魔導の書〜第二章〜

戻る


23

 アイーシャとホムラはお互いにかばい合うことで、ティルトウェイトの大爆発の中でも奇跡的に生き残った。
 そこへ後方へと退避していたエアリーが駆け付ける。
「良かった・・・二人とも無事だったね」
「エアリー、自分だけさっさと逃げておいて」
「たは、ゴメン」
「ラウドとソニアも無事だな?」
 アイーシャが後方へと視線を向けると、ラウドとソニアはお互いに身を寄せ合ってそこにいた。
 全員の無事を確認したところで、サイデルへと向き直る。
「よし、今が絶好のチャンスだ。いくら魔物でも、あれだけの魔法を連発できるはずはないからな」
 それは、アイーシャが魔導師だからこそ言えることだった。
 アイーシャ自身、魔導の書の力を解放して使いこなすには相当な集中力を要する。
 そして魔法を放った直後は、再び集中力を高めるまでに若干の時間が掛かるものである。
「だが・・・」
 そこでアイーシャはホムラへと視線を送った。
「ホムラは盾を持っていないからな。私を護り続けるのは難しいだろう」
「心配するな。ヤツの攻撃なら俺がすべて受け止める。アイーシャは魔導の書に集中しろ」
「あたいもいるよ。だから」
「だが・・・」
 ホムラとエアリーは任せろとばかりに胸を張るが、アイーシャの不安は消えなかった。
 だがそれは、自分の身を案じてのことではなかった。
 アイーシャを護るためにその場に釘付けとなるホムラが、敵の攻撃を受け切れずに食らってしまうのではないか、と。
 以前のアイーシャなら、このようなことは決して考えなかっただろう。
 盾代わりである剣士など、アイーシャにとっては使い捨ての存在でしかなかったのである。
 それが今は、自分のことよりも仲間のことを考えるようになっていた。
 アイーシャ自身は果たして、自分の中に起こった変化に気付いているのだろうか・・・
 迷い続けるアイーシャ。
 だがそこへ、最も意外な人物が名乗りを上げたのだった。
「その役目、わたくしが引き受けましょう」
 王女ソニア、その人である。
「ソニア? 一体何を・・・」
 ソニアの意図が理解できないと、困惑するアイーシャ。
 いやアイーシャばかりでなく、ホムラもエアリーも目を白黒させるばかりであった。
 ただ一人、ラウドだけが余裕の表情で笑顔を浮かべている。
「あのバケモノの攻撃からアイーシャを護れば良いんですよね? 別にわたくしが攻撃する必要はない」
「それは・・・その通りだ」
「なら話は簡単です。何故なら、あのバケモノはわたくしには手を出せないのですから。違いますか?」
 ソニアは胸に下げたペンダントを右手に持ってかざした。
 それは、寺院の大僧正によって清められたという銀の十字架である。
「不浄なる魔物は聖なる力を嫌うのでしたね。そしてわたくしには、この聖なる力を放つ十字架があります」
「そして僕の命の書も同じく聖なる力を秘めている。僕とソニアでアイーシャの前に立ち、ヤツの攻撃を食い止めるから。あとはアイーシャの魔法とホムラとエアリーの攻撃で、ね」
 ソニアの言葉を引き継ぎ、ラウドが作戦の全容を伝える。
「しかし、だな・・・」
「アイーシャ、貴女はわたくしにこう教えてくれました。『現実を見ろ、そして強くなれ』と。
 わたくしはこれから女王として、この国を背負っていかなければなりません。それは、この国の民を護るということに他ならないでしょう。
 あのようなバケモノからアイーシャ一人を護れなくて、どうして多くの民を護れるでしょうか」
 尖塔の最上階の部屋に閉じ込められていた時は、おとなしいだけの娘だと思っていたが、今のソニアは将来の女王としての威厳に満ち溢れていた。
 ソニアが女王ならばこの国の行く末は安泰だと予感したアイーシャ、しばし考えた後
「分かった。それで行こう」
 ソニアの目を見詰めて静かに答えたのだった。

 アイーシャを中心に前方をソニアとラウド、そして後方にはホムラとエアリーといった陣形でサイデルに臨む。
 最も戦いには縁遠いであろうソニアが最前線に位置するなど、長年地下迷宮で戦ってきたアイーシャでも初めてのことであった。
 しかしアイーシャの胸中には、もう不安など微塵も存在しなかった。
 これだけの仲間に囲まれていれば、必ず勝機は開ける。
 そう確信していたからである。
 ソニアは銀の十字架を、そしてラウドは命の書を。
 それぞれ高く掲げ、サイデルに向けて差し出した。
 神の名の下に清められた品々が淡く輝き、アイーシャらを包むように照らす。
 聖なる力による加護は確かにあると、感じられるのだった。
 ホムラとエアリーは、万が一にもサイデルの攻撃がソニアとラウドに迫った時のために、いつでも飛び出せるように構えている。
 アイーシャの予想通り、サイデルはもう魔法の発動式を口にする様子はないようである。
 たとえ魔物といえども、最上級ランクの魔法の行使には相当な集中力が必要だったのであろう。
 しかし満を持しての魔法を放ったにも関わらず、目の前の人間どもを一掃することができなかった・・・
 サイデルのその精神的な動揺は、アイーシャにも容易に想像できるのだった。
 舞台は整った。
 あとはアイーシャが魔導の書を用い、魔法を発動させるだけである。
 思ってみれば・・・
 アイスドールと呼ばれ、氷系の魔法を最も得意とするアイーシャだったが、今日は一度も氷系の魔法を使っていなかった。
 ならば、とアイーシャは決意する。
 うっぷん晴らしというわけではないが、自分の持てるすべての力を使い、最強の氷の魔法を放ってやろうではないか、と。
「魔導の書、第6ランク」
 もう何の不安も存在しない。
 精神力を極限まで高め、魔導の書に集中する。
 アイーシャの呼び掛けに答えるように魔導の書がひとりでにめくれていき、やがてとあるページでピタリと止まった。
 そこに記された発動式を読み上げる。
 アイーシャが発動式を読み進めるにつれ、刻まれている文字が明滅していく。
 それは、アイーシャが完璧な発音で発動式を読みこなしている証であった。
 アイーシャが魔導の書に集中している間は、完全に無防備な状態となる。
 そこへ敵の攻撃が来たなら、避けることすらできないアイーシャは一溜まりもないだろう。
 しかし、その心配は皆無と言って良いだろう。
 ソニアの持つ銀の十字架とラウドの持つ命の書。
 それらの聖なる品に阻まれて、サイデルは攻撃することを躊躇せざるを得ない状態であった。
 直接攻撃することもできず、ましてや魔法を用いることもできず。
 成す術なく立ち尽くす冥界の邪神サイデル。
 そして、アイーシャの発動式が完成した。
「ラダルト!」
 完璧な発動式によって巻き起こった、氷系最強の魔法ラダルト。
 この魔法も当初は魔導の書の一覧に記されていないものだったが、かの大魔導師が直接アイーシャに発動式を伝授したものだった。
 アイーシャはまだ第7ランクに属する攻撃魔法、ティルトウェイトを習得していない。
 しかし氷の魔法を得意とするアイーシャが繰り出すラダルトは、ティルトウェイトに匹敵する破壊力を秘めているのだった。
 サイデルが骨状の鎌を振り回し、無数の足をガシャガシャと打ち鳴らしても、決してラダルトの嵐を振りほどくことはできない。
 絶対的な冷気が周囲の温度を下げ、サイデルの身体そのものを氷付かせてしまう。
 無数に渦巻く氷の破片が鋭い刃となって、サイデルの骨の身体を切り刻み、そして打ち砕いていくのだった。
「ホムラ、エアリー、今だ!」
 ラダルトの嵐がサイデルの身体をボロボロに引き裂くのを確認するのを見計らってラウドが叫ぶ。
 その指示を受けまず飛び出したのはエアリー。
 巨大な身体ながらも倒れ掛けているサイデルの頭部目掛けて跳び上がると、逆手に持った短剣を一気に振り抜いた。
 エアリーの放った短剣は、氷の刃によってボロボロに打ち砕かれた頸椎を綺麗に切断する。
 確かな手応えと共に素早く離脱するエアリー。
 その直後、サイデルのドクロの頭部がグラリと揺らぎ、胴体部分から離れて落下する。
 床面に落ちた氷漬けのドクロが、パリンと乾いた音を立てて粉々に砕け散った。
 そしてホムラが大きく踏み出す。
 アイーシャが届けてくれた剣を振りかぶると、その刀身から煌めく炎が噴き上がった。
 ホムラの家に代々伝わると云う、炎の剣である。
 両手に構えた炎の剣を上から下へ、渾身の力を込めて一気に振り抜いた。
 炎を纏った剣がサイデルの胴体部分を切断すると、その切り口から炎が燃え上がる。
 炎は瞬く間にサイデルの全身を伝って広がり、骨の髄まで焼き尽くさんとばかりに激しく燃え盛っていた。
 最後はラウドである。
 命の書が眩く輝いたかと思うと、それをサイデルへと突き付ける。
 聖なる光を浴びた不浄なる魔物は、もう骨格を維持することすらできずにバラバラになってその場に沈んでいく。
 サイデルの身体が崩れ落ちると、火の粉を含んだ灰が舞い上がった。
 アイーシャが見詰める炎の中、冥界の邪神サイデルは骨の欠片すら残らず塵と化したのだった。

続きを読む