魔導の書〜第二章〜

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「もうひとつ大事なことがある。王女の行方だ」
 クッキーをひとつ口の中に放り込んでから、アイーシャが言った。
 地下通路の一室に籠ってから小一時間が経過している。
 その間食料を補給し、身体も休め、そして今後の方針について話し合っている最中である。
 ホムラの話した情報などから推測するに、どうやらビクトル大臣が人間ではなく魔物ではないかという結論に達していた。
 寺院には引き返さずこのまま大臣の正体を暴き、場合によっては倒すということで、四人の意思は決まったのだった。
 そしてもうひとつの懸案事項が、行方不明になっているというソニア王女の件である。
「ホムラは何か聞いていないか?」
「うーん、俺は王女の動向については管轄外だったからなあ・・・いや、待てよ」
 アイーシャに聞かれて答えるホムラ、何かを思い出そうと頭を巡らせる。
「そうだ、城の女たちが噂していたような気がする」
「噂? それってどんな話なの?」
「エアリー、そう急かさないで。今はホムラの話を聞こうよ」
「はあい」
 ラウドにたしなめられて、おとなしく返事をするエアリー。
「それで、何か思い出せそうか?」
「ああ。王宮内を巡回していた時、侍女たちの話を聞いたような気がするな。何でも王女に仕えている侍女が尖塔まで食事を運んでいるらしい」
「尖塔だと?」
 アイーシャの片眉がピクリとあがった。
「ねえ、尖塔って?」
「王宮を外側から見ると、中央部に二本高い塔があるでしょ。あれが尖塔だよ」
「ああ、あの塔のことか」
 ラウドに説明されて納得するエアリー。
「食事を運んだってとはさ、そこに王女様がいるかもだよね」
「その可能性は高いな。だが、塔となると厄介かもしれぬな」
「どうして厄介なのさ?」
 不思議そうに質問するエアリーに、アイーシャは説明する。
 そもそも塔といっても建てられた目的は様々である。
 王宮の外周部には、少し低めの塔が四本建てられている。
 これは主に、城の周囲に対する見張りのためのものなのである。
 そして王宮中央部にそびえているのが、問題の尖塔であった。
 尖塔は王宮の権威を示すために、高く建設されたものである。
 それと同時に、外敵の侵入が難しいことから、最上階を王族の居室として用いられることも多いのである。
 周囲に何もない塔への侵入路は、それこそ塔の内部を上るしかないのである。
 また、何らかの理由で身柄を拘束された要人を幽閉するのに使われたりもするという。
 侵入が難しいということはまた、脱出が難しいということも意味している。
 一般の罪人ならば地下牢へ閉じ込めるところであるが、王族となるとそういった扱いもできないだろう。
 なので塔の最上階に幽閉し、その内部に見張りを立てれば脱出困難な牢と化すのである。
「なるほど、もしも王女様が塔のてっぺんに閉じ込められているとなると、自分で脱出するのはもちろん、あたいたちが助けに行くのも難しいんだね」
「そういうことだエアリー。で、どうするラウド?」
「そうだねえ・・・」
 ラウドはしばらく考えてから、こう提案した。
「まずは裏を取ろう。果たしてソニア様は尖塔のてっぺんにいるのか? そして大臣は本当に魔物が化けているものなのか?」
「なるほど。何をするにしても正確な情報は必要だな。その王女に食事を運んだという侍女に話を聞ければ良いのだが」
「よし、それじゃあその侍女の皆さんに話を聞きに行こう。ホムラ、案内してくれないかな」
「お、俺がか?」
「当たり前じゃないか。僕たちは王宮の中がどうなっているのかもよく分からないんだから」
「そうだな。何しろホムラはここ数日、見回りで王宮内をうろつき回ったはずだ。侍女たちの部屋へ案内するくらいは簡単だろう」
「分かったよ」
 かくして、ホムラの案内で侍女たちの控室を目指して移動することになったのである。

「誰もいないね」
「ああ。みんな自分たちの部屋に引き籠ってしまったようだな」
 小部屋を出て地下通路から地上部分へ移動したアイーシャたちだったが、その間誰の姿を見ることもなかった。
 地下通路に現れた骸骨の軍団の話は王宮内に広がっているだろう。
 しかし、既に兵士たちの指揮系統は機能していないらしく、討伐隊どころか見張りすらいない状態である。
 兵士たちがそんな状態なのだから、侍女たちの姿などあろうはずもなかった。
 アイーシャたちも小部屋を出た直後は、見張りの兵と小競り合いでもあるかと警戒していたのだが、こうなっては拍子抜けも良いところである。
 それでもいつまた魔物の軍団と遭遇するかもしれないとなれば、油断する訳にもいかないだろう。
 普段は兵士や侍女らが利用する通用口を移動する。
 そこは華やかな王宮の表舞台と違って、特に飾り気のない殺風景な造りになっていた。
 やがて。
「ここだ」
 ホムラがとある部屋の前でその歩みを止めた。
 そしてドンドンと乱暴に扉を叩く。
「おい、誰かいるのか? いたら開けてくれ。聞きたいことがある」
 しかし扉の向こうでは「ひぃ」と女たちのか細い悲鳴が上がっただけで、あとはしんと静まり返っていた。
「ちょっとホムラ、そんな乱暴な態度じゃ駄目だよ。みんな怖がってるじゃない」
「そ、そうか。すまん」
 エアリーに注意され、ホムラが謝る。
 身体はエアリーよりもホムラのほうがずっと大きいのだが、今回はさすがに分が悪い。
 ホムラとしてはどうしても小さくならざるを得ないだろう。
 アイーシャがラウドに「行け」と目配せする。
 何しろ相手はすっかりおびえてしまっている。
 声の大きなホムラやぶっきらぼうな口調のアイーシャでは、話も聞いてもらえないだろう。
 エアリーという手もあるが、天真爛漫な性格と太陽のように明るい笑顔は、逆に場の雰囲気に合わずに相手が引いてしまう恐れがある。
 ここは人当たりの良いラウドが適任だろうとの判断である。
 ラウドは黙って頷くと、コンコンと静かに扉を叩く。
「皆さん、驚かせてしまってすみません。我々は皆さんに危害を加えるつもりはありません。
 お願いですからソニア様について、何か知っていることを話してもらえませんか?」
 すると扉の向こうでひそひそと話す声や、ガサガサと何かが動く気配がした。
 しばらくしてから。
「王女様について、ですか?」
 恐る恐るといった風ではあるが、扉越しに返事があった。
「ええ。ソニア様が何処に捕らわれているとか、ご存じありませんか?」
「失礼ですが、貴方たちは・・・」
「僕たちは寺院の関係者です」
 ラウドの返事に、部屋の中が急にざわめきたった。
 現在王宮と寺院は敵対関係にあると言って良い。
 その寺院の関係者が王宮の内部をうろついているとなれば、女たちが動揺するのも無理はない。
「ご安心ください。我々は決して皆さんに危害を加えるつもりはありません。ソニア様の行方について、何か知っていることはないでしょうか?」
 ラウドが、こちらには敵意の無いことを繰り返し告げる。
 すると、ガヂャリと音がして少しだけ扉が開かれたのだった。
 若い侍女が扉の隙間から覗き込むように、こちらの様子を伺っている。
「王女様をお探しなのですか?」
「ええ。なので何か知っていることがあれば、と」
 ラウドが侍女へにっこりと微笑むと、侍女も少しは気を許してくれたようである。
「中へどうぞ」
「失礼します、お嬢さん」
 扉の隙間からラウドが部屋の中へ身を滑り込ませる。
「さすがはラウドだな」
「だよね、ホムラじゃこうはいかないよ」
 アイーシャは不敵に、そしてエアリーはニヤニヤと笑ってからラウドに続いた。
「ったく、勝手言ってろ」
 ふてくされるホムラだったが、それも仕方のないことではある。
 王宮に務める侍女たちにとって身近な男といえば、同じく王宮に務める兵士たちである。
 兵士たちは皆、ホムラのようなガッシリとした体格をしている。
 声も大きいし性格やしぐさも大雑把な者が多いとなれば、若い女性からはどうしても煙たがられたりもするものである。
 もっとも、王宮務めが出会いの場となって、兵士と侍女が結婚するという例も多いのではあるが。
 それはさて置き、王宮務めの侍女たちにとっては、ラウドのような線の細い感じの男はちょっと珍しいものである。
 エルフ族には男女を問わず、整った美しい容姿をした者が多いという。
 ラウドもその例にもれず、若い女性が見れば思わずうっとりと惹かれてしまいそうな顔立ちをしていた。
 相手を魅了することは、気持ちを和らげ、心を開き、そして話を聞き出す上で重要なポイントなのである。
 それが分かっていたからこそ、アイーシャはこの場をラウドに任せたのであった。
 部屋の中には10人程の侍女たちが、身を寄せ合っていた。
 初めのうちは突然部屋を訪れたアイーシャらを怖がっていたようだが、ラウドが優しく微笑むことで、少しずつ警戒心も薄れていくようである。
「この中に、ソニア様に食事を運んだという人はいますか?」
 あくまで静かで優しい口調で、ラウドが侍女たちに問い掛ける。
「あの・・・私が」
 部屋の奥にいた若い侍女が恐る恐る手を上げた。
「そうですか。それは何処に運びましたか?」
「はい・・・尖塔です」
「尖塔は二本ありますね。どちらでしょう?」
「それは・・・東側でした」
「間違いありませんね?」
「はい」
 答える侍女はどこか怯えた風ではあるが、ラウドの静かな語り口に次第に落ち着いてきているようである。
「ソニア様には会えましたか?」
「いいえ、お顔は拝見できませんでした。」
「それじゃあ食事はどうやって渡したのですか?」
「扉の下側にある小窓から差し入れました」
「何か話したりは?」
「はい、王女様は食事を運んでくれたことへのお礼と、自分は元気でいるからというようなことを仰いました」
「その時、ビクトル大臣は?」
「はい、私の後ろにいらっしゃいました。大臣様からは『決して余計なことは言うな』と固く命じられていました」
「大臣のお供などは?」
「いいえ、特には」
「大臣はソニア様がそのような場所にいる事について、何か説明とかは?」
「何でも寺院の関係者が・・・」
 そこで侍女は言葉に詰まった。
 目の前にいるのは正に寺院の関係者だと気付いたのだろう。
 それでもラウドが「構いませんよ」と優しく促すと、侍女は困惑しながらも続きを話した。
「すいません、寺院の関係者が王様に続いて王女様も暗殺するかもしれないから身を隠しているのだと」
「なるほど、大臣はそんな風に言ってましたか」
 大体の事情は分かったと、ラウドも頷く。
「あの・・・気になることが」
「何でしょう?」
「食事を運んだのは昨日のお昼まででして、夕食は運んでいないんです」
「それは、大臣の命令で?」
「はい。王女様は・・・ソニア様は御無事なのでしょうか?」
「そうですね、今は大臣によって幽閉されているようですが、しばらくは大丈夫でしょう」
「お願いします。ソニア様を・・・」
「話してくれてありがとう。ソニア様はきっと僕たちが」
 最後は泣き崩れそうになる侍女の肩を、優しく叩いて慰めるラウドだった。

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