魔導の書〜第二章〜

戻る


21

 アイーシャとレイスの間に割り込むように立っていたのは、地下迷宮の奥深く、かの大魔導師の眠る部屋で出会った不死王バンパイアロードだった。
 アイーシャを抹殺すべく繰り出されたレイスの大鎌を、赤く伸びた爪で受け止めている。
 死者の怨念が集まって形成された大鎌は実体を持たないため、普通の武器では受け止めることすらできない。
 しかし、全ての不死の魔物の頂点に立つバンパイアロードにとっては、問題にすらならないことであった。
「バンパイアロード・・・どうしてここに?」
「本来ならこのような干渉はしないのが掟であったが・・・今回は我が眷属の者が迷惑を掛けたようなのでな」
 思わぬ人物の登場に半ば呆然としているアイーシャに答えながら、不死王バンパイアロードは爪で受け止めたレイスの大鎌を弾き返し、その胴体に蹴りを放った。
 どう、と背中から落ちるレイス。
「おのれ不死王・・・同胞を裏切り人間などに加勢するとは。許しがたき裏切り行為だ」
「確かに、人間に加勢することは掟に反するかもしれぬ。だがレイスよ、今回オマエはやり過ぎた。
 冥界の門を開き、邪神サイデルを人間の世界に召喚するなど、常軌を逸している」
「裏切り者は処刑する。不死王、それはキサマとて例外ではない」
「ふっ。中級の死神風情がデカイ口を叩いたものだな」
 死神の言葉を一笑に付す不死王。
「魔導師よ、積もる話もあるだろうが、まずはコレの始末からだ。コレは預かっていくぞ」
 言うやバンパイアロードは真紅のマントをひるがえす。
 次の瞬間には、アイーシャの目の届く範囲に不死王と死神の姿は存在しなかったのである。
「突然出てきたと思えばまた突然消え去る、か。相変わらずかくれんぼが好きな奴だ」
 ふう、と息を吐くアイーシャ。
 死神レイスの姿が消えたことで、アイーシャの緊張も少しだけ和らいだようである。
「だが・・・命を助けてもらったことは、素直に礼を言っておこう」
 誰にとも聞こえないほどの低い声で呟くと、アイーシャは踵を返した。
 アイーシャの睨む先にいるのは、招かれざる冥界の邪神である。
「あのバケモノは私が仕留める」
 そして再び気合いを入れ直すと、ホムラとエアリーが戦っている前線へと走り出すのだった。

 バンパイアロードがレイスを連れ去った先は、まさに冥界だった。
 周囲には多くの霊や骸骨やドクロなどが、無秩序にあちらこちらを彷徨っている。
 暗く光の差さないその世界は、まるで宗教画に描かれた地獄絵図のような光景だった。
 いや、宗教画のほうがこの冥界の様子を描いている、というべきだろう。
「不死王、何故人間に加担する? そんなことをして何になると言うのだ?」
 初めに言葉を発したのはレイス、しわがれた声でバンパイアロードを問い詰める。
「それがワードナ様の御意志だからだ」
 それに対してバンパイアロードは、あくまで涼やかに答えた。
「ワードナだと? それはあの死に損ないの魔導師か。何故そのようなヤツに固執する?」
「それはオマエに話したところで分かるまい」
「ハっ、ならばそやつの魂を狩り取ってしまえば、このような真似はやめるのだな」
「ワードナ様に手を出すことは一切許さない」
「それはこちらのセリフだ。裏切り者バンパイアロード、キサマのヌルイやり方にはイライラさせられた同胞も数多くいるのだ。キサマを倒してワシが不死王の座に就かせてもらおう」
「もう一度同じことを言おう。中級の死神風情がデカイ口を叩くな」
「ふざけるなー!」
 死神レイスは怒りもあらわに、大鎌を振り回す。
 しかしバンパイアロードは悠然とその攻撃をかわしていった。
 それはまるで、剣術の達人が素人の剣を軽くあしらうが如くのようであり。
 はたまた、舞踏の名手が華麗なる舞を披露するかのようでもあった。
「どうせ相手の背後からの不意打ちばかり繰り返してきたのだろう。正面からの戦いとなると無様なものだ」
 余裕の表情でレイスの繰り出す大鎌を避け続けるバンパイアロード。
「不死王ともあろう者が、ただ逃げ続けるだけか?」
「そうだな、ただ避けるばかりでは詰まらぬか」
 レイスの挑発とも取れる言葉に乗せられたのか、バンパイアロードは回避行動を止める。
 大きく一歩を踏み出すと真紅に伸びた爪を差し出し、レイスの大鎌を受け止めた。
「死神よ、このような鎌で不死王の首を狩れるとでも思っているのか?」
「な、何だと・・・」
 バンパイアロードの言葉に焦りの色を見せるレイス、再び鎌を振り上げようとするが、鎌はピクリとも動いてはくれなかった。
 バンパイアロードがその手で、直接大鎌の刃の部分を握り締めていたからである。
「不死王の身体はこのようなチャチな得物では切れぬ」
 そのまま当て身をくらわすと、骨で構成されたレイスの身体が吹っ飛んだ。
 ドスンと床面に激突すると右肩部分の骨が砕け、それと同時に右腕がバラバラと剥がれ落ちていく。
「再生にはしばらく時間が掛かるだろうな」
 ふっ、と余裕の笑みを浮かべるバンパイアロード。
 いくら不死の魔物とはいえ、身体を破損されてしまえば、再生までにはそれなりの時間を要する。
 それは死神レイスとて例外ではなく、肩から下を失ったとなれば、その再生には100年からの月日を必要とするだろう。
「おのれ不死王・・・だが、この冥界を戦いの場に選んだのは失策だったな」
 右腕を失ったレイスであったが、まだ勝負を諦めたわけではなかった。
 残った左腕をかざし、周囲にうごめく霊たちに号令を告げる。
「皆の者、裏切り者の不死王に制裁を!」
 レイスの呼び掛けに答えて、霊が、骸骨が、ドクロが。
 次々とバンパイアロード目掛けて襲い掛かってくる。
 しかしバンパイアロードは少しも慌てるそぶりさえ見せることはなかった。
「死神よ、キサマの奥の手とはこの程度のものか?」
 はあっ! と気合い一閃、真紅のマントをひるがえす。
 するとバンパイアロードの周りを取り巻いていた霊たちが次々と動きを止め、その場に落ちていったのだった。
 それは、ラウドの得意とするディスペルと同じ原理の技であった。
 闇の力で操られた不死の魔物たちであるが、その闇の力を断ち切り、呪縛から解き放ったのである。
 操り人形は操作している糸を切ってしまえばもう動けない。
 不死の魔物の頂点に君臨するバンパイアロードにとっては、操られた霊の類などは取るに足りない敵ですらないのである。
「これで終わりか、死神?」
「くっ・・・だが、まだだ。キサマが人間に加担するのはあの魔導師のためとぬかしたな。ならばその魔導師のほうを抹殺するまでだ」
 最後のあがきとばかりに、レイスが闇の波動を飛ばした。
「どうする不死王? キサマにはもうしばらくこの場にいてもらうぞ。その間にワシの手下が魔導師を抹殺してくれるわ」
「無駄だ。ワードナ様のそばには私の腹心の部下が控えている」
「腹心の部下、だと?」
「ああ、嘆きの精・バンシーのティアがな」

 地下迷宮の最深部、かの大魔導師ワードナの眠る部屋に、嘆きの精バンシーはいた。
 迫り来る闇の気配に気付くと、ワードナの眠るガラスの棺に寄り添った。
 バンシーの目の前に現れたのは、死神レイスに操られた首無しの騎士たちだった。
「お止しなさい。このお方に手を出すことなどできはしないのだから・・・」
 バンシーの瞳に大粒の涙が浮かぶ。
 嘆きの精と呼ばれるバンシーは、相手の死を予兆し、悲しみの涙を流すという。
 およそ一月前、アイーシャたちがこの部屋を訪れた時も、このバンシーは涙を流した。
 そしてその死の予兆は、間違いなく的中したのだった。
 しかしバンシーの警告など聞こえないのか、首無しの騎士デュラハンたちは構わずワードナが眠るガラスの棺へと迫っていた。
 その距離が徐々に縮まる。
 そして、あと数歩と迫ったところで・・・
「ぐおぉぉぉ」
 デュラハンたちの身体から一斉に炎が噴き出し、次々とその場に崩れ落ちていったのだった。
 バンシーの胸には、ワードナの魂を封じ込めたとされるあのペンダントが下げられている。
 アミュレット、または魔よけと呼ばれる代物である。
 バンパイアロードはワードナのそばを離れる前に、アミュレットを中心にした周囲に結界を張り巡らせておいたのであった。
 もしもワードナに危害を加えようとする者が現れ、その結界を侵したならば、炎の罠が発動するようになっていたのである。
「馬鹿な人たちね・・・」
 嘆きの精バンシーは燃え盛る首無しの騎士たちを見つめながら、ただ涙を流すばかりだった。

「うっ・・・まさか」
 レイス自身が放った闇の波動の手応えは、完全に消滅していた。
 それは、刺客として放った首無しの騎士たちが全滅したことを意味するのである。
 愕然とするレイス。
「どうやらワードナ様の抹殺とやらは失敗に終わったらしいな」
 バンパイアロードはその隙を逃さずレイスに迫ると、ガシリっと右手でドクロの顔面を掴んだ。
「うっ、うう・・・」
 レイスの呻き声は、単に顔を押さえられて声が出せないからなのか・・・
 それとも恐怖故にまともにしゃべれなくなってしまったのか。
「死神よ、しばらくおとなしくしているが良い。キサマに500年後のワードナ様の復活を邪魔されるのも面白くないからな」
 バンパイアロードの手に、更なる力が込められると、ドクロの顔面がギシギシと音を立てる。
 やがてビシっとヒビが入ったかと思うと、次の瞬間にはドクロが粉々に砕け散ったのだった。
 支えを失った胴体部分が床面に落ちる。
 ガシャーンと甲高い音が響き、胴体を構成していた骨という骨が粉々に砕け散ってしまった。
 その骨の破片を、ジャリと踏み締めるバンパイアロード。
「再生には少なくとも千年は掛かるだろう。もっとも、我々不死族にとっては刹那の時でしかないかもしれぬがな」
 そう言葉を残すと、バンパイアロードの姿はまた再び闇に溶けて消えたのだった。

続きを読む