魔導の書〜第二章〜

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 バンパイアロードがレイスを何処かへ連れ去ったのを見送ったアイーシャは、すぐさまホムラとエアリーが奮闘を続けている前線へと駆け寄った。
「ホムラ、エアリーも。無事か?」
「うん、ちょおっとキツイけどねえ」
 肩で息をしながらも、アハハと笑うエアリー。
 何しろサイデルは見上げるばかりの大きさである。
 その相手をするのはかなり厳しいはずなのだが、エアリーは必死に戦い続けていたのだ。
「こっちは大丈夫だ。それよりアイーシャも死神に襲われたんじゃないのか?」
「ああ。だがバンパイアロードに助けられた」
「そうか、なら一丁頼むぜ」
 ホムラがアイーシャの前に立ち、炎の剣を構えてサイデルの攻撃に備える。
「ホムラ、盾はどうした?」
「あっ? 盾ならさっきの攻撃で壊れちまった」
「それではヤツの攻撃を受け切るのは難しいんじゃないのか?」
「問題ない。この剣でバケモノの攻撃は全て弾き返してやるから、お前は魔法に集中しろ」
「しかし・・・だな」
 近衛兵用にと支給されていた小型の盾は、既に敵の攻撃に耐えきれずに破損してしまっていた。
 さりとて、他に盾の類も見当たらない。
 ホムラは剣で敵の攻撃を受け止めると言うが、アイーシャは不安でならなかった。
 決してホムラを信用していないわけではない。
 万が一にも、アイーシャを見捨てて逃げ出すようなことはないだろう。
 しかし、盾を持たないということは、それだけで大幅に守備力が低下するということである。
 もしも後ろにアイーシャをかばっていないのなら、盾を持たずとも難なく敵の攻撃をかわして攻撃に転じられるだろう。
 しかし、アイーシャを護るとなると話は違ってくる。
 盾となるホムラは敵の攻撃から身をかわすことすら許されないのだ。
 サイデルが繰り出す攻撃を全て受け止め、防ぎ切らなければならない。
 果たして剣だけで敵の攻撃を防ぎ切れるだろうか?
「てやっ、おりゃ!」
 アイーシャの目の前では、サイデルが振り下ろす巨大な骨の鎌をホムラが必死になって剣で弾き返していた。
 アイーシャは迷った。
 高ランクの魔法は発動式を読み上げるのにそれなりの時間を要する。
 ホムラに対する負担を少しでも減らすため、ランクの低い魔法で勝負するしか・・・
 しかし、それであのバケモノを仕留められるのか?
 それらの不安や迷いが、魔法に対する集中力を著しく低下させる。
 その結果、読み上げた発動式は不完全なものにならざるを得なかった。
「ラハリト!」
 それは地下通路でスケルトンソルジャーの大軍を一掃した火炎の魔法。
 しかし・・・
「あっ、勢いが弱いよ」
 魔法を使うことのできないエアリーですらはっきりと分かる程、ラハリトの炎は威力が弱かったのである。
 これでは巨大なサイデルを焼き尽くすことはできない。
「くそっ」
 思わず舌打ちをするアイーシャ。
 誰の目から見ても、魔法は明らかに失敗だった。
 それでも、魔法の炎が逆流してこちらに降り注がなかっただけでも幸運だったと言うべきであろうか。
 アイーシャはサイデルを仕留めそこなった。
 当然反撃が来るものと、ホムラは剣を構えて敵の攻撃に備えた。
 しかし、サイデルは一向に攻撃してくる様子はない。
 それどころか、ガシャガシャと骨の足を鳴らして、次第に後ずさりを始めたのだった。
「どういうつもりだ? まさか、あの程度の魔法を食らったくらいで逃げ出すでもないだろうが」
 奇怪なサイデルの行動に、首を傾げるホムラ。
 しかしサイデルは十分に距離を取ると、そこで何やら呻き声のようなものを上げ始めのだった。
「あれはまさか・・・発動式だ!」
 叫んだのはアイーシャ。
 敵に魔法を使うものがいることを見届けたサイデルは、ならばこちらもとばかりに発動式を口にし始めたのであった。
 しかもその発動式が呼び出すであろう魔法は・・・
「第7ランク、ティルトウェイトか。何故だ? 魔導の書も無いのに」
 サイデルの発動式の内容をいち早く察したのは、やはりアイーシャであった。
 かの大魔導師の部屋でマイルフィックと戦った時もそうであった。
 魔物は魔導の書を持っているわけではないのに、アイーシャがまだ習得していない第7ランクの攻撃魔法を使ってくる。
 魔導師であるアイーシャにとって、それは屈辱的な事実であった。
 しかし今は、そんなことを気にしている場合ではない。
 サイデルの放つ大爆発の魔法を何とかしなければ、一瞬にして灰と化してしまうかもしれないのである。
 動きの素早いエアリーは、異変を察知するやすぐさま後方へと距離を取った。
 ラウドとソニアのいる位置まで下がれば、爆風の直撃からは逃れられるだろう。
 しかしアイーシャとホムラの回避が遅れている。
「アイーシャ、俺の背中に隠れろ」
「ホムラ、何を言う?」
「あの時の魔法だろ、ならばまた俺が防いでやる。ヤツの魔法をやり過ごしたら反撃しろ」
「待てホムラ。そんなことをしたらまた死んでしまうぞ」
「その時はまた生き返らせてくれや」
 ホムラはそれだけを言うと、アイーシャに背中を向けて立ちはだかり両手を広げた。
 少しでもアイーシャへのダメージを防ぐべく、自らの身体を盾とするつもりなのである。
 アイーシャの脳裏にあの戦いの悪夢が甦った。
 マイルフィックの放ったティルトウェイトの洗礼を浴び、ホムラは命を落としてしまった。
 その時アイーシャは、ホムラを失いたくないという一心でマハマンを使い、奇跡的にホムラを生き返らせることに成功したのである。
 しかし今、アイーシャはマハマンを使うことはできない。
 当然、ホムラを生き返らせることなど不可能である。
 ラウドの持つ命の書ならばあるいは可能かもしれないが、何しろラウド自身死者の蘇生など未経験である。
 極めて成功率の低い賭けに乗ることなどできない。
 このままでは、またホムラが死んでしまう・・・
 それだけは受け入れることができない。
 悪夢は自分の力で乗り越えなければならない。
 とっさにそう思ったアイーシャは、ホムラの前へと走り出ていた。
「オマエ・・・一体何を?」
「ホムラ、私は何も護られてばかりの女ではないぞ。私にとって大切なものは、私自らの手で護ってみせる」
 叫ぶなり魔導の書を掲げるアイーシャ。
「魔導の書、裏魔法、第3ランク・・・」
 アイーシャの呼び掛けに答えるように、魔導の書のページがひとりでにパラパラとめくれていく。
 目当ての魔法の発動式が記されたページが開くと集中力を高め、そこに記された発動式を一気に読み上げる。
 それは、アイーシャも初めて口にする発動式であった。
 ランクが低いこともあって、発動式は比較的短い。
 サイデルの発動式が完成するより早く、アイーシャの発動式のほうが完成していた。
「コルツ!」
 アイーシャが魔法の名を告げると、二人の前方に輝くガラスの壁のようなものが浮かび上がった。
 魔法に対する障壁である。
 その直後、サイデルの発動式が完成した。
 瞬間的に周囲の空気が圧縮されたかと思うと、アイーシャとホムラの目の前ですさまじい爆発が起こった。
 爆音が轟き、床面が激しく震動する。
 高熱の炎を含んだ強烈な爆風が一気に襲い掛かり、魔法障壁に直撃した。
「頼む・・・持ち堪えてくれ」
 祈るようにつぶやくアイーシャ。
 魔導の書の裏魔法は、何らかの理由で一覧に掲載されていなかったものである。
 アイーシャは今、何故この魔法が一覧に掲載されなかったのか・・・
 その理由を痛感していた。
 コルツは第3ランクに属している。
 比較的低ランクであることから分かるように、魔法に対する障壁を作り出すことは、それ程難しくはないのである。
 しかし問題は障壁の強度なのである。
 作りだした魔法障壁が、相手の魔法に負けてしまっては何の意味も成さない。
 より強力な障壁を作りそれを長時間維持するためには、術者の技量こそが大きく問われるのであった。
 つまりは、実用化の難しい魔法なのである。
 果たしてアイーシャの作りだした魔法障壁は、どれ程の強度を持っているのであろうか?
 それは、アイーシャ自身にも分からないことだった。
 今はただ、障壁が持ってくれることを祈るしかない。
 障壁の及ばない範囲、アイーシャとホムラの周囲では、渦巻く炎が濁流のように流れていく。
 かの大魔導師の眠る部屋で、アイーシャはこれと同じ光景を目にしていた。
 あの時はホムラが身を挺して庇ってくれた。
 しかし今回はアイーシャが、自分自身とホムラを護っているのである。
「頼む・・・持ってくれ」
 アイーシャは祈るような思いで障壁の維持に努める。
 だがしかし、ピシピシっとガラスの障壁にヒビが走り始めた。
 ティルトウェイトの爆風の直撃を受けているのだ、一瞬で崩壊しなかっただけでもマシというものだろう。
「お願いだ・・・もう少しだけでも」
 秘められた魔力を少しでも解放しようと、魔導の書を掲げるアイーシャ。
 爆風はだいぶ和らいでいた。
 しかし、障壁の強度はもう限界に達していたのである。
 メリメリと音を立てて、障壁の全面に一気に大きなヒビが走る。
 そして次の瞬間、ガラスが割れるように障壁が砕け落ち、大爆発の余波とも言える爆風がアイーシャとホムラに襲い掛かって来た。
「危ない!」
 魔導の書に集中していたアイーシャはすぐには動けない。
 しかし、ホムラの巨漢が素早く反応していた。
 アイーシャの小さな身体に覆い被さるように倒れ込み、ホムラ自身の身体で爆風を遮りアイーシャを護ったのである。
 ホムラの身体の上をなめるように、炎と爆風が吹き抜けていく。
 幸いそれは爆発直後の驚異的な威力は失われていた。
 やがて爆風が吹き止み、周囲を静寂が包んだ。
 爆音に曝された耳がマヒし、音を拾うことができないのではないかと思われた。
 そして。
「ふう、どうやら終わったみたいだな」
 アイーシャの耳元で聞き慣れた男の声がする。
 アイーシャの身体の上で、巨漢が起き上がる気配がする。
「大丈夫か、アイーシャ」
 そして立ち上がったホムラが、まだうつ伏せのアイーシャへと手を差し出してくれたのだった。
「ホムラ・・・」
 差し出された手を取り、立ち上がるアイーシャ。
「生きていたんだな」
「それはお互い様だ」
 アイーシャがホムラを護り、そしてホムラがアイーシャを護る。
 こうして二人は、サイデルの放ったティルトウェイトという悪夢を乗り越えたのだった。

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