魔導の書〜第二章〜

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 細く欠けた月がほのかに照らす川辺に、いくつかの人影が移動していた。
「ありました。ここです」
「そうか。よし」
「でも・・・入口が鉄格子で閉まってるよ。これじゃあ入れない」
「それは我々が何とかします。お二人は準備を」
「頼む」
「はっ」
 言うや一人の男がカナノコを取り出し、鉄格子に巻かれた鎖を切り始めた。
 その間にアイーシャとエアリーは、装備品などの最終確認をする。
 アイーシャはお気に入りの白を基調としたドレスを纏い、手には魔導師の命とも言うべき魔導の書を持っている。
 腰に下げた道具袋には巻物やちょっとした治療薬が入っていた。
 それだけならいつもと変わらないのだが、今日のアイーシャはホムラの剣を背負っていたのだ。
 例え話でも何でもなく、普段は書物よりも重い物を持つことのないアイーシャにとって、大振りで無骨なその剣はかなりの負担であるのは間違いないだろう。
 しかしアイーシャは自らの手で直接ホムラに剣を渡し、小言の一つでも言ってやらねば気が済まなかったのだ。
 一方のエアリーは淡いピンクを基調とした動きやすい装束に、胸部を護る革製の防具、手甲にすね当てといった格好である。
 そして腰には短剣を下げていた。
 エアリーの剣術は、力よりもスピードを重視する。
 更には身体の小ささもあって、最近では長剣よりも扱いやすいと短剣を好むようになっていた。
 背中の小さなリュックサックの中には、ラウドの忘れ物である命の書が入れられてあった。
 何としてもラウドを奪還して命の書を手渡すのだと意気込むエアリーである。
 ラウドが執務大臣ビクトルに連行されてから十時間程が経過していた。
 夜も更け、日付が変わろうかという頃になって、アイーシャたちは秘密裏に寺院を抜け出していたのだった。
 アイーシャとエアリーの他にも、武装した寺院の若き僧侶たちが同行している。
 彼らの先導で都市を出て、川べりにある下水道の入口へとやってきたのだった。
 いや、正確に言うと下水道の入口ではなく排水口、いわゆる出口なのだが。
 寺院の敷地内から直接下水道へ潜り込めれば話は早かったのだが、生憎そのような進入口はなかったのだ。
 寺院からの道中、何度か街を見回る衛兵の姿を見かけたが、その度に路地に身を隠すなどしてやり過ごしていた。
 いつもならば寺院所属のアイーシャらのほうが王宮の兵士などよりも立場は上なのであるが、今回ばかりは逃げ隠れせざるを得ないだろう。
 その排水口にはガッシリとした鉄格子がはめられてあった。
 川で遊ぶ子供がふざけて下水道へ入り込んでしまわないためである。
 下水道は都市の地下を複雑に伸びているという。
 ふざけ半分で入り込めば、たちどころに迷子になってしまうだろう。
 しかしながら、鉄格子には保守管理者のための入口が設けられている。
 普段は扉を閉めて太い鎖を巻き、大きな錠が掛けられているのである。
 寺院の若き僧侶がカナノコで鎖を切断する。
「ふう、これは大仕事ですね」
 そして、ガシャンという音が夜の川辺に響いた。
 鉄格子の扉がギィと、錆びた鉄がこすれる音を軋ませながら、ゆっくりと開いていく。
 都市の地下に走る地下迷宮が、まさにその口を開けたのだった。
「ごくろうだった。あとは私たちの仕事だ」
「そうだね、行こうかアイーシャ」
 アイーシャとエアリーが互いの顔を見て頷き合う。
「お二人で平気ですか?」
 心配そうに、若き僧侶の一人が訪ねる。
「誰に物を言っているつもりだ?」
「はっ、失礼しました。それでは御武運を」
 アイーシャの鋭い視線に射抜かれた僧侶が手を合わせ頭を垂れた。
 寺院の関係者なら誰しも「アイスドール」という名前くらいは知っている。
 下手に逆らうべきではないことは、寺院に来て日の浅い僧侶でも心得ていることだった。

 レンガを組んで造られた下水道は、幅高さともに2メートルほどだろうか。
 楽々人が歩けるほどの空間が確保されてあった。
 床面の中央部分が高くなっているのは、保守管理の者が歩きやすいようにとのことだろう。
 水は、両端の溝をチョロチョロと流れていた。
「水が少なくて良かったね」
 下水道の入口で、エアリーがコンコンと靴底を鳴らす。
「そうだな。ここ数日晴れの日が続いたからな」
 アイーシャもいきなり靴やドレスを汚さずに済んだと、半ばホッとしていた。
 いざ大雨ともなれば、都市に降った雨水が一気に下水道に流れ込み、水かさが増していただろう。
 下手をすればドレスを汚すどころか、下水道を歩くことすらかなわぬところだった。
 しかしここ数日の晴天続きですっかり水が引き、床が乾いていたのはありがたいことだった。
「さあ行こうか」
「ちょっと待てエアリー」
 火を灯したランプを掲げて歩き出そうとするエアリーを制すると、アイーシャは魔導の書を開いた。
 その口からごく短い発動式が呟かれると、魔導の書が反応して淡く輝く。
「何をしたのさ?」
「うむ。この場所を座標軸の基準点に設定した」
「へ・・・?」
 アイーシャに説明されても全く理解の出来なかったエアリーである。
「魔導の書第1ランクにデュマピックの魔法があるのは知っているな?」
「うん、それは知ってるよ。迷宮の中で現在いる場所を教えてくれる魔法でしょ」
「ああ。今までは地下迷宮の入口を基準に設定していたのだ。そこからの距離と方位、それと階層だな。その三つが分かれば現在地が特定できる」
「なるほど」
「そして今は、その基準となる場所をここに設定し直したのだ。下水道の中でデュマピックの魔法を使うと、ここからの距離と方位が分かる。
 それを大僧正様から頂いた下水道の地図と照らし合わせれば、自分たちがどこにいるのか分かるだろう」
 アイーシャが地図を開いて見せた。
 大僧正が用意したそれは、30年前に下水道を設置した時の設計図だったのである。
 30年前となると、アイーシャもエアリーもまだ生まれてはいない。
 魔導の書の存在もまだ知られてはいなかった。
 魔法文明の発達していないこの時代である、作業はすべて人力によるものだったはずだ。
「ここが現在地、基準点だ。そして目的地の王宮は・・・」
 アイーシャの手が地図の上を滑る。
「ここ。直線距離なら3キロほどだが、下水道伝いとなるとどれ程になるのか・・・想像がつかないな」
「まっ、行ってみれば分かるよ」
「そうだな。行こう」
 二人は連れ立って歩き出す。
 やがてその姿が暗闇へと溶けて消えた。

 ランプを手にしたエアリーが前、地図を広げたアイーシャがその後ろに続く。
 かの大魔導師が眠っている地下迷宮では、壁に用いられた石材が淡く発光していたために、灯りが無くともぼんやりと視界が確保できたものである。
 しかしこの下水道を構成しているのは、ごく普通のレンガである。
 もちろん発光したりなどということはない。
 所々に地上の水を落とす排水口が開いていて、そこから微かに月明かりが差す他は、基本的に闇が支配する世界であった。
 しばらく進むと、下水道が二股に分かれていた。
「アイーシャ、どっちかな?」
 ランプの灯りを右左と動かして、下水道の先を照らすエアリー。
 しかしどちらも似たような景色が続くだけである。
「エアリー、灯りを」
「うん」
 アイーシャの指示でエアリーが地図を照らす。
「現在地がここ。王宮までのルートはいくつかあるが・・・やはり最短距離で行きたいものだ。ここは右か」
 アイーシャの指先が地図上のルートをすうっとなぞる。
「分かった。右だね」
 二人は再び歩き始めるも、しばらく行くとその足がピタリと止まった。
「あっ・・・」
「厄介だな」
 二人の目の前には、下水道の入口にあったのと同じような鉄格子があったのだった。
 扉が設けられてはいるがそれは閉め切られ、例によって鎖を巻かれて錠が掛けられている。
「参ったな。こんな時にホムラがいてくれれば、あっという間に鎖を断ち切ってくれるはずだが」
 一応カナノコは持ってきていが、こんな時に男手が無いのは痛すぎた。
 アイーシャとエアリーの細い腕では、鎖を切るのにどれくらい時間を取られるか見当も付かない。
 魔導の書を開けば国内ただ一人の魔導師として圧倒的な力を発揮するアイーシャではあるが、やはり女である。
 肉体労働や力仕事などは、まったくと言って良いほど自信がなかった。
 むしろエアリーのほうがアイーシャよりも力はあるのだろうが、それもたかが知れている。
「仕方ない、他の道を探そう」
 諦めてアイーシャが引き返そうとすると
「待って。あたいやってみる」
 エアリーが鉄格子に手を掛けた。
「おいエアリー。鎖を切るのは時間が・・・」
「いいからいいから」
 エアリーは頭から髪留めのピンを抜くと、それを錠前の鍵穴に差し込んだ。
 ガチャガチャと、金属がこすれる音が下水道に響く。
 やがて・・・
 ガチャンという一際大きな音がしたかと思うと、エアリーはジャラジャラと鎖を引き抜いていた。
「えへへ。錠が錆びてなくて助かったよ」
 ニコリと笑うエアリーが手を掛けると、鉄格子の扉がギイと開いた。
「エアリーがいてくれて良かったと、私は思うぞ」
「ホント?」
「ああ、もちろんだ。さあ、まだ先は長いぞ」
「うん、行こうか」
 アイーシャとエアリーは鉄格子をくぐると、再び王宮に向けて闇の中を歩き始めた。

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