魔導の書〜第二章〜

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 王宮の地下通路にてスケルトンソルジャーの軍団を退けたアイーシャらは、近くの小部屋に身を潜めていた。
 態勢を立て直すにしろ今後の行動の方針を決めるにしろ、時間が必要なのは間違いないだろう。
 小部屋とはいっても物置のようなもので、四人が中に入っても十分に余裕のある広さである。
 室内には王宮に詰める兵士たちの仮眠用の毛布や、ちょっとした着替えまで置かれてあった。
 しばらくはこの場に立て篭もっても問題はないだろう。
「ラウド、これ」
 エアリーが背負っていたリュックサックから命の書を取り出し、ラウドに手渡した。
「持ってきてくれたんだね。ありがとう」
 エアリーから受け取った命の書の表紙をまじまじと見つめるラウド。
「身体じゅう酷いケガ、拷問とかされたの?」
 改めて確認するまでもない。
 着ていた衣服は裂かれ、身体や顔のいたるところに、鞭で叩かれたであろうミミズ脹れの痕が痛々しくあった。
「うん。ちょっと痛かったけどね。でももう平気かな。何しろエアリーの笑顔が見られたからね」
「ホント? それは良かったよ」
 ラウドの言葉に、エアリーの顔がパッと輝く。
 その笑顔は、まるで本当に傷を癒す力があるのではと思えるほど眩しいものだった。
「二人で盛り上がっているところ悪いが、さっさと傷の治療をしてしまったほうが良いのではないか?」
 腕組みをしたまま何処となく不機嫌な口調で、アイーシャが命の書へと視線を向ける。
「そうだね。女の子がいる前でいつまでもこんな格好でいるのも失礼だし」
 ラウドは着ていた衣服の残骸を脱ぎ捨てると、命の書のページを繰っていく。
 開かれたページに記されているのは、第5ランクに属するディアルマであった。
 命の書を初めて手にしてからまだ日の浅いラウドであったが、澱みなく正確に発動式を読み上げていく。
 やがて発動式が完成すると、命の書そのものが、淡くそして暖かい光を放って輝く。
「ああ、ラウドの傷が・・・」
 感嘆の声を上げたのはエアリー。
 それもそのはずで、ラウドの身体に痛々しく刻まれた傷跡が、みるみるうちに癒されていったからである。
 切り裂かれて出血した個所はふさがり、面白いように脹れも引いていく。
 薬草を煎じて作られた治療薬などでは、とてもこうはいかないだろう。
「今日ばかりは、自分が治療師で良かったと心から思うよ」
「うん。本当に良かったよ」
 飄々としたラウドの口調は、真面目なのかふざけているのかよく分からない事も多い。
 それでもエアリーは、ラウドが治療師であることを、そして命の書が手元にあることを本当に良かったと思うのだった。
 傷の手当てが済んだら適当に見繕った衣服に着替えて、ラウド自身もようやく人心地着いた。
 その頃合いを見計らって、アイーシャが口を開く。
「ラウドが無事で何よりだった。もう少し身体を休めて、今後の方針を決めよう。だが、その前に・・・」
 アイーシャはいったん言葉を切ると、キっとホムラを睨み付けた。
「まずはけじめだ。ホムラ、歯を食いしばれ」
「お、おう」
 それまで大きな身体を小さくして部屋の隅にいたホムラだったが、突然アイーシャに呼ばれてかすれたような返事をした。
 その場で歯を食いしばり、ギュっと目を閉じる。
 次の瞬間、
 パシーン!
 乾いた音が小さな部屋の中に響いた。
 アイーシャがホムラの頬を張ったのだ。
「これで良し」
「っつー・・・これで良し、じゃねえぞ」
 張られた頬を押さえてぼやくホムラだった。
「何を言うか。仲間を裏切ろうとした代償がビンタ一発で済むなら安いものだろう」
「そうだよ。本当はあたいもぶん殴りたいところだけど、ここはアイーシャに免じて勘弁してあげる」
「ラウドは良いのか?」
「僕は良いよ。何たってホムラが僕を助けてくれたんだからね」
「ふん、お人好しが過ぎるぞ、ラウドは」
「はは。でもホムラがアイーシャにビンタされるのは、これで二度目かな」
「そうなの?」
 きょとんとした顔で、エアリー。
「うん。前はそう、エアリーがアイーシャに襲い掛かった時だね」
「ああ。エアリーの襲撃をかわしたからな。あれでは盾としては失格だ」
「あはは、あたいが原因だったんだ」
 自分が原因だったとは思いもしなかったエアリー、ははと乾いた声で笑った。
「この女は平気で人の顔を引っ叩くんだぜ。勘弁してくれよ」
「ホムラ、叩かれるのはそれなりに理由があるからだ」
「分かったよ。けっ・・・」
「ふん、分かれば良いのだ。それと・・・」
 そこでアイーシャは背負っていたホムラの剣を肩から外した。
「早くこれを受け取れ。重くて適わん」
「すまねえ、持ってきてくれたんだな」
 アイーシャから剣を受け取ったホムラだったが、複雑な表情を浮かべた。
「どうした、何か問題でも?」
「いや、初めて会った時は『お前には剣など不要だ』とか言ってたアイーシャが、こうして剣を届けてくれるとはな」
「なっ、別に勘違いするな。私はただ、それを突き返してホムラに説教のひとつでもしてやろうと思っただけだ」
 ぶっきらぼうに言い返したアイーシャ。
 だが、色白なアイーシャの頬がほんのりと赤く染まっているのに気付いたラウドやエアリーが、けらけらと笑っている。
「二人とも、何を笑っている」
「いえ、別に」
 これ以上アイーシャを刺激するのは得策ではないと理解しているラウドが、話を切り上げる。
 アイーシャも、これでホムラに対するけじめは付いたと気持ちを切り替える。
 持参してきたクッキーなどの食料を取り出し、少しでも体力や気力の回復させるべく食べ始めた。

「食べながらでいい。これからどうするべきか、その方針を決めよう」
 アイーシャは下水道の地図を取り出し、王宮へ進入した経路やこれまでの状況などを説明していった。
 それが済むと、次はラウドとホムラの話を聞く。
 牢に捕らわれ拷問を受けていたラウドからは、これといった話は聞けなかった。
 しかし、ここ数日王宮で過ごしたホムラからは、興味深い話がいくつか聞けたのだった。
「やはり、大臣が人変わりしたようだ、という証言が気になるな」
「ひょっとしたら、本当に別の誰かが大臣になりすましている、とか?」
「ありえるな」
 やはり菓子類の消費はアイーシャとエアリーの女性陣のほうが多い。
 元々好きというのもあるが、下水道から王宮への進入は、かなりの体力を消費していたのだ。
 二人ともパクパクとクッキーやビスケットを食べながら、話を進める。
「ねえみんな、あの時のことを覚えているかな?」
 それに対して、男二人はそれ程食べてはいない。
 牢に捕らわれて拷問を受けたラウドは、まだ食欲が出るほど回復しきれていないのだ。
「あの時、というと?」
「大臣が僕の部屋に来た時さ。あの時大臣はこの命の書に手を伸ばしたけど、それを引っ込めた」
「それは・・・王宮と寺院が全面対決に入るのを避けたから、じゃないの?」
「ああ。確かに私はそう警告した・・・いや、待て」
 アイーシャはクッキーをかじりながら、じっと考え始める。
 そして。
「やはりおかしい。ラウドの身柄を連行した時点で寺院との対決は避けられないことくらい、大臣は分かっていたはずだ」
「それって、命の書を持っていっても持っていかなくても、あまり関係ないってこと?」
「そうだなエアリー。もしもラウドが王を殺害した犯人だと本気で思っているなら、犯行の凶器とも言うべき命の書を置いていくだろうか?」
「最初から王様を殺したのがラウドじゃないって知ってた、とか?」
「ならば何故あんな回りくどいことをしのか?うーむ、どうもおかしな話だな」
 アイーシャとエアリーがうーんと唸って黙ってしまった。
「ねえ、こう考えたらどうかな? 大臣は本当は命の書を持ち帰りたかった。でもできなかった」
「持っていきたかったのに、できなかった・・・どうして?」
「ねえエアリー、エアリーはこの本に触れるかな?」
 ラウドが命の書をエアリーに差し出す。
「へっ? 触るくらいならできるけど・・・ほら」
 エアリーは何のことか分からない、といった表情ながらも、命の書をペタペタと触ってみせた。
「うん。何も問題ないよね。でも、もしも大臣がこの本に触れないとしたら?」
「えー、本に触れない人なんて、いるわけないよ」
「待てエアリー。そうか、そういうことか」
 何かを閃いたアイーシャ、ラウドの手から命の書を受け取る。
「ラウド、この書物は聖なる力が宿っている。そうだな?」
「その通り」
「聖なる力は我々人間にとっては何の問題もないものだが、闇の眷族には有害なものとなる」
「それって、ひょっとして・・・」
「察しが良いぞ、エアリー。あの大臣が人間じゃないとしたらどうだ?」
「大臣が人間じゃない・・・つまりは何かのバケモノとか魔物とか」
「だね。大臣は命の書を持っていかなかったんじゃないんだ。自分にとって有害なものだから持っていけなかったんだよ」
「あの時大臣は、『ここは空気が悪い』と言い残して立ち去った。おそらく寺院の神聖な空気に耐えられなくなって早々に退散したんじゃないのか」
「なるほどー」
 アイーシャとラウドの説明に、納得とばかりに頷くエアリーである。
「さっきの骸骨どもも、おそらくは大臣の手下だろう。となるとヤツの正体は・・・」
「おそらくは不死族、だろうねえ。聖なる力をもっとも嫌うのは不死の魔物だからね」
「間違いないだろうな」
「けっ、それじゃあ俺は魔物の命令を聞いてラウドを捕まえに行ったってかよ?」
 それまで黙って話を聞いていたホムラだったが、大臣の正体に呆れ返る思いだった。
「そういうことになるな、ホムラ」
「やってられねえぜ。こっちはそのせいでお前に殴られたんだからな」
「私だって散々な目に遭ってるんだ。お互い様だ、まったく」
「まあまあ、二人とも」
 口を開けばすぐにケンカになるアイーシャとホムラを止めるのは、このパーティにおけるラウドのもうひとつの仕事のようなものである。
「で、どうする? 一度寺院に引き返して大僧正様に報告、指示を待つってのもあるけど・・・」
「誰が引き返すものか。ここまで来たら大臣の正体を暴いて息の根を止めてやらねば気が済まない」
「あたいもアイーシャに賛成」
「俺もだ。あの野郎、俺たちをコケにしやがって」
「僕もそう思うよ。これで決まりだね」
 四人の意思が揃って、今後の方針が決まった。
「あれっ? だけどさ・・・」
 と、そこでエアリーが「んん?」と首を傾げた。
「どうしたエアリー。何かおかしなところでもあるのか?」
「うん。ちょっと思い出したんだけど、ラウドに命の書をくれたバンパイアロードって不死王とかいってたよね。なのに、命の書を持ってて平気だったのかな?」
「なるほど。エアリーはおもしろい所に気付いたね。アイーシャはどう思う」
「それは・・・」
 ラウドに話を振られて、アイーシャがしばし考える。
「何しろ『不死王』というくらいだからな、ヤツが特別なのかもしれん。それともあのクソジジイが何か細工したか、あるいは・・・」
「僕が手にするまで命の書の効力が封じられてあった、とかね」
「なるほど、それもあるかもしれんな。確かラウドが命の書を手にした時、いきなり多くの発動式が浮かび上がったくらいだ」
「で、結局ホントはどうなのさ?」
「私が知るはずがないだろう。今のはあくまで推測だ。今度ヤツに会う時があったら聞いてみるんだな」
「えー、会う時なんか来るのかなあ。何だか騙された気分だよ・・・」
 アイーシャとラウドに説明されるも、今ひとつ釈然としないといった表情で腕組みをするエアリー。
 そんなエアリーの様子を見て、くすくすと笑うラウドだった。

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