扱うことのできる人物は誰なのか?
 ホムラは、何故大臣が命の書について知りたがるのか・・・
 そもそも、どうして命の書のことを知っているのか・・・
 それが不思議でならなかった。
 ホムラの知る限り、寺院は命の書の存在を公にはしていないはずである。
 それなのにホムラを自室に呼び付け話を聞き出すというビクトル大臣の行動は、明らかに命の書について何らかのことを知っていると思わずにはいられなかった。
 なのだが、ホムラはあくまで兵士として王宮に仕える身分である。
 大臣に話を聞かれたとなれば、自分の知っていることを包み隠さず話さなければならない。
 そしてホムラは、ラウドの名前を口にしたのだった。
 それを聞いたビクトル大臣は、すぐさまラウドが国王殺しの犯人だと断定した。
 もちろんホムラは必死に反論したが、大臣は聞き入れたりなどはしなかったのだ。
 それどころか、ラウドを捕らえるためにホムラに寺院を案内するように命じたのだった。
 大臣の命令には逆らえない。
 ホムラは大臣の他数人の兵士を寺院に案内し、ラウドを連行する任に就いたのだった。
 あの時の「自分の出世のために仲間を売ったのか?」というエアリーの声が、ホムラの胸を鋭くえぐった。
 そして、「お前の眼は死んでいる」と言ったアイーシャの顔が、今もホムラの脳裏にちらついているのだった。
 王宮内の見回りという名目で、地下通路を歩くともなしに歩いていたホムラ。
 だから自分の前方に、不審な二人連れの女たちがいたことにも全く気付かなかったのだ。
 のろのろとした足取りで歩いているうちに、いつしかホムラはラウドが収監されている王宮の地下北側の回廊へと辿り付いていた。
 通路の陰からそっと様子を伺うと、鉄製の扉の前には見張りの兵士が二人だけ。
 日中はビクトル大臣がラウドを拷問し責め立てていたのだが、今はそれも終わり辺りはしんと静まり返っている。
 見張りの兵士はすっかり油断しているようだ。
 あれならホムラが突然襲い掛かれば、簡単に倒してしまえる自信はあった。
 ラウドを牢から解放し、逃がしてやることもできる。
 しかしそんなことをすれば、ホムラが王宮兵士の職を解かれるのは間違いないだろう。
 それどころか、ホムラ自身が罪人として王宮から追われる立場になるかもしれない。
 どうするべきか・・・
 ここにきてなおも悩むホムラだった。
 が、その時。
「うわぁー!」
「バ、バケモノだー!」
 地下通路の向こうから、兵士たちの絶叫が響いてきたのだった。
「助けてくれー!」
「逃げろ、逃げるんだ」
 兵士たちは、完全に混乱しているようである。
 牢の前の見張りの兵士たちも、何事かと慌てだす。
 それを見たホムラの身体が、突然動き出した。
 牢の前へ駆け寄り、自分も慌てた風を装って見張りの兵士に話し掛ける。
「おい、何か大変なことが起こったらしい。ここは俺が引き継ぐから、二人は現場へ行って対応してくれ。大臣殿の命令なんだ、頼む」
「そうか、分かった」
「ここは頼むぞ」
 見張りの兵二人はホムラをその場に残して地下通路を走って行った。
 一人になったホムラは、扉の覗き窓から中の様子をそっと伺った。
 牢の中にはラウドが一人だけである。
「ラウド、生きてるか?」
 そっと声を掛けるホムラ。
「んっ? ホムラかい・・・」
 か細い声ではあったが、ラウドは確かに返事をしてくれた。
「今開ける」
 扉を開ける鍵束はすぐ脇の壁に掛っていた。
 ホムラはそれをむしり取ると、片っぱしから鍵穴に鍵を差し込んでいった。
 そして。
 ガチャンと重い音が地下通路に響いたかと思うと、扉がゆっくりと開いたのだった。
 牢の中ではラウドが壁から伸びた鎖に両手を繋がれ、ぶら下がるように膝立ちの姿勢になっていた。
 ホムラはすぐさま鍵束を使ってその戒めからラウドを解放してやる。
 取り調べとは言っても半ば拷問に近かったのだろう、ラウドの着ていた服はズタボロに裂かれ、痛々しい傷跡が身体中に見られた。
「おい、大丈夫か?」
「うん、なんとか生きてる、かな・・・」
 おどけたようないつものラウドの口調だが、その声には疲労の色がありありと滲み出ていた。
「どうして、ここに?」
「話は後だ。まずはここから出よう」
 ラウドに肩を貸す形で立ちあがらせると、二人は牢から地下通路へ。
 周囲の様子を伺うが、誰の姿も見えなかった。
 その代わりに、地下通路の向こうから、兵士たちの悲鳴や怒号が聞こえてくる。
 念のため、ホムラが被っていた冑をラウドに被せてから、その悲鳴のする方向へと走り出した。
 しばらくすると、喚き声を上げる兵士の一団と出くわした。
「退避だ。退避するよう命令が出たぞ」
 ホムラが叫ぶ。
 兵士として王宮に詰めるようになって、一つ分かった事があった。
 それは、兵士たちは皆「命令」に弱いという事である。
 先輩の命令、上官の命令、大臣の命令。
 上の立場の者から命令されたなら、それが自分の意に反することでも履行しなければならないのだ。
 ましてや今はバケモノの出現によって混乱に陥っている状況である。
 そこへ退避の命令が出たならば、兵士たちは一斉に地上へと逃げ始めるのだった。
 誰もラウドになど気付かない。
 我先にと逃げ惑うのみだった。
 やがて地下通路には誰の姿も見えなくなった、かに思えたのだが・・・
「このおー!」
「エアリー!」
 前方から、馴染みのある女たちの声が聞こえてきたのだった。
 エアリーとアイーシャに間違いないだろう。
「ったく、あのじゃじゃ馬ども・・・」
 苦虫を噛み潰したように、ホムラが吐き捨てる。
「やってるみたいだねえ。それじゃあ僕たちも参戦させてもらおうか」
 ラウドは何処か楽しそうである。
「おい、身体のほうは大丈夫か?」
「うん、ちょっとキツイけどね。でもあちらと合流すればなんとかなるよ、きっと」
 ホムラとラウドは女たちが戦う現場へと駆け出したのだった。

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