魔導の書〜第二章〜

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「どうやらこの辺りらしいな」
 水没した通路を抜けた所でアイーシャがデュマピックの魔法を発動させた。
 大僧正から預かった地図と照らし合わせて、現在地を確認する。
「ようやく到着かな」
「そのようだ。ずいぶん手間取ったものだ」
 道中の苦労を思い出し、嘆息するアイーシャ。
「どこかから外に出られると良いんだけど」
 エアリーがランプの灯りで下水道の先を照らす。
 今回の目的は下水道の探索などではない。
 下水道を歩いてきたのはあくまで手段に過ぎないのだ。
 真の目的は王宮に進入し、ラウドを奪い返すことである。
「あー、まただ・・・」
 うんざりした口調でエアリー。
 エアリーがうんざりするのも頷ける話で、通路の先にはまたも鉄格子が二人の行く手を阻んでいたからだった。
「エアリー、すまんがまた頼む」
「りょーかーい」
 アイーシャの指示とも付かない指示に間延びした返事をするエアリー、早速鉄格子へと近づく。
 しかし。
「あれ・・・あれれ?」
「どうした?」
「この鉄格子、開かないよ」
「何だと」
 アイーシャもエアリーの後ろから鉄格子を覗き込んだ。
「なるほど、確かに」
「でしょ」
 二人で顔を見合わせて顔をしかめる。
 今までもいくつかの鉄格子を突破してきたが、それらにはすべて通用口が設けられてあったのだ。
 その通用口を鎖で巻いて閉め、錠前が掛けられてあったはずである。
 だからエアリーが錠前さえ外してしまえば通用口が開いたのだが、今目の前にある鉄格子にはその通用口が無かったのだ。
「どうしよう、他の道を探してみる?」
「いや、それは無駄だろう」
「なんで?」
「おそらくは、下水道から王宮の敷地へ入れないように、この鉄格子には通用口が設置されていないのだ」
「そうか。たとえ他の道があったとしても、そこも同じなんだね」
 詰まらなそうに鉄格子を蹴飛ばすエアリー。
 カンカンという乾いた音が、下水道の暗闇に響いた。
「そうがっかりするなエアリー。あるいは逆かもしれぬぞ。王宮側から外に出られないように、とかな」
「それってひょっとして・・・」
「ああ。この先、王宮内の牢獄にでも繋がっているかもしれぬぞ」
「そこにラウドがいる!」
「その可能性は否定できないだろうな」
 アイーシャの説明に、エアリーの顔がパっと輝いた。
 今まではただ漠然と王宮を目指していただけだったが、ラウドのいる場所に確実に近付いているという手応えがそこにはあった。
「それじゃあこの鉄格子を何とかしなくちゃね」
「そうだな」
 気持ちも新たに、二人で鉄格子を調べ始める。
 何本かの太い鉄の棒が下水道の天井から床に突き刺してある。
 鉄の棒が上下に動いて抜けたりとか、鉄が錆びて腐食し緩んでいる箇所がないかなど、注意深く見ていった。
 だが。
「うーん、ダメみたいだね」
「そう甘くはなかったか」
 隅から隅まで丁寧に調べたが、鉄格子が壊れているような箇所は見つからなかったのだ。
「それじゃあ魔法で何とかならないかな? ホラ、空間をなんたらってやつ」
「空間転移か、そうだな・・・」
 エアリーが言うのはマロールのことである。
 魔導の書第7ランクに属するこの魔法は、離れた空間を自在に移動できるというものである。
 地下迷宮の奥深くにいても一瞬にして地上へ帰還できるとなれば、それは生き死ににも直結してくるだろう。
 ある意味、どんな強力な攻撃用の魔法よりも、術者の生命を護る魔法であると言える。
「よし、やってみよう」
 しばらく考えたのちに、アイーシャが決断した。
「ねえ、今ちょっと迷っていたみたいだけど、何か問題でもあるの?」
「迷っていた・・・そうだな、問題と言えば問題だろう。何しろ失敗したらその場で即死するかもしれないからな」
「その場で即死!? それはただ事じゃあないねえ」
 目を白黒させるエアリーに、アイーシャは「慌てるな」と前置きしてから説明を始める。
 その内容は、未踏エリアへのマロールでの転移に対する危険性についてだった。
 マロールは距離、方向、高さの三つの要素の組み合わせで転移先が確定する。
 魔法を発動させる際にそれらの要素を設定すれば、どこにでも移動できるのである。
 しかし、設定先が必ずしも安全な場所とは限らない。
 それは足場のない虚空であったり、太陽の光も差さない程の深海であったり、または全く空間のない岩盤の中かもしれないのだ。
 しかしながら、余程の酔狂でもない限りは、そのような場所に自ら進んで転移する者はいないだろう。
 それよりも怖いのは、転移先の設定ミスや、勘違いによる誤った転移なのである。
 東と西を間違えてしまえば、それだけで術者の意図しない場所に飛ばされるだろう。
 また、壁の向こうに空間があると信じて転移したのに、そこに空間が存在しなかったなどとなれば、事態は取り返しのつかないものとなるだろう。
 故に、「未踏エリアへの転移については細心の注意を払うように」と、魔導の書の中に特に警告文が記されている程なのだ。
 そのような事故を防ぐために、マロールによる未踏エリアへの転移を不可とするべく改良が加えられることになるのだが・・・
 それはまた後世の魔法研究家による話である。
「と言う訳なのだが・・・」
「うーん・・・」
 アイーシャの説明を聞いても、今一つピンと来ないエアリーだった。
「何もエアリーが難しく考える必要はない。実際に魔法を使うのは私なのだからな。それに・・・」
 そこでいったん言葉を切ると、アイーシャは鉄格子の隙間から向こう側へと腕を差し入れる。
「未踏エリアと言っても今回は鉄格子の先へ移動するだけだ。
 1メートルにも満たない距離だし、何よりそこにはちゃんと空間も存在する」
「それじゃあ失敗する心配はないの?」
「距離と高さに関しては問題ないだろう。仮に失敗をするとすれば、方位を間違うことだが」
「そうか、鉄格子の向こう側が東西南北のどの方向なのか、だね?」
「そういうことだ」
 ようやく納得した様子のエアリーに、アイーシャもうむと頷くと下水道の地図を広げた。
「ここから入って、こう歩いてきた訳だから・・・」
「地図のこの場所を、今いる通路の向きと合わせれば良いんだよ」
「そうだな。つまりはこうなるのか」
 地図上で歩いてきた通路を指で辿りながら現在地を確認し、実際の地形と同じになるように慎重に向きを合わせる。
「間違いないな。ここから東へ転移すれば良いはずだ」
「だねっ!」
 それが二人で導き出した結論だった。
 転移先さえ決まってしまえば、あとは魔法を発動させるだけである。
 アイーシャが魔導の書の第7ランクにあるマロールの項を開き、発動式を読み上げる。
 第7ランクともなれば、そこに記されている発動式はかなり複雑なものとなる。
 しかしアイーシャは一言の澱みもなく、それを読みこなしていった。
 そして。
「マロール!」
 発動すべき魔法の名を告げる。
 足元がふわりと浮き上がるような独特の感覚が二人を包む。
 次の瞬間・・・
「転移完了」
 アイーシャが魔導の書を閉じる、無事に転移したことの証だった。
「えっと、さっきまでいたのがあっちだから・・・」
 エアリーがきょろきょろと、周囲の様子を確認する。
「心配するな。ちゃんと鉄格子の向こうからこちらへ移動しているだろう」
「ホントだ。やっぱりすごいねえ」
 目を真ん丸にして驚くエアリーに、アイーシャもまんざらでもないとふっと笑みを漏らす。
「でもさあ・・・」
「なんだ、エアリー?」
「こんな便利な魔法があるんだったら、下水道の入口から直接ここまで転移しちゃえば良かったのにね」
「あのなあ、エアリー・・・」
 気楽に言うエアリーに、アイーシャは「はぁ」とため息をついた。
「さっき未踏エリアへの転移がどれ程危険か、説明したばかりだろう。こんな確実かどうかも分からない30年前の、それもこれはただの設計図だ」
 アイーシャはエアリーの目の前で下水道の地図をひらひらとさせる。
「そんなあやふやなものを頼りに転移するなど、自殺行為と取られても仕方ないぞ。
 今回は鉄格子の向こう側が視認出来たから良かったものの、そうでなかったらマロールの使用を躊躇するところだった」
「そうでした。たはは」
 特に悪びれるといった風もなく、屈託なく笑うエアリー。
 そんなエアリーの明るさが、アイーシャには妙に眩しく映るのだった。
「エアリー、これで終わりじゃないんだぞ」
「だよね。王宮への入口を探さなきゃ。どこかから外へ出られると良いんだけど・・・」
「そうだな。王宮の敷地は寺院よりもかなり広い。きっと何処かから地上へ出られるはずだ」
「うん、行こう」
 二人はまた連れ立って歩き出したのだった。

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