魔導の書〜第二章〜
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アイーシャの放ったジルワンによってパナソール王は粉々に砕け散り、残りは死神レイスだけとなっていた。
前線に立つホムラとエアリーが油断なく剣先を向け、アイーシャは魔導の書を片手に敵を睨み付けている。
ソニアはだいぶ回復したようで、ラウドに支えられながらもしっかりと自分の足で立っていた。
「なるほど・・・さすがは不死王が見込んだ連中だけのことはある」
死神レイスのしわがれた声が、王宮地下の大空洞に響いた。
「キサマ、不死王バンパイアロードを知っているのか?」
対するアイーシャも、低く冷たい氷の声で詰問する。
「もちろんだ。我々不死族の頂点に君臨する者だからな。だが、それと同時に人間風情に取り入って我が眷属を貶めた裏切り者だ」
表情など作れないはずのドクロの顔が、怒りに歪んだように感じられた。
「ふっ、何が裏切りだ? そもそもキサマらに仲間を案ずる気持ちがかけらでもあると言うのか?」
「黙れ魔導師。まずはお前たちから始末してくれる。その後は裏切り者である不死王の処刑だ」
死神レイスが右手を掲げると、次の瞬間にはその手に鈍く輝く大鎌が握られていた。
その大鎌が横薙ぎにブンと振るわれると、張り詰めていた空気がパリンと音を立てて斬り裂かれた。
「気を付けて! あれはただの武器じゃないから」
背後からラウドの声が聞こえたエアリー、反射的に後方に跳んで大鎌をかわしていた。
ラウドの言う通り、レイスの持つ大鎌は普通の武器ではなかったのである。
それは死者の怨念が集まって形になったもの、すなわち実体がないのである。
もしもエアリーが短剣で大鎌を受け止めようとしていたなら、どうなっていたか?
実体のない大鎌はエアリーの持つ剣をすり抜けて、エアリーの首を跳ねとばしていただろう。
レイスの第二撃が、ホムラへと振り下ろされた。
とっさにホムラは手にした炎の剣を差し出し受けようとするが、レイスの持つ大鎌は難なくそれをすり抜ける。
「ホムラ!」
アイーシャの絶叫が響いた。
大鎌の先端がホムラの喉元に迫り、まさに突き刺さろうかというその寸前。
「たぁー!」
エアリーが横から飛び込み、大鎌を持つレイスの腕を下から上へ、短剣で弾き返していた。
大鎌は軌道を逸れ、ホムラの肩の上すれすれを通り過ぎた。
獲物を狩り損ねたレイスの身体がわずかにぶれる。
そこをホムラが盾を構えた体勢のまま体当たりする。
どすっ、と鈍い音を立て、レイスが後方へ吹っ飛ばされていた。
「ふぅ、助かったぜエアリー」
「へへ。でも厄介だね、あの鎌」
直接武器を交えて戦うホムラとエアリーにとって、実体を持たないレイスの大鎌はどうにも対応の難しいものである。
二人は慎重に間合いを計りながら、レイスとの距離を詰めていった。
「おのれ、人間風情が・・・」
ドクロの顔に怒りの色が濃く浮き出たかと思うと、その姿を消してしまった。
「えっ? 何処に・・・」
消えたレイスの姿を探そうと、視線を左右に走らせるエアリー。
しかし次の瞬間、レイスが出現したのはアイーシャの真後ろだった。
「アイーシャ!」
ラウドの声にとっさに視線を後ろに向けたアイーシャ、視界の端にレイスの姿を確認すると逃げるように床面を転がった。
ガツン、ガツン。
一度、そして二度。
転がるアイーシャ目掛けて大鎌を振り下ろすレイス。
鎌の先端がアイーシャのスカートの裾に突き刺さる。
それでも構わずアイーシャは転がり続け、何とかレイスの攻撃から逃げ切った。
「くそう、ドレスがズタズタだ」
アイーシャにとっては、命を落とし掛けたことよりもドレスを裂かれたことのほうがよほど気に入らなかったようである。
体勢を立て直しながらも、ギロリとした視線でレイスを射抜いていた。
その後もレイスは姿を消しては現れての攻撃を繰り返す。
ホムラ、エアリー、アイーシャの三人は次第に一か所に集まり、お互いに背中を付けるような陣形になってレイスを迎え撃っていた。
確かに大鎌自体は危険極まりない代物であるが、逆にそれを振り下ろした直後に隙が生じる。
ホムラとエアリーは大鎌をかわした直後にカウンターで攻撃を放ち、アイーシャもブーツの先端で蹴りを入れるなどして応戦していた。
こういった展開になるとなかなか魔導の書は使えなかったが、さすがにアイーシャも戦い慣れている。
冷静に戦況を見つめ、的確に対応していくのだった。
また、ラウドとソニアに被害が及ばないのも戦いを有利に進められる要因であった。
命の書と銀の十字架。
聖なる力を秘めたこれらの品に加護された二人には、さすがのレイスも無暗に手を出せないようである。
一方レイスは不死族とはいえ、かなり上級の部類に入るはずである。
ラウドのディスペルで仕留めるのは難しいだろう。
お互い決め手のないまま、戦いはこう着状態に陥っていた。
「やはり一対多では分が悪いか・・・」
やがて戦況を不利と判断したレイスが、冥界の門の前まで後退した。
「気を付けて、何か呼び出す気だよ」
いち早くレイスの意図に気付いたラウドが叫ぶ。
新たな敵の襲来を迎え撃つべく、アイーシャらも気持ちを切り替える。
「雑魚を召喚したところで話にもならないだろう。ここは切り札を使わせてもらうぞ」
しわがれた声でレイスが告げると、その手がさっと上へと差し出された。
「出でよ冥界の魔王、邪神サイデル!」
レイスの言葉を受け、巨大な門扉がゆっくりと開かれた。
門の向こうに異形の影が浮かび上がる。
「ひゃあ!」
「うっ」
「なんだ・・・ヤツは?」
エアリーが悲鳴を上げ、ホムラが唸り声を発する。
そしてアイーシャも、初めて見る異形の姿に片眉を吊り上げてしまうのだった。
「ソニア、気を確かに」
「え、ええ・・・」
後方でラウドに支えられていたソニアだったが、新たに出現した魔物のあまりにも常軌を逸した姿に、思わず気を失いかけたくらいであった。
サイデルと呼ばれた魔物が門扉をくぐり、アイーシャらの前にその姿を見せた。
それは全身が骨で構成された巨大な骸骨の姿であった。
しかしただの骸骨ではない。
ドクロの顔、そして腕の先にはカマキリの鎌のような骨が鋭く伸びていた。
全身がムカデのように長く伸び、無数に生えた足がガシャガシャと不気味な音を立てて動いている。
一体どのような生物を元にすれば、このような奇怪な骸骨が出来上がるのか?
ただの骸骨ならばアイーシャたちも見慣れていたのであるが、これ程の異形は初めてであった。
「邪神サイデルよ、よくぞ我が呼び掛けに応じてくれた」
レイスが嬉々としながら、サイデルを迎え入れる。
それに対するサイデルも、ガシャガシャと足を鳴らしては鎌の付いた両腕を振り上げる。
まるで、冥界からこの世界に呼び出されたことを喜んでいるかのようだった。
「アイーシャ、どうしたら良いの?」
「どう、と言われても・・・」
初めて見る異形の姿に、アイーシャもとっさの判断ができないでいた。
骸骨によって構成された姿形から、不死の魔物であろうことは推測できる。
ならば、パナソール王を仕留めたジルワンが効果的か。
しかし、あの死神がわざわざ「邪神」などと敬意を込めて呼ぶくらいである。
ただの魔物ではないだろう。
刹那の間ではあるが、アイーシャの頭の中ではそのような思考が目まぐるしく渦巻いていたのである。
最初に動いたのは、現れたばかりのサイデルであった。
まさにカマキリが獲物を狩るように、鎌を伸ばしてはホムラやエアリーへと振り下ろす。
レイスの持つ大鎌と違ってこちらは実体があるようだが、さすがにあの大きさである。
直撃を食らったら一溜まりもないだろう。
エアリーは素早く身をかわし、ホムラは盾で攻撃を食い止める。
しかしホムラの持つ盾は、王宮の近衛兵用に支給された小型の丸盾である。
サイデルの放つ強力な一撃に耐えられるものではなかった。
直接身体への攻撃は免れたものの、盾は簡単に砕け、その勢いで床面へと叩き付けられてしまった。
ホムラはそのまま床面を転がると、剣を杖代わりに何とか立ち上がる。
しかし、敵はサイデルだけではないのだ。
ホムラとエアリーがサイデルの相手をしている間に、死神レイスがアイーシャの背後に忍び寄っていた。
振り上げた大鎌の先端が、アイーシャの首元へと襲い掛かる。
「っ!」
背後からの奇襲に、一瞬反応が遅れたアイーシャ。
受けることもかわすこともできそうになかった。
いくら魔導の書を操る国内唯一の魔導師であろうと、その身体はごく普通の人間の女性のものである。
大鎌によって首を切り落とされれば、命を落とすのは間違いなかった。
(もうダメか)
アイーシャが目を閉じた、その時である。
ガシン、とアイーシャの首元で、金属同士が激突するような甲高い音が響いたのだった。
「魔導師よ、生きているか?」
聞き覚えのある声がした。
アイーシャが目を開き、声の主へと視線を向ける。
「お前は・・・」
意外な人物の出現に、声を飲むアイーシャ。
そこには、金髪をなびかせ青い衣装を纏い赤いマントをひるがえした、あの男がいたのだった。