魔導の書〜第二章〜
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アイーシャとエアリーは王宮へ向けて下水道を歩き続けていた。
闇の中を歩くのは、明るい場所を行くのとは全く感覚が違ってくる。
一体どのくらい歩いているのか?
何時間も経過しているような気もするし、ひょっとしたらまだ数十分程度かもしれない。
アイーシャは、何としても夜明けまでには王宮に忍び込みラウドを奪回したいと考えていた。
夜が明けてしまえば、どうしても隠密行動は難しくなる。
所々にある小さな排水口から上を見ても、まだ星空があるだけである。
夜明けまでには、まだいくらかの余裕があるだろう。
行く手を阻む鉄格子もいくつかあったが、それらはエアリーが錠前を外して開けていた。
もしも鎖をカナノコで切断していたなら、もっと時間が掛っていたはずである。
それを思えばこのエアリーの手先の器用さは大きな武器と言って良いだろう。
また、要所要所でアイーシャがデュマピックの魔法を使い地図と照合することで、現在いる正確な場所を割り出していた。
地下迷宮の探索においては、自分たちの位置を見失わないことが生還への大きな条件なのだということを、アイーシャはよく理解していた。
かの大魔導師の眠る地下迷宮での経験が、都市の地下に広がる下水道を探索するのに役立つとは・・・
アイーシャも想像すらしていなかったことである。
「ふむ、どうやらこの辺りが寺院の敷地らしいな」
地図を見ながらアイーシャが漏らした。
「やっと寺院まで来たんだ。ならもう少しだね」
「そうだな」
地上ならば、寺院と王宮は目と鼻の先にある。
ゆっくり歩いても、10分もあれば行ける距離だろう。
もう少しだという希望が、二人に次の一歩を踏み出させてくれる。
と、その時。
がさり。
前方で何かが蠢くような気配。
そしてエアリーの持つランプの照らす先に、獣の姿があった。
「ナニあれ? 犬でもない、タヌキでもない・・・」
ランプを掲げて目を凝らすエアリー。
前方にいる獣は大型犬程度の大きさと思われた。
それこそ犬か狼ならば話は早いのだが、どうも違うようである。
「あれはネズミだな」
「ネズミ? だってあんなに大きいのに・・・」
アイーシャの言葉に目を丸くするエアリー。
「一体何を食べたらあんなに大きくなるのさ?」
「ここは寺院のすぐ地下らしいからな。寺院から出た残飯でも食って育ったんだろ」
「ははは・・・」
力なく笑うエアリー。
かつて大道芸人だったエアリーは、一日のわずかな稼ぎで何とかやっていたものだった。
それが寺院で暮らすようになってからは、毎日の食事には事欠かなくなっていた。
寺院の財力をもってすれば、エアリー一人分の食費などは微々たるものなのだ。
恵まれているし、贅沢だと感じていたのだ。
新入りの修行僧はまだ質素な食事しか与えられないのだが、寺院の幹部クラスともなればそれなりに豪華な食事をしているはずである。
当然のことながら、日々の食べ残しも大量に出る。
どうやらこの近辺は、寺院からの食べ残しを狙っているネズミが集まる場所のようだった。
「どうしよう・・・あたいたちを食べるつもりかな?」
「くっ、ネズミになんぞ食われてたまるか」
「だよね。こんなところでグズグズなんかしていられない。相手は一匹だし一気に蹴散らそう」
エアリーが腰に差していた剣を抜く。
「だがエアリー、今は盾となるべきホムラがいない。私は思うように魔導の書を使えないぞ」
「あたいに任せて。ネズミは警戒心が強いから、ちょっと剣を振って脅してやれば逃げると思う。道が開いたらそこを一気に走りぬけよう」
「よし、頼むぞエアリー」
「うん。行くよー!」
剣を構えたエアリーが巨大ネズミ目掛けて走り出す。
「たあー!」
そしてネズミの目の前で威嚇するように大声を上げ、剣を振った。
何もネズミを殺す必要はない。
適当に驚かしてネズミが逃げてくれればそれで良いのだ。
「ホラっ、早く逃げろ」
剣を振ったり突き出したり、エアリーが必死にネズミを威嚇する。
しかしネズミは怯むことなく、エアリーに対峙していた。
ぐわっと口を開いたかと思うと、鋭い牙で対抗してくる。
「ちょ・・・戦う気? それならこっちも本気出すよ」
ネズミに逃げる気が無いと見るや、エアリーは威嚇するのを止め剣を低く構えなおした。
「エアリー、無理はするな」
「大丈夫、任せて!」
後方からのアイーシャの声を振り切って、エアリーは再度巨大ネズミへと斬り掛かる。
先程は威嚇のつもりで当てる気もなかったのだが今度は違った。
低い姿勢から大きく一歩を踏み出すと、巨大ネズミの足元を躊躇することなく薙ぎ払う。
しかし相手は化け物並みの大きさとは言え、やはりネズミである。
エアリーの一撃をひらりと飛んで、簡単にかわしてしまった。
「このぉ!」
返す刀でエアリーが上から剣を叩き付けるも、ネズミには当たらない。
「なんてすばしっこいヤツ!」
身の軽さや素早さはエアリーの十八番なのだが、上には上がいる。
獣の持つ身体能力は、人のそれを大きく上回ることも稀ではないのだ。
再三に渡るエアリーの攻撃をかわし続ける巨大ネズミだったが、ただかわしているだけではなかった。
「くそっ、逃げるな! うわっ」
焦るエアリーが剣を大振りして体勢を崩した瞬間を狙って反撃してきたのだった。
鋭く伸びた牙を剥き出しにして跳び掛かる巨大ネズミ。
「やばっ」
完全に逆を突かれたエアリー、それに反応できないでいた。
巨大ネズミの牙は、エアリーの持つ剣と同程度の長さを有している。
直撃を食らえばかなりのダメージは免れないだろう。
両腕を身体の前面でしっかり固めてネズミの攻撃に備えるエアリー。
来る、と思ったその瞬間。
バシンと何かが弾けるような音と共に、ネズミがチュウと悲鳴を上げて身体を仰け反らせていた。
「エアリー、無事か?」
「うん。大丈夫」
ネズミの襲撃から逃れて体勢を立て直したエアリー、見ると足元にカナノコが落ちていることに気付いた。
「これ、アイーシャが?」
「ああ。モノを投げ付けるなど不本意極まりなかったが、緊急時だ。やむを得まい」
魔導師であるアイーシャだが、護ってくれる盾がいないのでは魔導の書に集中できない。
ランクの低い魔法なら発動式も簡単で短いのだが、第1ランクには現在地を示すデュマピックがある。
それはできるだけ温存したいところだ。
なので、アイーシャにとっては無用の長物であるカナノコを投げ付けるという行動に出たのだった。
だがしかし、アイーシャの投げたカナノコが当たったからと言って、それで巨大ネズミを倒したわけではない。
仮に倒せないまでもこのまま尻尾を巻いて逃げてくれれば良かったのだが、そうはいかなかった。
ネズミはチュウチュウと、声を張り上げて鳴く。
それは単なる威嚇などではなく・・・
「マズイ、ヤツは仲間を呼ぶつもりだ」
「えっ? 一匹でも持て余しているのに数が増えたら手に負えなくなるよ」
「その前に片付けろ!」
「分かった」
エアリーが再度巨大ネズミに斬り掛かる。
その剣は、仲間を呼ぶことに気を取られていたネズミの胴体を見事に捉えていた。
「アイーシャ、走って!」
「うむ」
トドメなど刺す必要はない、今は一刻も早くこの場を立ち去るのみである。
しかしわずかに遅かった。
既に事切れているネズミが呼んでいた他のネズミが、二人の前に立ちはだかる。
一匹、二匹、そして後ろにも一匹。
気が付いたら計三匹のネズミが、アイーシャとエアリーを取り囲む形になっていた。
「ど、とうしよう・・・」
「仕方ない。あれを使おう」
アイーシャは腰に下げていた荷物袋から一本の巻物を取り出した。
「エアリー、少しだけ時間を稼げ」
「うん!」
エアリーが剣で周りのネズミを威嚇する間に、アイーシャが巻物に書かれた発動式を一気に読み上げる。
魔導の書に記された本式のものよりもずっと短く簡単な発動式である。
アイーシャは一瞬で発動式を完成させると、前方目がけて炎の魔法を放った。
魔導の書第3ランクに属するマハリトである。
実際に魔導の書の発動式によるものよりもずっと威力は低いが、巨大化したとはいえ所詮ネズミを追い払うのには十分な火力を有している。
前にいた二匹は全身を炎に包まれ、もがきながら暗闇へと姿を消していった。
おそらく下水道のどこかで力尽きるはずだが、そんなことはどうでも良かった。
後ろにいたネズミには目もくれず、二人が一気に走り出す。
これ以上仲間を呼ばれる前に、とにかくネズミたちの領域から逃げ出すのが先決だった。
「アイーシャ、早く!」
「分かってる・・・」
エアリーに手を引かれながら必死に走るアイーシャ。
ドレスの裾が足に纏わりついて何度も転びそうになったが、何とかエアリーに付いて行った。
しばらく走ったところで、ようやくエアリーの足が止まった。
「ふう・・・ここまで来れば平気かな?」
「ああ、もう大丈夫、だろう」
呼吸ひとつ乱すことのないエアリーに対して、アイーシャは息も絶え絶えだった。
「我々が普段寝起きしているすぐ下に、あんなバケモノネズミが棲んでいるとは思わなかったな」
「だよねえ。考えると背筋がゾッとするよ」
「ああ。戻ったら食べ残しを出さないように、寺院の食事係りに言わねばならんな」
ブルっと身震いするエアリーと、詰まらなそうに吐き捨てるアイーシャである。
「それにしても、だ・・・」
魔導の書に掲載されている発動式は複雑難解で、読み上げるのに時間が掛かりすぎる。
それに対して巻物は、発動式こそ簡略化されいるものの、大幅に威力が低下する。
魔法文明の更なる発展のためには、まだまだ課題は多いと痛感するアイーシャだった。