魔導の書〜第二章〜

戻る


11

 アイーシャとエアリーの目の前には、骸骨の軍団が立ちはだかっていた。
 地下迷宮で魔物と戦い慣れた者ならともかく、一般の兵士たちが骸骨の軍団を見て恐れをなしたとしても無理はないだろう。
 元は人間だったものが息絶え、肉が腐敗してそげ落ち、最後に残った物が骨である。
 それはまさしく「死」そのものといって良いだろう。
 しかもその死の象徴である骸骨が動き、武装して襲い掛かってきたのだ。
 普通の人間相手ならいざ知らず、初めて目の当たりにした異形の存在に兵士たちは恐怖し、軍としての機能が完全に崩壊してしまったのだった。
 我先にと逃げ出し、この場に残ったのはアイーシャとエアリーの二人だけになっていた。
 地下迷宮では、アンデッドコボルドという骸骨の魔物が頻繁に出没していた。
 これは犬のような亜人種であるコボルドの死骸から残った骨が、闇の力で動き出した魔物である。
 不死の魔物、生きた死体、アンデッドモンスター。
 そのような闇の力による魔物は、何も骸骨ばかりではない。
 腐った死体や死者の怨念など、様々なものが見られた。
 今アイーシャとエアリーが対峙しているのは、明らかに人間の骨を元にした魔物と思われた。
 それらの骸骨たちは皆剣を持ち、盾を構えて武装している。
 戦場で命を落とした者たちの屍から作られた骸骨の兵士、スケルトンソルジャーなのである。
「どうしよう、数が多過ぎる」
「エアリーだけでは捌ききれぬか」
 スケルトンソルジャーは地下通路に、これでもかとばかりに溢れていた。
 通路の幅が狭いため、一度に相手をするのはせいぜい一体か二体程だろう。
 しかし、敵は数に物を言わせて立て続けに攻めてくるため、倒しても倒しても切りがない。
 生きていた時は屈強の男だったのだろう、骸骨たちは皆エアリーよりも一回りも大きい。
 そして厄介なことに、ヤツらは疲れどころか痛みすら感じないのだ。
 人間なら、ケガをすればそれだけで体力が落ち、動きが鈍くなる。
 しかし不死の魔物は腕を落とされようが首を失おうが、闇の力が及ぶ限りは動き続ける。
 完全に身体をバラバラに破壊しなければ、倒したとはいえないのだ。
 エアリーの剣が及ばないとなると、あとはアイーシャの魔法しかない。
 しかし、護るべき盾がいないため、アイーシャは魔導の書に集中しきれなかった。
 エアリーが少しでも時間を稼ごうと、必死に骸骨の集団を食い止めようとするが、とても抑えきれるものではなかった。
 そもそもエアリーは動きまわって相手の隙を突く戦法を得意とする。
 真正面から敵の攻撃を受け止めるのは、本来の戦闘スタイルではないのだ。
 それでもエアリーが作ってくれたわずかな時間で、発動式を読み上げ完成させるアイーシャ。
 魔導の書第1ランクに属するハリトなら、発動式はあっという間に完成させることができた。
 同じランクにデュマピックの魔法があるため、下水道を突破するまではこのランクの魔法は使いたくなかった。
 故に巨大ネズミとの戦いの時にはあえて温存していたのだが、王宮まで乗り込んだとなればもうその必要もないだろう。
「ハリト!」
 アイーシャが魔法の名前を叫ぶと、人の頭程の火球がスケルトンソルジャー目掛けて飛んでいく。
 不死の魔物は炎を弱点とするものが多いのだが、この骸骨兵士もその例外ではなかったようである。
 火球は命中すると勢いよく燃え上がり、スケルトンソルジャーの全身を焦がしてゆく。
 それで何とか敵の一体の動きは止められるものの、ほとんど焼け石に水といった感じでしかない。
 第1ランクの魔法の使用回数もほとんど残っていないし、一体ずつちまちまと倒していては埒が明かない。
「ラハリト、いやせめてマハリトが使えればもう少し戦えるのだが・・・」
 盾として護ってくれるホムラの不在がこれほどまでに痛いとは。
 アイーシャは歯噛みする思いだった。
「あたいがもう少し頑張ってみるから、アイーシャは魔法をお願い」
 エアリーが再びスケルトンソルジャーへと斬り込んでいく。
 しかしその背中は小さく、あまりにも頼りない。
 骸骨相手に必死に短剣を振り回すも、じりじりと押されているのが目に見えて明らかだった。
 あまり時間は掛けられない。
 比較的発動式が短く、かつ複数の敵を倒せる魔法となると・・・
「裏のあれを試すか」
 アイーシャは魔導の書を開き、目の前に掲げた。
 そこには第2ランクの魔法の発動式が記されている。
 エアリーのことが気になってあまり集中できなかったが、それでも何とか発動式を読み上げることができた。
「メリト!」
 当初、魔導の書の一覧には掲載されていなかった魔法、メリト。
 かの大魔導師の部屋での戦いの後、アイーシャが魔導の書を解析して見つけ出した魔法のひとつである。
 メリトは、ハリトと同程度の火球を複数個、一気に飛ばすものである。
 火球の数が多ければ、それだけ多くの敵を倒すことができるはずだが、アイーシャも実戦で使うのは今回が初めてだった。
 後方からアイーシャの声がしたのを聞き、エアリーがさっと身をひるがえす。
 そこへメリトの火球が次々と、エアリーの脇を通過していった。
 発生した火球は全部で五つ。
 うち最初の三つが先頭にいたスケルトンソルジャーに直撃する。
 ハリトの三倍の炎に包まれ、骸骨の兵士が崩れ落ちた。
 残り二つの火球が、後続の骸骨一体ずつに当たった。
 そのうちの一方は火球に身を焦がし動きを止めたものの、もう一方は動きを止めるまでには至らなかった。
 五つの火球を放ったものの、結局倒したのは二体止まりであった。
「複数の火球を制御して敵に当てるのはなかなか難しい、か。この魔法もまだまだ改良の余地があるということだな」
 初めて実戦で使ったメリトだったが、必ずしも満足のいく結果とはならなかった。
「アイーシャ、今の魔法まだ使えるよね? もう一回やってみよう」
「だが、大丈夫なのか?」
「うん、あたいならへーきだから」
 エアリーの体力も限界に近付いているはずである。
 それでも果敢に骸骨兵士に立ち向かうべく飛び出して行った。
「このおー!」
「エアリー!」
 思わずエアリーの名前を叫んでしまったが、それで引き返すエアリーではないだろう。
 今は魔導の書に集中し、一体でも多く敵を倒さねばならない。
 ここはエアリーを信じて、魔法のランクを上げるか・・・
 アイーシャは迷いながらも、第3ランクのページを開きかけた。
 その時。
「彷徨える魂よ、汝を闇の力から解き放たん」
 アイーシャの後方から、馴染みのある男の声がしたかと思うと眩く光輝いた。
 聖なる光に照らされた骸骨兵士たちが、次々にその場に崩れ落ちていく。
「ラウド!」
 そして。
「うおぉぉぉ!」
 アイーシャの脇をすり抜けて前に出た巨漢が剣を振るい、一気に敵を薙ぎ払っていく。
「ホムラ! 二人とも、どうして・・・」
「話は後だよ。さあ、アイーシャ」
「うむ。ホムラ、盾を構えて私の前へ!」
 ラウドに促され、アイーシャは相棒とも言うべき男へ指示を飛ばした。
「おうよ」
 盾を持っていなかったホムラだが、既に事切れている兵士たちから盾をむしり取る。
 小型の丸い盾を両手に構え、アイーシャの前に立つ。
 その背中の大きさに、アイーシャもホッと安堵する。
(これならやれる)
 アイーシャは魔導の書第4ランクのページを開くと一気に集中力を高める。
 こうなるとアイーシャは完全に無防備になるのだが、迫りくる敵は全てホムラが食い止めてしまう。
 二人の間には、完全な信頼関係が出来上がっていた。
 ホムラにしてみれば、自分が身体を張りさえすれば、アイーシャが魔法で敵を全て始末してくれるはずだ。
 そしてアイーシャにしてみれば、ホムラが身体を張って護ってくれるからこそ、魔導の書に集中できるのだ。
 お互いに信頼し合っているからこそ身体を張れるし、また魔法に集中できるのだった。
 アイーシャが発動式を読み上げるのに呼応して、魔導の書に記された文字が明滅していく。
 それはアイーシャが完全に魔導の書に集中している証であった。
 アイーシャが発動式の最後の一説を読み上げ、魔法の名前を告げる。
「ラハリト!」
 高められた集中力と、正確な発動式の読み上げから生み出された炎が、濁流となって骸骨兵士たちを飲みこんでいった。
「すごい・・・」
 その光景に思わず息を飲んだのはエアリー。
 下水道で巨大ネズミを相手にした時に、巻物で発生させたマハリトの数倍の威力の炎の渦。
 紅蓮の炎が骸骨を焦がし、その骨を溶かす程に焼き尽くしてしまう。
 炎の渦の中で、次々に動きを止め、崩れ落ちる亡者たち。
 その光景は、まるで宗教画にある地獄絵図のようでもあった。
 アイーシャの持つ魔導の書は、尚も明滅を繰り返していた。
 更なる魔力の解放と制御。
 これ程魔力を高めるとなると、未熟な魔導師ならば逆に魔導の書に呑み込まれかねないだろう。
 しかしアイーシャは完全に魔導の書を制御し、思うままに操っていた。
 それは、魔導師としてのアイーシャの力量が本物であるということを物語っている。
 やがて炎が沈静化すると、アイーシャはふぅと息を吐き、魔導の書をパタンと閉じた。
 見ると、王宮の地下通路にひしめいていた骸骨の兵士たちは、跡形もなく燃え尽くされてしまっていた。
「すごいよアイーシャ。大好き!」
 極度の緊張から解放され、感極まったエアリーがアイーシャにギュっと抱き付いてきた。
「うわっ、どうしたエアリー。は、離れろ・・・」
 アイーシャも魔法に対する集中を解き、表情も緩む。
「アイーシャ〜、アイーシャ〜」
「エアリー・・・なんだ、もう」
 じゃれあう女たちを見ながら、ホムラとラウドもふっと顔を緩めていたのだった。

続きを読む