魔導の書〜第二章〜
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「もーう、どうしてラウドが捕まらなきゃならないのさ!」
「落ち着けエアリー。大僧正様の前だぞ」
「うっ・・・ごめんなさい」
ビクトルによってラウドが連行されてから数時間が経過している。
アイーシャとエアリーは大僧正の部屋に詰め、状況を見守っていた。
寺院の最高指導者である大僧正は、元々孤児だったアイーシャの親代わりのような存在である。
他の者には不遜な態度を取ることの多いアイーシャだったが、この大僧正に対してだけは礼を欠くようなことはなかった。
「して大僧正様、国王が崩御されたというのは?」
「うむ。こちらからも王宮に使いを出し色々調べたのだが、どうやらそれは本当らしいの」
「やはり・・・何かの間違いであればと思いましたが」
「そしてもうひとつ、国王の娘であるソニア王女の行方も分からないようだ」
「王女が行方不明ですと? これは何かありそうですね」
「ふむ、ソニア王女は大変信仰の篤いお方でのう、この寺院にも度々足をお運びになっておる」
アイーシャ自身は直接王女と話したことはなかったが、それでも寺院を訪れる姿は何度か目にしていた。
「助けに行かなきゃ!」
アイーシャと大僧正のやり取りを聞いていたエアリーが叫ぶように主張する。
「助けに行く、とな?」
「そうです大僧正様、だってこんなのおかしいよ!
ラウドが国王様を殺すはずがないし、王女様がいなくなったのも変。絶対あの大臣が何か悪いことをしているんだよ」
「なるほどの・・・確かにそうかもしれぬ」
うーむと唸る大僧正。
「アイーシャよ、そちはこの件をどう考える? 何か思うことがあれば申してみよ」
「そうですね。それでは・・・」
大僧正が促すとアイーシャが話し出した。
「まず、国王陛下が崩御されたのは間違いのない話でしょう。しかし、ラウドが殺したなどとは全く信じられません」
「うんうん、そうだよね」
エアリーも同意とばかりに強く頷く。
「何かラウドの無実を証明するようなことはあるのかな?」
「それについてはこれを」
アイーシャは命の書を取り出すと、パラパラとページをめくっていった。
「問題のバディの魔法は命の書の第5ランクに属しているのですが・・・」
アイーシャがとあるページを開いて大僧正の前に差し出した。
「ほう、これは?」
大僧正が首を傾げる。
何故なら、そのページには何も書かれていない、真っ白なままだったからだ。
「同じランクの他の魔法の発動式はすでに記されています。そしてこの何も書かれていない白紙のページには、バディの発動式が記されるはずなのです」
「しかし、その魔法の発動式はまだ記されていない」
「はい。発動式が記されていなければ、その魔法は使えません。ラウド自身が使えない魔法で国王を殺害するなど不可能でしょう」
「それじゃあそのことをちゃんと説明すれば、ラウドの無実が証明されるんだね?」
これで一安心とばかりにエアリーの声がパッと輝く。
「いやエアリー、そう簡単には話は進まないだろう」
「どうしてさ? ラウドはその魔法を使えないんでしょ」
「ああそうだ。だが、エアリーはそのことに気付いていたか?」
「そんなの分かるわけないよ。だってあたいには発動式なんて読めないもの」
「そうだ。第5ランクのような高度な発動式となると、よほど専門に学んだ者でなければ読むことすら難しいだろう。
どの発動式がどの魔法のものかなど、素人には判別不可能だ」
「つまり、いくらそのことを説明しても、分かってもらえないってこと?」
「そういうことだ。さらに・・・
そもそもあの大臣の真の狙いは、国王を殺した犯人を捜すことなどではないのではないか、と」
「それって一体・・・」
「国王殺しの犯人を寺院の関係者から引っ張ってきて公開の場で処罰する。そうすれば、寺院の権威は著しく低下するだろう」
「なるほどの。強過ぎる寺院の権威を貶めて王宮が実権を握りたい。そのための生贄としてラウドに目を付けたわけだな」
「仰せの通りです」
納得とばかりにうーむと唸る大僧正に、アイーシャも頷く。
「更に、気になることがもうひとつ」
「申してみよ」
「はい。何故大臣は命の書を持ち帰らなかったのでしょうか?」
「それは、アイーシャが怒ったからじゃなの?」
あの時は興奮していたエアリーだったが、その様子はしっかりと覚えていた。
アイーシャが「王宮は寺院と全面対決するつもりか?」と大臣に警告したのである。
そのあまりの迫力に押されて、命の書を持ち帰らなかったのだ、と。
「それはどうかな。初めから寺院と争うつもりなら、私の言葉など無視すれば良い。
もっと他に何か・・・命の書を持ち帰れない理由でもあったんじゃないのか?」
「持ち帰れない理由って?」
「そこまでは分からない。だが・・・」
アイーシャはそこで言葉を切ると姿勢を正して大僧正に向き直った。
「この事件は不審な点が多過ぎです。きっと裏で何かが起こっている・・・そんな気がします」
「そのようだな。して、アイーシャはどうするつもりだ?」
「ここはひとつ、エアリーの言葉に乗ってみようと思います」
「助けに行くんだね!」
「ああ。ラウドが向こうにいるうちは、手の出しようがないからな。まずはラウドの救出、そして事件の全容を暴くのが上策かと思います」
「良いだろう。責任はすべてワシが持つ。思うようにやってみろ」
「ありがとうございます、大僧正様」
ぺこりと頭を下げるアイーシャ。
「具体的にはどうするつもりなのかね? まさか、正面から堂々と乗り込むわけにもいくまい」
「そうですね、確か下水道の排水溝が街外れを流れる川に通じていたと思います。当然のことながら王宮からの下水もそこに通じているはず」
「つまり、その下水道を伝って王宮に乗り込む」
「そういうことだな」
「でも、そんなにうまく行くのかな?」
「そんなことはやってみなければ分からない。もしそれでダメなら、新しい方法を考えるまでだ」
「うん、アイーシャ頼もしい」
「大僧正様、この街の下水道の様子が分かる地図などはないでしょうか?」
「そうさの、下水工事をした時の記録が残っているかもしれぬ。探させてみよう」
「ありがとうございます」
「それじゃあ地図が来るまで、あたいたちは準備だね」
「いや、準備はエアリー一人で頼む」
「へっ? あたいが準備をしている間にアイーシャは何をするのさ」
「私は少し眠らせてもらおう」
「寝るって、こんな大事な時に!」
ぷう、と頬を膨らませるエアリー。
「勘違いするなエアリー。こんな大事な時だからこそだ。魔法を扱う者にとって、睡眠はとても重要なものだ。
今日だってエアリーとの訓練で何回か魔法を使っている。魔導の書があるとは言え、魔法の使用回数にも限りがある。それは睡眠によってしか回復できないのだ」
「へえ、そういうことなんだ・・・」
アイーシャの矢継ぎ早の説明も、実際に魔法を使わないエアリーにはピンと来ない話だった。
それでもなんとなくは理解できる。
「それじゃあ準備はあたいが進めておくね。えーと何を用意すれば良い?」
「そうだな、地図は大僧正様にお願いしてあるから、灯りと薬、それに巻物といったところか」
「了解」
エアリーも地下迷宮には慣れている。
それだけの指示でアイーシャの言わんとしていることを汲み取っていた。
暗い下水道を照らすための灯りは、ランプを用意すればいいだろう。
薬はケガや毒に備えて、これはラウドが保管しているはずである。
そして巻物は、簡易的に使える発動式を記したものである。
一度しか使用できないものの、何が起こるか分からないとなれば備えておくに越したことはない。
「あとはちょっとした食べ物と水も持っていこうか」
「あまり持ち過ぎても邪魔になるだけだからな」
「それと・・・」
エアリーは大僧正の机から命の書を取り上げた。
「これも持っていこう。なんとしてもラウドに届けなきゃね」
「そうだな。それじゃああのバカの剣も持っていってやるか」
「ホムラの剣だね」
「ああ、奴の部屋に置いてあるはずだ。あの剣で奴の性根を叩き直してやらねばな」
ふっと笑うアイーシャ。
「それでは私は眠らせてもらう。そうだな、6時間も寝れば十分だろう。
今が夕方の5時だから・・・よし、日付が変わる頃には行動開始だな」
「うん、分かったよ」
「それまでにエアリーも身体を休めておくんだぞ」
打ち合わせを終えると、大僧正の間を辞したアイーシャは自室へと引き返した。
お気に入りの白いドレスを着替えることなく、そのままの格好でベッドへと潜り込む。
「ホムラのたわけめ、きっちりとお灸をすえて懲らしめてやらねばならぬな」
そう呟いてからギュっと目を閉じるアイーシャだった。