魔導の書〜第二章〜

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 アイーシャのものと同程度、エアリーに与えられているものよりも若干広めの部屋。
 そこは、ベッドや庶務用の机といった最低限のものが置かれただけの殺風景な、いかにも男の部屋といった雰囲気のものであった。
 そしてこの部屋のほとんどの空間を占めているのが、大量に集められた書物の数々だった。
 壁に設われた書棚はもちろん、そこに入りきらずに溢れたものが、あちらこちらに山のように積まれてあった。
「やあエアリー、アイーシャも。さあ、どうぞ中へ」
 窓から差し込む春の日差しの中、庶務机に向かって書物を開いていたラウドが訪問者へと視線を向ける。
 エルフ族のラウド、金色の髪を後頭部で馬の尻尾のように束ねている。
 耳の先端が若干尖っているのは種族固有の特徴であった。
「相変わらずスゴイ部屋だねえ。少しは片づけなよ」
 これで意外と綺麗好きなエアリー、自分の部屋などはこまめに掃除をしているほうである。
 一方のアイーシャはと言えば、自分の部屋の掃除などここ数年したこともなかった。
 掃除など自分が部屋を留守にしている間に、見習いの僧侶がやっておくものだと思っているからだ。
「ごめんね、勉強中だったかな?」
「ううん、ちょうど一区切りしようと思っていたところだから」
「それって『命の書』だよね?」
 机の上に広げられた書物を興味深そうに覗き込むエアリー。
「ああそうだよ。えーと、ケガの治療だよね。さっさと済ませてしまおう」
 ラウドはエアリーの腕や足に火傷の痕を見つけると、早速命の書を手に取った。
「女の子が肌に火傷の痕なんか残したら大変だからね、ちょっと強いヤツで治療しちゃおうかな」
 ラウドは命の書の第5ランクのページを開いた。
 そこに記された治療の魔法、ディアルマの発動式をゆっくりと読み上げる。

 魔導の書と対になる書物、それがこの命の書である。
 その存在は知られながらも長年行方が分からなかったのであるが、アイーシャたちが一か月前にワードナの居室を訪れた際に発見されたものである。
 魔導の書が主に攻撃用の魔法を掲載しているのに対して、命の書はケガの治療や体力の回復のための魔法が主である。
 アイーシャと共に長年地下迷宮で魔物を相手にした実戦訓練を積んできたラウドである。
 命の書を手にしたその時から、第5ランクの魔法まで使用可能になっていた。
 とは言っても、一部発動式が記されていない魔法もあるのだが。
「さて、終わり。うん、傷痕も綺麗に消えたね」
 ラウドの言葉通り、ディアルマによる治療が終わると、エアリーの腕や足にあった火傷の痕は綺麗に消えていた。
「ありがとうラウド。それにしてもさ、アイーシャの魔導の書もスゴイけど、ラウドの命の書もスゴイ力を秘めているよね」
 エアリーは自分の腕や足を眺めながら、すっかり感心していた。
「そうだね。傷薬なんかよりもずっと治療の効果は高いし、なにより薬の類を消費しなくて済むのがありがたいかな」
 実際のところ、傷薬や毒消しなどの各種の薬類はかなり高額なのである。
 寺院がバックに付いているから無尽蔵に消費しても構わなかったのであるが、そうでなければとてもやっていけなかっただろう。
「今日も二人で訓練だったのかな?」
「うんそうだよ。でもさあ、たまには魔物相手に思いっきり戦いたいよねえ」
「それは仕方ないだろう。ホムラがいないのだからな」
 それまで黙ってラウドとエアリーのやり取りを聞いていたアイーシャが、ここで口を挟んできた。
 アイーシャたちのもう一人の仲間のホムラは、黒い髪の巨漢である。
 ワードナの居室での戦いを経て王宮から騎士の称号を与えられていた。
 その後間もなく、王宮から「ホムラを近衛兵に召し抱えたい」という打診があったのだ。
 貴族の家系に生まれたが故に騎士に憧れていたホムラにとって、王のすぐ傍で働けるというのはとても魅力的な話だった。
 その一方で、今後もアイーシャたちと行動を共にしたいという希望も持っていた。
 悩んだホムラだったが、最後は仲間の後押しもあって近衛兵の道を選んだのだった。
「ホムラがいなければ私は魔導の書に集中できないからな。魔物を相手にした実戦はしばらくお預けだな」
 複雑で難解な発動式を読み上げるのは、それだけでかなりの時間を要してしまう。
 魔導師が無防備な状態で発動式を読み始めたところで、魔法が発動する前に魔物の毒牙にやられてしまうだろう。
 そこで盾を構えた剣士が魔導師の前に立ち、魔物から魔導師を護る戦闘スタイルが確立されたのだ。
 アイーシャが発動式を読み上げる間はホムラが前に立ち、身体を張って魔物の攻撃を食い止める。
 その間にアイーシャが発動式を完成させて、魔法の力で一気に魔物を蹴散らすのである。
 しかし、肝心のホムラは近衛兵として王宮に勤めている。
 今までならば、盾役の剣士に欠員が出ればすぐに代わりの人間を探したのであるが、今回は特にそのような措置は取らなかった。
 当初の目的であったマハマンをめぐる修業が一段落したので、とりわけ急ぐ必要もないとアイーシャが主張したからである。
「もう、アイーシャってばそんなこと言って。本当はホムラに会えなくて寂しいんじゃないの?」
 エアリーの顔がニヤリと歪む。
「だ、誰が寂しいんだ。ホムラがいないくらい何とも思わない」
「そう? それじゃあホムラの代わりの人を探してもらおうよ。盾の役割なんて誰でも良いんでしょ?」
 これはラウドである。
「それは・・・だな、今更ど素人の盾役なんか信頼できるか。信頼できる者が護ってくれるからこそ、私は魔導の書に集中できるのだ」
「それって、ホムラを心から信頼してるってことだよね? やっぱり恋人に会えないと寂しいよねえ」
「そうそう。ここは素直になったほうが良いよアイーシャ」
「くっ、お前たち・・・」
 エアリーとラウドにからかわれて言葉に詰まるアイーシャだった。
 いざ「恋人」と言われても、さすがのアイーシャも素直に認めることはできない。
 ラウドの言う通り、以前のアイーシャならば「盾などは誰でも構わない」と言っていたはずである。
 しかしホムラと出会い、行動を共にするようになってそれが変わってきた。
 何よりあの戦いでアイーシャ自身が「ホムラを失いたくない」と、強く願ったはずである。
 確かに、アイーシャはホムラを信頼しているし、仲間として憎からず想っている。
 きっとホムラもアイーシャを嫌っている、などということはないだろう。
 更に踏み込んで、お互いの間に特別な感情がないかと言われれば、決してそんなことはないという自覚もあった。
 だがしかし、現在ホムラは近衛兵として王宮に、アイーシャは魔導師として寺院に属している。
 会えない時間がアイーシャを不安にさせているのは、間違いのないところだろう。
 と、そこへ。
「ラウド、いるか?」
 部屋の外から男の声がした。
「ホムラだ! 噂をすれば、だねえ」
 まさに絶好のタイミングで登場したホムラに、エアリーは跳ねるように扉へと向かった。
「みんないるよ。ささ、入って入って〜」
「邪魔するぞ」
 エアリーが扉を開けてホムラを室内へと招き入れる。
 しかし。
 久しぶりに会うホムラだったが、どこか様子がおかしいことに気付く。
 武骨で飾り気のない武具に身を固めたホムラは表情も硬いまま、入り口付近で直立の姿勢を取った。
「ホムラ、どうかしたの?」
「・・・」
 エアリーがホムラの顔を見上げるも、ホムラは無言のままである。
 そこへ、ホムラと同じ格好をした男が三名、更に黒いローブで全身を覆った男が室内へと入ってきたのだ。
 ホムラを含めた兵士たちは皆、左腕に黒い喪章を付けている。
 誰かの死を悼んでいるのであろうか? 
 だとするとそれは一体誰?
 異様な事態に困惑するアイーシャたち。
 そんな三人の様子には構わずに、黒いローブの男がホムラと何やら二言三言を交わしている。
 黒いローブの男はフードを目深に被り、鼻と口も黒いマスクで覆っていた。
 むき出しになっているのは、わずかに目の周りだけである。
 目尻に刻まれた皺の感じから、少なくとも50は超えているだろう。
 濁った瞳によるギロリとした一瞥が、部屋の奥にいるラウドへと向けられた。
 カツカツと靴音を鳴らしながら、黒いローブの男が迫り来る。
 そして。
「お前が寺院直属の治療師ラウドだな?」
 ラウドの前に立つと、くぐもった声ながらも威圧的に言い放った。
 それは「尋ねる」といったような穏やかなものとは程遠い「詰問」と言って良い口調である。
「はい。僕がラウドですが、何か?」
「キサマに国王暗殺の嫌疑が掛かっている。よって身柄を拘束し、取り調べを始める」
「!」
 黒いローブの男の言葉に、ラウドはもちろんアイーシャとエアリーも愕然となる。
「ま、待ってください。僕は何も・・・」
「申し開きがあるなら取り調べの場にて言うが良い。身柄を拘束しろ」
 ラウドの抗議を無視して黒いローブの男が命じると、ホムラを含めた四人の兵士がラウドを取り囲んだ。
「どういうことだ、ホムラ?」
「・・・」
 アイーシャがホムラに問う。
 その声は低く、そして鋭い。
 とても仲間に対しての言葉とは思えないほど冷たいものだった。
 しかし問われたホムラはアイーシャとは視線を合わせず、無言を貫いていたのだった。

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