魔導の書〜第二章〜
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「ちょ、ちょっと待ってください! ラウドが何をしたって言うんですか?」
エアリーが兵士達の間を割って飛び込んだ。
ラウドの前でかばうように両手を広げて必死に抗議する。
「どけ小娘。邪魔立てするとキサマも一緒に連行するぞ」
黒いローブの男がギロリとエアリーを睨む。
それでもエアリーは怯むことなく、ラウドを背にしたまま立ちはだかる。
「ありがとうエアリー。でも落ち着いて」
ラウドがエアリーの肩を優しく叩いてなだめる。
「ラウド・・・」
「僕は大丈夫だから」
「あたい、信じてるよ。もちろんアイーシャも、そうだよね?」
「無論だ」
エアリーの呼び掛けに、アイーシャも力強く頷いてみせた。
かつては冷酷非情のアイスドールと呼ばれたアイーシャだが、最近は少しずつ変化が見られるようになっていた。
以前は共に行動していた剣士たちを平気で見殺しにするような事もままあった。
しかし最近では、昔から一緒にいたラウドはもちろん、エアリーやホムラをも仲間として意識するようになっていたのだ。
昔のアイーシャを知る者からすれば、驚くべき変わりようであろう。
アイーシャがタンっとブーツを鳴らして、黒いローブの男の前に立つ。
「まずは貴公のお名前を伺いたい」
年は取っているだろうが相手は男である。
当然アイーシャよりも背も高い。
それでもアイーシャは怯むことなく、毅然とした態度で相対している。
「ほう、キサマがアイスドールのアイーシャか。なるほど、噂通り気の強そうな女だ」
黒いローブの男の目が不敵に歪んだ。
その濁った瞳に、アイーシャは生理的な嫌悪感すら覚えるところである。
「良いだろう。わしはエセルナート執務大臣・ビクトルである」
「執務大臣とは・・・ずいぶん偉い人間が出張ってきたものだな」
「ただの事件ではない。何しろ国王が殺されたのだ。執務大臣であるワシが直接指揮を執るのは当然だろう」
黒いローブの男ことビクトルが、重々しく言い放つ。
「なるほど。それでは本題だ。国王が崩御されたというのは真のことなのか?」
「もちろんである。昨晩パナソール国王陛下はお亡くなりになられた」
国王陛下と言えばつい先だって、ホムラとエアリーに直接その手で騎士の称号を授けてくれたばかりである。
その国王が亡くなられたとは・・・
「では、ラウドに国王殺害の嫌疑が掛かった根拠をお示しいただきたい」
しかしアイーシャは冷静に、大臣に食い下がり話を聞き出す。
今は少しでも情報が欲しいところだ。
「ふむ・・・」
それに対してビクトルはつまらなそうに鼻を鳴らしてから答える。
「国王の死を看取った治療師によれば、国王には特に持病のようなものは無かったそうだ。そして全身隈なく調べたが、外傷のようなものは全く見つからなかった」
「病気でもなく、外傷もなかった・・・」
アイーシャも頭を巡らせ、国王の死因について考える。
「それはつまり、何の前触れもない突然死だった、と?」
「その通りである。治療師は『何か呪いのようなものにでも祟られたのでは』と言っていた」
「だからって、どうしてラウドのせいになるのさ!」
たまらず、エアリーが割って入る。
ビクトルは濁った瞳でギロリとエアリーを一瞥すると、話を続けた。
「わしは呪いなどというものは信じない。だが・・・キサマらは魔法を操るそうだな」
「確かに私は魔導師だ。魔法を操り、目の前の敵を殺戮できる。だが、魔法を使えばそれなりに痕跡が残るはずだ。
炎の魔法なら火傷の痕が、氷の魔法なら凍傷が」
アイーシャの言葉にウンウンと頷くエアリー。
エアリー自身、先ほどアイーシャのメリトの魔法で軽い火傷を負わされたばかりである。
もしも人を殺害するほどとなると、その痕は火傷程度では済まないはずだ。
「その通りだ。だがしかし」
ビクトルはそこで言葉を切ると、ラウドの机の上へと視線を走らせる。
「それがこの前発見された新しい書物だな?」
「ああそうだ。それが何か・・・」
そこでアイーシャはハタと言葉を飲んだ。
「ほう、気付いたようだな。さすが魔導師は頭の回転が早い」
アイーシャの反応に満足したのか、黒いマスクの下でビクトルはくっくと愉悦を漏らしているようである。
「えっ、どういうこと?」
未だ状況が飲み込めないエアリーはキョトンとするばかり。
「エアリー、よく聞いて」
それまで黙ってアイーシャとビクトルのやり取りを聞いていたラウドが、諭すように話し始めた。
「この命の書の中に、相手を即死させることのできる魔法があるんだ」
「相手を即死って、どうやって?」
「簡単に言うと、心の臓に直接影響を与えてショック死させるってところかな。それだと外傷も残らない。パッと見には原因不明の突然死に見えるだろうね」
主に治療回復のための魔法を収録している命の書であるが、決してそれだけではなかった。
第5ランクに属する魔法、バディ。
それは、対象者の心臓を急停止させて死に至らしめる、恐ろしいものなのである。
「そんな・・・それでラウドが犯人にされちゃうの?」
「もちろん僕はそんなことはしていないよ」
「うん、あたい信じてるよ。ラウドを信じてる」
エアリーとラウドがお互いの瞳を見つめ合う。
そこには、一片の濁りさえ見出すことはできなかった。
「ふっ、これで分かっただろう。王を殺害する唯一の手段がその書物。
そして、その書物を扱うことのできるただ一人の人物、それがこの治療師だ。
これ以上の問答は不要だな。連行しろ」
「はっ」
ビクトルに命じられ、兵士たちが再度ラウドに迫った。
強引にアイーシャとエアリーを押し退けるとラウドを鷲掴みにし、無理やり椅子から立たせる。
ラウドの腕が後ろに回される。
そこへ手枷を嵌めたのは、他ならぬホムラだった。
ガシャリという冷たい金属音が部屋の中に響いた。
「すまんな、ラウド・・・」
「良いって。これが今のホムラの役目でしょ?」
男二人が言葉を交わす。
苦渋に満ちたホムラの口調に対して、ラウドのそれはいつものごとく飄々としたものだった。
しかしラウドの表情は、飄々とした口調とは反対に固いものがある。
身柄を拘束され、連行されるとなれば、それも仕方ないことだろう。
「ホムラ!」
不意に叫んだのはエアリー。
「ホムラは自分の出世のために仲間を売ったの?」
「さっきラウドが言っただろう。これが今の俺の仕事なんだ」
「仲間を裏切って、何のための仕事なのさ」
「それは・・・」
「あーっ! あたいは、近衛兵なんかにならなくて良かったよ!」
身体の大きなホムラを下から睨み上げるエアリー。
そもそも王宮からは、ホムラとエアリーの二人に対して近衛兵にとの打診があったのだった。
しかし王宮側の本音は、身体も大きく腕っ節の太いホムラ一人のみを求めていたのであろう。
エアリーのような年端もいかない小娘に用はないのだ。
二人とも騎士であるから公平を期すという意味で二人に声を掛けはしたが、実質求められているのはホムラだけだったのである。
アイーシャとラウドにそう説明されて、エアリー自身も近衛兵に志願しないことは納得していた。
貴族の家柄出身のホムラと違って、大道芸人として日々の生計を立てていたエアリーである。
元々が立身出世などに興味もなかったのだ。
そんなことよりもエアリーは、アイーシャやラウドたちと共に過ごす日常を望んだのだった。
「ホムラよ、今のお前の眼は死んでいるぞ」
ホムラに対するアイーシャの声は低く、そして冷たい。
「あの時、私を護って命を落とした時の眼のほうが、より活き活きとしていた。一体どうしたんだ、ホムラ?」
「アイーシャ・・・お前たちは寺院側の人間だ。だが、今の俺は王宮側の人間なんだ。
立場が違えば考えや行動も変わってくる。そうだろう?」
「くっ・・・勝手にしろ」
アイーシャはそう吐き捨てると、ホムラから視線を反らしてしまった。
「おしゃべりはもう良いだろう。そろそろ行くぞ。おっと・・・
そうそう、これを忘れるところだった」
ビクトルが机の上に置かれた命の書に手を伸ばそうとする。
しかし。
「待たれよ大臣」
ビクトルを制したのはアイーシャである。
「何だ?」
「その書物は我々が発見し、持ち帰ったもの。いわば寺院の所有物だ。
ラウドに加えて書物まで持ち出すとなれば、寺院は黙っていませんぞ。王宮は寺院と全面対決するおつもりですか?」
「・・・」
アイーシャの権幕に気圧されたか、ビクトルが言葉に詰まる。
しばらく躊躇した後に、命の書に伸ばしていた手をやんわりと引っ込めたのだった。
「ふん、ここは空気が悪い。早々に引き揚げる」
捨て台詞を残し、部屋を出るビクトル。
その後ろから、ラウドを拘束している兵士たちが続いた。
部屋を出る間際に、ラウドがアイーシャたちへと振り返った。
それに対してアイーシャは、無言のまま力強く頷く。
必ず助ける、という決意を込めて。